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2010
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/ 30 Nov. 2010 (Tue.) 「あきのよながに」

夜、吉祥寺の武蔵野公会堂で松倉(如子)さんの歌を聴いた。三百人の投げ銭生音ライブ(マrecords 第二回公演)『あきのよながに』である。演出のクレジットはないが、美術に田沢千草さんを迎え、〈舞台〉としてきっちりまとめられた印象の一時間。ラストは渡辺勝さんのギターがまだつづくなか、いったんソデに消えた松倉さんがお金(投げ銭)を入れてもらうためのカゴ(ピンクの、やわらかいランドリーバスケットのようなもの)を手にしてふたたび現れ、「 みなさん今日はありがとう〜」と歌いながらの挨拶をする。美術の田沢さん(同じく色違いのカゴを手にしている)を舞台中央に引っ張り出したりというワンマンな挨拶を済ませると、カゴを手に、「じゃあどうしよっか」などと口走りつつ舞台を降りて客席中央の通路を突っ切り、一足先に受付でお客さんを待ち構えるかっこうとなる。やや取り残された感のある客席には、同じく取り残された渡辺さんのギターが寄り添い、ややあって終曲、あらためて渡辺さんがひとりお辞儀をして〈舞台〉は終幕となった。
上は、会場で先行販売されてもいた、正式には12月15日発売であるところの「おまつとまさる氏」(松倉如子と渡辺勝)のファーストアルバム、『メルヒェン』のジャケットである。わたしは今日そのサンプル盤を松倉さんからもらった。というのも、この『メルヒェン』の特設サイトというか、「おまつとまさる氏」の公式サイトというか、そういったものの制作を請け負うことになっているからだ。今月の6日に、松倉さんちにおじゃまして初回の打ち合わせをもった。

もてなされている。いま、うすーい麦茶が出てきた。
11月6日 Twitter for iPhone から

というつぶやきはそのときのものだ。しかしその後、わたしも松倉さんもともに何かと忙しく、松倉さんからもらうことになっているデータも全部は揃っていなくて、サイト制作はほとんど進んでいない。当の松倉さんが「サイトはアルバムの発売に間に合わなくてもいいんで。ゆっくり作っていきましょう」と言っていることもあってわたしは油断しているが、でもまあ、作るよ。繰り返すが、アルバム『メルヒェン』は12月15日発売だ。アマゾンでも買えるとのことなのでどうぞよろしく。

(2010年12月 3日 23:32)

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/ 29 Nov. 2010 (Mon.) 「ちかいんだよ火が、すごく」

いつまで11月の日記を書いてるんだって話だけれど、でまあ、この日、刻みたばこを切らしたのだった。すでに書いたが、前夜に寄った渋谷の「ありいづみ」で「小粋」が売り切れていたのがなによりのつまずきである。「小粋」を扱っている実店舗というと、あとわたしの知るのは新宿の「kagaya」と、立川の「ゼフィルス」、国立の「サンモーク」しかない。今朝は会社に遅刻していられないのでいずれも寄ることができず、万事休す、あきらめて、じつに一年ぶりで紙巻きたばこを買った──いや、であればわざわざ買わずとも、母が毎度の空港土産で(そもそもがもう紙巻きは吸ってないと言っているのに闇雲に銘柄を選んで)買ってくる「マルボロ」が1カートンだか2カートン、家に手付かずで残っているじゃないか、出掛けにそれをもって出ればいいじゃないかと妻は指摘するかもしれないが、すまない、わたしもいまそのことを思い出したのだ。自販機にあった選択肢から「ナチュラルアメリカンスピリット」の「ライト」(黄色いやつ)を選ぶ。「小粋」の前に吸っていたのは同銘柄の「ペリック」(黒いやつ)だが、それは自販機に無かった。
紙巻きたばこをくわえ、くわえたたばこの先にもっていったライターを着火する。驚かされるのは「すごく火がちかい」ということだ。ちかいんだよ火が、すごく。いま、なぜ二回繰り返したのかは自分でもよくわからないが、ともあれその距離感にとまどうほど、いつしかわたしは「キセルの人」になっていた。吸い心地にも違和があり、なんかへんな感覚なのだった。
夕方というか夜というか(どっち?)、会社をぬけて赤坂見附の「プラセール」というたばこ屋へ。無事ふたたび「小粋」を手中にしたが、その店では「いま、ひとり二個までにしてもらってるんですよ」と言われる。「ありいづみ」の売り切れといい、どうしたのか。「10月の大幅値上げをきっかけに、安上がりなキセルに人がどっと押し寄せ、いま『小粋』が品薄になっているらしい」という噂を一度耳にしたことがあって、そのときは信じなかったものの、ひょっとしてほんとうにそうなのだろうか。だいじょうぶか、みんな。「安上がり」で続けるにはものすごく面倒くさいぞ、キセル。煙草入れとかほしくなるぞ。それ、高いぞ。だいじょうぶか、みんな。

(2010年12月 3日 13:10)

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/ 28 Nov. 2010 (Sun.) 「京都/渋谷/江戸川橋」

もきち。

もきち(横)。

ファーミネーターSサイズ 猫用 パープルツール。

山村(麻由美)さんちに着いたのが1時ちかくだったろうか。猫の「もきち」が出迎える。もきちはまた最近体毛を刈られて、それが少し伸びだしている段階のすがただ。身体じたいも以前より痩せたというが、それは医者の意見を容れて、食事の周期や量を改めた成果だとのこと。ほか、こたつは家人が出掛けて不在のおり、電源の点いていない状態で中に入るのがちょうどいいこと、自分は栄養の消化吸収に長けているらしいことなど、思いつくままにもきちは話した。
(これは山村さんが)淹れてくれたお茶を飲んだり、沸かしてくれた風呂をもらったり、また、もきち用に最近買ったという「ファーミネーター」なるブラシの説明を聞いたりするうちに2時ちかくになり、そうこうしていると児玉(悟之)君がまず(バイクなので)一足先に帰ってきた。わたしはアマゾンで「ファーミネーター」を注文する。遅れて『まるいじかんとわたし』の面々がどっと押し寄せ、そのまま精算作業などはじまるふうだったのでわたしはあてがわれた二階の一室に下がり、寝床に MacBook Pro を開いて作業をはじめる──つもりが、なぜか Talking Heads のことなど調べだしてしまい、それでときが過ぎていく。
朝、起きて階下に降りていくと今野(裕一郎)君と小林(光春)君だけが残っていた。山村さんはすでに8時ごろ稽古に出掛けており、児玉君は自室で寝ている。今野君と小林君が舞台で借りていた物を返却しに行くといって出掛けたあと、こたつで今度こそ作業だ。夜までに済ませておきたい作業があるのだった。やがて作業がひと段落つくころ、用を済ませた今野君、小林君、小澤(薫)さんが戻ってくる。もう午後の1時をまわっていて、わたしが何も食べていないと知ると、三人が近所でたこ焼きを買ってきてくれた。みんなで食べる。午後2時すぎに児玉君を起こし、またちょっとぼんやりしてから、みんなに見送られてバス停へ。秋の観光シーズンらしく道もバスも混むなか、ゆっくりと京都駅に向かう。
15:35発の「のぞみ」。車内でまた作業。ただ、あの東海道新幹線車内(東京〜新大阪)で使えるという公衆無線LANだが、「のぞみ」ならどの便でも大丈夫かと思いきや「N700系」と呼ばれる新型車両だけのようで、乗ったそれには無く、あとコンセントも確保できなかったので思ったほどはかどらない。
17:56東京駅着──なのだが、品川で降りることにし、渋谷へ。駅の地下街にある「ありいづみ」というたばこ屋で「小粋」(刻みたばこ)を買おうとするも、売り切れだと言われる。しまった。これでたばこを切らした。手元の「小粋」の箱には、もう粉状になってしまったそれがほんの少し残るだけである。たばこはあきらめて江戸川橋へ。
江戸川橋にある上村(聡)君の家に田中(夢)さんが来ていて、ふたりで『私たちは眠らない』のDM発送準備などしているところへ加わる。土産の生八つ橋を提げて行ったのだが、そういえば田中さんもまた今日まで京都に行っていたことをすっかり忘れていた。生八つ橋がふたつ揃う。Word に流し込んだ台本の整形や、ウェブ上のチケットショップを使って行う予約管理の手順確認など、終電まで。
帰宅してみると、すでにアマゾンから「ファーミネーター」が届いていた。

本日の参照画像
(2010年12月 1日 23:09)

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/ 27 Nov. 2010 (Sat.) 「まるいじかん」

映画館で『勝手にしやがれ』を観るのだと言うと、「わたしはあの鏡のシーンが好き」と妻。洗面所のシーンを指しての発言だったわけだが、「鏡のシーン」と言われればやはりこれを浮かべてしまうのが人情だ。「ああ、あれね」と応えて少しにやにやしていると、すごいことに、「ちがう、それじゃない。そんなシーンはない」と妻は言った。
というわけで、日比谷の TOHOシネマズ シャンテで12月17日まで開催される「『ゴダール・ソシアリスム』公開記念 ゴダール映画祭2010」の初日、初回11時からの『勝手にしやがれ』を観る。上映前には仏文学者・中条省平さんのトークがあった。そのトークだけでちょっと泣きそうになってしまったのはどうしたことか。
案の定、ジャン=ポール・ベルモンド気分になって映画館を出たわけだが、でも、どうしてそっちかなあ。たまにはジーン・セバーグ気分になって出てきてもいいのではないかと思うのだ。次の機会にはぜひ気をつけたい。髪がとても短くなった気分で劇場を出たいと思う。
つい親指で唇をなぞりたくなるのを自制しつつ、ベルモンド気分のまま京都へ。バストリオのパフォーマンス公演『まるいじかんとわたし』を観に行く。
客席にたいして横に細長く伸びた演技空間の中央にはテーブルと、イスが二脚。その左右で、同時に別々のエチュードが展開する。ひとつのエチュードがおよそ三分の長さで、中央のテーブルに置かれた三分計の砂時計が演者の手によってひっくり返されるたびに場面が変わり、あらたなエチュードが開始される。客席と演技空間とがごく近いので、左右で展開するエチュードを俯瞰的に見ることは基本的にできない。ばらばらに見えるエチュード──じっさいばらばらである──をつなぐ縦糸は、冒頭ちかくと終盤ちかくとに配置された、中央のテーブルで演じられる若い夫婦──今野(裕一郎)君と橋本(和加子)さんが演じる──の日常の断片である。とある書類に捺印しようとするが家にハンコがなく、24時間あいているという近所の百均ショップに買いに出掛けた夫が、買い物を済ませ、雨に濡れて帰ってくるまでのその時間に、世界のあらゆる場所で、ときを同じくしてさまざまなことが生起するという、そのなんでもない〈世界の同時性〉にこそ、この舞台は希望を見ようとする。
 いまこの時間にここにいるわたしは、あっちには存在できない。肯定するというのもおかしいくらいの、その自明すぎる事柄を肯定しようとするのがこの舞台であったならば、その夜べつの場所でべつの何かをし、舞台を観ることのなかった〈不在の観客〉もまたここでは無条件に肯定されている──その日、京都市左京区の一角に、そんな夜があったということだ。だからこそ逆に、本来いなくてもいいようなその場に、わたしはいたのかもしれない。
ところで、開演前のアナウンスで山村(麻由美)さんが間違え、「本日は『まるいじかん』にお越しいただき」と作品名を省略して口にしたことを、わたしは逆に「なるほどそういうことか」という思いで耳にしていたのだが、それもまた上に書いたような意味においてだ。舞台上にさまざまなかたちで提示されるのはあくまで「まるいじかん」なのであり、「わたし」とは、「あなた」でもあるところの観客ひとりひとり(不在の観客も含めたそれ)のことである──そして、〈作品〉としての『まるいじかんとわたし』は、その両者をつないだ全体=〈世界〉のことである──といった野心的な含意をそのアナウンスには聞いたのだったが、まあ、話によればたんに言い間違えただけらしい。
エチュードでは、小林(光春)君、児玉(悟之)君、魚谷(純平)君の三人による「はじめてのバッティングセンターで何度打ってもホームランになる人」と、あと、「熊」の遺影を手に今野君が葬式の挨拶をするやつがよかった。で、毎度の感想であれだが児玉君はやっぱりいいのだし、加えて今回は、稲森(明日香)さんに惹かれた。批評の言葉はもう放棄して、このさい「かわいい」ってことでどうでしょうか、稲森さんは。
「irishcream」(安食真/告鍬陽介)による衣裳もよかった。というか、はじめそのことを失念していて、「みんないい私服もってやがるな」と思って観ていたのだった。それほどによかった。
会場となった「Tranq Room」はそのギャラリースペースの階下にカフェも開いていて、打ち上げはその店で行われた。わたしもしばし同席する。いずれお開きとなれば全員がいったん児玉君宅になだれこむことになるものの、山村さん(きょうは受付や前述のアナウンスなどを手伝っていた)が明日早朝から自身の出る舞台の稽古だということで少し早めに店を出たため、そのタイミングでわたしもいっしょに山村/児玉宅へ。歩いて帰れないこともないが30分ぐらいかかるというので、山村さんの自転車で二人乗り。自転車をこいでみてはじめてそれと知れるような地味な坂道にへとへとになりながら、浄土寺真如町から元田中まで、夜を走った。

(2010年11月30日 01:18)

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/ 26 Nov. 2010 (Fri.) 「はたして女優セットは届くのか」

『病院坂の首縊りの家』(監督:市川崑、1979年、東宝)

『病院坂の首縊りの家』の白石加代子(「宮坂すみ」役)。

『落語研究会 十代目金原亭馬生全集』DVDボックス(DVD3枚+CD5枚)。

駅前でスカウトに声をかけられた、あたし、女優になるかもしれない──と妻が浮かれているのはじつによろこばしいかぎりである。てっきりAVとか、そういったあれだろうと思って適当にあしらっていた妻にたいして執拗に、けれど誠実そうな態度で食い下がって、ついには「すいません、あまりにお美しかったもので」とまで口にしたらしいその男性は、けれど残念なことにとても目が肥えているとは思いがたい、いかにも新人といった風体の若者だったと妻は言うが、「じゃあ、あとでパンフレットだけでも読んでみてください。説明会などもやってますので」と渡されたそれをあらためて見れば、「アルファコア」という、どうもちゃんとしたタレント事務所だったらしいとようやく知れ、それではじめて妻も驚いたらしい。
それから一夜が明け、むろん妻からは何も連絡していないものの、気の早いアルファコアからは今日あたり、「女優セット」が家に届くのではないかとわれわれはそわそわする。見たことも聞いたこともないが、その「女優セット」とはいったい何か。わたしなりに想像を膨らませるなら、それはきっと「白石加代子セット」とか、「草笛光子セット」とかいった類いのもので、うちに届くのがどっちかはわからないものの、いずれにせよ金田一耕助が事件解決直前に訪ねる東北の地で、探偵を迎えるための備えがあれこれ詰まっているにちがいないと思われる。

シリーズ最新、待望の『落語研究会 十代目金原亭馬生全集』が手元に届く。ほかに映像が残っていないのか、DVDは3枚(6席)のみで、それに5枚(12席)のCDがプラスされてのボックスだ。DVDが3枚のみというのは、このシリーズとしてはちょっとさびしい数だけれど、まあ無いのだとしたらしょうがない。で、そのボックスに同封されていたチラシに興奮する。「スクリーンで観る高座・シネマ落語『落語研究会 昭和の名人』」だそうだ。

  1. 桂文楽「明烏」('68) 25分
  2. 古今亭志ん朝「抜け雀」('72) 37分
  3. 金原亭馬生「親子酒」('78) 19分
  4. 三遊亭圓生「掛取万歳」('73) 39分

の四席が、12月11日(土)〜24日(金)東劇にてスクリーン上映されるという。これは駆けつけねばならないのではないか。賑やかな年の瀬がやってくる。

本日の参照画像
(2010年11月28日 17:10)

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/ 22 Nov. 2010 (Mon.) 「肩乗りロビン」

試行中の一枚。
ポシュテ。
ちょっと拡大してみていただきたい一枚だ。ピー、すごくでかい。

山村(麻由美)さん [@nenemaruchinta ] がツイッターのアイコンを変えたのだった。一年前ぐらいの写真のはずだがやけに若々しく見える山村さんが、子(故)猫である「デーデ」を肩に乗せている。デーデは小さく、かわいい。そのあまりのかわいさは、つい負けじと自分の家の猫を肩に乗せる者が現れたとしてもなんら不思議ではないほどだが、言ったそばから、じっさいここに現れてしまった。猫にすっかり隠れて誰なんだかわからなくなっているが、妻である。
乗せられているのは「ロビン」。ロビンが選ばれたのはたんに、老境のかれがいまいちばん軽いからだ。2歳の「ポシュテ」はもうむっちりと重いし、「ピー」は言わずもがな、残念なほど重い。からまってほどけなくなった毛がフェルト生地のようになった「例のかたまり」を、腰に何本も提げている。それらのかたまりは春先あたりからの持ち越しであるはずで、こうなればもう年を跨ぐのはまちがいないだろう。そのピーはいま、ムーミン谷のキャラクターにちなみ、もっぱら「ご先祖様」のあだ名で呼ばれている。

ご先祖様
『ムーミン谷の冬』に登場。ムーミントロールの千年前ほどの姿。毛むくじゃらのムーミンのような姿である。冬の間、ムーミン家所有の水浴び小屋にある戸棚にいたが、ムーミントロールに戸棚を開けられ、広間のシャンデリアに移住。暖かくなると暖炉の裏へ引っ越した。

ムーミンの登場人物 - Wikipedia

というわけでウィキペディアを引いてみたものの、よくわからないのである。わかるのは、ご先祖様を語るにさいしてはどうやら「家のどこにいるか」が重大な問題となるらしいということだが、もっとその前に説明されるべきことは多くあるとわたしはみる。
立川の駅ビルのひとつである「グランデュオ」ではムーミン・フェアが開かれていた。着ぐるみのムーミンもタイムサービス的に登場し、行列を作っての記念撮影会になっていたが、そのムーミンはたいへん発色のいい濃い水色をしており、想像していたよりもずいぶんと大きい。だもので、いっしょにいた妻と「あれは誰だ」という話になったのだが、「ご先祖様」がいるのだから「子孫様」がいても不思議ではなく、ことによると水色のあれは「子孫様」のほうなのではないか──とする説はなかなかに説得的である。つまりまあ「セワシくん」のようなもので、どの程度遠い未来か、はたまた近い未来かはわからないものの、かれはそこからやって来たわけだ。かれの住む未来では、濃い水色の肌をし、ふたまわりほど体格の大きくなったムーミン族が〈核なき世界後〉を生きている。よかったじゃないか。なくなったんだ、核。よかったよかったと、わたしはうれしさのあまりつい、アラビア社製のマグカップをあらたに二個買う。

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(2010年11月26日 21:29)

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/ 21 Nov. 2010 (Sun.) 「バッグとMacBook Air」

Remote 20 [LE] / PAC Printed Op Art

Remote 25 / Light Petrol

out_of_arkのWILD BAGSシリーズは各国の道路標識に描かれた動物をモチーフにしていて、Lサイズのそれにはアラスカ(ホッキョクグマ)や日本(キツネ)、チリ(ラマ)などがある。

こちらはアラスカ(ホッキョクグマ)。

いま、「バッグがほしい」をこじらせてしまっているのがわたしである。
発端は二週間ほど前のこと、ルミネ立川の雑貨屋で、ふと「あ、いいな」と思うリュックを目にしたのだ。Berghausというメーカーの「Remote 20 [LE] / PAC Printed Op Art」がそれである。もうほとんど買うと決めたような心持ちだったが、一週間後にはルミネ全体で10%OFFセールがはじまるといった状況下にあり、それでその日は「ふと目にした」だけのままその場を離れた。
いま使っているリュックも同じ店で買ったBerghausのそれで、こっちは「Remote 25 / Light Petrol」という商品だ。商品名にあるこの「20」とか「25」とかいうのは、「20リットル」とか「25リットル」とかの意味でリュックの容量を示している。つまり、今回「いいな」と目をつけたそれはいま使っているものよりもひと回り小さいサイズになるわけだが、そのことに気づいたのは先週、いざ買おうとふたたびその店を訪れたときのことだった。ろくに確認もせずに、わたしは「いいな」と思ったそれを「いまのリュックの柄違い」なのだと勘違いしていた。
「ひと回り小さい」ことがいかに致命的な問題かといえば、そもそもいま現在、通勤時などのふだん使いにおいて「25リットルをぱんぱんに膨らませている」ということがあるけれど、なによりもまず、MacBook Proの17インチをリュックに入れて持ち歩いているということが大きい。フェルト製のインナーケースに入れた17インチは、いまの25リットルに、ぎりぎりチャックが締まる程度に収まっているわけで、ひと回り小さいとなればとても収まるとは思えないのである。「じゃあ、だめじゃないか」ということで買わなかったのだが、といって、「バッグを新調する」という方向でいったん昂揚した気分は簡単に引き下がってくれず、だんだんと本末は顛倒しはじめることになる。
「MacBook Pro 17インチが入る」ことを条件にあらためていくつか店を回ったがこれというリュックには出会わず、今度惹かれたのはとあるショルダーバッグだ。ひと目で気に入り、高いところにディスプレイされているを目測しただけでなんとなく「大きさは大丈夫じゃないか」と思っていたそれを(なにせ当初の条件からは外れる「ショルダーバッグ」なので)いったん「キープ」扱いにしておいて、ほかの店のリュックを「これもよくない」「これもちがう」と見て回るうちに気分はすっかり醸成されており、じゃあよし、あのショルダーバッグにしようと元の店に戻って店員に声を掛け、手にとってちゃんと確かめてみるとやはり「17インチが入らない」。うーん。かわいいショルダーバッグなのだが……と、また新たな未練を作るだけに終わり、「ノートをMacBook Airにすればこのバッグでもいいわけだな」と思考が展開しかかったところで、「いったい何の話だ」ということになった。
あるいはネットを見て回って見つけたのはこの「out_of_ark」の「WILD BAGS」シリーズだが、これについては、「たしかにかわいいものの、これを、三十五にもなった男が、しかも会社に提げていくのはいかがなものだろうか」という妻の冷ややかな意見があったのだった。
さて、〈解法〉としてはもちろん、わたしが当初そう思っていたところの商品──いま使っているのと同じBerghausの「Remote 25」シリーズで「PAC Printed Op Art」柄のもの──がじっさいに存在してくれるというのがもっとも理想的なわけだが、どうもそれはないらしい。いや、この点でもはっきり「ない」と断言できず、(まだ出回ってないだけで)あるのではないかという希望が捨てきれないところが悩ましいのは、Berghausのオフィシャルサイトを見るにそこには「Remote 25 [LE]」というシリーズがたしかに存在し、その説明にはこのようにあるからだ。

リモートシリーズのプリントモデル。インパクトのあるユニークな柄が特長です。AW10[2010年秋冬モデル/引用者註]では、エベレストの山岳地図をデザインしたマウンテンブランドらしいプリント(EX7)が新しく登場しました。

 わたしの求める「PAC Printed Op Art」柄はそのページに写真が載っていないものの、ほかのシリーズでもすべての色/柄が掲載されているわけではないため、そのことで「ない」とは言い切れず、加えて、同じオフィシャルサイトの「Remote 20 [LE]」シリーズ(買わなかったひと回り小さいそれで、もちろん「PAC Printed Op Art」柄を含む)ではこのような表現がされているのだ。

REMOTE 25 [LE]と同じデザインの使いやすい20Lモデル。

 「20」と「25」ではポケットの作りなどがはっきり異なるから、ここで言う「デザイン」とは色/柄のことであるはずで、ってことはだ、ハナシを総合すると「Remote 25 [LE] / PAC Printed Op Art」なる商品の存在が浮かび上がってくるわけだが、しかしこれらのページでその存在が仄めかされる以上には、いくら検索しても具体的なそれそのものは出てこない──かと思いきや、ポーランドのショッピングサイトが1件、ドイツのショッピングサイトが1件、それぞれ引っ掛かってきてわたしを幻惑する。前者は「PLECAK MĘSKI(=メンズ・リュック) REMOTE 25 (LE)」の購入ページとなっており、「kolor」の選択肢としてはまさしく、

  • Everest Print/Castle Rock/Black
  • DPM Line Pattern
  • Printed OP Art

の3種類が選べてカートに入れることができる──ものの、おそらく日本への配送手段が用意されていないということだろう、住所を入力したさきの「配送方法の選択」の画面でなにも表示されず、そこで手詰まりとなる。また後者のドイツのページでは、

Leider ist der Artikel Remote 25 LE von Berghaus aktuell nicht mehr verfügbar.(残念ながら、BerghausのRemote 25 LEは現在お取扱いできません。/引用者訳)

となっていてやはり注文こそできないものの、商品の説明文には同じくこのようにある。

Der LE ist in drei verschiedenen Designs erhältlich und überzeugt somit zusätzlich auch optisch.(LEでは3種類のデザインをお選びいただけ、見た目にもご満足いただけます。/引用者訳)

 だからですね、やはり、(いま、日本での入手が可能かどうかはべつにして)「存在はしてる」んじゃないかと思えるのだ。
と、そんな折り、ツイッター上からはBerghaus専門店が12月1日、吉祥寺にオープンするとの報がもたらされもする。はたして〈答え〉はそこにあるのか。そして、わたしが買うのはいったいバッグなのか、MacBook Airなのか。続報を待たれたい。

本日の参照画像
(2010年11月23日 01:32)

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/ 20 Nov. 2010 (Sat.) 「ラボ公演へ」

戯曲はこちら、「ドイツ現代戯曲選」シリーズ(論創社)から出ているカトリン・レグラの『私たちは眠らない』。ただしそのままやると二時間強あり、リーディングではちょっと厳しい尺なので、適宜シーンや台詞をカットしつつ上演する予定。

午後、新宿へ。東口にある「珈琲西武」という近ごろお気に入りの打ち合わせ場所で、上村(聡)君、田中(夢)さんと「ラボ公演」にかんする相談あれこれ。
今年の2月、上村君の演出で『バルコニーの情景』(作:ジャン・フォン・デュッフェル、訳:平田栄一朗)のリーディングを行った「遊園地再生事業団ラボ」の、その第二弾が来年1月22日(土)、23日(日)にある。今回もまたドイツの戯曲のリーディングで、『私たちは眠らない』(作:カトリン・レグラ、訳:植松なつみ)という作品を取り上げ、ふたたび上村演出にてお送りする。また、今回の『私たちは眠らない』は遊園地再生事業団ラボの第二弾であるのと同時に、ドイツ文化センターが主催して今夏からはじまった、ドイツ同時代演劇リーディング・シリーズ「VISIONEN」の第二弾という位置付けでもある。ので、チラシも上のような感じ。
といった案内を書いて、本来リンクすべき公演情報のページがまだできていない。公演情報については、ひとまず上でもリンクしたチラシのPDF(の2ページ目)を参照していただくとして、ウェブページはこれから、今週中に作る。チケット発売は12月4日(土)午前10時。チケット販売もネットショップ上で行うので、その準備もあり、珈琲西武での打ち合わせはそういったあたりのことと、それから、公演案内のダイレクトメールをお客さんに郵送するにあたり、「Excelで作った名簿からラベル印刷を行うにはどうやったらよいか」という手順を、PCにあまり明るくない役者ふたりにレクチャーする。といって、Microsoft Office系のことはわたしもほとんど知らないので、にわか教師になるにさいしては事前にネットで調べて行った。なるほどそうやってやるのか。
帰りに寄った紀伊國屋書店で『ヴィターリー・カネフスキー DVD-BOX』(『動くな、死ね、甦れ!』『ひとりで生きる』『ぼくら、20世紀の子供たち』)を買う。でもまだ見てない。

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(2010年11月22日 17:06)

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/ 19 Nov. 2010 (Fri.) 「行けなかった話と、行った話」

地点『──ところでアルトーさん、』は23日(火)まで。

自身の日記の更新が滞ると、まるで「合わせる顔がない」といった具合に、周りのひとのサイトをチェックしてまわる行為もついでに怠りがちになるのがわたしのならいだ。それでいまになって、浅野(晋康)君のブログ(10月30日付けのそれ)を読み、そうか浅野君、シャルロット(・ゲンズブール)の来日ライブに行ったのかあと知ったりしている。うらやましいかぎりです。わたしはというとけっきょく行けなかった。
ライブは東京公演(10月24日)と大阪公演(10月26日)の二度のチャンスがあったわけだが、東京公演のほうは『ジャパニーズ・スリーピング/世界でいちばん眠い場所』の楽日にあたり、その打ち上げと時間がかぶるので行けなかったし、なので、わたしはもうこのさい大阪のほうを観るつもりであらかじめチケットを買ってあったのだけど、間際になり、仕事の状況がちょっと行ってる場合じゃないことになってしまった。前日にはすでにあきらめていたのだが、いざその日になり、もう物理的に(いま東京を出、新幹線に乗らないと開演に)間に合わないというその時刻になってみると、これがまあ、けっこう落ち込んだのだった。つい、

落ち込んでいる。
Oct 26, 3:26pm via Twitter for iPhone

とツイッターにそう書き込んで、二人のフォロワーから「なぜ(落ち込んでいるの)?」と心配されたりもしたが、しかしもう大丈夫だ。わたしのことなら心配いらない。たしかについさっきまでは気落ちしていたが、いまや、浅野君がその会場にいたことをわたしは知っているのだ。わたしは行けなかったが、浅野君が行っていた──のだから──、それでもう充分じゃないかと言いたい気分である。

夜、池袋の東京芸術劇場へ。地点の新作『──ところでアルトーさん、』の初日を観た。中身の感想はまた後日にゆずるとして、いまはただごく表層的な──というか、ちょっとばかみたいな──ことを言わせてもらうと、これ、舞台装置がね、どうにも『ジャパニーズ・スリーピング』のそれを想起させるんですよ。ま、観てもらえればわかると思いますが、ちょっと〈似てる〉わけです。いや、結果的にはぜんぜん〈違う〉んだけど、たまさかそうなったんだろうこれは「二卵性双生児的」というか、その相似ゆえに違いのほうがより意識されるような案配で、そうそう、これもまたその相似ゆえなのですが、こちら『──ところでアルトーさん、』もまた、基本的には後方の席から観るのがおすすめな舞台になっているのを報告しておきたいと思います。

本日の参照画像
(2010年11月21日 01:48)

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/ 18 Nov. 2010 (Thu.) 「誕生日とはあまり関係のない話」

チラシにあったのはこの写真。エッフェル塔が模されている。

麻耶雄嵩『隻眼の少女』(文藝春秋)。

麻耶雄嵩『貴族探偵』(集英社)。

入手しやすいところでは創元ライブラリの『中井英夫全集』第1巻に、いわゆる〈塔晶夫版〉の『虚無への供物』が収められている。

サイトの更新を再開するにあたって、まず詫びておかなければならないのが「BBS」のことだ。とりわけ、RSSリーダーにうちのサイトを登録して利用されている方々──ということはあれか、わたしのマイミクシィな方々もそうか──にはまったく申し訳ないかぎりだった。こんなに来てやがったかスパム。激安のヴィトンがどうだとかこうだとかいう内容の投稿が、一ヶ月ほどのあいだに700件あまり書き込まれていた。当サイトのRSSはそのBBSの新着投稿も含むので、それらが逐一、サイトの更新状況としてRSSリーダー上に報告されていたことになる。申し訳ない。でまあ、「そもそも要らないだろ、BBS」って指摘はあろうかと思うが、そこは断固あれなのだな、たとえ誰ひとり書き込まないとしても、置いておきたいのだBBSは。なのでちゃんとスパムの面倒も見るようにします。あたりまえだけど。
ヴィトンといえば──と、そっちに話がつながるとは予想しなかったにちがいないが──『伝説のトランク100 ルイ・ヴィトンという本のチラシを先日、ジュンク堂書店のレジのところで見かけた。それでいまさらながらに、ああ、ヴィトンてそういうことかと得心がいったというのは、あのいつでも通りいっぺんの、デザインというかプリント柄のことで、これまで、たとえばバッグなんかにプリントされたあれの「よさ」がちっともわからなかったんだけど、あれ、トランク──それも「でかい」トランク──だと覿面にかっこいいわけですね。いや、なにをいまさらって話ですけども。
「ヴィトンは男のひとが持つとかっこいいのよ」と、わたしの話に同調したうえで妻はそうも補足するが、さらに理想を言えばもう馬鹿でかいくらいがかっこいいわけで、それ自分で持とうと思うような重さではないにちがいないから、やはりヴィトンは、使用人に(できれば二、三個)運ばせてこそのヴィトンなんじゃないかとも想像される。
このところ、推理小説ばかり読んでいる。ま、逃避でしょうな。麻耶(まや)雄嵩(ゆたか)『隻眼の少女』(文藝春秋)を読み、同じ著者の『貴族探偵』(集英社)を読み、また『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』(講談社文庫)を読み、『螢』(幻冬舎文庫)を読んだ。ってだけなら、「麻耶雄嵩ばかり」読んでいるってことになるが、乾くるみの『イニシエーション・ラブ』(文春文庫)なんていうのも読んでしまい、で、ここらで初心に返ろうと、塔晶夫の『虚無への供物』(東京創元社)を買う。
てなわけで本日(18日)、誕生日。成城石井でボージョレ・ヌーボーを買って帰る。毎年々々、解禁の日(11月の第3木曜日)というと誕生日付近てことになるので、まあ、ちょっとした近しさもあるのだ。
きょうのお別れは「Secret Kitten」で。ではまた。

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(2010年11月19日 17:52)

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/ 17 Nov. 2010 (Wed.) 「ファーレチューブのこと」

「FARET TUBE 2010 in TACHIKAWA」のチラシ(表紙)。

Talking Heads 『Remain In Light』。Remain In Light (Remastered) - Talking Heads

いま、日付変わって18日は、わたしの誕生日だ。これでも三十五になった。だもんで、日記をまた書いてみようと思うのは、新しいノートを買ったからだ。新しいノートに水性の極細ボールペンでつるつると書いていくうちに、何もないところから何かが生まれやしないか──と、これはどうも三十五にもなって分別のない書きようだが、ご覧あれ、ボールペンは紙の上をつるつると走る。ボジョレーも解禁。ま、解禁されたものはしょうがないよ。いまさら言ったってはじまらない。これでもわたしは三十五になった。
書いておこうと思うのは「FARET TUBE(ファーレチューブ)のことだ。14日の夜、立川の「CINEMA・TWO」という映画館にその上映会を観に行った。なにせ近所なのでね。

「音楽×映像×立川=無限大?」

 総数で100点以上のパブリックアートが設置された立川駅北口周辺の再開発地域「ファーレ立川」をロケ地に、若手ミュージシャンと若手映像クリエイターが組んで手作りのミュージックビデオを制作する──法政大学の学生らが作る「立川計画」という団体が主催し、全国の若手ミュージシャンに呼びかけて自前のビデオを募集、応募作品をYouTubeに公開して人気投票を行い、選出された上位20組にこちらも若手の映像クリエイター20組を掛け合わせて新たなプロモーションビデオの撮影を行った──という企画の、集大成的なお披露目会である。
なぜこれを観に行ったかというと、「若手映像クリエイター」ってやつのひとりとして、市原歌織さんが参加しているからだ。釆見(うねみ)達也さんとのコンビで、「くろすぶりーど」というバンドの曲『Yes, We Can!』の映像を担当している。それが当方のお目当て。うん。よかったんじゃないでしょうか。14日に上映された10作品(全20作品が二夜に分けて上映された)のなかからひとつと言われれば、わたしは「PVとして」選んで『Yes, We Can!』を挙げたい。むろん、「アーティストの演奏をいかにかっこよく撮るか」っていうような評価軸に立てばもっとうまい作品はほかに何作もあったけれど、そうしたことはこのさいどうでもよくて、PVってこうだよねという〈PV的快楽〉の面で、わたしには『Yes, We Can!』が図抜けていたように思えるのだ。いや、「PVってこうだよね」の「こう」ってのが「どう」なのかって話だけれど、つまり、「あるテンションを持続して音楽に随伴してきた映像が、ある瞬間、ほんの一瞬、音楽よりも先走ってしまう」ってことじゃないかと、そうした説明のしかたを帰り道、自転車の上で思いついた。
ところで、前にも書いた気がするが、わたしにとって「PVといえば」これ。Talking Headsの『Once In a Lifetime』。まさにかっこよさのお手本であり、「将来はぼくもこうなりたいものだ」(ルックス的に)と、十代のわたしは思っていた。

誕生日祝いってことで、Talking Headsのアルバム『Remain In Light』をiTunesストアで購入、ひさびさに聴いている。

本日の参照画像
(2010年11月18日 04:57)

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