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Jun.
2006
Yellow

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/ 28 Jun. 2006 (Wed.) 「オフサイドも知らないくせに」

もとより家の裏手のほうは野良猫広場のようになっているのだが、この日ふと勝手口を開けると、小さな猫が3匹(妻がはじめに見たときは4匹だったという)、かたまって寝ていたのだった。写真は、逃げるのが出遅れた、そのうちの1匹。
これはうちのばか。
必読。

未明にブラジルーガーナ戦を見る。戦術的なことはよく知らない。だいたい「オフサイド」についてさえよくわかってはいないのだ。けれども、ルールなど審判が知っていればそれでいいじゃないかと言いたい気分にさえなって、私はただ無邪気な人たちが見たい。いったん中断した試合がまた動き出すというようなとき、あるいはそれとはまた別に、試合中のふとした瞬間、ピッチに散らばるこの黄色い恰好をした人たちを見ていて、私はテレビの前で愉快にこうつぶやく。「作戦とか、ないでしょ、あんたたち」。いや、あるのかもしれないけれど、ないように見える(瞬間がある)のだ。そこには、ボールと自分との「いま」だけがあるように見える。その理解の深さと「愛」の度合いにおいてまったくレベルが異なるとは思うものの、今福龍太が愛する「いま」もまた、こうした感覚の先にあるものだろうかと考える。

「結果」ではなく、ましてや「過程」でもなく、私がサッカーで愛したいのは「いま」である。時の流れ、感情の流れ、思考のとどまることなき流れのなかで明滅し、閃光を発し、たちまちにして消え去る「現在」という、瞬時の強度に満ちた生々しい「いま」そのものである。「いま」が時の深みを生み出し、プレーヤーの身体的アートに厚みをもたらすという事実への、無私の愛である。
今福龍太「結果を愛するのではなく」『フットボールの新世紀 美と快楽の身体』(廣済堂ライブラリー)

 いやー、どうなのかな。なにしろ私はついこないだロナウジーニョの佇まいに打たれただけの者であるからなあ。このガーナ戦など、ブラジル側のいわゆる魅力ある攻撃が多く出たわけでもないし、試合を押していたのはガーナのほうだった。選手たちはおしなべてあまり調子がよくなかったように見える。それを「ブラジルの魅力はこんなもんじゃないよ」と一蹴すべきなのか、それとも、こうしたときもある、とその「いま」の調子をあっさり受け入れて動くように見える選手たちの、身体のあり方の自由さを称揚するべきなのか。両者なのだろうな。「いま」がとどまらないものならば、両者の考えが入れ替わり立ち替わってかまわないのだろうし。ワールドカップのこの時期、今福さんはどこかにサッカー批評的な文章を書いていないのかな。それがとても読みたい。だってさあ、今福さんたらこんな文章を書くんですぜ。

この、サッカーに向けたささやかな言葉の連なりのなかで、私はただ簡潔に「愛」についてだけ語ろうと思う。それは、サッカーにたいする素朴で官能的な愛であり、つまりは、流動する「世界」にたいする畏れと憧れに満ちた愛である。サッカーをなにかのために利用するのでも、サッカーによってなにかを忘れ去るためでもない。ただ世界のなかに私が生まれ落ち、人々とこの世界を共有しながら生きることになった自らの個としての境涯を、人間と事物をつなぐ感情と英知と道理の星宿の一部であるとつつましく感じ取るときに発現する簡素で裸形の「愛」を、サッカーへと直接に差し向けることである。
今福龍太「サッカーにおけるメランコリーについて」同上

 あと、上山君の話も聞きたいな。サッカー好きの友人である。海外出張でふたたび中国に行ってまだ帰ってないのだろうか。そうだ、上山君に「オフサイド」のことを教えてもらおう。上山君なら丁寧に教えてくれるだろう。みんなでいっしょに教わればいいと思うが、みんなって誰だよ。こうなったら、友人のなかのもうひとりのサッカー好き、荒川の話だって聞いてやらないことはない。いつでも来いだ。
高円寺の「円盤」で行われるという川勝正幸さんと宮沢さんの催し(正確には川勝さんが定期的に行っているイベント「文化デリックのPOP寄席」に、宮沢さんがゲスト出演するようだ)にはぜひ行きたいと思うが、「円盤」といえば、ラストソングスが以前ライブを行ったあそこだよなあ。あの狭さでこのイベントだと、ものすごいことになりはしないかと心配する。ラストソングスのときだって(出演者はほかにもいたけど)立錐の余地がないくらいだった。でもまあ見たい。というのも、なにせ私がフジテレビの深夜番組「FM-TV」で宮沢さんを知った者だからだ。「FM-TV」は、川勝さん、宮沢さん、えのきどいちろうさん、押切伸一さんの四人が書き、出演もしていた番組。1時間番組から30分番組に縮小される手前の、1時間番組としての最終回など、何回かの放送がベータのテープに収まってまだ実家にあるはずだ。だからまあ今度の「文化デリックのPOP寄席」は、私にとってアイドルふたりによるイベントなのである。

本日の参照画像
(2006年6月29日 12:13)

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/ 26 Jun. 2006 (Mon.) 「日記のなかへ」

これまでまったく死蔵していた「.Mac」サービスの「iDisk」を使ってみようとしたところが、転送速度が遅すぎてどうにも使い物にならない。アップルの Discussion Boards に寄せられた情報によるとこれは日本のユーザーの場合には現況、誰でもこの程度の速度なのだそうで、米国に置いてあるサーバを利用していることに起因する物理的な遅滞らしい。「iDisk」はあきらめた。
ごくごくひさしぶりにコンタクトレンズを嵌めて過ごす。ここしばらく眼鏡のフレームの歪みを直さないまま掛けていた。するとどうにもだめだ。眼とレンズとの距離に違和感があると集中力に影響する。今日ようやく眼鏡屋へ行き、フレームを調整してもらった。コンタクトもいいが、これはこれでどうしても眼に酸素が行かなくなる。ひさしぶりだったが一日でまた飽きた。会う人会う人に「あれ、眼鏡は?」と聞かれるのも少しうんざりだし。ついつい「してないよ」と答えるが、それ、答えになってない。「キミ、勝手にコンタクトに変えて済ましているが、そういうものではないよ。あの眼鏡は長年キミの顔の上にあって、われわれはあの眼鏡をもとにキミというものを判別していたのだ」と百閒先生なら言うか。
『ハンガリー事件と日本』(中公新書版)を少し読み進め、今日は『青春の墓標』に手を出した。面白い、と書くのはやっぱり不用意かもしれないが、でも面白い。
『青春の墓標』は古本なのだが、冒頭近くに前の所有者によるものと思われる書き込みがあった。

(新興宗教やファシズムや流行歌といったものの)魔手はいつも、大衆の微妙な心理状況と、ムードと、精神構造と、不満のすきまに的確にしのび込む。ぼくは歴史を学んでも、経済を学んでも、いつもそのことは忘れまいと思うつもりだ。そして、言葉なり、文字なり、音楽なりで人々を感動させねばならないのだ。「論争」で心から納得する人間はない。[強調は引用者]
「中原素子への手紙 四月十一日」/奥浩平『青春の墓標──ある学生活動家の愛と死』(文藝春秋)

という箇所の、強調した部分に傍線が引かれ、余白まで矢印を引っ張って前の所有者は思わずペンでこう書いた。

イギナシ!
即ち,マスヒステリー状況を作り出すコト.

 いささか気になるのは、この人による書き込みが本書のなかこの一箇所だけで、以降、まったく書き込みがないことだ。ひょっとしてこのあと読んでないんじゃないか?と思わせるだけの勢いが、この書き込みにはある。
眼鏡が復調したことに気をよくしたか、あることに手をつけはじめる。去年は結局断念した、とあるもの。今年を逃すともう機会はないんじゃないかと思われるから、なんとかかたちにできればと思うが、どうだろうなあ。

(2006年6月27日 12:24)

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/ 22 Jun. 2006 (Thu.) 「寝てしまった」

ブラジル日本戦は見たいと思っていたが寝てしまった。「4−1」だったそうで。強かったんだろうなあ、ブラジル。見たかった。
こないだのクロアチア戦のあとに行われたブラジル—オーストラリア戦を見て、はじめて、セゾンの広告以外でロナウジーニョという人をちゃんと見たのだけど、よかったなあ、あの人は。体型がいい。ああいうのを何て言うんだっけ、「寸胴」という言い方は指すところがちがうのかな、とにかくかっこよかった。顔もいい。チームが得点したときのあのうれしそうな表情といったらない。というわけでブラジル—日本戦はロナウジーニョが見たかった。いや、出場していたかどうかも知らずに書いているわけですが。目的が目的だけに(応援という意味合いが小さいから)、単純に録画しておけばよかったんじゃないかと今ごろ気づいて後悔している。あれですよ、一挙手一投足が見たいというやつだ(あ、手はあまりないか。ゴールが入ったときのあのダンスとかね)。だからまあ寝てしまったのだが。

ずん-どう【寸胴】(1) 「ずんどぎり」に同じ。(2) 腹から腰にかけて同じように太くて、ぶかっこうなこと。
(広辞苑 第三版)

 じゃあ、ちがうか。「寸胴」ではない。あの体型は何て言えばいいのか。「強靱な体型」か。

(2006年6月23日 12:55)

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/ 21 Jun. 2006 (Wed.) 「ひとのサイトを作っていた」

ちょっとしたご無沙汰。ここのところは自分のではない、ひとのサイトを作る作業がつづいていて(いや、元来そういう生業なんだけど、仕事とはまた別の方面でつづいていて)、それにかまけていた。ひとつは宮沢さんの「富士日記2」用に作ったスタイルシートの修正。稽古中に役者やスタッフへのメッセージを日記に書いて間接的に伝えるのと同様、宮沢さんはサイトの不具合も日記中に書くから、それを読み、急いで修正版のデータを送る。「富士日記2」の読者は多いから、各方面の頭脳もきっと潜在していて、おそらくは私よりもすぐれたWebデザイナーなども読者のなかにいるにちがいなく、まさに「オープンソース」な現象として、私以外からもいろいろなアドバイスが宮沢さんの元に届いていると想像できるが、とりあえず元のソースを宮沢さんに入れ知恵した責任がある手前、大慌てで私なりの修正ソースを作成したりしている。
もうひとつが笠木さんから頼まれているサイトだ。笠木さんが主宰するオーツルーステップスクールのサイトを新調するにあたって、このさい独自ドメインを取り、それを私の借りているレンタルサーバのスペースに割り当てて運営する。いまはamebaのブログサービスを利用している笠木さん個人のブログも、そのドメインのなかに移動する予定だ。
ブログツールには、ここ「web-conte.com」で使っているMovable Typeではなく、まったくはじめて使うWordPressを用いることにした。WordPressはGPLライセンスのソフトウェアで、商用利用の場合でもライセンス料がかからない、というのが導入理由のひとつだが、それよりも、やっぱり新しいツールというのは楽しいのだった。Movable Typeと同様、WordPressもアチラで作られたソフトだが、日本法人もできてしばらく経つMovable Typeとはまだだいぶ事情が異なって、日本語による情報がまだまだ少ないのがWordPressだ。でも、つい最近には解説本が2冊出るなどしていて注目株であることはまちがいない。PHPとMySQLの利用が前提になるなど、導入にあたってはサーバ条件の面で若干敷居が高いのだが、その敷居さえまたげれば、これ、かなり便利で楽しい設計になっているのだった。

というのは数日前の寝る間際に、ボールペンでノートに書き、キーボードで清書する機会を失ったままアップせずにいた数日前の日記だ。
そこに書いている笠木さんのブログ「aplacetodie/ツイノスミカ」は、すでに一般公開まで漕ぎ着けている。ブログに関して笠木さんからのオーダーは特になくて、「水色が好き」と言っていた点を反映させた以外は成り行きである。成り行きでああいうデザインになった。まず最初にあの「ツイノスミカ」という文字のグラフィックを作り、その配置をあれこれいじっているうちにいつしかああいうものができあがっていた。ヘッダーの部分は、いまアップされている状態よりも2割方要素を増やしたところまで行き、それから削って、ああなった。やっぱりね、最後に何か削らないと安心しない。
そうこうするうち宮沢さんが日記上で、日本の左翼運動の歴史に関する文献のブックガイドのようなものを書いてくれたのだった。うれしかった。それで、ちょっとどうかと思うほどにネットってやつはやっぱり便利にできていやがって、結局、「For Beginners」シリーズの『全学連』、中公新書版の『ハンガリー事件と日本〜1956年・思想史的考察』、それと『青春の墓標 -ある学生活動家の愛と死-』を3冊とも、その古本をネットで注文することができたのだった。いずれも手頃な価格。ネットで探しているなかで「For Beginners」シリーズを思い出した。ああ、あのシリーズか。たしか2冊ぐらい持っていたはずだ。なんだったかなあれは。
今晩(21日)は会社に一泊。

(2006年6月22日 18:34)

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