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Feb.
2008
Yellow

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/ 14 Feb. 2008 (Thu.) 「K君のこと」

庭にはぞくぞくと客人が現れたという。

ぞくぞくと。

「blue」(「HOME」タブ側のブログ)のほうには「笠木さん、とれたよ。」を追加。
長いこといっしょに働いてきたK君が、明日で会社を辞める。K君にはずいぶん世話になった。甘えさせてもらった。またべつの会社に移るのだというが、K君ならだいじょうぶだろう。K君は「雑」であることで知られるが、その雑さこそが替えがたい魅力だった。
もういったいいつ貸したんだったかわからないことになっているが、ずいぶん前に、『七人の侍』と『天国と地獄』のDVDをK君に貸し、『天国と地獄』はほどなく「面白い」という感想とともに返ってきたものの、おそらく単純にその長さ(207分)が彼を躊躇させたのだろう『七人の侍』がずっと、貸したままになっていた。先週の金曜だったか、いよいよ辞める日が近づいているので催促すると、「あ、来週もってきますよ」と言い、それで月曜(祝日だった)の夜、もう10時を過ぎたころだったか携帯宛てに届いたメールにはこうあり、思わず笑ってしまった。

七人の侍って解説書みたいなのありましたよね?

 「なくしたな、こいつ」と思いながら、行ったこともないK君の部屋など想像し、「ケースに挟んであるやつね、あったね」とメールを返せば、予期に反して解説書はなくなっていなかった。

ありました 今から観ます

 「今からかよ」とはついついリズムで口にしがちだが、見ようとしてくれるだけありがたいとも言え、そうメールしつつじっさいには見ずに返すという可能性だって残されるわけだけれど、まあどうやら見てくれたらしいというのは翌日、返却するさいにK君が「これ、志村喬(のため)の映画ですよね?」と言ったからだ。ポスターなどを見てのイメージか、どうやら「ミフネの映画」と思って見始めたらしい。「志村喬の映画」だとは、じつにK君らしいすぱっとした感想である。
K君には古今亭志ん朝のCDも貸した。べつに無理から貸したわけではなく、きっかけのようなものはあって、あれはポッドキャスティングというものが出始めたばかりのころ、iTunes Music Storeに登録されている無料コンテンツのなかに(私は聞いたことがないんだけど)若手落語家が配信する落語のポッドキャスティングがあって、無料だからとそれを聞いたらしいK君がある日「落語面白いですよね」というような発言をするから、じゃあと、志ん朝のCDを貸した。何枚か貸して、またK君が自身でも手に入れ、ほかの落語家の音源も含めてその後いろいろ聞いていたらしいが、しばらく経ったあるとき、K君はまたすぱっと言ったのだった。「この人(志ん朝)、別格ですよね?」。
先日「blue」のほうに「うわ、出るんだ、『落語研究会 古今亭志ん朝 全集 上』」という記事を載せたが、それを見たK君はつい予約してしまったらしい。
付け加えておくなら、「志ん生はどう?」と私が訊いたときのK君の答えも、じつにすぱっとしたものだった。「志ん生はねー、聞き取れない」。

本日の参照画像
(2008年2月15日 12:58)

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/ 13 Feb. 2008 (Wed.) 「私もまた、バートルビーに」

ジル・ドゥルーズ『批評と臨床』(河出書房新社)。

ジョルジョ・アガンベン『バートルビー 偶然性について』(月曜社)。ハーマン・メルヴィル『バートルビー』の新訳も附す。

市川崑監督の訃報におもわず「あ」と声を漏らす。けれど九十二歳、九十本(だいたい)。何の不足があろうかと、思えば思えないこともない。
家に着くと、ポストに『空飛ぶモンティ・パイソン 第1シリーズ』の見本が届いていた。

文章のテイストなどの件で、相談にのっていただいた相馬称さんにも感謝です。
須田泰成「あとがき」『空飛ぶモンティ・パイソン 第1シリーズ』

というこの引用はまったくのところたんに自慢だが、でもさあ、ちょっと見てくださいよ、上の写真。奥付。グレアム・チャップマンと名前が並ぶなんてこたあ、まずめったにないよこれ。単純な話、そのことがうれしい。
でまあ、その件のくわしい話はまたあとで書くことにするとして。
先日の「ネグリ来日記念プレ企画」当日のレポートはこちらのなかでモデレーターの市田良彦さんが、『帝国』におけるネグリのアメリカ論にあきらかな影響を与えている先行テクストとして紹介していたのが、ドゥルーズによるメルヴィル論「バートルビー、あるいは決まり文句」『批評と臨床』所収)。これを買って読み、で、やっぱりメルヴィルの短編『バートルビー』も読まないとはじまらないから、その新訳が附されて月曜社から出ているジョルジョ・アガンベン『バートルビー 偶然性について』を買う。
面白いなあ、『バートルビー』。いまはただ「面白い」と言う以上にまとまった言葉を書く用意がないが、これ、面白いよ。
月曜社の『バートルビー 偶然性について』にはさらに訳者(高桑和巳)による「バートルビーの謎」という文章が付いているが、これがじつにためになる解説で、ブランショにはじまり、さまざま人によって語られてきた『バートルビー』論の論史を、目配りよく簡潔に、かつ魅力的に案内してくれている。それでついついいろいろ読みたくなるが、その前にまずメルヴィルか。さいわい妻の蔵書のなかに『ピエール』があったはずで、それから読もうかとも思うが、だいたい『白鯨』だってちゃんと読んだことがないよ。
話はまとまらないが、最後にドゥルーズの言葉を。

 「父親なき社会」の危険がしばしば指摘されてきたが、父親の回帰以外に危険など存在しない。この点に関し、二つの革命、アメリカ革命とソビエト革命、プラグマティズムの革命と弁証法の革命の挫折を切り離すわけにはいかない。移民の世界化も、プロレタリアの世界化同様、成功しなかった。南北戦争がまず弔鐘を鳴らし、やがてソビエトでの粛清がそれに続くだろう。国民の創生、国家=国民の再興がおこなわれ、恐るべき父親たちが駆け足で戻り、その一方、父親なき子供たちがまた死んでいくようになる。紙くずのごときイメージ、それがアメリカ人の運命であり、プロレタリアの運命でもある。だが、大勢のボルシェビキが、一九一七年以来、悪魔的な権力によって叩かれる扉の音を耳にしたように、プラグマティズムの実践者たち、そしてすでにメルヴィルも、兄弟社会を巻き込んでいく仮装行列の到来を目にしていた。ローレンスよりもずいぶんと前に、メルヴィルとソローはアメリカの病い、つまり、壁を復旧させる新たなセメント、父親の権威、下劣な慈悲を見立てていた。だからこそ、バートルビーは監獄で死んでいくのだ。
ジル・ドゥルーズ「バートルビー、あるいは決まり文句」『批評と臨床』

本日の参照画像
(2008年2月14日 14:33)

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/ 8 Feb. 2008 (Fri.) 「来日記念プレ企画『アントニオ・ネグリ 反逆する時代の知性』」

「ネグリさんとデングリ対話」(@芸大)のチラシ。クリックで拡大。また、詳細はこちらのページに。

「ネグリ氏講演会/新たなるコモンウェルスを求めて」(@東大)のチラシ。クリックで拡大。また、詳細はこちらのページに。

夜、会社を引けてから六本木の国際文化会館へ。〈アントニオ・ネグリ初来日記念プレ企画 パネル・ディスカッション「アントニオ・ネグリ 反逆する時代の知性」〉を聴く。

  • イントロダクション 市田良彦(神戸大学教授)
  • 歴史ドキュメンタリー「『鉛の時代』から〈帝国〉へ」上映
  • プレゼンテーション
    姜尚中(東京大学教授)「『帝国』とアメリカニズム」
    宇野邦一(立教大学教授)「生の政治のゆくえ」
    竹村和子(お茶の水女子大学教授)「マルチチュード/暴力/ジェンダー」
    木幡和枝(東京藝術大学教授)「マルチチュードと芸術」
  • 全体討論「今、なぜ、ネグリか? その思想のアクチュアリティー」
    モデレーター:市田良彦
  • 質疑応答

 会は上記のような流れで、1時間ぐらい遅刻して着くと宇野さんが訥々としゃべっているところ。
いやー、面白かったね。なかでも、ひとりアッパーな調子でのプレゼンテーションだった木幡さんは、ネグリの文章がもつ「アフォリズムとしての強い喚起力」を称揚しつつ、自身もまた短いセンテンスで印象的な言葉を連発するから、聴きやすいがゆえにかえってメモの量が増えた次第。以下、私のメモから再構成した木幡さんの発言の断片を載せておこう(あくまで私の理解した範囲でのメモですのでその点ご留意を)

  • ネグリの思想に関しては「(それで)どう踊るか、テンポに乗るか」だと思っている。ネグリの文章には、このリズムで踊ってもいいなと思わせる、アフォリズムとしての強い喚起力がある。
  • 「即興」というと〈その場の思いつき〉というイメージを持たれがちだけれど、そうではない。これまで多くのすぐれた即興者に出会い、つぶさに見てきたなかで彼/彼女らに共通するのは、微細で厖大な、深いレベルでの〈記憶力〉である。自分の身体がいつ何をしたかということを、彼/彼女らはみごとに記憶している。
  • 「芸術は革命に先行する」というネグリのスローガンにはまったくうれしくなるが、もちろんそこで言われる「芸術」は、根底的に再定義した上での「芸術」である。
  • かつてスーザン・ソンタグに会ったときに、彼女の言葉に深く感銘/衝撃を受けた。ソンタグ曰く──「前衛芸術」だの「伝統芸術」だの言うけれど、芸術には前衛も伝統もない。芸術そのものが社会の前衛なのである。
  • これもかつてのこと、精神と身体をめぐって土方巽とアルトーとがそれぞれ別の場所で、まったく同じ立場から発せられていると思える言葉を書いていたことがあり、感銘を受けた(たとえば土方の「生理にまで高められた精神」という言葉、「発汗した肉体なしに精神はありえなかったはずだ」(←正確な引用じゃないです)という主旨のアルトーの発言など)。そして、ネグリにはどこか「そっちのリズム」を感じる。
  • ネグリのいう〈帝国〉について私がイメージとして思い描くところは、空海の「重々帝網(なるを即身と名づく)」という語である。また、〈マルチチュード〉の視覚イメージとしては伝統工芸品の「でんぐり」が浮かぶ。「でんぐり」がでんぐり返る(高密度に圧縮され閉じられた状態から一気にひらく)とき、それは〈内が外を包む〉かのようであり、表面に無数にひらいた穴はすべて芯まで届いている。
  • 〈マルチチュード〉を準備する契機でもあるネグリのキーワード「非物質的労働」は、その語の響きからまったく現代的でスピーディーな情報化社会における働き手を連想させるが、ネグリ自身が付け足して言うように、〈マルチチュード〉が要請する身体にはどこまでも、ある種の「愚直さ」が求められる。
  • しばしば指摘されるネグリのオプティミズム(楽観主義)について。文章から、またじっさいに会った印象からもそうだが、彼はまず透徹した「唯物主義者」であるように感じる。彼のオプティミズムはそこから発したものであり、だから、彼はけっして「一瞬ですべてが変わる(うまくいく)」とは思っていない。

それから、これも木幡さんの発言だけど、今回の来日イベントの招待状を直接手渡しに行ったさい、ネグリに「日本ではどこに行きたいですか」と質問すると(ネグリはたんに講演しに来るのではなく、ネグリ側からすると日本における実地調査/研究という目的もある)、一瞬黙考したのち、「日本のサンディカリストに会いたい」と答えたという。「で、困っちゃった(笑)」というのは木幡さんの言だが、そこで考えた末、芸大で行われるイベント「ネグリさんとデングリ対話──マルチチュード饗宴──のほうでは、この国の「路上」に発生しつつある〈新しいかたちのユニオン〉を集めて、彼/彼女らにごそっと会ってもらおうということになったのだという(「素人の乱」の松本哉さんが参加するのもこれ)。で、この発言に呼応したのが会場に聴きに来ていた上野千鶴子さんで、質疑応答のさいに立ち上がり、「ネグリさんが『日本のサンディカリストに会いたい』と答えたと聞き、感服いたしました。『サンディカリスト』には一般に『労働組合』と『協同組合』のふたつの訳語がありますが、後者の意味を汲み、私ならまずNPO団体で老人介護をしている人たちに会ってもらいます」と発言。木幡さんがさらに応えて「そういう人たちも呼んでますから、大丈夫です」。
またべつの質疑応答の流れで、モデレーターの市田さんが紹介したネグリの発言も印象的だった。とかく「非物質的労働」が称揚されるネグリの〈マルチチュード〉論にたいして、「では、われわれは置き去りにされるのか」と反発した農業労働者に、ネグリはこう説明したのだという。(これも大意です「あなたが行っている農業もまた、非物質的労働ではないのか。もしあなたが単純な工業プロレタリアートなのだとすれば、日々作物と対話し、知と技術の蓄積の上にそれを育てていく農業は、不可能なのではないか」。

会場からの発言とそれへの応答もひと段落し、会も無事に(?)終わろうとするかにみえたそのとき、前方中央に座っていた聴衆のひとりが手を挙げ、立ち上がって、回ってきたマイクでしゃべりはじめた。74歳だと自己紹介するそのおじいさんの独白に、まさかなあ、泣かされるとは思わなかったよ。
「『帝国』と『マルチチュード』を読みました。とても難しいですね、この本は」といった調子で発言ははじまり、会場には軽い笑いを誘うが、しかしおじいさんはそうした軽妙さを狙うのでもなく、ただその胸の興奮を押さえきれない様子でつづける。……どうにかこうにか『帝国』と『マルチチュード』を読んだ。その読解に不可欠だと聞いてドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』、これも読んだ。『千のプラトー』も、逐一註に返りつつ読み進めた。私は老人になったことを喜んでおります。勤めをやめて、なにしろ時間がある。読みたい本を自分のペースで読むことができる。やっとのことで読み終わりました。驚かされました。そこには、これ以上ないというような希望が書かれています。すばらしい本です。この絶望的な時代にあって、私と一歳しか変わらないネグリが、こんなに希望に満ちた言葉を書いている……
いやまあ、ちょっとうまく再現はできないのだけれど、泣いた。さらにおじいさんの言葉はつづいて、満座の拍手とともに閉じた。もっと読まねばな、もっと働かねばなと思い思い、帰途についた。

本日の参照画像
(2008年2月12日 12:54)

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/ 7 Feb. 2008 (Thu.) 「その後も日々、落語」

いったい誰が読むんだよという渾身の(でもないけど)「居残り佐平次考」はきのうの日記に。
その後も毎夜、手持ちのビデオライブラリーから落語を聞く日々がつづき、5日は先代・金原亭馬生の「笠碁」と「目黒のさんま」、6日は古今亭志ん生で「風呂敷」、7日は古今亭志ん朝の「抜け雀」。ちなみにいずれも妻と見た。
志ん朝のビデオで、これまでにいちばん回数を見たものが「抜け雀」だ。絶品だということももちろんあるが、ひとつには、これのいわば「完コピ」を、高校三年の文化祭でやったのだった。繰り返し見て、文字に起こし、覚えた。マクラの冒頭、それこそ雑談風のところだけカットして、あとはすっかりそのままをやった。志ん朝があの間とテンポでやって40分強のものだから、素人がやって一時間弱にのびた。私が演劇部内で組んでいた漫才コンビがあり、それはそこそこ人気を得ていたから、「第一部」で漫才をやって人を集めておいて、「第二部」が落語だ。まったく何を考えているのかと思うが、はじまってすぐに席を立った者らを除き、記憶では50人弱ぐらいの人数がその一時間を付き合ってくれた。いちばんの山場(「そうなんです、鼻の評判はいいんです。目がもひとつなんです」)もなかなか手応えがあったと自身では記憶しているが、気のせいかもしれない。

(2008年2月 8日 18:09)

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/ 4 Feb. 2008 (Mon.) 「居残り佐平次考」

夜、古今亭志ん朝の「居残り佐平次」をビデオで見た。もう何度見返したかわからないテープだけれども、今日になってふと、いまさらながらに合点がいくところがあった。「あ、そういうことか」と思う。というのはラスト間際、佐平次が若い衆に自身の素性(居残り商売であること)を明かすところに関してで、これ、ふつうに考えたらおかしいわけですよ。「俺の顔を覚えときな、居残りを商売にしてる佐平次ってもんだ」なんて正体明かしは、ほんとうに居残り商売なら、わざわざ自分の仕事場をせばめるだけの要らぬ行為になるわけで、悪党・佐平次としてはちょっと不用意すぎやしないかということになる。
ひとつの説明としては、これ(居残り商売だというその素性)もまた、芝居がかった見得を切りたいだけの口からでまかせであるという可能性が考えられ、そうすると、いっしょに遊んだ友だちたちが佐平次の素性を知らない(居残りすると聞いて心配する様など、佐平次の居残り商売を知っているとは思えない)ことともつじつまが合うし(佐平次は若い衆に「ごく新しいお友だち」と説明しているがこれはまず嘘で、少なくとも「この金を俺のお袋んところに届けてくれ」という指示だけで通じるだけの付き合いはある)、これまではそのように解釈して納得していたわけだが、今日思い至ったのはまたべつの可能性、つまり、素性明かしがでまかせでない場合の解釈の仕方である。
佐平次はかつてじっさいに居残りを商売にしていて、セリフにあるようにやがてナカ(吉原)でもどこでも相手にされなくなり、あるいは越しても来たか、以前の居残り商売のことは知らない友だちもできる程度に時間が経って……とすると、いったいなぜ敵(若い衆)に素性明かしをしたのか。それは、つまり「これを最後にもうする気がない」ということじゃないのか。(まあ多分に『幕末太陽傳』のイメージも影響してるのですが)やはりキーとなるのは胸の病(肺病)で、「品川も東海道のうち」と強がる佐平次もなんとなく、転地療養なんて医者は気休めを言うけれどどうやらこれは治らない、そう長くもない命と自身で感づいているフシがあり、よしじゃあここらでもう一度、河岸(かし)を替えて一世一代の大仕事に挑んでみようということだったのではないか。だから最後の最後、先のことを考えなくてもいい状況で、見栄も手伝っての「名乗り」だったんじゃないか──という読みは成り立つだろう。
いや、あるいは「ナニいまさら言ってんのォ?」ってことかもしれないけれど。

しかしなんだよ、ウィキペディアにある「居残り佐平次」の項〔 2008年4月20日 (日) 01:16 UTCの版〕はちょっと辞書的記述としてはいかがなものなのか。梗概を書くにあたって現・談志の話形をそっくりもちいているのは(談志の「居残り佐平次」の評価は置くとして、というかもちろん好きだけど)、辞書としてのバランス感覚に欠けるきらいがあるし、なにより、まず先に談志考案のサゲ(「旦那、どうしてあんなやつを表から帰すんです?裏から帰しゃあいいでしょう」「あんなやつに裏を返されたらあとが恐い」1]が紹介され、そののち「オチのバリエーション」として旧来の「おこわ」のほう(「ちくしょう、アタシをおこわにかけやがって」「旦那の頭がごま塩ですから」2]が書かれるのは、歴史的順序からいってどうなのか。また、「オチのバリエーション」という項を設けるなら、たとえば現・小三治のもの(「又、来るといってましたぜ」「冗談じゃない、二度も三度もこられてたまるか」「旦那が仏といわれてますから、『仏の顔も二度三度』」)なども扱ってもらいたいところだ。って、ウィキペディアなんだから自分で書き替えりゃあいいんだけどさ。

1:「あんなやつに裏を返されたらあとが恐い」

廓で、はじめての店にあがることを「初会」、二度目に行くことを「裏を返す」、三度目以降を「馴染み」といった(くわしくはここなど)。

2:「おこわにかける」

人をだますこと(狭義では美人局のこと)をいう。明治末のころにはすでに死語だったろうと言われる。

で、話はちょっと逸れるが興に乗ってしまって、「居残り佐平次」のさらなる別のサゲを考えてみたりした。おはずかしい。条件としては「マクラで言葉の意味を説明する必要のないもの」。どうでしょう、これ。サゲに至る手前の部分はちょっと説明過多かとも思うし、「おこわ」からこれに替える積極的な理由があるかというとそれほどなかったりもするのだが。

若い衆
旦那、行ってきました、たいへんですよ。
旦那
どうした、捕り物にでもなったか。
若い衆
そうじゃあないんですよ、それもあいつの嘘なんです。
旦那
嘘?
若い衆
悪事に悪事を重ねたなんて口からでまかせ、旦那から路銀やなんかせしめるための脅しだってェんです。
旦那
そォかい。
若い衆
でね、ほんとうは居残りを商売にしてやがるんですよ。
旦那
居残りを?
若い衆
余所じゃあらかたやっちゃって、もうナカでもどこでも相手にしてくれないから、はじめて品川でやったんだそうです。
旦那
あいつがそう言ったのかい。
若い衆
もう悔しいったら。旦那の悪口まで言って大見得切ってましたよ。
旦那
うーん、そうかい。しかし名乗っていくなんて悪党らしくもないがなあ。
若い衆
そうすかあ?
旦那
これでアタシたちが触れて回ったら、もう品川でも仕事はできないってこったろう。
若い衆
あ、そっかあ。え?じゃあ、ことによると居残り商売ってのも嘘すかあ?
旦那
どうだろうなあ、思い返せば、まんざら嘘だとも思えないけれど。
若い衆
(自分に)え?何だよ?何なんだよあいつ?(旦那に)ねえ、なんなんすかあ?
旦那
アタシに聞かれたって困るよ。
若い衆
ちくしょうまったく、旦那、一杯食わされるってこたぁ言いますけど、何杯食わされたかわかりませんね。
旦那
ばかやろう、日に三膳、食わせたのはこっちだ。
(2008年2月 8日 14:24)

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/ 3 Feb. 2008 (Sun.) 「『不思議の国とアリス』試写」

イモムシ。『不思議の国とアリス』より。なお、このデータはだいぶ前のもので完成映像とは異なります。

松村達雄(1914.12.18 - 2005.6.18)。

ダスティ・ローデス(1945.10.12 - )。

雪の一日。
池ノ上駅前の「シネマボカン」にて、『不思議の国とアリス』の初号試写があった。試写後に更新された公式ブログに、

初号を名乗るのはちょっとどうかと思う完成度で
すいませんでしたが、このタイミングで初号を名乗ったおかげで
やっと落としどころが見えました
で、目標では、あと1週間程度で
本編完成まで持って行きたいと考えております
(略)
というわけで、いよいよ、本当に終わりますよ
0 1/2計画『不思議の国とアリス』 | 制作日記ブログ | 初号試写終わりました

とあるように、いよいよ、終わろうとしているのだった(完成していないという意味で「まだ始まっちゃいねえよ」とも言えるけど)。この作品は、まったく絵のない状態でセリフの収録が先に行われて、つづいてアニメーションの制作・編集が行われたのだが、そのセリフ録りから数えてもう10年が経っている。収録には私も参加した。「イモムシ」の声をやっているのが私だ。あと、物語の縦糸の一本というか、サイドストーリー的に展開・挿入されるところの、「サクランボ」という言葉をどうしても思い出せない二人組の会話は私が書いた。
イモムシのシーンは単純にはずかしい。(今後の編集でどうなるかわからないが、試写で観たものでは)しっかりたっぷり使われてもいるから、「もっとうまくできなかったものかねえ」とわれながら。と思っていたら、観にきていた上山君からは「イモムシ、やっぱりうまいね」と褒められてしまう。「やっぱり」というのは、このイモムシのシーン、早い時期から作りかけのムービーがネットで公開されていたもので、それを見ていた者にはおなじみの声とセリフであり、ちょっと聞き飽きてすらいたらしいのだが、今回、試写の環境であらためて聞いたら「やっぱり」うまいのだという。いやー、うまかないと思いますけどね。だいたい収録のとき、イモムシの声として私の頭にあったのは『まあだだよ』(および『どですかでん』)の松村達雄だったのだから、そりゃ、土台無理のある話だよ。
でもまあ、こまかい点はさておいて、総体としては面白かったんじゃないか。CGアニメーションなのだからこういう言い方もちょっとヘンなのだけれど(そしてこれもまた、ひょっとすると制作に費やされただらだらとした年月のことを知っているせいなのかもしれないけれど)、いくつかのシーンは、どこか「長回し」的な空間のなかでキャラクターたちが演じているような印象がたしかにあり、その「時間の太さ」のなかに引き込まれていく感覚がある。「原作(=『不思議の国のアリス』)を知らないと、ストーリーがなんのこっちゃわからない」というのはたしかにそうだが、ま、それはこの期に及んでしかたないというか、「古典に材をとる」という第一歩の選択のなかである程度は自覚的に志向されていたものでもあるだろう。たいへん大雑把に言えば「忠臣蔵でコントをやる」ってのに近いだろうか。いよいよ指摘はこまかくなって、それ、観てない人にはわかんないしメールか電話で伝えろよって話だけれど、もっとも気になったのは「平成ガメラ」へのオマージュたちだ。ちょっと冗長じゃないかと思える。もう少し畳み込みたい。夕陽をバックにした東京タワーのところは「アリスの移動にともなう」まで聞き取れればそれで充分なように思うのだが、どうだろう。
「シネマボカン」のトイレにはB級パニック映画のポスターとプロレスラーのピンナップとがべたべたと貼られていた。たとえば小便をするとその正面には「“アメリカン・ドリーム”ダスティ・ローデス」がいて、それがひどく郷愁を誘うのだった。

本日の参照画像
(2008年2月 7日 21:16)

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/ 2 Feb. 2008 (Sat.) 「Apple TVが少し頭をかすめる」

2日は何をしていたのかあまり記憶にない。
リビング用に新しく買ったDVDラックをダンボールから出す。先週のうちに届いていて、てっきり組み立て作業が要るものとばかり思い届いたまま玄関に立てかけて週末を待っていたのだが、開けてみたら完成品が出てきて、なんだよまったくって話だ。これまで置いていたDVDラックと収納できる本数はほとんど変わらないのだが、壁に立てかけるような案配のそのデザインは同じ量のDVDを収めつつこれまでのものより見た目にすっきりした印象を与え、どのみちDVDは収まりきらずにあふれていたから、リビングに置くのを新しいほうに替え、古いほうをあふれたDVDとともに二階へ移す。しかしDVDも、厚みのあるVHSよりか幾分ましだとはいうものの増えていけばそりゃキリがなく、やっぱりどうしたってかさばってくるのは厄介だ。このDVD群を一気にリッピングしてしまってハードディスクに溜め、Apple TVとかで見ることにすればディスクを表に出しておく必要もないからぐっとすっきりするのではないかという考えが頭をかすめたけれど、そんなにうまくいくのかいって話だ。たとえばこの記事(MacWorld Expo 2008の真打ちはApple TVだった:江島健太郎 / Kenn's Clairvoyance - CNET Japan)に描かれるような視聴スタイルはたしかに説得的だが、日本ではまだ iTunes の Movie Store がはじまってないからそのへんなんとも判断しにくいし、Apple TVの「160GB」という容量もいまやちょっと足りなく感じるというか、いずれ近いうちに増量されるんじゃないかと思わせておいそれと買う気になりづらい。まあ、おいそれと買うような懐具合でもいまはない。ひとくちに言って時期尚早ってところかなあ、少なくとも私には、とそこまで考えてのち、そもそも俺、最近あんまりビデオを見てないじゃないかということにも思い至るのだった。

(2008年2月 7日 17:30)

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/ 1 Feb. 2008 (Fri.) 「私も関わった、とある本が出る」

『空飛ぶモンティ・パイソン 第1シリーズ』(イースト・プレス)

また日付を手繰り寄せては書くような具合だが、1日は夜おそく、コメディライターの須田(泰成)さんが主催する遅い新年会に顔を出した。須田さんを基点としてさまざまな方面の人たちが集い、そこでまたつながるという性格の場でもあり、知った顔の人はほとんどいないが、去年同じこの場所で似たような主旨の会があったときに知り合ったCM制作の仕事をしているというMさんがまた来ていらして、主にはそのMさんとしゃべっていた。世間は広いようでいて狭く、Mさんの奥さんが『ニュータウン入口』に出ていた鎮西(猛)さんと知り合いだという。鎮西さんと私は同じ浄土真宗の寺の息子だという共通点があり、私がひとり年の離れた三男坊というはじめからいままで気楽な立場であるのに対して、鎮西さんは役者の傍らじっさいに僧侶としても働いている(で、南波さんの結婚式の司婚者もつとめた)のだったが、あるとき、Mさんの奥さんが出会ったまたべつのとある坊主は、葬儀の相談にさいしていの一番まずお金の話を持ち出したといい、それで「それはちょっとどうなのか」という思いを知り合いで僧侶でもある鎮西さんにメールで投げかけたところ、その返信は「そうした僧侶がいることも存じております」とはじまるもので、すっかり「住職モード」に入った至極丁寧な回答がそのあとにつづいたが、やがてその話題が一段落するや、つづけておもむろに「ぼくは未亡人にもてます」とあったという。
お世話になったイースト・プレスのKさんとKさんも来ていた。去年私が関わったとある本のその後の進捗を聞き、というかもうまもなく、2月15日についに出る予定とのことで、見てみるとアマゾンでも予約できるようになっているから書いてしまって大丈夫だと思うけれど、つまりこれ、『空飛ぶモンティ・パイソン 第1シリーズ』という本である。「空飛ぶモンティ・パイソン」シリーズの台本集『Just the Words』の翻訳で、その第1シリーズ(13話)分が収まっている。私の名前は「編集協力」とかそういうあれで本のどこかに載っているはず。くわしい話はまた時間のあるときに書こうと思うが、須田さんといっしょに、翻訳監修のようなことをしたのだった。

本日の参照画像
(2008年2月 6日 22:24)

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