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May.
2010
Yellow

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/ 17 May. 2010 (Mon.) 「リーディング公演の稽古がはじまる」

うなるダイソンを前に、リビングで進退窮まったポシュテ。決まってこうなるので、掃除機をかける前にあらかじめ妻はポシュテを寝室に隔離するのだが、音を聞いてパニックになったポシュテは寝室を飛び出し(ピー同様、ポシュテもドアを開けられる)、むざむざリビングへと来てしまうのだった。

もひとつはっきりしない写真であれだが、これがその切り取られたレモンの枝。根もとに近いところに小さく付いているのが蜂の巣。

これは17日付の日記だが、書いているのはさきほどまた日付が変わって22日である。何をしているのか。はやく「日記」たりうる現在時に追いつきたいと、そう願って一週間ばかりが過ぎたが、なかなかその差は縮まらず、かえって拡がりさえする。いまの夢はと問われれば、それは「きのうの日記」を書くことだ。
暑いくらいの快晴だったように思う。部屋に掃除機をかけ、そのせいでもう進退窮まってしまったポシュテ(天敵はダイソン!)の写真を iPhone に送ってよこした妻からはそののち、「どうしよう。レモンの枝に蜂が巣を作ってるよ」と報告がある。その、まだ未完成の小さな蜂の巣が右の写真だ。庭にあるレモンの木の枝に、一匹のアシナガバチ(推定)がせっせとここまで作った。処置をするなら早朝か夕方以降の不活発な時間帯、できれば蜂のいない隙をみてということで、帰宅後にそれをたのまれたが、深夜、あるいは古巣に帰って休んでいるだろうかと思った蜂はしかし、しっかり作りかけの巣の上で眠っていたのだった。けっきょく翌朝、蜂が巣を留守にしたわずかのあいだに妻がその枝を切り取った。ほどなくして戻ってきた蜂はその後、おそらく巣を探すのだろう、ずいぶん長いことレモンの木のまわりを飛び回っていたという。
そんなつもりはなかったが、なんか、しんみりさせてしまったろうか。そうだとしたら申し訳ない。
遊園地再生事業団#17『ジャパニーズ・スリーピング/世界でいちばん眠い場所』のリーディング公演(5/30〜6/1、カフェ アンリ・ファーブル)は、本日が稽古初日。夜、会社を早く退けて参宮橋にある公共施設へ。この日の時点では宮沢(章夫)さんの戯曲がまだ一行も存在せず、それで戯曲とはべつの──戯曲と、とある相関をなすところの──小説をみんなで読み合わせることになる。この小説も、この日の朝に書き上げられたばかりの第一稿だ。ちなみに小説と戯曲は、ひとつの物語の小説版と戯曲版というのではなく、両者はべつの物語で基本的に独立しているのだが、なんといいますか、わたしの印象ではちょっと「クラインの壺」的につながりあうような、そんな間柄になる予定のものである。あくまで現時点での見通しだが、小説のほうもまた、おそらく舞台の本公演の時期にあわせて文芸誌に発表されることになるだろう。
出演者は全員、スタッフもほぼ全員が揃う。本公演で宣材写真をお願いする鈴木理策さんも来られて、稽古終了後、6月初旬に行く予定にしている撮影についての打ち合わせをする。どこに撮りに行くか、何を撮るかなどがおおまかながら決まった。小説の読み合わせは全体のおよそ三分の一ぐらいまで進み、(きょうは稽古時間が短かったので)明日でだいたい読み切るだろうという案配である。
なにしろ戯曲が書けていないということもあって、予定していた親睦会は後日に延期。ルアプル・メンバーのみで近くの喫茶店に行き、明日以降のことをもろもろ打ち合わせる。帰りは、リーディング公演で演出助手を務めてくれる早稲田の近藤君 [@kdo134] といっしょに中央線に乗り、かれとはじめてゆっくり話をした。
てなわけで、10月まで続く長い道のりがいよいよはじまったのである。ルアプル(もういちど説明しておくと、これが新体制の制作チームに付けられた名前です)にとってはもうだいぶ前からはじまってもいたわけだが、しかしやはり、今野(裕一郎)君がこう興奮するように、いま、はじまったのだ。

ついに稽古が始まった。始まって欲しくて仕方がなかった。やはり稽古場が好きだし、そこでしか見つけることの出来ないものが溢れている。
バストリオ、書く! 現在進行形の話

 とまあ、盛り上げといてなんだが、わたし自身はこのあと少し稽古場とお別れし、みんなとつぎに会うのは24日、来週の月曜となる。

本日の参照画像
(2010年5月22日 04:36)

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/ 16 May. 2010 (Sun.) 「24年後には」

同じもの。さほど意味もなくべつの角度から。

生方智子『精神分析以前──無意識の日本近代文学』 (翰林書房)。

午後、東京ビックサイトで開催されていた「デザイン・フェスタVol.31」へ行き、「驚くと靴下が脱げる」というとある姉妹の手になる、写真のグッズを買ってきた(まれに、姉が驚くと妹の靴下が脱げることもあるという)
まわりの透明なのは樹脂で、そうですね、右に載せた写真(拡大前)がだいたい実物大にちかいですかね。似た趣きのものを二個買い、写真のこれが自宅用、もう一個はプレゼントにしようと考えている。体調がすぐれずいっしょに行けなかった妻は、わたしの買ってきたこれを見、「かわいい、かわいい」と興奮する。「つぎのデザイン・フェスタには、今度こそ行きたい」とも。
つぎと言えば。この日は夜、大接近した月と金星がともにはっきり見えるという天体ショーがあったようで、言われてみればそこここで「きれい」とつぶやかれているのを(ツイッター上で)目にした気がしてくるものの、基本その話題をまったく知らずにいたわたしだ。だから、フェスタの撤収後に更新された妹さんのほうのブログを眺めていたさい、目に入ってきたつぎの言葉を一瞬、わたしはデザイン・フェスタのことかと思ったのだった。

次は24年後だそうで、

 ずいぶん思い切ったものだな、と思ったのである。なによりそんなに先で、「やるというのは決まっている」のがすごい。よくわからないが、きっと壮大な冗談(しかもべつだん面白いわけではないそれ)が仕掛けられたのだろうと、わたしは──ブログの前段には金星についての話題があり、すぐあとには「今夜の様に見える金星は。」と文章が続いているにもかかわらず──デザイン・フェスタのその「勇断」に思いを馳せたのだった。ちがいました。つぎは半年後だそうです、デザイン・フェスタ。なーんだ、ですね。
デザイン・フェスタの帰りに新宿で寄り道し、ジュンク堂書店へ。生方智子さん初の単著、『精神分析以前──無意識の日本近代文学』 (翰林書房)ほか何冊か。生方さんの本は去年の11月に出ていた。出ていたことをこないだツイッターで知る。で、これもまあ、「石原千秋ゼミ」同窓会の予習と言えば言えるのだった(って、生方さんは来ないだろうけど/かりに来たとしてもわたしを覚えてはいないだろうけど)。第一章、小杉天外の小説『はやり唄』(明治35 / 1902年)をめぐって書かれた「『はやり唄』 描写の欲望」をすこし読む。
などなど。

本日の参照画像
(2010年5月20日 16:23)

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