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Jan.
2009
Yellow

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/ 3 Jan. 2009 (Sat.) 「カセットテープと義父」

こちら、『田端義夫大全集』のCD。

パブロンと睡眠が効いたか、起きると風邪のいやな感じはだいぶ薄れていて、一日過ごすうちにほとんど恢復する。起き出したのは昼すぎで、「いいから好きなだけ寝てなさい、ふだん夜遅いんだろうから」と前夜に甘やかされてこの時間になるのも毎年のことである。昼食が、第三部とばかりにすき焼き。
夕飯は食べずに帰ることにしたが、その一時間ほど前になって、義父が分解したカセットテープをこたつの上に広げ、何やらはじめた。『田端義夫大全集』のテープである(両面あわせて20曲であり、まず間違いなく「全集」ではないと思うが)。車でよく聴いているカセットらしいが、そのテープの片端が、何と言うんでしょうかあの歯車の部分から外れてしまったようで、分解して中身を取り出し、ふたたびテープの端を歯車に嵌めようと苦戦している。聴こうとしていちばん頭まで巻き戻したら外れてしまったという。いいしばらくやっているのを眺めていた妻が「たぶんそれ(その調子だと)直らないから」と言い、「CDではだめなのか」と訊けば、乗っている車にはCDを挿すところがひとつしかなく、カーナビ用のCDを挿しているとそれ以外に使えないためカセットのほうが都合がいいのだという答えだが、それ以前になかば意地になっており、「いや、俺はやるよ、いつか直すよ」と、思わぬところから降ってわいた「趣味」でもあるかのような、ライフワークを見つけたようなことを言っている。まあ、以前にプレゼントしたクレイジーキャッツのCDはひところ車でよく聴いていたらしいし、ひとまずアマゾンで、ジャケット写真も同じ同タイトルのCD(こちらは2枚組で32曲収録)を見つけ購入ボタンを押したが、「まあCDはCDでさ、これはこれで、直すよ俺は」と義父。で、われわれを駅まで送るため車のエンジンをかけに席を立ったのを受け、試しに修理に挑戦したところ、あろうことかうまく直ってしまった。
帰りは、大宮と八王子を直通で結ぶ「ホリデー快速むさしの号」というやつに乗る(「ホリデー〜」は休日に一往復だけ走るらしい。特急料金は不要)。北本から大宮に出てこれに乗れば、一回の乗り換えで、しかも北本から一時間ほどで立川に着くのだったが、あいにくこれも立川近辺まで来て立ち往生。先を走る中央線の車内に急病人が出たとかで、その列車を先に通さなければならない都合から15分ほども停車、ま、ラクはラクだったものの満喫とまではいかず。

本日の参照画像
(2009年1月 6日 14:50)

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/ 2 Jan. 2009 (Fri.) 「北本へ」

「HP Photosmart A716」。アマゾンや、ヒューレット・パッカードのサイトトップから辿って見つけられないと思っていると、どうやら、ヨドバシカメラとビックカメラ限定で販売されているモデルらしい。

ふたたび三枚の皿をカリカリで大盛りにしたのち、北本(埼玉県)にある妻の実家へ。中央本線の特急「かいじ」で新宿まで乗り付け、そこから新宿湘南ラインの高崎行きで北本まで一本という優雅な作戦を描いて出掛け、かいじ(特急料金:500円)には乗ったものの、三鷹に着いたところでアナウンスが入り「新宿駅で人身事故」。かいじを含めた中央線快速はしばらく運転を見合わせるが、総武線の各駅停車はダイヤどおり走っているからそちらに乗り換えるのが身のためだと告げられ、なんだよもうと総武線に乗り換えれば、ぎりぎりのところで新宿湘南ラインに間に合わず。ま、かいじに乗っていなかったら三鷹に着く前に足止めをくらい、総武線へ乗り換えることもできずにもっと待たされていたろうから吉と捉えられなくもないものの、それにしても中央線は春から相も変わらず。
毎度のことながら、北本では食べきれない量のごちそうをふるまわれる。カニと豚をメインとしたしゃぶしゃぶ鍋が第一部なら、第二部には手巻き寿司が控え、そのほかにおせちの品々が皿を彩っている。出掛けの食事を少し減らして構えたつもりが、つい、膳の整う前にこたつに出されていたイチゴの山をうまいうまいと食べてしまった。六時すぎから食べはじめて八時前にはもう満腹、いよいよ無理だという手巻き寿司の一部を残してそのままこたつに横になる。
手土産にと立川駅で買ったフルーツロールケーキはたんに妻が惹かれたためのチョイスだが、少しお祝い風のケーキで、注文のさい「バースデイですか?」と店員に確認された。そんなつもりのなかった妻は反射的に、きっぱり「いいえ」と答えたものの、「いいえ」もないもので、きのう一月一日が義父の誕生日である。見た目にはそんなふうなケーキでもあることだし、北本ではやはりこれはバースデイケーキだということにして、さらに前述の食事のあとで食べた。
義母の使う iBook G4 が調子わるいとのことで、その状態を診る。少し手こずったものの直った。事前に義母から聞いていたのは「ネットにつながらず、時計も狂っていて、とにかく何もできない」というごくざっくりとした情報で、想像するに起こっているのはとても初歩的な何か(たとえば動いていないのは AirMac のほう、とか)ではないかと思っていたが、そうでもなく、多少厄介なことになっていた。何の拍子にそうなったかわからないが、システム周りのいくつかのファイルのアクセス権が正しくないものに変わっていて、それでキーチェーンアクセスなどが利用できず、ネットワーク(AirMac)にも接続できなくなっていたというのが事のあらまし。いろいろ話を聞くうち、かなりの頻度で、電源ボタンの長押しによる強制電源オフをやっているらしいと判明する。とにかくダイアログメッセージへの拒絶がはげしく、「OK」か「キャンセル」かを尋ねるそれが出ると、その内容を軽重を問わず(というか読まずに)、これでどちらかを選んで壊れたらどうしようという不安がまず先に立って、ならば判断はせずにおこうとその状態のまま(正常に動作しているまま)電源を切っていたらしい。それだね、原因は。妻がこんこんと諫める。
それから、プレゼントとして買っていったコンパクトフォトプリンタを設定し、使い方を説明する。ビックカメラで適当に選んで買ったまま、その日はじめて梱包をとくからまずこちらが商品を把握しなければならず、少々手間取る。デジカメのメモリーカードをプリンタに差して、プリンタに付いている小さな液晶モニタで中身の写真を確認、プリントしたい写真を表示させた状態で印刷ボタンを押すというもの(むろんこまかくはもっと多機能だが、いちばん単純な説明はこれ)。パソコンを介さずに済み、なるべく単機能で、安いものをという選択で、ビックカメラの店頭にあったものからヒューレット・パッカードの「Photosmart A716」(たぶんこれ)を選んだ。数年前、iBook と同時にデジカメを買った義母だったが、けっきょく紙に焼いて手にしないと〈写真〉として行為が完結せず、データに撮り溜めても用途がなくつまらないために最近はほとんど写真を撮らなくなっていて、その本末転倒を解消すべく妻が購入した。これはとてもよろこばれた。
食事中からやたらに鼻水が出ると思っているうち、首の凝りの極まったようなだるさにも包まれ、腹立たしいことにどうやら風邪らしい。パブロンをもらい、なんだかんだで零時はまわったもののそこそこの時間におとなしく就寝する。

本日の参照画像
(2009年1月 6日 12:59)

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/ 1 Jan. 2009 (Thu.) 「何とはなくて来て見れば」

ポシュテの兄弟および乳兄弟たちはそのまま実家に居着いたかたちだ。玄関前でひなたぼっこ中。

姪の豆乃(とうの)さん、お絵かき中。成長かまぐれか、今回はわたしをまったく怖がらなかった豆乃さんである。

iSightの画像(本文参照)。

あけましておめでとうございます。どちら様も旧年中はお世話になりました。本年もよろしくお願いいたします。
左が今年の年賀状。白地の部分に手書きでメッセージを書くのだが、毎年、何を書いたものかとボールペンを手にしばし途方に暮れては、気づくとわけのわからないことを書いている。今年は、とりわけ吉沼に宛てたそれがまったく意味不明なものになった。申し訳ないとここで謝っておきたいが、ほんとうはそれ、「羽田のことはまかせた」と書いたつもりだったのだ(吉沼は羽田に住んでいる)。しかし気づけば「成田のことはまかせた」と書いていて、それをそのまま投函してしまった。意図の汲みようもなくただ眺められたか、羽田の書きまちがいとあっさり気づかれたかは知らず、いずれにしても新年早々半端な気持ちにさせてしまったのではないだろうか。
実家で正月を迎える。窓ガラスを締め、日差しを受けていればあたたかいほどの冬晴れで空は青い。昨年11月にここで捕獲され、わが家へ連れてこられたポシュテの、兄弟と乳兄弟たち、およびその父母は依然野良として実家の寺に居着いているかたちだが、日差しにつられ、彼らも幾度となく庭に顔をみせる。それにしてもいまやすっかり家猫生活を謳歌するポシュテの、なんとしあわせなことか。
そのポシュテら年賀状の三匹はわが家で留守番中である。31日に山盛りのカリカリを与えて家を出たが、ペース配分を考えて食べるような者らではない。MobileMe(旧 .Mac)を介した「どこでも My Mac」で家の Mac Pro を画面共有すると、取り付けてある iSight からの映像をチェックすることができる。iSight のカメラは廊下の皿のひとつを捉えるように設置したが、朝の光を受けて浮かびあがったそれは、遠目にもあきらかに空になっている。まったくがっかりなやつらである。
姪っ子らとともに近所の神社まで散歩。おみくじを引くと大吉だったが、大吉はともかく、添えられた歌をよむにどうにもバカが歌われているとしか思えない。

さびしさに
何とはなくて
来て見れば
うれし桜の
花ざかりかな

 それで大吉かよ。いいのかお前(俺)はそれで。「さびし」かったのではなかったのか。問題はなんら解決していないように見えるが、俺、さびしさの根をもっと見据える必要はなかったろうか。というわけで、今年のわたしはよっぽどである。
夕方、帰京。

本日の参照画像
(2009年1月 5日 19:57)

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