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Jul.
2004
Yellow

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/ 29 Jul. 2004 (Thu.) 「冨永監督に遭遇する」

夕飯。中央がオクラのチヂミ。左手前、ごはんのように見えるのは長芋。

会社帰り、終電一本前の四ツ谷駅のホームに降りるとそこに見覚えのある佇まいがあって、あ、あのタオルを首に巻いているのはもしやと思ってみるとやはり冨永さん(『be found dead』第4話監督。監督作『亀虫』のDVDは好評発売中、アマゾンで買えます)だった。
声をかけたら驚かれた。冨永さんも仕事(バイト)帰りだという。新宿へ向かう電車のなかで少し話す。で、冨永さんは新宿で降りていったが、直前まで、「じゃ、ぼく、新宿で降りますから」といった素振りを微塵も見せない。私はあいかわらず会話下手だが、それで少し間ができかかるや、すかさず冨永さんは何か話す。「ウェブデザイナーなんですよね」「お兄さんも同じ仕事なんでしたっけ?」といったふうに質問を投げてくる。「なんか、兄弟でおんなじ仕事してるって聞いて。」いや、大きく括れば似たような仕事ですけど、正確にはちがう仕事です。兄のほうは3Dアニメーションとかそっちのほうで。「ああ、3D」ええ。「で、相馬さんが?」ホームページを作ってます。「じゃ、ふたりで力を合わせれば3Dのすごいホームページが作れるんだ。」まあ、そうなります。いよいよ新宿駅のホームでドアが開いてから、少し慌てたように、しかし変わらぬリズムで「じゃ、ぼくここで」と手を上げ出ていったときには取り残されたような気分になったが、それというのも何の話題だったか、思いっきり会話の途中で新宿に着いたのだった。「いいメガネですね。」あはは、そうですか。「わかるんですよ、そういうの。ほら、第4話はメガネっ子の映画だったから。」ああ、やっぱりね。やっぱりってこともないけど、とそこでもまた会話が途切れて、「どういうきっかけで宮沢さんの手伝いを?」といった話題に移った、その途中で電車のドアが開いたのではなかったか。

夕飯の献立を書くのも久しぶりだけれども、いか・ピーマン・たまねぎのすき煮、オクラのチヂミ、ちくわ、ミニトマト、長芋の棒切り、大根と油揚げの味噌汁。

本日の参照画像
(2004年7月29日 23:59)

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/ 25 Jul. 2004 (Sun.) 「ガレージをめぐる五つの情景」

当日パンフ。小さい。実物大と言っても過言ではないが、さすがにちょっと過言。

ところで私は、

公演ポスター

 この公演ポスターの図案がガレージのシャッターを描いているのだとたったいま気づいた者のひとりだ。京都でもただ「きれいな柄だなあ」と思っていた。

8時に目が覚める。上山君とうちの奥さんはすでに起きていた。9時すぎに3人で家を出、今回の関西行きの目的である『ガレージをめぐる五つの情景』観劇のため京都造形芸術大学を目指す。いくつか電車を乗り換え、叡山電鉄の茶山駅まで出て、そこから歩いた。叡山電鉄への乗り換え駅である出町柳駅でホームから入場できるロッテリアの店を見つけ、そこで朝食をとる。茶山駅から10分ほど歩き、京都造形芸術大学に着いたのはもう開演ぎりぎりの時間で、あわてて入場する。ステージに近くに敷かれた座布団に座ろうとしたところを席の後方から声を掛けられ、見ると渕野さんだった。
ダブルキャストのうちの「A」のほうで、「サエ」役で松倉さんが出ている。上山君は松倉さんの顔を知らず、「不在日記」などで名前は知っていたがそれがそうと気づかぬまま、アンケートに「長女役の人がよかったです」と書いたという。終盤で「鎮静剤」という歌を口ずさむシーンもよかったが、また、これもラスト近くの「フィルムより、甘い物」というセリフもよかった。観終わって、近くにあったスープカレーの店で昼食をとっているときにうちの奥さんが言ったのは、「『くぬぞー』のことが心配」だ。まあね。具体的にどこがということでもないのだけれど、古着のワンピースを試着する役の、「タエコ」の人もよかったと感じた。「タエコ」と「ハラダ」はカップルでよかったように思う。「ハラダ」が駆け込んできての第一声「すごかった」で笑ってしまった。

劇のあと、銀閣寺へ。上山君も加わり3人での観光。銀閣寺の庭園に入ってすぐに目に入ってくるのが「向月台」と名付けられた盛砂(写真)だが、それは何というか無造作にそこにあって、「ばかが作ったのではないか」と思わせるたぐいのものだった。「生涯を庭園造りに捧げた」といったふうにパンフレットの紹介にある足利義政と、その家臣たちのことを思う上山君と私。なぜ、義政の庭園造りは生涯にわたらなければならなかったか。ほかに「銀砂灘」と呼ばれる盛砂(写真)もあるが、たとえば、できたそばからそこを歩いてしまう家臣がいたりはしなかったか。何か知らせがあって門のほうからやってきたその家臣はまっすぐ、「殿」と呼び掛けながら「銀砂灘」を歩いてきてしまうのだった。義政、がっかりである。
銀閣寺へと向かうころから小雨が降り出し、風も出て、だいぶ涼しくなる。京都駅へ戻るバスのなかで熟睡。午後5時34分発の新幹線で帰京。夕飯は荻窪駅西口に新しくできたデニーズですませた。

本日の参照画像
(2004年7月25日 23:59)

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/ 24 Jul. 2004 (Sat.) 「京都へ」

ちょっとわかりづらいですが金閣寺です。周囲の池に映った鳳凰の部分。
看板の下部、「本日はご参拝を頂きまして有難うございました。お気をつけておかえり下さい」の英訳は、はたして「Thank you very much.」でいいのかどうか。

7時に起きだしてシャワーを浴び、出掛ける準備をする。ぎりぎりに日記を更新して9時に家を出た。新幹線で京都まで。以前に京都に行った折りに使った2001年版の「るるぶ」を見ながら、新幹線の車中で今日着いてからどこを観光するか相談する。うちの奥さんはおもむろに「苔寺に行きたい」と言い出すが、「るるぶ」によれば苔寺(西芳寺)の拝観には往復はがきによる事前申込が必要とのことで無理。金閣寺竜安寺広隆寺というコースに決まったのは広隆寺に収められた有名な「弥勒菩薩半跏思惟像」を見ようというのが決め手となったからだ。
うちの奥さんは以前、会社の人に「弥勒菩薩半跏思惟像に似ている」と言われたことがある。顔が、という話だったはずで、「あの、あれ、仏像でさ、片足組んで、考え込んでるやつ、あれに似てない?」とその人は言い、居合わせた私が声を出して笑ったのは言わんとするところが多いに通じたからで、しかし具体的にどの部分がと説明するのは困難だし、ほんとうのところ似ているのかどうか怪しいとさえ言えるのは、それがそもそも「記憶のなかの弥勒菩薩半跏思惟像」を基準とした話だからだ。その発言をした人と私の、それぞれの輪郭のにじんだ記憶が当時の拓位さんの顔の上でそのとき合致したのだった。
出色だったのはやはりその半跏思惟像を含む広隆寺・霊宝殿の仏像群で、四天王、十二神将、日光菩薩、月光菩薩、薬師如来、阿弥陀如来、大日如来…といったオールスター勢揃いぶり。コの字形に並んだそれらの仏たちの真ん中に件の弥勒菩薩が安置され、その弥勒の対面には巨大な三体の仏像──その中央は、かつては42本あったという腕がことごとく欠損してしまっているひときわ大きな千手観音の座像──が存在感を示す。対峙する弥勒と千手観音の様子に「はたしてどちらが暗黒面の使い手だろうか」と見当違いなことを考えるのは先日『スターウォーズ』シリーズを奥さんといっしょに見返してしまったためだ。拓位さんは自分に似ていると評判の、半跏思惟像のミニチュアが中に入ったお守りを買う。しかし、「弥勒に似ている」というのもものすごい褒め言葉だ。

観光を終えて、大阪に向かう。阪急の茨木市駅に午後6時ごろ到着し、迎えにきてくれた上山君と落ち合う。恭子ちゃん(上山君夫人)はこの週末、友達の結婚式のため上京していていない。上山君は9時半からサッカー日本代表の試合をテレビ観戦しなければならないのでそれまでに夕飯をすませる段取りになり、冷蔵庫に残っているという豚肉に材料を買い足して、冷しゃぶを作る。作ったのは上山君とうちの奥さんだ。私は何をしていたろうか。
シャワーも浴びてしまってからいよいよキックオフを迎えたが、しかしいったい何年ぶりにテレビでサッカーを見るのだろうか。と書いて、いや、さすがにこのあいだのワールドカップの際にはテレビに向かっていたのではないかと記憶をつなごうとするがよく思い出せない。ひょっとして見ていないのではないか。あのときもスポーツ番組の映像でだけ接したとか。少なくとも今日のように一試合をフルタイムで観戦するのは高校のとき以来である。信用のおける上山君の解説付き。やはりサッカー観戦にはとなりに「サッカー好き」が必要だ。
ところで上山君ちはこの夏、まだエアコンを使っていないのだという。むろん暑いが、網戸からの風と扇風機とでまだしのいでいる。頭がさがる思いだが、しかし引っ越してからこっち寝室にエアコンのない状況のつづく私がまたこの夏、認識をあらたにしたのもまた「扇風機はなかなかやる」ということである。そして驚くべきことに、団扇もまたかなり涼しいのだった。

本日の参照画像
(2004年7月24日 23:59)

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/ 23 Jul. 2004 (Fri.) 「『be found dead』2回目」

何事もなかったかのように更新を再開したいというのはブランクが大きすぎるからで、無沙汰のあいだのあれやこれやをいまさら手際よくまとめている時間はない。先を急ぎたい。
とはいうもののじつに多くのことがこの書かなかった期間のなかでは起こっていた。まず上山君夫妻の「結婚披露合宿」があり、何度も書いているようにそのなかで、出し物のひとつとしてわれわれは「歌と演奏とコントからなるライブ」を用意、披露した。私はコント部分の作・演出と出演。役者としてほかに永澤荒川、長谷川君に出てもらった。先に演奏チームのほうから「歌と演奏で巡る世界一周の新婚旅行」という基本コンセプトの提示があって、つまり、「僕は特急の機関士で(東京、京都、大阪=出発)」「トロイカ(ロシア)」「オーシャンゼリゼ(フランス)」「ムスターファ(トルコ)」→……というふうに曲をつないでいくのだが、そのコンセプト──「新婚旅行であること」「いま(次の曲)は、どこの国なのか」──を伝える(説明する)ために短い寸劇をはさむことになり、各国ごとに1本ずつ簡単なコントを書いた。
曲のほうはちょうど練習用に次兄夫婦が用意したデモ演奏のMP3があって、せっかくなのでそれとコント台本のテキストをあわせてライブを擬似再現したページをウェブに載せることを考えたが、デモ演奏があまりにデモ演奏なのでウェブで公開するにはちょっと…、と兄は言い、それで再録のためにあらためてスタジオに入るという話もあるがどうなることやら。
いや、だからそのようにいちいちこまかく無沙汰のあいだのことを説明している時間はないのだった。

今日は『be found dead』のレイトショー最終日で、夜、会社を引けたあとに観に行く。2回目。社長が音頭をとってくれて、会社の人たち10人ほどが観にきてくれた。最終日という要素もあるのか、満席ではないもののシネマ・ロサはかなりの入りだった。

この25日には第4回目の自主リーディングの集まりがあってその相談は渡邉さん、高森さんを中心に着々と進んでいるが、残念ながら今回私は欠席させていただくというのはいま(24日朝)から京都に出掛けるからだ。24日は観光。夜、大阪の上山君宅に泊まって、25日に宮沢さんの京都の大学の発表公演を観る。行ってきます。

(2004年7月23日 23:59)

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