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Jan.
2007
Yellow

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/ 27 Jan. 2007 (Sat.) 「キーボードを洗い、『3』をなくす」

[写真1]

[写真2]

[写真3]

前にも書いたとおりだが、私の旧マシン(Power Mac G4 733MHz + 17inch Studio Display)が南波さんのところへ行くことに決まった。OS X だけを走らせるにはいまやちょっと魅力に乏しいマシンだが、なにせ南波さんは現時点で OS 8.5 ユーザー(マシンは初代ボンダイブルーの iMac)であり、「OS 9 起動が可能である上に、OS X もまあまあ動く」という点では橋渡し役的に適当なところなのではないか。
G4には引っ越し以来と言っていいほど触っていなくて、載っているOSも10.3.8でとまっているから、南波さんの元に送る前にそれを「Tiger」にしようと思い、また、入っているデータの整理などもせねばと思っていたが、あらためて眺めてみるに何よりもまずキーボードがやたら汚い。キーの表面が日に焼けて黄色いし(たばこのヤニかとも思ったが、どうも日に焼けた結果の変色のようだ)、さらに厄介なのは隙間から中に入り込んで溜まってしまったゴミで、外のプラスチックが透明なものだからそれがことのほか目立つ。妻がうっすらと涙を浮かべ「南波さんかわいそうに」とまで言うありさまで、たしかにこのキーボードにはがっかりな気分にさせられるにちがいなく、で、分解して洗うことにしたのだった。
まずはキートップを外す[写真1]。外したキートップをどう洗うかで悩んだが、結局クエン酸を溶かしたお湯に浸して置く[写真2]。外側の透明なプラスチックを外すには細いプラスドライバーと、これまた極細の六角レンチが必要になる。ドライバーは間に合ったが、六角レンチがないから近くのホームセンターまで買いに行く。六角レンチでネジを外したあとは、半ば力ずくでペキペキとプラスチックを外していく。そうして内側に溜まっているゴミを掃除したら、元に戻して、さてクエン酸に浸けてあったキートップをゆすぎながら洗う。あ、クエン酸とか言うと何やら「裏技」の匂いが芬々として劇的に白くなったりするのではないかというような想像が結ぶかもしれないけれどもそんなことはない。「がっかりするほどに汚いキーボード」が「ふつうに使い古されたキーボード」なっただけの話で、そこのところはこれを読むかもしれない南波さんにも過度な期待をされないようお願いしたい。
で、最後にタオルで乾かしたキートップを、記憶をたよりに(嘘)元どおり嵌めていくと、まったくもって「漫画かよ」という事態が出来したのであり(じっさいにそんな話の漫画を読んだことはないけれども)、テンキーの側の「3」が一個だけ足りないから笑ってしまった[写真3]

まあ、それから二日ほどして結局見つかったのですけどね。

070126_keytop.jpg

本日の参照画像
(2007年2月 3日 04:53)

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/ 26 Jan. 2007 (Fri.) 「上山君の質問に答える、その前に」

成田龍一『「大菩薩峠」論』(青土社)

中里介山『大菩薩峠』(ちくま文庫、全20巻)

私の文章にその折々の調子のちがい、リズムの移り変わりがあるとすれば理由はおそらく単純で、そのとき読んでいるものに体もなく影響されているだけであることについては多少なりとも自覚しているところだけれども、とすると、その法則でいくならば、と思い返してとても危惧するのは、ひょっとしていま私は「中里介山」になっていやしないかということであります。
きっかけは成田龍一『「大菩薩峠」論』(青土社)。そっちはいったん中途にし、やっぱりここはひとつ、とちくま文庫で『大菩薩峠』に再挑戦することにした。
前回はたしか大学生の時分、そのちくま文庫版(全20巻)と、同じく筑摩書房から出された愛蔵版(全10巻)とが相次いで刊行されはじめた当時に、そのときは愛蔵版の第一巻を買ったと記憶している。西暦を計算するのは面倒だが、「編集協力」として載っている紅野謙介の名前に「へえ」と思った覚えもあって(大学のゼミで一年間だけ、石原千秋の代打をつとめた)、その名を知っていたからには、たしかにあれは大学のときのことになる。そして、このときは早々に挫折した。挫折の理由はわりとはっきり覚えていて、中里介山の特徴と言ってもいい、「です・ます調」と「だ・である調」の不統一が、当時の私には決定的に気持ち悪くてしかたがなかったのだった。それは、たとえばこうした調子であります。

 妙見の社の縁に腰をかけて話し込んでいるのは老人と若い男です。この両人は別に怪しいものではない、このあたりの山里に住んで、木も伐れば焼畑も作るという人たちであります。
 これらの人は、この妙見の社を市場として一種の奇妙なる物々交換を行う。
 萩原から米を持って来て、妙見の社へ置いて帰ると、数日を経て小菅から炭を持って来て、そこへ置き、さきに置いてあった萩原の米を持って帰る。萩原は甲斐を代表し、小菅は武蔵を代表する。小菅が海を代表して魚塩をはこぶことがあっても、萩原はいつでも山のものです。もしもそれらの荷物を置きばなしにして冬を越すことがあっても、なくなる気づかいはない──大菩薩峠は甲斐と武蔵の事実上の国境であります。(「甲源一刀流の巻」一)

 「潔癖だった」とでもいうのか、あのときはこの混淆にどうにもリズムを狂わされた。いまは大丈夫である。たまにずっこけることもなくはないが、そうしたことは『大菩薩峠』の魅力をいささかも減じるものではない。たとえば松岡正剛がきっぱりと次のように述べるのは、そう述べることが何ら作品の否定につながらないことへの驚きとともにである。

文章がヘタだし(全編「です・ます調」になっている)、中だるみもあるのに、松岡正剛の千夜千冊『大菩薩峠』全12巻中里介山

で、まったく関係ないが、週の半ばぐらいに「教えて、魔法使い!」というタイトルで上山君からスタイルシートに関する質問メールが来ていたのだった。引用してみたところで、わからない人にはさっぱりな質問内容だと思うが、

4231(註:上山君のサイト)のソースをテーブルからスタイルシートに書き換えているのですが、floatタグで英夫日記を左に寄せて、恭子日記を右に来るようにすると、恭子日記で写真がある後にclear:leftしたときに、次の行が英夫日記の下まで飛んでしまいます。

clearが一個上のfloatまでしか効かないようにするにはどうすればいいのでしょうか?

 これ、言いたいことはすぐにわかるのだ。あーそれなあ、それはなあという「問題」で、私も何度かブラウザのこの挙動を回避しようとつとめたことがあるが、そのつど場当たりに対処してきただけのことで、体系立った知識として説明することができないから、これはちょっとあらためて検証しつつ、調べなければならなくなった。「links for 2007-01-24」にあるリンクのいくつかが、このときの調べ物の成果。上山君に回答できる用意はととのったけれど、それはまた長くなり、専門的になりもするので別の記事で。

本日の参照画像
(2007年1月31日 01:50)

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/ 22 Jan. 2007 (Mon.) 「人の年末年始を知る」

そうだ、永澤と田村、年賀状をありがとう。というのも、じっさいには元旦に届いていたと思われる十枚ほどの年賀状が郵便受けのなか、側面にぴったりと貼りつくようにして人知れず、ここ数日の雨をじっとりと含んで紙のふやけたのが幸いしてか妻がようやくその存在に気づいたのが先週末である。いやあ、来てたんだ。知らなかったよ。あけましておめでとう。私の兄宛に出された永澤の年賀状がきちんと元旦に届いていたのは帰省した折りに見知っていたし、そのほか妻の側でも、例年どおり寄越してくれているはずの複数の友人から待てども届かず、これはあれだな、郵便局め捨てやがったなとふたりで納得しかかっていたところがそういうわけだった。重ね重ねあけましておめでとう。
12月の半ばあたりからこっち、忙しくしていた間はネットサーフィンをまったくしていなかった。知人の日記・ブログもついぞ開かなかったし、「富士日記2」も読まなかった。ぼちぼち、リハビリをするようにブックマークを辿っていくだけの気分的な余裕がようやく出てきた昨今で、だから、結局永澤が私の言葉に乗せられ、MacBook Pro を買ったのだということ(12月11日付の日記で知れる)もいま知ったような具合だ。永澤は暮れのうちに『犬神家の一族』を観たらしい(12月18日付の日記)が、私も先日ようやく、13日だったかな、立川でそれを観た。私からの最優秀賞は草笛光子さんに、妻からの最優秀賞は三條美紀さんにそれぞれ贈りたい。ってまあ、つまるところは「旧作あってこその贅沢なお祭り」に相違ないんだけど、それだからこそ草笛光子の「うまさ」にはなぜか感動させられてしまうのだし、卑怯もいいところのラストシーンの「あれ」にはどうしたって泣くのである、ファンだもの(みつを)。

オリジナルの琴の師匠は岸田.今回は草笛光子.
今回も岸田でよかったのではと思ったのだが,

 と、永澤は後日、岸田今日子さんの訃報に言寄せて書くが(12月20付の日記)、その尻馬に乗って書くならば、「おはる(那須ホテルの女中)」こそ坂口良子のままでいけたのではないかという点には充分声を涸らしておきたいところだ(ちなみに豆知識だけれども、旧作『犬神家の一族』の当時、坂口良子は20歳。現在24歳の今作・深田恭子よりも若かったんだねえ)。
あ、あと、そうそう、1月3日付のこの日記は単純に笑ったよ。

自宅内ネットワークの整備を行う.
Macが中心の我が家だが,先日
購入したParallel desktop仕様のWinを含めて
4台のコンピュータが6畳2間の部屋に
設置されている.ファイルの共有が
最近の問題で,画像などかさばるデータが
増えてきた昨今,USBメモリーでのやりとりは
面倒になってきたのだった.
そこで導入したのがネットワークディスク.
これならどこからでもアクセスできる.

たった二部屋でこんなにネットワークを充実
させてどうしようというのか.

ところで「富士日記2」では最近の話題のひとつとして、「Mac OS 8.5 であるところの南波さんの環境では YouTube が見られない」ということがあったようだが、ことはYouTubeにかぎらず、長らく関係者を悩ましてきたその「南波さん OS 8.5 問題」が、あるいは近々解消されるかもしれない次第だ。私の旧マシン・Power Mac G4 733MHz と 17インチフラットパネル Studio Display が南波さんの元に行くかもしれない。
その南波さんはいま、オールツーステップスクールの新作『アデュー』の稽古に入っている。作・演出は笠木さんだ。私は微力ながらチラシ作りを手伝っている。
ほら、久しぶりだからね、書こうと思うことはまだあるが時間切れ。ではまた。

(2007年1月23日 12:48)

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