10
Oct.
2007
Yellow

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/ 15 Oct. 2007 (Mon.) 「ありうるね」

猫の毛である。夏頃から、長毛種である「ピー」の腰のあたりの毛がからんで、数箇所で塊を形成していた。そのうちのひとつ、中くらいの塊がするっと抜けた。

きのうはシンポジウムのあと、懇親会に誘われもしたのだったが、ぐっとこらえた。さらに言えば、宮沢(章夫)さんの講演だけ聴いて、キリがよければそれで帰ろうかなとさえはじめは思っていたのだったが、というのも、「原稿が驚くほどたまっていた。困った。これはまずいんじゃないだろうか。だめなんじゃないだろうか」「富士日記 2.1」10月14日付)と宮沢さんが書くのと同じように(と言えばおこがましいが)、私もまたちょっとだめなんじゃないかというほど仕事が溜まりつつあったからだ。きのうの日記とか、あんなに丁寧に書いている場合ではないのだ。とはいうものの、「Yellow」の更新に関して言えば、日々書き続けていることにはやはり効果があって、同じ分量を書くのでもだいぶスピードが増している。出来事のこまかい粒が脳裏をよぎるさい、こう書けばまとまった文章になるなという素描が比較的容易に浮かびもするので、それでつい、あれもこれも書いて長くなるのだった。
といったような、油断たっぷりなことを言っているとその矢先、パタッと更新がやむということはままある。
熊谷さんにつづき、『洋楽コトハジメ』の構成・演出をされていた平松れい子さんからも丁寧なメールをいただいた。こちらこそありがとうございます。かえって恐縮っす。私のああした批評ふうの文章はたいてい、もっともらしいような顔をしつつ、ウラではただ自分自身の愉楽に揺られ気持ちよくなって書いているだけのことなのですと、なんだかそんな言い訳のひとつもしたくなるが、それはそうと、平松さんからのメールには不意に次のような一文が挟まれ、私を驚かす。熊谷さんについてだ。

稽古中はときどき細川俊之に似てました。

 なんてこったい。畏るべしだ熊谷さん。石坂浩二と細川俊之はどちらも映画『細雪』(市川崑監督、1983年)に出ているが、そのことと熊谷さんとは何か関係があるのか、ないのか。ないとして、「ないのかよ」というこの気持ちをどうするか。どうするかって言われてもねえと、私が同意を求める相手とはいったい? 謎が謎を呼ぶが、あ、そうそう、「稽古中はときどき細川俊之に似て」いたらしいと妻に伝えると、納得するらしい顔をみせ、「ありうるね」と言っていた。

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(2007年10月16日 12:06)

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/ 14 Oct. 2007 (Sun.) 「東洋大学へ、ほか」

熊谷(知彦)さんからメール。きのうの日記に書いた感想はよろこんでもらえたらしい。あたりまえだが、石坂浩二はまったく意識していなかったという。ただ、なぜ石坂浩二に似て見えたんだろうとして私が書いた〈いやらしくてだめな男前〉という説明については、「意図していたものに近かったので嬉しかった」とあった。そうか、意図してもいたのか。私にはたくまずして滲み出てくるもののように見え、とすればなおさら成功していたということだろう。そういえば、妻は今回その舞台を観ていないのだが、きのうの日記のその箇所、

途中から、どうしても石坂浩二に見えてきてしかたがなかった。単純に「似て」見えたんだけど、なんだろう、〈いやらしくてだめな男前〉ってことかなあ。

をとなりで読んでいた妻は、「わかる、わかるよー」と強い語気でうなずいていた。観てないでしょ、あんた、とも言いたくなったけれど、しかし、おそらく妻はその瞬間、舞台上の熊谷さんを正確に想像し得ていたはずだ。なにしろ妻は熊谷知彦ファンである。
基本的な傾向としてうちのサイトは土日にアクセスが減るということがあり、そのせいも多少あるのだろうけど、「〈総理大臣といえば〉アンケート」は低調な滑り出しだ。さびしいので、まだ答えていない方、ぜひ参加してもらえればと思います。まあこれ、要は読者の年齢層を尋ねているという面が強いのだけど、じゃあ直接年齢を訊けばいいかというと、なんというかその、数字で年齢を言われてもそれほどピンと来ないということがある。それが、「総理大臣といえば池田だね」とか、「海部だね」とか言われるとより強くピンと来るというか、へえーと思うのだった。「へえー」かよ、ということでもあるけれど、ま、なぜだか知らず楽しいので、一票投じていただければと思います。
昼間に出掛けて、東洋大学の白山キャンパスへ。東洋大学は受験した大学のひとつで、そのときの会場がはたして白山キャンパスだったのか、校舎がどんなふうだったか、なにひとつ記憶にないのだったが、少なくともこんなにきれいではなかったはずだ。大学受験ももう十年以上前のことになってしまった。
で、今日は、日本パーソナリティ心理学会が主催する公開講演とシンポジウム、題して「演劇におけるHow to個性記述」へとやって来た。宮沢(章夫)さんが講演者として40分ほど話をし、そのあと他のパネリストも加わっての討議となる。えーと、「演劇におけるHow to個性記述」というネーミングセンスがまずちょっとどうなのかということはあるけれど(たんに「演劇における個性記述」でいいじゃないか。あるいは「演劇的な個性記述とは何か」とかさ)、それはさておき、門外漢ながらに理解したところを説明すれば、個体間の差異の数値化といった面には長けている心理学が、しかしそのために不得意とするのが個体そのものがもつ──そして「いま・ここ」に現れる──〈その人らしさ〉の記述であり、従来の研究からこぼれ落ちてしまうこの「そのもの性」(ひいては絶対的な「多者性」)の問題を扱う方法の模索にあたって、演劇というまた異なる志向性をもつジャンルから人を招き、その「演劇知」のようなものに触れてみようというのが今回のおおまかな趣旨である。
で、宮沢さんの講演は、「演劇」と言うときに意味されるふたつのもの、〈ドラマ〉と〈身体〉とをまず分け、前者から後者へとむかった歴史的な変遷(ベケットの登場を機として、とくに'60年代以降、演劇は〈ドラマ〉を捨て〈身体〉をめざした)、そしていま、ふたたび〈ドラマ〉(=言葉)を取り戻しつつ、どちらか一方なのではなく、両者の統一のなかからこそ現在的な演劇が立ち現れるはずだという展望、そこに別役実さんが『ベケットといじめ』で取り上げているドラマツルギーの問題を絡め、また、具体的な〈身体性〉の現れの例としてワークショップでの体験などを紹介していたわけだが、で、いま「富士日記 2.1」を読んでみれば、

予定ではまだものすごく話すことがあったのだ。現在的な身体から考えられる「個性記述」といったものをきのう考えており、そこまで話さなかったらだめだったと思う。失敗。

とあって、なんだよそれ、そうなのかよって話だけど、まあうん、そうだな、聞きたかったなそれ。あるいはその「考え」は、先日来「富士日記 2.1」で言われている「('00年代にあっての)論」の、そのひとつの道筋にもなったりするのだろうか。
会場に行ったら編集者の竹村さんがいた。竹村さんは今度の「句会」の参加者でもある。で、句がなかなかできないことの苦悩を訴え、「季語がわからない、それは必要なのか」と根本的なところを投げかけてきた。季語はね、面倒だよね。うちの「句会」は会のスタイルがあるわけでもないので、なんだったらべつに「無季」でも、「不定型」でもかまわないと思う。第一回のときは私、「短歌」出しちゃったしね。ま、なんだかんだ言って、きっと素晴らしい句を出してくるにちがいないのが竹村さんである。
あと、『ニュータウン入口』に出ていた杉浦(千鶴子)さん、演出助手だった白井(勇太)君も来ていた。制作の永井さんは受付で働いていた。ショートカットになっていたのではじめ気がつかなかった(といって「ショートカットの永井さん」はたしか前にも見たことがあるはずだが)。うーん、やっぱショートカットがいいよ、永井さん。
そうそう、こないだネット某所で白井君の文章を見つけたのだった。なにせハタチであるところのその若々しい文章を「なるほどなあ」というふうに読む。ひるがえって俺、ハタチのころにはどんな文章を書いていたのか。いまでこそこうして「日記」(結局あまり「日記」になってないけど)を書いているが、ウェブサイトを開設したばかりの十年ほど前、私はウェブ上に置かれる「日記」について否定的に捉えていた。少なくとも「俺はあれはやるまい」と思っていた。というのは、まず、〈個人ホームページ的なるもの〉が大嫌いだったのである。それがあるとき変わった。〈個人ホームページ的なるもの〉を面白いと思うようになった。あ、だからハタチのころの文章というと、たとえばこれ(1996年)とかになる。べつにいまとあまり変わらないようにも思えるが、若いといえばやはり若い。いまだって充分若いわけだけど、「日記」をコンテンツとして提出してみせられるほどには、多少老獪になったということだろう。

(2007年10月15日 13:30)

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/ 13 Oct. 2007 (Sat.) 「総理大臣といえば/プリセタ/『洋楽コトハジメ』」

プリセタ第9回公演『モナコ』のチラシ。チラシのデザインは言わずとしれたなんきんさん。

ものはついでということで、「〈総理大臣といえば〉アンケート」を開始。それを聞いて、で、どうするという考えはないが、参加していただければさいわいです。
戸田昌宏さんの主宰する劇団「プリセタ」の第9回公演『モナコ』が、本日チケット予約開始。公演は11月29日(木)〜12月4日(火)の全8ステージ。これも私がWebデザインを担当しているので宣伝しておきます。そういえば、チラシにそう書いてあるのを見て「あ、そうなんだ」と思ったということ以上の情報はまだないんですが、今回の公演には浅野(晋康)が演出助手として参加するらしい。あ、そうなんだ。
午後、門前仲町へ芝居を観に。ミズノオト・シアターカンパニー公演『洋楽コトハジメ』。試演・第1弾(Work in progress #1)というふうに案内にあるそれは50分ほどの一人芝居で、出演する熊谷(知彦)さんにとっては復帰第一作でもある。テーマである「日本における音階の近代化」をめぐって、多くはおそらく文献からの引用ではないかと思われるテキスト群がごつごつと並べられ、それを熊谷さんの身体が必死につないでいく。〈枠〉としていちばん外側にあるのは現代風のDJが提供するラジオ番組という設定だが、そのひとつ内側にあって、もうひとつの基調となるのが「呂律の害について」と題された講演である(呂律=ロレツは邦楽の音階の名称のひとつ)。もちろんそこではチェーホフの『煙草の害について』が利用されているのだけど、その講演者である明治の男性を演じる熊谷さんが、途中から、どうしても石坂浩二に見えてきてしかたがなかった。単純に「似て」見えたんだけど、なんだろう、〈いやらしくてだめな男前〉ってことかなあ。なんなんだろうこの人はと思って熊谷さんを見ていたのだった。
講演のなかにはさらにさまざまな声=テクスト=身体が折り畳まれているのだが、途中、「蛍の光」の原曲であるスコットランド民謡の「Auld Lang Syne」(たぶん)がかかるなか、講演者は「赤(い)紙」に印刷された「蛍の光」の歌詞カードを客席に配って歩き、やがてそれを歌いはじめる。きちんと、歌詞カードはひとりに一枚ずつ行き渡って、私も隣の人から受け取ったその紙をしばらく、飽かず眺めることになった。

蛍の光 窓の雪
ふみよむつき日 かさねつつ
いつしか年も すぎのとを
あけてぞけさは わかれゆく

千島の奥も 沖縄も
八島の内の(我らの国の) 守りなり
いたらんくにに いさおしく
つとめよわがせ つつがなく

台湾の果ても 樺太も
我らの国の 守りなり
いたらんくにに いさおしく
つとめよわがせ つつがなく

 現在もよく知られる「1番」の歌詞につづいてここにある、二連目と三連目の歌詞は、じっさいに明治時代、文部省が採用・改変して小學唱歌集に載せた、「蛍の光」の「4番」の歌詞である。二連目のほうがその初出時(1881年)の歌詞で、日露戦争後、領土の拡大にともなって文部省はそれを三連目の歌詞に改変したのである。
これ、この歌詞をそのまま熊谷さんが歌い上げていたら、それでもうある種のカタルシスはあったんじゃないかと思うのだが、しかし、「いまさらそんなことが言いたいんじゃないよ」とばかりに、熊谷さんは途中で歌詞を放棄し、メロディーにあわせてただ「アー、アー」と声を張り上げるだけになる。だからなおさら、われわれは手にしたその赤紙の文字を読まされることになる。
熊谷さんの魅力もあるし、あと、「国民身体の近代化」という(たぶんに〈国文学〉的な)テーマは、やっぱり私にとっては面白い。ごくささやかに添えられた当日パンフにはいくつかの参考文献が挙げられてもいて、エドワード・サイードの『知識人とは何か』とか、姜尚中の『ポストコロニアリズム』といったものもそこに含まれるが、こうした問題を考えるにあたっては、兵藤裕己先生のいくつかの仕事(『〈声〉の国民国家・日本』や『演じられた近代—〈国民〉の身体とパフォーマンス—』など)もやはり参考になるのではないかと思う。
ともあれ、熊谷さんは元気そうだった。終演後に少しだけ話す。あと、客席には三坂(知絵子)さんも来ていた。三坂さんは、こないだの『コンテナ』(三坂さん作・演出の舞台)を私が観に行っていたことをまだ知らなかったようだ。で、少し立ち話をする。三坂さんは「片倉(裕介)さんといっしょにやることの楽しさ」について、「とにかく、私の提案にことごとく反対するのが、やっていて楽しい」と、ま、ハナからそこを楽しむのもどうかとは思うものの、そう言っていた。セーラー服や、スモーク、裸といった〈三坂的なるもの〉たちに、片倉さんはいちいち異を唱えていたらしい(で、最終的には押し切られて、その全部が舞台上にあったのだけど)。その声と姿が想像されて笑ってしまったのは、スモークをたくことに反対して片倉さんが言ったという言葉だ。「そのスモークはいったいどこから出ているんだ」。ごもっともです、片倉さん。
明日は、宮沢(章夫)さんが講演者として出る、日本パーソナリティ心理学会主催のシンポジウム「演劇におけるHow to個性記述 〜パーソナリティの記述のもうひとつのかたちを求めて」へ行ってきます。

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(2007年10月14日 01:26)

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/ 11 Oct. 2007 (Thu.) 「〈総理大臣といえば中曾根〉世代」

これが大平正芳・第68、69代内閣総理大臣。こころなしか恭子ちゃんに似ていなくもない。あ、そういえば恭子ちゃんの顔は「Red」のこのページで見られる(いっしょに写っているのが上山君)。

実家にあったのはこれ。

たしかこれもあったと思う。

「句会」(以前の日記のうちのこのあたりを参照ください)にもっていく句のうち、「病」をテーマとしたものはできた。できたというか、ま、これでいいだろう。そして「秋」と「朝食」はもう少しちゃんと考えようと思う。
大阪府茨木市にある小さな喫茶店にスペースを借り、はじめての個展(お近くの方、ぜひどうぞ)を開いている知り合いの(上山)恭子ちゃんについて、きのう、その個展を宣伝するついでに、

「web-conte.comを見て来た」と言ってもらえれば、もれなく恭子ちゃんが大平首相のものまねをしてくれます。しかも「あーうー」は封印して顔まねで勝負です。

と適当なことを書いたら、案の定、律儀なコメントを寄せる恭子ちゃんだ。

ありがとうございます。
大平首相のことはよく知らないので、調べておきます。

 そうだろうな、きっと知らないだろうなとは思いつつ書いていた。だいたい、書いている私自身が「総理大臣といえば中曾根」世代であって、その手前の福田〜大平〜鈴木といったあたりはほとんど記憶になく、さらに恭子ちゃんはたしか私の2コ下である。「あーうー」は封印して、と言われても困るだろうと思う。
私がたまたま「あーうー」を知っているのは、いしいひさいちの漫画をとおしてである。たぶん『がんばれ!!タブチくん!!』だったはずだ。あれはふたりの兄(10コ上と7ツ上)のどちらの買い物だったのだろうか、実家に単行本があり、それを子どものころに読んだ。政治ネタの四コマもそのなかに収められていたんだと思うが、デフォルメされた大平首相はただひたすら「あーうー」言っていた。福田(赳夫)はなんだっけかなあ、「は、ひゃ、ふぁ」とか言っていた気がする。
まったく関係ないが、13日は俳優・熊谷知彦さんの復帰第一弾となる一人芝居の舞台『洋楽コトハジメ』を観に行く予定にしている。楽しみである。
えー、今日はちょっと短いけどこのへんで。

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(2007年10月12日 16:08)

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/ 10 Oct. 2007 (Wed.) 「こまめに爪を切る」

MEDIA SKIN(オレンジ)

neon(水色)

INFOBAR(市松)

携帯はいま、auの「MEDIA SKIN」を使っている。「MEDIA SKIN」はかなりボタンが小さいのだが、指の腹で押すのではなく、爪の先をあてるようにすると一見したほどの押しにくさはない。ただ、そのために、爪が伸びていると、押しにくさというか指先の気持ち悪さがいや増すということはある。「MEDIA SKIN」の前は同じ au design project シリーズの「neon」を、その前は「INFOBAR」を使っていたが、先ごろ発表されたという「INFOBAR 2」にはまったく興味がない。なんで丸みをもたせちゃうかなあ。だから妻とはこのあいだ、その反動として期待される「INFOBAR 3」のことを話していた。「INFOBAR 3」のコンセプトは「岩」である。というか岩だ。ごつごつしているのだし、店頭に行ってみても、ひとつひとつ形はまちまちであるにちがいない。そもそもただの岩だから電話はかけられない。でかいのもあって、それは重い。ポケットに入れればパンパンである。それはとてもいいが、でも電話がかけられないんじゃなあという話になったのだった。
きのうの日記のコメント欄で、上山君にニール・ヤングの『AFTER THE GOLD RUSH』をすすめられた。

「Only Love Can Break Your Heart」はニール・ヤングの「AFTER THE GOLD RUSH」というアルバムに収められた曲ですが、昔ケーブルテレビでやってた中村一義の番組(たしか「喫茶ひぐらし」というミニ番組)の中で、中村君がこの「AFTER THE GOLD RUSH」(アルバムと同名の曲)をBGMに原チャで街や河原を走るという、すごく印象的なVTRがあって、自分も通勤時なんかに河原をチャリで走っていて、シャッフル聴きのiPodからこの曲が流れ出したりすると、なぜか涙が出そうなくらい嬉しくなります。こんな情報をここで書いてだから何だという話ですが、いいよ、「AFTER THE GOLD RUSH」は。ってニール・ヤングはそれしか持ってないんだけどさ。

 誕生日がまるきり同じ人の言うことには説得力がある。わかったよ。買いますよ。ていうか、わからないけど、想像するにこの「『AFTER THE GOLD RUSH』いいよ」というのはたとえば「『七人の侍』いいよ」とか、「『坊っちゃん』いいよ」とか、俺、そういうたぐいのことを言われているのではないのか。どうだろう。で、じっさい、iTunes Music Storeで買いました。アルバムで1,000円だったし(あ、まったく同じものと思われる『AFTER THE GOLD RUSH』で1,000円のと1,500円のとがあったんだけど、あれは何かちがうのだろうか)
その上山君の奥さん、恭子ちゃんのはじめての個展(というか、正確には二人展)が、いよいよ今日(10日)からはじまっているはずだ。こないだからページ上部にあるバナーがそうなのだが、バナーだけ作って何も説明していなかったのは不親切だった。バナーのリンク先と同じページだが、詳しくはこちら「散歩道 ねじまきのすけ/上山恭子 二人展」をご覧ください。大阪の茨木市にある小さな喫茶店でやっています。28日まで。お近くの方がいらっしゃいましたら、ぜひ。「web-conte.comを見て来た」と言ってもらえれば、もれなく恭子ちゃんが大平首相のものまねをしてくれます。しかも「あーうー」は封印して顔まねで勝負です。してくれるといいな。

本日の参照画像
(2007年10月11日 12:04)

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/ 9 Oct. 2007 (Tue.) 「おめでとう。知らなかったけど。」

ひょんなことから、人は人の誕生日を知る。知人の米倉さんのブログ(の「素晴らしき日曜日/ドンマイな感じで笑う」に、「あと偶然今日非表示のコメントをくださったSさん」とあるのは私のことだ。私がコメントを非公開にしたので気を遣ってイニシャルにしてくれたのだろう。非公開にしたのは、まあその、つまるところ内容が「励まし」なのでちょっと恥ずかしいということがあり、だったらメールで送ればいいじゃないかという話だが、そこでふと、米倉さんが利用しているFC2ブログのサービスには「非公開コメント」という使ったことのない機能があるのを思い出して、どんな案配なのかとついつい試したくなったのだった。あと、私の「励まし」がその日のブログ記事「今日」に引っかけた文章だということもあってメールでなくコメントにしたわけだが、しかし冷静にみて、やはり「非公開コメント」は面白くないのだった。われながら、公開しろよってハナシですよ。ああそうですかと言われるのは覚悟の上だが、非公開コメントはまったく「相馬的でない」。
で、投稿時に設定したパスワードを用いてコメントを修正し、公開扱いに直せたりするのかと思ったのだができないようなので、わけがわからないがここに公開しよう。「今日」というタイトルの下、本文には「いっしょにいてくれた人。ありがとう」とだけつづき、そうして「Only Love Can Break Your Heart」のYouTube動画が貼られたその記事に、私は(たしか、だいたい)こうコメントを書いた。

ひょっとすると今日、私はいっしょにいなかったかもしれないが、しかし、こうなったらいたも同然である。だから大丈夫だ。「何が?」と言われると困るが、でも大丈夫だ。

またどこかで会えるといいな。(私の日記を読んでいるかわからないけど)「句会」来る?

 このよくわからないふざけたコメントが「励まし」として届いてくれるのだから、米倉さんはありがたい人だ。で、さらに、じつはこの日が米倉さんの誕生日だったということはまったく知らなかった。そうだったのか。おめでしょう。というのはいま打ち間違ったのだが、ま、このさいそれも愛嬌があっていいのではないか。誕生日、おめでしょうごます。
そういえば俺、友人たちの誕生日をほとんど知らないな。付き合いのなかで話題にのぼったこともあったろうから「覚えてない」が正しいだろうか。むろん上山君だけは例外的に知っている。というのは私と同じ日だからだ。
「Only Love Can Break Your Heart」は、どこかで聴いたことがあるなあと思ったら高橋幸宏によるカバーだった(アルバム『A Day In The Next Life』[1991年] に所収)。そうですか、これがオリジナルですか。

(2007年10月10日 13:14)

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/ 8 Oct. 2007 (Mon.) 「浩と坂庭」

きのうの日記に対しては、宮沢(章夫)さんから直接コメントの書き込みがあった。「いちおうはっきりしておこうと思うのだ」ともあるのでここにも全文引用しておこう。

なにもいちいち書くことではないけれど、いちおうはっきりしておこうと思うのだ。小道具用に名刺を印刷した(っていうか、プリントアウトした)永井に聞いてもらえばわかるが、稽古の早い段階から、名刺には、「坂庭庭男」の名前が記されていたのだった。

 だそうです。考えてみればそうだよな。名刺が小道具として存在する時点でフルネームは必要になるのだから、「庭男」という名前が設定されたのはそれ以前ということになる。「それ、いま考えたでしょ」というのはツッコミとしてこそ成立するが、事実関係としてはありえないのだった。
あ、逆に(ってこれもむろんありえない話だけど)、小道具を用意した永井さんのアドリブだったら笑うなあ。なんて勝手なんだ。夜、部屋でひとりパソコンに向かい、Wordに「ダンス普及会事務局長 坂庭」まで打って少し考え、「庭男でいっか」とか言ってる永井さんを想像し出すとちょっと楽しくなるが、えー、くり返しますがこれはありえません。

さて、こうして図らずも、舞台上に見えないかたちで、しかしたしかに織り込まれていた坂庭のフルネームを宮沢さんから引き出せたことにより、「坂庭はなぜ〈ニワさん〉か」という問いは大きく前進したことになるが、けれど、これで問いがまるまる解決するわけではない。まずこまかいことを言えば、テクストが抱える事実としての「坂庭庭男」というフルネームとは関係なく、浩が坂庭を呼ぶ愛称の「ニワさん」が、はたして「庭男」という下の名前の頭をとった単純なものなのか、はたまた「庭庭(ニワニワ)」と連続する文字(音)を茶化したような響きをもつものなのか、あるいは──という「読み」については、依然読者の手にゆだねられているということがある。
そしてまた、『ニュータウン入口』全体を読む場合により問題となるのは、浩が「ニワさん」という愛称を用いることそれ自体の意味──そこから引き出せるかもしれない浩と坂庭の関係性である。なにしろ、少なくとも劇中では、坂庭を「ニワさん」と呼ぶのは浩だけだということがある。ひとまず浩を〈こども〉だとしてみよう。その場合、もし、加奈子をはじめとする〈大人〉たちのあいだでもう少し「ニワさん(もしくはニワ君)」という愛称が流通していれば、大人たちのあいだで飛び交うその記号を浩もまた自然に自分のものとした、ということが考えられるだろう。それであれば、浩と坂庭とのあいだに直接的な交流がそれほどなくても「ニワさん」という呼びかけは成立する。けれど、くり返すように劇中で坂庭を「ニワさん」と呼ぶのは浩だけである。であれば、「ニワさん」という浩の呼びかけが象徴するものは、浩と坂庭との(相互的なものか一方的なものかは別として)何らかの直接的な関係性だということになる。そしてこの関係性の中身について考えるとき、そこであらためて「ニワさん」という愛称の由来、そこに含まれる響きが問題となるだろうし、こうした細部の読みを詰めていくなかで、やがて、ところで浩は〈こども〉なのか?という大きな問いにぶつかることになるかもしれない──というざっとした見通しを、「坂庭はなぜ〈ニワさん〉か」という問いについては(かなり後付けで)想定することができるわけだが、でもなあ、「坂庭庭男」だからなあ、そんな名前のやつのことをまじめに考える気にならないじゃないか。
あ、あと、周辺的な問いとして、なぜ坂庭だけが名刺を配るのか、坂庭はなぜアタッシュケースか、といったことがこのことには関わるかもしれない。

話は変わるが、きのうだかおととい、笠木(泉)さんのブログに一度アップされ、その後なぜか削除されてしまった記事のなかに私に関する記述があり、(仮に削除理由があったとしてこれは関係ない部分だと思うので引用するが)笠木さんによれば、「相馬くんの文章は内容云々よりもリズムが落語に近いので面白い」のだそうだ。これはちょっと不意を突かれる思いがしてうれしかった。
というのは、たしかに自分の文章についてはかなりリズム重視で書いているのだけれど、「落語」を意識したことはなかったからで、もとよりそのときどきの読書に影響されやすいたちではあるのだが、ある一定のところを自己分析すれば、影響度として、自分のリズムの土台となっていると思っているのは宮沢章夫さんの文章とえのきどいちろうさんの文章であり、そこに(おもむろだが)古井由吉がまぶされているといった感じだと認識している。で、むろん落語は好きなのだが(こないだも結局、『落語研究会 柳家小三治全集』のDVDセット買っちゃったわけですが)、落語それ自体を意識して文章を書いたことはない。ないんだけど、でも、知らず知らずのうちに「落語的」ともとれるリズムが生まれているのだとすれば、それはなんというか、そうしたことをひとつの表れとして、だんだん私の文体もひとり歩きをはじめたのかなと、そのように感じてうれしいのだった。

(2007年10月 9日 14:26)

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/ 7 Oct. 2007 (Sun.) 「庭男かよ」

くっそー、くやしいなあ。もっていかれたよ。
あ、7日の朝に更新された「富士日記 2.1」の10月6日付「たとえば、『ニュータウン入口』ガイドブック構想」をもしまだお読みでなければそちらを先にどうぞ。

坂庭庭男
「富士日記 2.1」(10月6日付「たとえば、『ニュータウン入口』ガイドブック構想」)

やられたなあ。やられたよ。朝、声に出して笑った。パソコンを離れて、換気扇のところで煙草を喫いながらまた笑っていると妻が起きてきた。「どうしたの?」と言うので「富士日記 2.1」を見せると、読んで妻は言う。「よかったね」。
あるいはじっさい、稽古場においてはすでに、たとえば私もよく知る例の「笑えるダメ出し」の折りなどにこの「〈ニワさん〉の真実」についての言及があったのかもしれず、その可能性を補強する材料としてはこの「ニワさん」という浩の呼びかけが本公演用の台本で新たに付け加わったものだということがある。プレ公演まではこの呼びかけはなく、記憶がたしかなら、「のどが渇いた、ジュース、買って来ちゃだめ?」というここの浩のセリフは坂庭でなく、加奈子に対して直接発せられていたはずだ。(あ、だから「ニワさん」という浩の呼びかけに私がひっかかりをもったというのはほんとう。というか最初はあそこ、浩が何と言っているのかわからなかった。)
ではあるけれど、大笑いののち、私としてはひとまずこう言わねばならない。

 それ、いま考えたでしょ。ぜったい。

 ま、そう考えるとうれしいってことがあるわけですがね。と同時にこれ、くやしいのは、もし自分が「坂庭はなぜ〈ニワさん〉か」をほんとうに書いていたとして、俺、「坂庭庭男」といった方向に跳べたかなあということだ。なんてくだらないんだ、「坂庭庭男」。
ところで、「ポリュネイケス再考」[10月2日付]のようなものを書くときの私の基本的な態度はいわば「テクスト派」と呼ばれるものになるが、〈作者の死〉を宣告したロラン・バルトに源流を置くその態度からすれば、むろん、テクストをめぐって宮沢さんが言う、

作者もわからない。
「富士日記 2.1」(10月6日付「たとえば、『ニュータウン入口』ガイドブック構想」)

というその事態はしごく当然のことでもあると、まじめな方向からはそれを指摘しておきたい。まさしく「引用の織物」であるテクスト(あるいはインターテクスト)のなかでは、作者も読者も、等しくその結節点のひとつして存在するほかはない。
で、それはそれとして、しつこいけどいまは「坂庭庭男」だ。やられたよ。また新たなテクストが織られた。「ペリドットと行く、さっぽろラーメン食べ歩き四週間──ほかのものも食べました」はただもう宮沢さんを笑わすことだけ考えていたのだが、見事にひっくり返された。カド取られた。(ってなんの日記だこれは。)
さて、きのう(6日)は昭和女子大学人見記念講堂で行われた『サンディーズフラスタジオ ホイケ2007』へ。かつてのサンディー&ザ・サンセッツで知られるサンディーさんが開いているフラ教室(いわゆるフラダンスの「フラ」。本来はダンス、演奏、詠唱、歌唱のすべてを含んで「フラ」)の「ホイケ(お披露目)」で、義姉がその中級クラスに籍を置き、出演したのを妻と観に行った。サンディーさん、いいね。あと、やっぱりうまい人はうまい。大人のうまさがあるのと同時に、こども(いまどきでかなり背が高いのだが中学生とか、ひょっとすると小学校高学年ぐらい?)のうまさもあり、それ、やっぱり小さいころからやってるとすごいよといったような、いわば「スポーツ的」なうまさの魅力だ。
で、きょう(7日)は朝、回覧板で呼びかけられていた、町内会の廃品回収の手伝いへ。はじめて出た。わりと働いたよ。しかしまあ、異なる世代の会話というか、町内会のおやじたちがしゃべっているのを横で聞いているは楽しい。培われた個性の魅力もあるし、あと単純な話、生の会話のなかで「ずっこける」といった言葉(東京方言で、落語の「ずっこけ」にあるような本来の用法で使われたそれ)が出てくるのにもちょっとうれしくなる。

(2007年10月 8日 07:56)

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/ 4 Oct. 2007 (Thu.) 「いまさらのアイデア出しなど」

書いてから考えてみたら、これこそ直接的に〈ネタバレ〉じゃないかということで、NHKの放送を楽しみにしている人のためにまた非表示にしておきます。上村(聡)君へ宛てた、いまさらのアイデア出し(クリックで展開表示)。 ※携帯でご覧の場合にはあらかじめ以下に見えています。

(非表示に戻す)
黒澤明の『乱』ではそのオープニング、躍動的な猪狩りのカットにつづけて不意に、黒地に赤の「乱」のタイトルが出るわけだが、有名な話としてこれには結局採用されなかった音楽監督・武満徹のアイデアがあり、それはこの「乱」の文字に「ラン!」という掛け声をかぶせるというものだった。という話を思い出したのは、つまり『ニュータウン入口』のビデオショップのワンシーン、上村君演じるイスメネが、同時にしゃべって聞こえやしない複数の客たちのリクエストをとりまとめ、でたらめな映画の概要を話すところで出てくる例の〈黒澤メドレー〉だが、あそこの「乱」を、不意に立派な声で「ラン(!)」とやるのはどうかと思ったのだった。ってだめかこれは。やっていたやり方より、「笑い」になるかどうかが相当微妙だな。

ところできのう、「アンティゴネの二重性」についての文章を思いついたようなそぶりを見せて、結局「それはまた次の機会にゆずろう」と書いたことに対し、ふたたび友人の上山君からコメントをもらった(日ごろ月別のページをご覧になっているとわかりにくいかもしれませんが、この日記、日別のページもあって、ブログシステムを使っているのでコメントもトラックバックもあります、念のため)。上山君はそのなかで、

これ、絶対に結局書かないパターンなので、
うちのこと[引用者註:大阪在住の上山君は『ニュータウン入口』を観ておらず、NHKで放送されるのを楽しみに待っている]は気にしないで是非書いてください。

 と言い、私は対して、

「アンティゴネの二重性」は、何を書くつもりだったのかもう忘れちゃった。というのは嘘だけど、〈核となる発見〉がね、まだいまひとつだ。あと、いま思ったけど、このパターン(=結局書かない)を使って面白そうな批評のタイトルだけ次々予告するという手もあるな。「反転するイスメネ」とか。「はじまりの浩──浩とオイディプス」、「Fの系譜」、「坂庭はなぜ〈ニワさん〉か」、「ペリドットと行く、さっぽろラーメン食べ歩き四週間──ほかのものも食べました」などはどうだろう。

 と返したのだが、ここにただ思いつきだけで書いた「はじまりの浩──浩とオイディプス」はしかしすごく面白そうだ。俺が読みたいよ、それ。誰か書かないかな。ていうか、なんだか書けそうな気さえしてきたのだった。
という話はじつは前置きで(そうなってないけど)、その「浩」を演じていた佐藤拓道さん(君なのかな、年齢がよくわからないのだ)が、今度の「句会」に、本人は来られず「句」だけなのだが、参加してくれるという。参加者のひとりである南波(典子)さんからメールで、「そういう参加のしかたもありですか?」と打診があり、むろんOKしたのだが、誰なのか訊いてみたら佐藤さんだった。どうやって知ったのかな。南波さんが話したのだろうか、それともここを読んだのかな。
そういったこともあり、「はじまりの浩──浩とオイディプス」はぜひとも書きたいところだ。って、ま、書きませんけどね、たぶん。だって、ちゃんとやったら相当な分量を書かないとだめだと思うんだ、この切り口は。
「句のみ参加」というかたちは第二回のときに一人だけあり、今回も、例の永澤(名古屋在住)と、創設メンバーのひとりである大竹君(どこだっけ、東北のほう在住)が当日来られず、句だけの参加になる予定。あと、上山君も来られないんだけど、上山君はというと「句だけ」で参加するのをいやがっていて、つまり合評の場に居合わせないと自分の句の〈言い訳〉がきかず、自分には句だけで勝負する腕がないからそれはいやだということを言う。なんて慎重なんだこの男は。

(2007年10月 6日 00:40)

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/ 3 Oct. 2007 (Wed.) 「句会についてのその後」

きのうの日記の末尾に書きつけた言葉、

しかしその目は、たしかにポリュネイケスを捉えている。

 に自ら着想を得て、今度はいきおい「アンティゴネの二重性」といった文章が書けそうな気がしているところだが、友人の上山君(大阪在住)コメント欄で、「ああ、そんなに面白そうなことを言ってはいけません。NHKの放送を楽しみに待っている人もいるのです」とクギを刺されたこともあり、あと、書けそうな気がしているだけで深くは考えていないこともあり、それはまた次の機会にゆずろう。
話は変わる。10月になり、例によってページが改まって最左欄・上の写真も新しくなったが、あらためて説明すると、そこに写っているのがわが家にいる二匹の猫である。左の雑種が「ピー」で、右のアメリカン・ショートヘアーが「ロビン」だが、ちょうどこの写真が如実に示しているように、ロビンは顔がでかい。ちなみに元の画像はこれである。

 画質から想像されるとおりこれは携帯で撮った写真で、また妻が送りつけてきたのだが、そのメールには多少控え目にこうあった。

顔の大きさが…。

 その晩、私は思わず「でかい、でかい」とごはんをおかわりし、妻はテレビのチャンネルをしきりに変えながら「まったくでかいわねえ」と声に出していた。寝室の電気を煌々と点けたまま、夫婦で夜っぴてロビンの顔がでかいことを話し合っていたことが、あるいは猫の心を傷つけたのかもしれない。翌日、というのは今日だが、ふたたび妻から携帯メールが届いて、「顔小さいよ。」という本文とともに次の写真が添付されていたのは、やはり前夜の傷心が猫をして奮起させた結果だろうか、ものすごく顔が小さいのだった。

こんなものに付き合わされるのだったら、いっそ「アンティゴネの二重性」のほうがましだったと上山君は考えるだろうか。私もそう考える。
いや、そうじゃなくて書こうと思っていたのは「句会」のことだった。徐々に期日が迫ってきたということでもあるけど、いろいろ決まってきている。開催日は10月28日(日)に決まった。会場は未定。ルノアールの会議室とか、そういう場所になるかもしれない。
お題も決まった。自由詠(テーマ自由)も含めて、今回は四つのテーマを設定した。

  • 朝食
  • 自由詠(テーマ自由)

 このうち好きなもの(やりやすいもの)を選んで、「1テーマ2句まで、全部で3句まで」詠んでもらう。ちなみに「秋」と「病」は会の創設メンバー・吉沼が出してきたテーマ。というか、第一回のときが「夏」と「年甲斐もなく」で、第二回が「冬」と「老い」だから、「かなり広くて詠みやすいだろうテーマ(というか季節)」と「それより限定的で詠みにくいかなというテーマ」の二本立てであるのは同じわけだが、その後者のほう(年甲斐もなく、老い、病)がなぜか毎回「衰え系」だということで、もうひとりの創設メンバーである大竹君から「健康的なものも」として出されたのが「朝食」だ。ちょっと笑ったな、「朝食」は。しかしまあ、世にはネガティブな「朝食」もあるかもしれず、ポジティブな「病」がないともかぎらない。ベッド背負って山登るような、力強い病だ。ベッド背負って海に潜ればたぶん死ぬ。力強い病は死とも隣り合わせだって何を言ってるんだ俺は。
って、あんまり書いてるとあれだな、当日もっていく自分の句のネタがどんどんなくなっていくな。「そんな句なのかよ」という話だけど、まあ、いいじゃないか。いい句は他の人が作ってくるさ、きっと。
あ、読んでいて、その「句会」、なんで俺/わたしに声が掛かってないんだという人がいましたら、メールでもください。人数はまだもう少し大丈夫なはずです。

(2007年10月 4日 14:26)

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/ 2 Oct. 2007 (Tue.) 「ポリュネイケス再考」

まあいずれ飽きるのだろうとは思うけれど、それまで、書くことの思い浮かぶうちは浮かぶにまかせ、『ニュータウン入口』についてまだ考えてみようと思う。いま、私のなかにある問いはこうしたものだ。ポリュネイケスはどこへ行ったのか、あるいは、そこにいるのか。

洋一
はあ……、(腰を降ろそうとしたが)あれ、もう一人、いませんでした?
加奈子
なに?
洋一
もう一人……、鈴木さん……でしたっけ?
和子
誰?
洋一
いなかったか? ほら、女の人。

皆、顔を見合わせた。

『ニュータウン入口』/25場「聖家族」

根本洋一のセリフがふとわれわれに気づかせるように、登場人物が勢揃いしたかのようなラストシーンに、しかし、姿のない者らがいる。洋一がかろうじて指摘するポリュネイケス、直前の場面で白い衣装をまとい、あたかもポリュネイケスの分身であるかのようにふるまっていたイスメネとオブシディアン(黒曜石だった彼女はしかしもう黒くない!)、ポリュネイケスをふたたびその手に取り戻すため、ついに劇の外(映画)へと踏み出し、歩き出したアンティゴネ、──そして鳩男である。
鳩男もまた劇の外へと追いやられるが、彼はしかしそのことによって救われた。鳩男を追いやったのは「日本ダンス普及会」であるかのように見えて、池(〈鳩が泳いだ〉のではなく、〈鳩が泳ぐことのできる水だった〉と考えることもできる)を準備したのは、直前の場面にあるようにポリュネイケス(ら)であるようでもある。アンティゴネに池(水)のありかを尋ねられても答えず、「見てください、こんなに手が汚れてしまった」と途方に暮れてみせる洋一は、池を目にしなかったか、あるいは池を目にしていながら、それで手を洗えばいいということに気づかない者であり、その彼に〈母の言葉〉とともに手を洗うための水(池)を与えるのはポリュネイケス(ら)である。けれど、ポリュネイケス(ら)のその行為がはっきり〈善意〉であると言い切れないのは、その水がアンビバレントな作用のしかたをみせるためだ──それを泳ぐことのできた鳩男は救われたが、一方で洋一はそれを手に受けることで、「私たちは、もう、家族と同じなんですからね」と加奈子に言われることになるその関係性のなかに身を置く、決定的な契機をむかえてしまう。
ラストシーンに姿を見せない者ら──彼/彼女らはみな、劇中でポリュネイケスを見ることができていた者である(むろんそのほかに、Fとカメラマンにも見えていたが、彼らは劇のなかに──あるいはその〈境界線上〉に──とどまった)。オブシディアンについてははっきり「見えていた」とするのがむずかしいが、けれど、

オブシディアン
わたし、なにもしゃべりません。だって私はここでビデオを貸しているだけだから。
アンティゴネ
……

『ニュータウン入口』/21場「ニュータウン」

 と語る彼女の哀しさはポリュネイケスの孤独につうじるとも言え、じっさいこのセリフどおり、「見えているのだが見えていないことにし、話しかけることはしない」という劇中においてまた特異なポリュネイケスへの対応の仕方をする者なのかもしれず、あるいは洋一とは逆に、ラストに際して「ポリュネイケスが見えるようになった」者なのかもしれない。
さて、アンティゴネと鳩男は劇の外へとむかった。では、ポリュネイケス(ら?)はいったいどこへ行ったのだろうか。

洋一
いませんでしたか? たしかにいたような……、いたと思うんだけど……、でも……、いや、いなかったか。わからない。

『ニュータウン入口』/25場「聖家族」

 ひとつの考え方は、アンティゴネと同様に(しかしまた別の方向へではあるが)どこかへと向かい、ニュータウンをあとにして「もうその場にはいない」というものである。むろん「では、どこへ?」という問いがひきつづき残りはするものの、けれどこの考え方はある意味、われわれに安心感をもたらすものでもある。なぜならもうひとつの考え方として、どこへも行ってはおらず、「まだそこにいるのだ」ということも言えるからである。
ラストに際してついに「心配するのをやめニュータウンを愛し土地の購入をきめ」た洋一に、もはやポリュネイケスの姿を見ることはできないのであり、かつ、洋一(およびダンス普及会の者ら)に見えていないだけで、ポリュネイケスは変わらずそこに立っているのだとするこの考え方がある恐ろしさをともなっているのは、ほかでもなく、観客であるわれわれにもまたポリュネイケスが見えなくなっているからだ。そのときわれわれは、あらためて、不意にニュータウンに立たされる(『ニュータウン入口』!)
われわれに見えていないからといって、カメラマンとFにも見えていないということにはならない。おそらくは見えているのだろう。「ああそうだ、ニュータウンはいつだって穏やかだ」とFが言い、カメラマンに背を向けるが、ひょっとするとそのとき、Fはダンス普及会のなかにいるポリュネイケスを見つめたのかもしれない──あとは、映画が示すとおりだ。F=アンティゴネがポリュネイケスに語りかける。アンティゴネの耳にもポリュネイケスの声は聞き取れないが、しかしその目は、たしかにポリュネイケスを捉えている。

(2007年10月 3日 15:06)

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