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Feb.
2008
Yellow

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/ 22 Feb. 2008 (Fri.) 「ナンカヘンだな?(古今亭志ん五『時そば』)」

もうない。

書いているいまは午前七時。会社に二泊目。精も根もインスタントコーヒーも尽き果てていいかげんに眠いのである。
といった日々を送ってはいるものの、観るものは観、聴くものは聴いている。また落語の話かよとうんざりする向きもあるかもしれないが、まあ、いずれ春だ。いいじゃないか。
19日の夜は林家正蔵独演会「冬の正蔵其の二」。ネタ下ろしで「味噌蔵」と「しじみ売り」。会場が会社のごく近くだったので、聴いてまた会社にもどり仕事をする。正蔵(というのはつまりこないだまでの「こぶ平」だが)、いいじゃないかやっぱり。
先日、長兄にメールを打ったのは古今亭志ん五の「時そば」が見たくなったという懇願・悲願で、「らくごin六本木」というテレビ番組を録画したそのテープは実家にあるが、なにせベータなのだった。そして20日の深夜に帰宅すると、兄からDVDが一枚、届いているではないか。ものはついで、というには豪華すぎるおまけ──古今亭志ん朝「幾代餅」、桂米朝「本能寺」のテレビ録画──も付いて、トリはわれらが志ん五である。「幾代餅」は惜しいかな噺の前半が録画されていないが、この志ん朝・米朝の二席はまたべつの落語中継番組で、TBSの「落語特撰会」ではないから、今度の志ん朝全集(DVDボックス)には入っていない口演ということになる。
ああ、米朝。ああ、志ん五、志ん朝、ああ、古今亭。

本日の参照画像
(2008年2月23日 07:10)

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/ 17 Feb. 2008 (Sun.) 「BUSSTRIO上映会」

日付の示すとおりで、ほんとうはもっと早くにアップするつもりでいたし、じっさい早い段階である程度書き進んであったのだけど、いま、連日朝から夜中までみっちり働く日々がつづいていて、なかなか思うところまで文章を漕ぎ着けられずに時間が経ってしまった。以下に感想を述べている「BUSSTRIO上映会」はあと一回、2月23日(土)にも開かれるから、微力ながら宣伝の一助になればというのが当初の目的のひとつでもあって、それで、もういよいよアップしないと意味がないのだった。というわけで。いや、ぜんぜんまとまらないし、なによりまだ『天狗の葉』には言及してもいないが、どうにもこうにも時間切れ。こんな感想で申し訳ない次第だが、やむをえない。いったんアップしよう。

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空耳というやつだ。地下鉄で浅草へとむかっていた。まもなく着く段になり「次は浅草です」とアナウンスがあったあと、文脈からすればおそらく「乗り換えのご案内をいたします」と言ったはずだが、そしてそうだとするとなぜそれがああ聞こえたかはまったく謎だが、はっきり「あやふやなご案内をいたします」と聞こえた。そんなことを宣言されても困るのだが、いったい何を言うつもりか、どんなあやふやなことを言うのかと身構えれば、乗り換えの案内がつづいただけだった。
『ニュータウン入口』でカメラマンをつとめた今野(裕一郎)君や、同じく出演していた橋本(和加子)さんら、京都造形芸術大学出身の5人で構成される“同居型制作集団”、「BUSSTRIO」の作品上映会が浅草であり、それを観に行く。
折しも「東京マラソン」が開催され、コースに含まれている浅草の街は賑わうふうだったが、その雰囲気を味わうこともなく会場へ。会場へは地下鉄銀座線の浅草駅を出て吾妻橋を渡るのだが、ご承知のとおり先日来落語のことしか考えられない私にはやはりマラソンよりも吾妻橋のほうが感慨深く、「振り返り振り返り、やってまいりましたのが吾妻橋」という「文七元結」の一節がどうしたって耳に去来する。だるま横町の長兵衛をたずねて翌日ふたたび吾妻橋へとやってきた文七の心持ちになり、「昼間見ると、ずいぶん高いんですねえ」やなんか言いかねない視線を川面に投げているのはわれながらまったくばかであるが、そんなことはどうでもいいのであり、車内アナウンスの空耳などもどうでもいいのであって、書かねばならないのは「BUSSTRIO上映会 vol.1『不可視の真実』」のことだ。
やっぱりさあ、会場(ミニシアター)の場所がわかりにくいと思うんだよ、あれ。公式サイトで道順案内のある野外受付へとむかった場合、そこからさらに進んで建物(すみだリバーサイドホールおよび墨田区役所)の2階部分にあたる入口に着くことになるが、めざすミニシアターはそこからエスカレーターを降り、1階の、エスカレーターを降りた場所からはちょっと死角になるような位置の奥まったところにある──ということを知らずに、2階にそれらしい場所がないからとエスカレーターを降りれば、そこは一見してまったくの区役所だから「ここはちがうな」と思いがちだ。やってきた2階部分の、入ってすぐのところにもホールはあって、というかそれが本来の「すみだリバーサイドホール」だから、たとえば区役所の人に「リバーサイドホールは?」を尋ねてしまうとふたたび2階へと案内されてしまう。尋ねる場合には「ミニシアターは?」と聞くのがこつだ。って、あれはやっぱり2階の適当なところに「上映会」を案内する看板なり矢印なりがあるべきで、するとだいぶちがうんじゃないかと思うがいかがか──という話も、瑣末ながらにもちろん重要ではあるものの、やはりこのさいどうでもいいのであって、書こうと思うのはそのことではなく、そう、『不可視の真実』についてだ。
って、ここまでやってしまうとさすがに、このままこれをもう何回か繰り返して、けっきょく何も書かないまま終わらせようかなあとも考えてしまうわけだが、まあ、それはやらずに。

さて、『不可視の真実』というのは上映会に冠せられたタイトルで、そのタイトルのもと上映されるのは、監督も撮影時期も中身も異なる、本来的には独立した三本の作品(『河童のまぼろし』『象徴の森』『天狗の葉』)である。出発点においては別個に企画され、制作されたはずのその三作品が、しかしなぜか/どこか、相互に浸透し合い、接続し合うことでまたべつの像を結ぶかに見えるのは、それこそが“同居型制作集団”という表現スタイルの発露の一端なのかもしれない(編集作業のみ三作品とも同時期に、同居している一軒家の各階で最近行われたのだという)
『河童のまぼろし』はまずもって良質なドキュメンタリーである。極力音楽を乗せずに編集されたその〈姿〉がドキュメンタリーとして好ましい。私もまた小中学生時代、いわゆる「水木しげるっ子」だったから──少年マガジン版『ゲゲゲの鬼太郎』はほんの入り口であり、『河童の三平』、『縄文少年ヨギ』、『新・ゲゲゲの鬼太郎』に『コケカキイキイ』、貸本漫画シリーズや妖怪事典のたぐいなど当時手に入るものはすべて揃えていたから──、「ひょうすべ」だの「河太郎」だの言われれば少しく血が騒ぐということが事情としてはあるけれど、むろんそれだけではない。それだけだったらまさか泣きはしない。
三作品のなかでは『象徴の森』がもっとも、生硬で、難解な印象を受ける。けれどその難解さはおそらく、奇妙なことだが、変哲のない〈日常〉を見つめようとすることのなかからこそ生まれている。あくまで、『象徴の森』が付き合うのは〈日常〉である。

京都造形芸術大学在学中に出会った人たちは芸術と生活の狭間で孤独を抱えているように見えた。そして僕もその中の一人だった。
今から芸術活動などを目指して過ごし、その先に何が待っているのか、自分がいる事に意味があるのか、剥き出しの不安や嫉妬がそこにはあった。
それは残酷で悲しい事件が毎日起きるような不安定な今の日本において見向きもされない平凡な悩みであった。社会にあるそういったほんとうに立ち向かうべきものを見据えるためには、自分がどこに立っているのかを見つめる必要があった。それは平凡なものになる。
『象徴の森』監督の今野君による当日パンフの文章

 凡庸で、かつまた身近でもあるところの〈日常〉は、だからこそかえって解像度が低いものでもある。もとよりそのものの解像度が低ければ、いくら対象に寄ってみたところで解像度が上がるわけもなく、どこまでいっても低いまま、あるいは余計ぼやけもするのだが、そのことの徒労感をこそ目的とするかのようにカメラは凡庸さに付き合い、つまらなさに寄り添ってみせる。──作品中にとかくテレビが映り込むことは、おそらくそのことと無関係ではないだろう。
低い解像度を保ったまま、どこまでも凡庸さのなかにあった女性(小澤薫)が、しかしラストの舞台上になぜああも堂々と立っているのか、映画はそのことを詳細に説明しようとはせず、だから比喩的に言って映画の解像度は低いままだが、けれど、たしかにそこに、彼女はくっきりと立っていた。そして『象徴の森』においてもうひとつ、くっきりと画面にあるのはキノコであり、そのキノコは、それこそ象徴的な装置として配された森につながっている。

一冊の本に出会った。その中に象徴の森という言葉があった。その本では太古の森に住む熊と人間の対称性が書かれていた。
ある日、人が熊を見ているように、熊が人を見ているという見方を人間は獲得した。それは比喩の力だ。詩や音によって表現されていく事になる。
それは始まりのときだった。
同上

と今野君が書いている「本」は、おそらく中沢新一の『熊から王へ』であろうが、この「対称性」という言葉が、今度は『河童のまぼろし』を照射する。『河童のまぼろし』が感動的であるのもまた、おそらくこの「対称性」の問題に由来している。
幼いころに祖父とふたりで河童を見た、その体験を語るおばあさんが印象的だ。「皮膚はねずみ色で」と語るその言葉を前に私は泣いた。なぜ泣いたのかは漠としているが、おそらくはおばあさん(当時少女)の、河童を見つめるその視線のなかに、そこに内包された、少女を見つめる河童の視線を見た気がしたからだろう。たんなる郷愁へと絡めとられる前に注視しなければならないのは、その関係の対称性であり、想像力の交歓とでも言うべきものであるはずだ。──その一方で、監督のひとり小林光春君がそれを着て渋谷の街を眺める、おそらく出来合いの安物だろう河童の着ぐるみ(みどり色!)は、そこに凝縮された非対称な視線を象徴している。

神話的思考にとっての「全体性」は、現代のエコロジーの言う「全体性」と同じものではありません。エコロジーは、人間は人間で、熊は熊、その上でみんなが集まって共生しあっているという「全体性」ですが、対称性社会の人々の思考では、人間と熊(やほかのあらゆる動物たち)がおたがいの存在を流動的に行き来できる、流動的生命のレベルにまで降りたって、そこでの「全体性」を思考しようとしているからです。
 世界はもともとこのような「詩」にみちみちているのです。いや、世界は「詩」のようにして、たえまなくつくられています。私たち人類の心も、「詩」の構造として生まれています。言語の本性は「詩」なのですし、交換の行為は、生まれたばかりのときは贈与でした。それならば世界のはじまりにあるのは、きっと純粋な愛にちがいありません。
中沢新一『熊から王へ カイエ・ソバージュII』(講談社選書メチエ)、p.93

本日の参照画像
(2008年2月22日 02:17)

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