6
Jun.
2009
Yellow

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/ 15 Jun. 2009 (Mon.) 「二〇〇九年六月上旬アワード」

妻は『1Q84』の下巻にすすんだ。まだ犯人はわからないという(怪しい人はいるが)
きのうの日記を午後に一度アップしたあと、その最後のブロックを何度か書き直す。夕方に直したものがいまのバージョンだ。はじめより少しだけ長くなった。よくあることである。
いま、きのうまでの時点で、六月上旬の日記を一枚に表示するページ(いちおうリンクを張るがいまご覧のページがそれかもしれない)をプリントアウトすると、A4タテで15ページほどになる。平均して一日A4一枚ほどということだ。そう数字にすると、そんなものかとも思う。じゅうぶんだろうとも思い、しかしいったい〈何〉がじゅうぶんなのか。字数か。愛か。
というわけで思いつき以外のなにものでもないが、こうしたものを尋ねてみよう。二〇〇九年六月上旬、どれがよかったですか? 斜め読みだし、それほど覚えてはいませんか? ご回答いただければさいわいです。回答がないっていうと、さびしくってしょうがないしね。ではまた、明日。

本日の電力自給率(6月15日):41.3%

(2009年6月17日 03:21)

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/ 14 Jun. 2009 (Sun.) 「高橋明大監督の『最後の怪獣』を堪能」

上映前には「松倉如子 with 渡辺勝」のミニライブがあり、『最後の怪獣』主題歌の「雲」、ニューアルバム表題作の「パンパラハラッパ」を含む四曲を披露した。で、こちらが松倉如子ニューアルバムの『パンパラハラッパ』。6月17日発売。会場で先行販売されていたのを買う。

こちらは同じく会場で先行販売していた、6月24日発売の『渡辺勝』(これがCDタイトル)。買いました。8年ぶりのオリジナル・アルバムで、よく見たら「松倉如子プロデュース」とある。ほんとかよ。(ほんとだそうで、「いっぱいいろいろ言ったよ、あたし」と松倉。)

本日の電力自給率(6月14日):88.9% 発電量はたいしたことないのだが、ほとんど出掛けていて使用量が少なかった。
午後出掛けて、多摩モノレールと京王線を乗り継ぎ「三井アウトレットパーク 多摩南大沢」へ。多摩モノレールを利用するのは二度目で、長い距離を(って、基本ゆっくり走るからじっさいの距離はそんなでもないのかもしれないが)しみじみ乗ったのははじめて。ユナイテッド・アローズのアウトレット店でシャツを四着買う。たしかにまあ安い。都合でほかの店にはほとんど入らずに、シャツをまとめ買いするという目的だけ達してそそくさと帰途についた。
夜、「高橋明大2days」の二夜目、『最後の怪獣』(65分/2007年)を池袋シネマ・ロサで。これも当方、初見である。
いやあ、よかったね。終映後の打ち上げの席でいせ(ゆみこ)──いせは『ある光』のほうを未見だそうなのだが──『ある光』とどっちがいいですかと訊かれたときには、選べと言われればまあやっぱり『ある光』かなと答えたものの、もちろん容易に優劣を言えるような二作品ではなくて、『最後の怪獣』は『ある光』ともまたはっきり異なったありかたをする作品であるのと同時に、『ある光』の監督がその二年前に撮った作品として──あるいは、これを撮った監督がその二年後に『ある光』を撮ったのだということについて──ひじょうに納得させられる作品であった。
これも打ち上げの席で、柳沢(茂樹)君が「友だちに勧めやすいのは『最後の怪獣』かな」と言っていたのはなんとなくわかる気がする。つまり、さまざまなレベルにおいて『ある光』よりも〈わかりやすい〉のが『最後の怪獣』であるからだ。まずあれですね、『最後の怪獣』のほうが、「この監督、じつはすげえうまい」ということがよくわかると思う。はじまってタイトルが出るまでのところなんか、それこそ〈娯楽映画〉としても完璧じゃないかと思わせるようなスムーズさでたたみかけ、ぞくぞくさせられる。そして、物語としても『最後の怪獣』の場合、最終的にどうなればこの作中の人物たちが救われるのかということがはっきりしていて、その意味でも観客の意識は〈結末の予感〉へむけて集中しやすいということがあるだろう(いっぽう、どうなれば救われるかが皆目わからない物語として『ある光』はあらかじめ設定されている)
しかし、である。そうした物語であるからこそかえって、ラストシーンにむけ、安易に盛り上がる(解決へ登りつめる)ということを演出が拒否しているということもまたわかりやすく見てとれるのであり、ここに、まちがいなく二年後の『ある光』への萌芽があることをわれわれは知る。『ある光』のときと同様、「お、これは何か起きるぞ」「さあこっから盛り上がるぞ」とはっきり思わせるシーンがありながら──それは終盤、柳沢君がいせの携帯電話に公衆電話からかけるところで、けっきょく何も言葉を発せずに通話を切った柳沢君が電話ボックスから出たあとの、その電話ボックスの「ドアが閉まる音」である。これ、あきらかに「ゴジラの咆哮」だろう。いや、じっさいにゴジラのそれを用いているかはわからないが、その音ははっきりと、志村喬らが山あいに出現したゴジラに遭遇し、はじめてその姿を目撃するシーンの、あのゴジラのコントラバスの音色を想起させるのだ!──、しかし映画は、ほとんど肩すかしを食わさんばかりのリズムでもって、そこからラストへむけ、単純な盛り上がりを周到に迂回しながら進んでいくのであり、そしてまた、観客がはじめに予感したものとは微妙に異なるものであるだろうあのラストカットが、しかしあれで充分すぎるほど〈解決〉なのであり、言ってみればこれよりほかの〈解決〉などあるだろうかということを、周到に納得させていくのである。
いやあ、よかったね。もうね、(書くの疲れたし)あとはばかみたいなことしか言わないよ。いせゆみこがすげえかわいい。大好きだ。足立(智充)君すげえいい。上村(聡)君は、ああした(悪役ではないけど)悪意のある役をやらせるとすばらしいね。南波(典子)さん、よかった。終盤の上村君とのやりとりには、なにやら「ロマンス」さえ発生しかねないほどのかわいさがあった。松永(大輔)君と持山(優美)さんはすごくずるい(ま、ずるいのはおそらくああいうかたちでふたりを配してくる監督なんだけど)(鈴木)将一朗の笑顔なしにこの映画のラストはありえなかったし、笠木(泉)さんはなんだよ、あれだ、集会が終わって帰る(カメラにむかって歩いてくる)ところがやけに印象深かった。そしてもちろんわたしは、関(寛之)君のことを忘れているわけではない。元気かな、関君。きょう会ったけど。でまあそうだな、柳沢君は、なんでしょう、今度野球でもしましょう。俺ぜんぜんできないけど。

本日の参照画像
(2009年6月15日 14:42)

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/ 13 Jun. 2009 (Sat.) 「ゆめのむこうがわ」

FLIP-FLAPのあいこさん(たぶん)と田中夢。

こちらも田中夢の友人、バイオリニストの遠藤百合さんによる演奏がある。いや、ほかに何枚か写真はあったのだけど、この一枚がなんともかわいかったのでご本人には少々申し訳なく思いつつ、つい。

手にしているのは、きのう来場した鎮西(猛)さんからの差し入れだという日本酒「夢殿」。

田中夢絵画展「ゆめのむこうがわ」にて

夕方、ロビンの尿を持って国立のダクタリ(動物病院)へ。尿のpH値は順調に下がっており(pH値が低ければ尿石ができにくい)、血尿もほぼなくなったが、膀胱炎だけがなかなかしぶとい。頻尿ぶりにほとんど改善が見られず、トイレ以外で粗相をする問題も日々、一進一退を繰り返す。でもってロビンは、療法食(ドライ・ウェットとも)をむしゃむしゃばりばり食べている。
その後、その足で下北沢へ。「ゆめのむこうがわ」と題して「ギャラリーGeki」で開かれている、田中夢の絵画展に立ち寄る。会場ではきょう、六時からミニパーティーなるものも行われていて、わたしが七時すぎに着くとなかなかの盛況。田中夢の友人グループらしい女性たちが何人も来ていて(多くはバイト仲間だという)、ぶらりと立ち寄った客の案内からなにから、花を添えるだけでないサポートぶりを見せているのがたのもしい。あ、そうそう、花を添えると言えばFLIP-FLAPのどっちだか(って失礼な。たぶんあれですね、妹のほう、だから、「FLAP」?)も来ていた。實光(崇浩)君がなぜか台湾人の友人を連れて来ており、ほか、昨夜呑み屋で知り合い、個展のことを話したらほんとうに来てくれたというよくわからないおやじ(ハイドンについて熱弁をふるっていた)や、たまたま通りがかったひと(仲間が東京で舞台をやるというのでそれを観に上京中の、名古屋で芝居をやっているらしい若者ふたり)など、来場客はさまざまである。
八時ちかくに姿を見せたのは、近所に住むという俳優の下総源太朗さんだ。友人グループがここぞとばかりのもてなしをみせて、かなり上機嫌の下総さんである。チラシをもらって、今週末上演の『更地』(下総さん出演)や、来月はじめにある三浦基さん構成・演出の『あたしちゃん、行く先を言って太田省吾全テクストより行程2』(以上、「太田省吾へのオマージュ」という括りの二作品で、ともに川崎市アートセンター[新百合ヶ丘・駅近]にて)のことをはじめて知る。これはちょっと行ったほうがいいのではないか。
九時にお開き。余ったお酒、おつまみを手に緑道のほうへ消えていく面々と別れて、帰宅。明け方ぐらいまでかかってきのうの日記を書く。
本日の電力自給率(6月13日):52.4%

本日の参照画像
(2009年6月15日 09:46)

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/ 12 Jun. 2009 (Fri.) 「高橋明大監督の『ある光』を観る」

では、本文で触れていないキャストから何人か、予告編のキャプチャーで。稲毛礼子さん。もうヒトサマのものになったわけですが、かわいいですな、やっぱり。

こちらもヒトサマのものです、南波典子さん。かわいいですな。

「アフレコがへた」だともっぱらのうわさの鈴木将一朗。りりしいですね。

観ました、『ある光』。いや、それ──〈或る/在る光〉を観た──って、つまり〈映画〉を観たってことと同義だなあというふうにあらためて思うわけですが。

タイトルの『ある光』について高橋監督は、アフタートーク×冨永昌敬)で、それが劇中で使われる「任意の希望」というセリフ(いったい上村聡以外のだれがこんなセリフを口にできるだろうか)をやわらかく言い換えたものであると説明するのだけれども、もちろん、「任意の希望」をテーマとするような映画が、たとえばラストシーンにおいて何か「これという答え」に辿り着くような、そうした構成をとらない(そうした物語にならない)だろうことはあきらかで、そのことはすでに一度目の公園のシーンなどではっきりと予感することができるわけだが、強制的に提示される──つまりはたったひとつの、大きな──希望を放棄したこの映画が、しかしたえず画面に小さな希望を振動させ、しばしばまったくなにも起こらないそのカット群につよく人を惹きつけるのは、けっしてその先に用意される物語上の「答え」によるのではなくて(観ればわかるようにそうしたものは「ない」)、そうした答えの有無とはまったく無縁に、この映画自体がまず「希望をもって撮られている」という事実(これはもう、事実と呼ぶほかないだろう)によってである。スタッフもキャストもなく、それはもう、全員が渾然一体となったうえでの成果だと言い表すよりないものだ。
とはいっても、この映画が、映画としてのある種の〈興奮〉から無縁であるというわけではない。終盤、クライマックスへむけて映画がゆるやかに走り出すその手前、だれもいない公園が2カット連続で挿入されるところでは、ああ、これは何か起きるぞとひどくぞくぞくさせられるのであり、案の定、つぎのカットでは子どもたちが工事現場で「宇宙人のヘルメット」用の材料を見つける。ここからのたたみかけるような〈盛り上がり〉はほんとうにすばらしかった(これを盛り上がってないとは言わせないぞこのやろう)
ラスト間際になり、スクリーンには、そこではじめて(映画祭の主催者側が入れたと思われる冒頭のテロップを除けば、はじめて)『ある光』という題字が大きく出るわけだが、それを目にしてああなるほどと思ったのは、つまり単純な話、この映画全体が、きっと長い長い〈オープニングシーン〉のようなものとして存在するのだろうということである。カーテンを開けた窓のむこうから、スクリーンを真っ白にするほどの強烈な光があふれ、そうして〈光そのもの〉であるところの〈映画〉がそこで、いよいよはじまるのだけれど、まさにその瞬間、ふいに劇場は明るくなって、はじまるのはつまり、任意の希望を宿された〈われわれの日常〉なのである。
その多くが今夜劇場にも駆けつけていたけれど、スクリーン上はほぼ「知人しか出てこない」といった案配で、観る前には「あたかも知らない人を見るかのように」観ようかと(できっこないことを)考えたりしたものの、はじまってみれば、そうした思いから遠く離れたところへ連れて行かれて、ただただ、「いい役者ばかり出てくるなあ」といったふうに観ていた。
特筆すべきは、足立(智充)君と柳沢(茂樹)君とが仮面をかぶり、雑木林のようなところで撃ち合いをする幻想シーンの、そのはじめ、柳沢君が画面を右から左へ横切って消えていく、その横切りざまの「足つき」である。あれは、あの足つきだけでこれが夢のなかのことなのだと悟らせるほどの、まごうことなき「道化」の足つきだった。あの足つきにはちょっと惚れ惚れ。あのシーンは、まさに「道化になれる」二人による、とてもいいシーンだったとつくづく。
あとまあ、戸田(昌宏)さんと笠木(泉)さんのコンビ(夫婦役)ももちろんいい。「どこ行ってたんだ?」「漫喫」「見れたのか」「夢のようでしたァ」のやりとりはほんとうにすばらしかった。おそらく台本の意図どおりに、そこでのふたりの会話は微妙に食い違いつつ成立する──夫が尋ねる「見れたのか」は「未来は見れたのか」という哲学的な問いとして発せられていて、それにたいし妻は漫画喫茶で過ごした「夢のよう」な時間のことを答える。そしてその答えを、夫は「未来は夢のようだった」という報告として聞く──のだが、じっさいのところ、ことによって「このふたりにはなんの食い違いも発生していない」んじゃないかと思わせるような、十全なる夫婦のコミュニケーションがそこには立ち現れてもいた。
それから、やっぱり足立君はかっこいいとかね。いや、「かっこいい」という褒め方を本人はあんまりありがたがらないかもしれないが、まあ、足立君に関してはわたし「ただのファン」であるから、それ以上言葉を腑分けすることがいまだできずにいるのだった。何度も書くけどわたしは、袋井(静岡県)で『月の教室』を観て以来の足立智充ファンであるからね。サインくれ、サイン。
てなところでしょうかねえ、ひとまず、感想としては。

本日の電力自給率(6月12日):85.7%

本日の参照画像
(2009年6月14日 04:21)

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/ 11 Jun. 2009 (Thu.) 「64 for Suu」

Safari 4 はじっさいだいぶ体感速度を上げてきた印象。とりわけG5では前バージョンとの差を感じる。すぐに目にすることになる「Top Sites」機能をはじめ、Firefox 3 や Opera、Google Chrome らによって〈あたりまえの風景〉となっていたもろもろの機能群を、じつにアップルらしいと思えるフォルムのなかに注ぎこんだ──とまあこれは、ほんの少しブラウジングしてみただけの感想。そういえば先日、Google Chrome の Mac OS X 版 (開発者向けバージョン) もリリースされましたな(ただしほんとうに、「満足に動かなくてもいいから試してみたい人」向け。あと、Intel Mac+Leopard の環境が必要だったはず)。描画速度ではやっぱり(現状わずかながら) Chrome に軍配が上がるかなあ。
アクセス解析のリファラー(リンク元)情報から二題。誰だろうまったく模糊とした検索をしたもんだが、「red」の一語で Google 検索をかけ、その検索結果からうちの「Red」へ来たひとがあった。「ほんとに?」と思い Google で「red」を検索したところ、なんと10位にいるよ、うちの「Red」が。現時点ではうちのサイトをはさんで、11位が「アップル - iPod - (PRODUCT) RED」、9位が「Welcome to Red Bull Japan」である。アップルをおさえてしまった。こりゃ、日本の Red 業界じゃあちょっとした顔じゃないか。ま、ないとは思いますがね、日本の Red 業界。
きのうあったのは「虚脱状態」で検索してきたひとだ。2007年8月13日付の日記、「妻は虚脱状態にある」を Google に提示され、やってきたのだった。いやあほんっと、こんな虚脱状態しかお出しできずに申し訳ないっす。語句が語句だもんなあ、もっとこうせっぱつまった状況下での調べ物だったんじゃないかと想像され、だとすると、何と言ってお詫びをすればいいかわからない。妻にはもう、めったなことで虚脱するんじゃないとつよく言って聞かせますんで、ここはひとつ、おさめていただきたい。
「64 Words for Aung San Suu Kyi」は6月19日に64歳の誕生日をむかえるアウンサンスーチーさんに、64語からなる応援メッセージを送ろうという世界的な運動。というわけでほんとうは「64 Words」なんだけど、いとうせいこうさんが64文字の日本語でメッセージを送っていたのに倣い、というかキャンペーン自体をいつものようにいとうさんのブログで知ったわけですけど、わたしも64文字の日本語文を送る。これ。送ってしまってから、こりゃちょっと、「なに衒ってんだよ」と思われてもしょうがないメッセージだなあ、もっとべつのことを書きゃあよかったと反省しているのだったけれど、つまりまあ、「64文字で書く」という不自由さのなか、しかし「何を書いても(書かなくても)いい」という自由がわたしにはあるのだなといったことを考えていたら、つい、こんなものを書いてしまった。
「64メッセージ」の送り方はこちらに。
松倉(如子)さんのニューアルバム『パンパラハラッパ』は6月17日発売。「blue」のほうに記事「松倉如子のニューアルバム『パンパラハラッパ』はどうだ」を書きましたのでそちらも参照いただきたい。勝手バナーはこんな感じ。

松倉如子ニューアルバム『パンパラハラッパ』

あと、まだのひとはまだ間に合うので「Carlito Schilirò への投票」もぜひ済ませよう。われらが Carlito は現在第三位、しかもどうやら一位から三位までごく僅差であるらしい。
おっと忘れてた電力自給率(6月11日):31.5%

(2009年6月13日 06:44)

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/ 10 Jun. 2009 (Wed.) 「つまりあれだ、結婚生活とともに歩んだわけだ」

昭和二〇年代(って大雑把だが)の岸惠子。

1960年ごろか。中国語のサイトだがここに、やけに豊富な岸惠子情報があるのだった。

2008年1月1日の新聞広告。資生堂「一瞬も 一生も 美しく」。

もうずいぶん前に郵送されてきていた定額給付金の申請書類を、紛失したらしいとわかったのが週末のことである。あちこち入念に探して見つからない。「ない」とすれば、古新聞の山にまぎれて捨ててしまったというあたりが疑わしく、疑わしいというか、だんだん、古新聞の山の上にそれを置いた記憶さえ蘇らんばかりのわたしではあるが、その記憶のことはまあ妻には内緒だ。だから、左側には妻の好きな岸惠子の写真を置き、妻の目線をもっぱらそちらに向けさせておく作戦で臨む。
で、市のホームページなどを見、申請書類の再発行は可能であるらしいとわかって胸を撫で下ろしていた矢先、市からは、「定額給付金の申請がまだのようだがだいじょうぶか。不明点があったり書類を紛失したような場合には下記の窓口まで問い合わせを」というハガキが届いた。なんて親切なんだまったく。のろのろしていて申し訳ない。
ブリタが壊れた」と妻。ポット型の浄水器のことである。濾過機能を担うカートリッジを約二ヶ月ごとに交換するのだが、その交換時期を知らせる液晶インジケーターが蓋の部分に付いていて、その液晶表示がだめになった由。だから、壊れたといっても浄水ポット自体は(カーリッジを買い替え、正しく交換するうちは)生きているわけだが、浄水機能の改良された新モデルなども出ていることから、すでに買ってしまってあるカートリッジを(人力で交換時期を計って)使い切ったら、ブリタごと買い替える肚の妻である。
過去のページを繰ると、ブリタを買ったのは二〇〇四年の六月とわかり2004年6月9日付「Yellow」および、同6月11日付「Pink」、つまりまる五年なのだが、いま、ブリタのサイトにあるFAQを確認したところ、そこにはこうあってわたしを驚かせる。

フィルターの交換時期を知らせる液晶インジケーター「メモ」の寿命は、最長で5年程度です。

すごいな、FAQ。ブリタのサイトは、ほんとうにブリタに詳しいのだった。
ロビン続報。雑巾だのなんだの、いわば「広義のトイレ」にあたる目標物──一度して、臭いが付いてしまっているためにもう「これもトイレのうち」というつもりでいるらしいあれこれ──をせっせと片付け、洗濯できるものはして、「狭義のトイレ」の砂も替えてきれいにする(妻が、ですけど)。あらためて書くようなことでもない対処法だが、それでだいぶロビンの行動が矯正されたことはたしか。新たなトイレ──来るべき時代のわれらが新たなるトイレ!──を探すふうの行動もまだ残るが、きょうはだいたい正しくトイレでしてくれたのだった。これで頻尿(膀胱炎)さえ順調に治ってくれればなあ。
本日の電力自給率(6月10日):38.5%

本日の参照画像
(2009年6月11日 14:11)

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/ 9 Jun. 2009 (Tue.) 「ロビンをどうしてくれよう。撫でるか、まずは。」

ロビンがなあ。ちょっと困ったことになっているのだった。きのうあたりから、どこでもおしっこをするようになってしまった。どこでもと言っても雑巾とかマットとか、それらしい目標があるところにするのだが、ただしくトイレでもして、なんというか、「おれ、トイレの概念を拡げてみたんだ」といった案配。拡げたかあ。まいったな。
尾を立てたり、尿をスプレーしたりということはなく、だいいち去勢済みなのでマーキングではない。はじめに玄関の土間でするところを見た妻からは「ぼけたかな?」とメールがあり、まあ、その可能性も否定できない風格ではあるものの、やはりいちばん関係がありそうなのは先日来の病気の影響(膀胱炎とそれによる頻尿)だろう。
不幸中のさいわいと言いますか、同時に厄介でもあるのだが、ロビンの尿はいま療法食のためだろう、(少なくともヒトの鼻には)ほとんど臭いがしないのだった。単純に臭いの被害がなくてありがたい一方、ことによるとこちらが目撃して気づいている以上にさまざまなところでしている可能性があり悩ましい。
膀胱炎については治るまでにある程度時間がかかるだろうと病院に言われている。ロビンは先日、尿道結石とそれによって引き起こされた急性腎不全とで入院したわけだが、そのさい、膀胱内がかなり荒れてしまっているのが確認されている。膀胱に違和感があるせいで少量のおしっこを溜めるのもいやがり、たびたび排尿におよぶというのがつまり頻尿であるらしい。
でまあ、ネットを検索したところが、「頻尿を120%完治する秘訣」というですね、かなりSEOスパムの香りも漂うちょっとどうなのだろうというサイトながら(「頻尿を120%完治する秘訣」自体は基本ヒトの頻尿を扱ったサイト)、そこに「猫の頻尿」に関するつぎのような記述を見つける。

家の中で、きちんとトイレでするようにしつけている場合、
カーテンの陰や布団の上などでするようになったら、
それが頻尿のサインかもしれません。
猫の頻尿:頻尿を120%完治する秘訣

ここにある記述をまず信用するとして、これを裏返せば、「頻尿になるとトイレ以外で排尿をすることがある」ということであるから、つまり希望的観測としては、うまい方向にさえもっていけば、頻尿(膀胱炎)の治癒とともにトイレ以外での排尿もおさまるかもしれないということがあるのだった。
本日の電力自給率(6月9日):50.9%

(2009年6月10日 19:41)

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/ 8 Jun. 2009 (Mon.) 「シャツがね」

こちらおなじみ、ユナイテッド・アーティスツ。

こちら宇波彰訳の、フェリックス・ガタリ『分裂分析的地図作成法』(紀伊國屋書店)

本日の電力自給率(6月8日):10.4% この世は晴れの日ばかりじゃないのさ。
長いよね、最近、日記。読んでもらえてないんじゃないかと思うのだ。読まないと思いますよこの量は。もっとスカスカしたページのほうがいいのではないかと反省しないでもない。句点と読点のたびに改行するような、右側にはしっかり余白があるような、ね。というかあれか、それやったところでそもそも一文が長けりゃだめなのか。まあその、文章が連なっていくときのリズムの整合性とか、それこそ「〜だ。」「〜である。」「〜のだった。」といった文末パターンのどれかひとつが連続しないようにだとか、句点を打たずにどんどん文をつなげていくようなときに「〜して/〜であって」系と「〜し/〜であり」系が交互にくるようにだとか、で、ところどころは最初に書いたまま、そうしたつまらぬ流麗さから外れてごつごつしている箇所を直さずに、ひっかかりとして残しておくだとか、そういったことをね、読む側の人間、まずまちがいなく気にしてないんじゃないかという徒労感がないわけではないのですよ(ってもちろん、それらのことを「気にさせない」ようにリズムを作っているわけだけど)。「てにをは」だって、〈読む〉体験からすりゃあべつにたいしたことでもないのかもしれないしね。ってこれ、〈書く〉行為として──内容も手つきも長さも──ちっとも反省していないわけだけれども。
ともかく、もっとどっかりとした文章が書きたいのだ、いまわたしは。
暑中見舞いの文章は書かれましたでしょうか、宮沢さん?
服がね、シャツだけれども、のきなみくたびれてきているのだった。最近ちっとも服を買っておらず、もうみんな数年前に買ったものばかりだ。シャツの襟のところがどれもこれも、斉しく擦り切れはじめているということを妻が示してみせ、早晩、しかもおそらく同時にこれらはだめになるだろうから、そうなったらもう着ていくものがありませんよとわたしを脅す。応えてわたしは、ふと思い出した「今年は UA 買うならアウトレットがお勧めw」の記事のことを話す。「UA」はユナイテッド・アーティスツではなく、宇波彰でもなくて、ユナイテッド・アローズ。「でもさあ、アウトレットモールに行くまでが(遠くて)たいへんでしょ?」とまったくイメージで返された言葉に納得しかかったものの、いちおう調べてみると、さほど遠いとも言えぬところにひとつあった。その「UAの入っている最寄りのアウトレットモール」が、「三井アウトレットパーク 多摩南大沢」というところ。立川からだと多摩モノレールで「多摩センター」まで行き(22分)、京王相模原線に乗り換えてもう5分の「南大沢」である。まあ、行ってみようかという話になっているのだった。

本日の参照画像
(2009年6月10日 12:47)

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/ 7 Jun. 2009 (Sun.) 「次の五年へ」

高祖岩三郎『新しいアナキズムの系譜学』(河出書房新社)。

結婚(入籍)記念日である。まる五年が経ったのだった。
夕方、新宿の紀伊國屋書店本店へ。高祖岩三郎さんと廣瀬純さんによるトークセッションを二時間にわたって聞く。
廣瀬さんはまず、高祖さんの著書『新しいアナキズムの系譜学』を引き合いに出し、それが書名に「系譜学」という言葉を用い、あたかも歴史学的な知見を提供するかにみせて、そのじつ、それを地理学的な知見へと転倒し、マッピングしていくさまが面白いと評価してみせた。また、ものごとを〈歴史学的にみる〉という──いわばフーコー的な──態度にかわって、ものごとを〈地理学的にみる〉という──こちらはいわばドゥルーズ=ガタリ的な──態度が、近年ではあらゆる分野・場面で称揚される傾向にあることも指摘する──たとえばかつてはふつうに大都市で開かれていたサミットの、近年の開催地選びもまた地理学的な思考と欲望に貫かれている、などなど。そのいっぽうで、たとえば9・11のあと、ビンラディンの居場所を突きとめようとしていわゆる従来の地理学者が呼ばれ、映像や写真の背後に見える岩や地層から「ここではないか」ということになってそこへ行ってみると、しかし地理学的な見当はみごとに外れ、ビンラディンはいないといったようなこと。あるいはまた、つい先日のエールフランス機〈消失〉。これだけ衛星が発達し(と、じっさいに見たこたあないがそうイメージされ)、北朝鮮がミサイルを運んだのなんだの、相当ミクロな映像が届けられるいっぽうで、じっさいのところあのエアバス機がどこに墜落したのかは(ようやく残骸が発見される程度で)ついにわからないままであること。これらの出来事が象徴的に示すものを、高祖さんと廣瀬さんは「地球そのものがもつ、圧倒的な〈脱領土化〉のパワー」と呼んで驚嘆し、そして、「地球なめんなよってことですよ」と言うのだった。
もちろん話は「運動」についても及び、まず廣瀬さんが「ぼくにとって運動とは何かってことで言えばですよ」といつものくだけた調子で言い、それに高祖さんが大きく同意するふうだったのはつまり、「『やっぱすごいな』ってことがないと興味がもてないわけですよ」ということである。映画というものが〈死〉を前提にできる──たとえばよく(?)言われるようにスクリーンのなかの登場人物たちは「トイレに行かない」が、それは省略されて行っていないようにみえる(カットとカットのあいだにトイレに行っている)のではなく、「ほんとうに行っていない」のであって、つまり彼らは最初から死んだ存在なのだ云々──のにたいし、どうしたって〈生〉に規定される運動は〈死〉を前提にはできないわけだが、しかし、どこかで〈死〉を欲望する(欲望しているとしか思えない)ところが運動にはあり、それが廣瀬さんにとっての「やっぱすごいな」につながるという。たとえば「代議制」や「多数決」といったものは、「全員参加で、全員が納得するまでとことん話し合う」といった──それこそ死ぬほど疲れるような──面倒から解放されるための「効率的な方法」としてあるが、しかし、運動の場面においてはときに、死ぬほど面倒であるような非効率的な方法が(とうぜん永続はしないが一時的に)民衆によって採用されることがあり、そこに運動の面白さがあるという。
これにたいし会場から発言があったのは、いわゆる「前近代」において、例に挙げられたのは江戸時代の農村だが、そこでは「全会一致」こそが原則であり、全員がひとりの家に集まり、納得しない者があれば何日もかけて、あいだに食事や睡眠(いったんそれぞれの家に帰る)なども含むゆるやかな時間のなか合議をおこなっていたということから、「全会一致」を過剰な何かとしてすぐ〈死〉に結びつけるのは妥当ではなく、「全会一致」がごく自然に〈生〉と共存するような、そうした社会も想定可能なのではないかという指摘である。
で、上記の指摘にはおふたりとも即座に同意する。同意したうえで高祖さんが、人類学者によるすぐれた発見のひとつとして強調するのは、前近代──あるいはいわゆる「未開」──の人たちは「多数決も知っていた」ということだ。彼らは、多数決を知らなかったために非効率なことをおこなっていたのではなく、多数決という方法があることを知っていながら、しかしそれを採用しなかったのであり、たとえばわれわれの前近代から近代への移行においては、「多数決といういままで知らなかった舶来の便利なものを知ったので、じゃあそれに変えよう」ということが起こったわけでは「ない」のである。また、それは〈前近代/近代〉という時間軸におけるあっちとこっちの話だけではなく、〈いま〉というひとつの空間においても、あるいはひとつの社会、ひとりの人間のなかにおいても、「多数決」的なシステムと「全会一致」的なるものとは同時に、二重に採用されていると考えるのがおそらくただしいのではないかと高祖さんは指摘し、それを聞いていて、もちろん、レヴィ=ストロースによる「真正性の水準」の話──われわれは「真正な社会」と「まがいものの社会」を二重に生きているのだという議論。詳しくは小田亮さんの講演原稿「社会の二層性あるいは『二重社会』という視点──小さなものの敗北の場所から──を参照──を、わたしは想起していた。
そこから話は「コンセンサスプロセス」の技術開発といったところへ展開し、また終盤は「アナキズムとは?」という話へ。「アナキズムとは?」というのは客席からの質問だが、それに答えた高祖さんの発言(大意)はこうである。「わたしがなぜアナキズムを支持しているかには大きくふたつの側面があり、ひとつは、この二十年ほどの世界各地の運動をみていて、結果なんらかの成果をもたらしたと思える人たちが、みな、自分のことをなんとなくアナキストである(定義をもとめられた場合には)定義している人たちだという事実。もうひとつは、わたし自身がアナキストであると自分を定義しているわけだが、それについてはまた今度。──というのは、近著『新しいアナキズムの系譜学』において、アナキズムのもつそれこそ『なんとなく』の空気や魅力は伝えられたと思うが、ではそれをどう組織化し、運動として展開させていくかの議論がほとんどなされておらず、それを弱点だと自覚しているから、いま、そのことについて書く次回作を準備中である。」
で、終わってそこから初台へ移動し、宮沢(章夫)さんのお宅へ。遊園地再生事業団の月例ミーティング。徐々に決まって(みえて)くるものもあり、まあ、とにかくいろいろ話し合う。って、べつにぼかして書いているわけではないが、トークセッションについて律儀に書きすぎて疲れたのだった。まあ、居させてもらえるうちになるべく発言し、宮沢さんが「何か」を(まったく関係ないことでも)思いつく、そのきっかけというか、なんらか刺激のようなものを与えることができればなあとは思っているのだった。
そんなこんなで結婚記念日。次の五年がまたはじまっていく。
本日の電力自給率(6月7日):100% ビバ、晴天!

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(2009年6月 9日 14:58)

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/ 6 Jun. 2009 (Sat.) 「ポシュテの去勢」

カラーを付け、ケージに入れられたポシュテ、何を思ったかトイレ(砂も入ってる)で落ち着く。どうこのカラーを外したものか、思案するふうでもある。

大きく裂けたカラー。裂いた本人がちょうど通りかかる。首に付けた状態でこれを裂いたわけだが、いったいどうやったんだあんた。

本日の電力自給率(6月6日):52.9%
ポシュテの去勢手術だった。前夜10時以降絶食しているポシュテをバッグに入れ、朝11時までに国立のダクタリ(動物病院)に行くわけだが、任務はもうひとつあって、病後の経過を診るためにロビンの尿を採取して持っていかなくてはならず、それがもう、むずかしいったらありゃしない。トイレの砂に吸われてしまってはもちろんだめで、砂を少なくしておき、なるべくトイレのプラスチックの部分に尿を落としてもらうようあれこれ図るけれど、そうそううまくいくものではないのだった。しかも、基本的には採取から一時間以内の尿を提出してくれ(時間経過とともに検査精度が落ちるので)とダクタリに言われていて、移動時間(30分弱はかかる)のことを考えると、ほんとうに家を出る直前ぐらいにおしっこを出してもらわないとならない。病気の影響で、いまだロビンが頻尿であることが唯一の頼み。
けっきょく採れず、朝はひとまずポシュテを連れて行くだけにして、尿のほうは夕方、術後のポシュテを引き取りに行くさいにあらためて挑もうということになる。で、そう書けばわかるように、ポシュテは日帰りなのだった。
血液検査を施され、健康に問題なしとなって予定どおり昼すぎに手術開始。ほどなく無事終了して、いまはもう麻酔も切れ、目を覚ましているという連絡が午後入る。4時〜5時をめどに迎えに来てくれとのこと。
午後3時半、ロビンの尿採取に成功。歓喜に湧くわが家。以前、子猫のポシュテをひと部屋に隔離していたときにポシュテ用のトイレとして用いていた小さめの食器カゴを出し、その片側半分にだけ砂を敷く。それをエサのすぐ脇に置いて頻尿のロビンに促すと、エサを食べてすぐ、まんまと体勢に入るが、カゴが小さいうえ、その半分にしか砂がないので、砂の部分を踏みしめて排尿に及ぼうとするとおしりの位置がちょうどカゴいっぱいいっぱいになり、うまい具合に、おしっこはまるまるカゴの外に出たのだった。それを専用のスポイトで採取。まだほんのりと血尿。
尿を持って迎えに。午後4時にダクタリ着。ポシュテはちょっとぼんやり気味。連れてきたバッグに入れようとすると少しいやがった。事前の説明にあったとおり、ごく簡単なものであるオスの去勢手術の場合、傷口の縫合は行わない流儀だという。数日で自然にふさがるのでそれを待つ。カラーもさせられておらず、家であんまり嘗めるようだったらさせてくださいということだった。夜9時以降なら少量食べさせてもいいが、できれば今日いっぱいは絶食が望ましいという話で、それは麻酔の影響により、喉がまだうまく動かない恐れがあるためだそうだ。いっぽう、ロビンの尿はまあまあ順調な経過を辿っているという結果。内服薬を少しだけ変え、また一週間後に尿の様子を診る。
電車に揺られ、さらに自転車に揺られて家に戻るまでのあいだ、ポシュテはバッグのなかでぐったりし、なにやら鼻息も荒いように感じられてどきどきしたのだったが、なんのことはない、ぐっすり寝ていただけらしく、玄関でバッグを開けるや元気に起き出して、走り回ってさえいる。ピーやロビンのときには術後、もう少しションボリ過ごす時間があったはずだが、いったいどういうつもりか。
その元気いっぱいなポシュテの患部を嗅ぎ、離れずにずっと後を付いていっては傷口を嘗めようとするのがロビンだ。こりゃちょっとまずいなということになり、ほかの猫から隔離するためにポシュテをケージのなかに入れることにする。ついでに、ロビンのときに使用したカラーが家にあったのでそれも装着させたが、ま、あとから思えばそれで要らぬ大騒ぎをさせてしまった。
妻とふたり、ケージの前にいてかまってやっているぶんにはまだそれでも大人しくしているのだったが、その場を去り、ポシュテひとりにしたとたん暴れ出す。どうにか首のカラーをはずそうとして大立ち回りを演じるらしい。いったい何の音だそれはという音を階下に響かせてはやがて静かになり、疲れてしばらく休むのだろうか、やれやれと思うころにまた暴れ出すという繰り返しで、ついにひときわ大きな音をさせたので様子を見に行くと、あろうことか、カラーが大きく裂けて、ほぼ外すことに成功しかかっているポシュテがいた。やるなあ。
しょうがないのでカラーを外してやり、ケージからも出したが、まあ、その状態でべつだん問題はないのだった。あいかわらずロビンは付け回して傷口を嘗めようとするのだが、嘗められそうになるとポシュテがいやがり、自力でロビンを撃退しているから安心で、また、ポシュテ自身も(嘗めはするけど)しつこくは嘗めないからまあだいじょうぶだろうという案配。
それにしても、それにしてもポシュテ元気。

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(2009年6月 8日 20:05)

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/ 5 Jun. 2009 (Fri.) 「村田さん出演(!)の舞台を観に」

きょうは写真を撮らなかったのでこれは『不在』当時の写真。シアタートラムの地下、稽古場Bでの最後の通しを終え、そこをあとにするところ(2005年1月)。リュックをしょってる背中は小浜さん。扉の手前に小さく写っているのが村田さんである。この前後の日記はここに。

村田(裕子)さんは『トーキョー/不在/ハムレット』のときの演出助手仲間だ。作・演出をつとめる自身の活動団体「LiveUpCapsules」を主宰しているが、2008年10月の公演以降はいったん活動休止といった状態にあったらしく、ふたたび、ゆるゆると次へ向けて始動しようというなか、今回はたまたま「ロスリスバーガー」という劇団から声をかけられ、そのマンスリー公演なる企画(月イチのペースで一時間程度の新作公演を打っていく)の第一弾となる作品、『知らないうちに恩返し』に俳優として客演することになった──という話は、ほんの一週間ほど前、何ヶ月かぶりで村田さんのサイトを見に行ってたまさか知ったのだった。村田さんとはたしか、2006年11月に彼女の公演『しあわせあまたあめあられ』を観に行って以来だ。
行けるかどうかはっきりしなかったのと余裕をこいたのとで予約せずにいて、きょう、会場の場所を確認しようと再度公演情報のページに行ってはじめて、今夜のぶんがすでに定員に達して完売だと知る。しかし行けるのはきょうしかなく、ま、何とかなるだろうと直接会場(東中野「RAFT」へ。駅から徒歩13分と距離があり、また雨も降っていたから、押しかけてしまえばむげにも扱われないんじゃないかというきたない肚である。
その狭い会場に入ると、舞台は一組のカップルが同棲するアパート(?)の一室で、ベッド、テーブル、ハンガーラックといった家具とテレビ、テレビゲーム機のほか、それらを埋め尽くすようにして大量の空き缶や空き瓶、空きペットボトルのとなりに並べられる化粧道具、雑誌の山、散乱した漫画本、脱ぎ散らかした服、何度も踏まれているのだろう宅配ピザのチラシなどがこれでもかと配されるそのさまを前に、思わず、先日のラストソングスの舞台──ほぼむき出しの会場を用い、装置といえばじっしつイスが二脚だけだったと言っても間違いではないようなそれ──との対比のことを考えていた。ややわかりにくい場所にあり、30人ほどで満員となる狭さの、きれいだが本来的には舞台用の空間ではない会場と、一時間という上演時間、そしてあいにくの天気までがラストソングスのときのそれとかぶるが、しかしそれゆえに両者の舞台上のモノの多さ/少なさのちがいは際立って感じられ、そしてあたかもそのちがいの帰結であるかのように、『知らないうちに恩返し』は、まったく「よくできた劇」であった。
村田さんがねえ、よかったっすよ。けっこううまいというか、かなり安心してみていられるというか、〈ほぼ村田さんのまま〉舞台に立てているというか。途中、劇の進行のわきでせっせと洋服をたたむところと、雨合羽を着、「似合う」と言われて「うれしくない」と返すところがあるが、ばつぐんによかった。一点、よくできた劇である『知らないうちに恩返し』についてわたしなりに欲を言えば、あれ、ラストシーンは要らなかったんじゃないかなあ。ひとつ前の、「肩叩こうか?」でじゅうぶん終われたしそのほうが効果的だったんじゃないだろうか。ま、そうすると「片付けられない女・早紀子」のほうの物語が完結しないということはあるけど、それはそれでなんとかするとしてですね。
ともあれ観てよかったし、何より行ってよかったというのは、村田さんが、ちょっとそんなにかよというほどに再会をよろこんでいたからだ。遊園地再生事業団の近況など話すと、ご無沙汰してしまったがぜひまたみなさんに会いたいし、わたしにお手伝いできることがあれば、ぜひ協力したいとまで言ってくれていた。あ、そうそう、遊園地再生事業団の次回公演は来年秋の予定だと知らせると、「いまはリーディングの稽古とか?」と、ついつい『トーキョー/不在/ハムレット』の時間感覚で考えてしまう村田さんなのだった(にしても「いまリーディングの稽古」は早いが)。そんな夜である。
本日の電力自給率(6月5日):15.7% 家の消費電力量はかわらないが、やっぱり天気悪いとだめ。惨敗である。

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(2009年6月 7日 10:57)

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/ 4 Jun. 2009 (Thu.) 「田中夢出演の舞台を観に」

『「みんな大好き」〜スティール・マグノリアス〜』のチラシ。イラストを田中夢が担当したらしい。

夜、両国にあるシアターX(カイ)という劇場へ。田中夢の出演する舞台『「みんな大好き」〜スティール・マグノリアス〜』(ショウデザイン舎劇団だるま座)を観る。公演は二日目だが、ダブルキャストである田中夢にとってはきょうが初日。客席には鎮西(猛)さん、實光(崇浩)君、白井(勇太)君らの顔もある。が、ほかを見渡せば、これは劇場の固定客なのか、席の大半を占めるのは年輩の方々で、その多くが女性だ。いっぽう、舞台上もまた女優ばかりが登場し、田中夢を除いてはみなベテランといった感じの面々が演じる。描かれるのは、アメリカの田舎町に暮らす中年女性たちの日常である。
19時開演で終演が21時15分、そのあいだに10分間の休憩がはさまる。この休憩は要るのか?──というふうについ思うものの、まあ要るのだろうなとも考えてあらためて客席を眺めると、はっと気づかされることがあり、つまりまったくのところ、客席の側にこそまぎれもない「中年女性たちの日常」があるのだった。休憩時間に声を掛け合っているところをみると連れ立って来たわけではない、それぞれにやや離れて座るいくつかのグループがあって、その全員がおそらく顔馴染みなのだろうというのは、そのうちのひとりが休憩を利用し、あちこち移動してはお菓子を配っているからだ。受け取ったほうからは「あらナニ」「懐かしいわね」「これおいしいのよ、シンプルで」といった反応が聞こえ、何を配っているのかとそのまま耳を澄ましていると、やがてカルメ焼きだとわかる。ひょっとしてあれか、この休憩中の客席も芝居のうちかと、あらぬことを疑いたくなるほどに、そこにはいきいきと〈関係〉を生きる、楽しげな女性たちがいるのだった。
田中夢はこれ、構造上ほぼ主役といってもいいような役なわけだけど、よかった。演じるところの娘「シェルビー」は、戯曲の要請によってまず、「まわりの者らから愛される」存在でなければならないわけだが、そうした「愛される者」のもつ〈無根拠な説得力〉を舞台上に立つ田中夢はじゅうぶんに備えていたと言え、これは褒め言葉として、まぎれもない〈田中夢〉がそこにいたと思わせられた。その意味で、こまかな点ではいろいろある(あったような気がする)としても、おおむねよかったのではないか。なにより、そこに「愛される者」がいたのだということをこれ以上なく素直な言葉で語るのはもういっぽうの「まわりの者ら」、客席の中年女性たちであり、終演後、席を立ちながら彼女らが交わす、「あの若いコ、すごいかわいかったわね」「肌がぴちぴちしてるもの」「若いっていいわねー」といった会話が、いったいこの舞台への褒め言葉でなくてなんだというのか。「若い」と書いて「うまい」と読ませたいような、少しそうした気分にさえわたしはなったのだった。

田中夢絵画展「ゆめのむこうがわ」ポストカード

そんな田中夢の初の個展(絵画展)、「ゆめのむこうがわ」は今月の11日〜14日まで、下北沢の「ギャラリー Geki」にて開かれる。入場無料。13日(土)18時からはミニパーティーも催されるという。以下詳細。ちなみに、このポストカードデザインはわたしではありません。

◆田中夢絵画展「ゆめのむこうがわ」
初の個展開催です。これまで描いてきた油彩、アクリル画、イラストレーションを展示。舞台とも日常とも違う「向こう側」を覗いてみてください。(田中夢)

会場
下北沢ギャラリーGeki (下北沢駅より徒歩5分、「劇」小劇場となり)
☆入場無料
会期
6/11(木) ~ 6/14(日)
12:00 (初日11:00) ~20:00 (最終日18:00)
☆6/13(土) 18:00~ミニパーティ開催。バイオリニスト遠藤百合による演奏を予定しています。

本日の電力自給率(6月4日):49.4% まあ、こんなところでしょうかね。

本日の参照画像
(2009年6月 6日 14:47)

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/ 3 Jun. 2009 (Wed.) 「発電スタート」

モニタ装置

朝、販売店と電力会社のそれぞれの技術者がやってきて、出力の調整だかなんだかよくわからないが、共同で機器の設定作業をおこなう。これにより、二週間ほど前の工事で屋根に載っけた太陽光発電パネルがいよいよ電力供給を開始。東京電力との契約上では、わが家、いちおう「発電所」ということになるのだった。
こういうモニタ装置(右写真)が付属し、これを見ることで随時、現在の発電量と、家全体での消費電力量、その差し引きでいま電力をどのぐらい買っているか──もしくは売っているか──がわかるようになっている。たとえばこの写真の場合、「0.7kW」発電していて、家では「0.3kW」を消費、余った「0.4kW」を東京電力に売っているということである。このときの天気は曇り。早朝なので意識的にはなにも電気を使っておらず、どうやら「0.3kW」というのが現状、わが家で常時消費している電力(冷蔵庫とか、AirMacとか、その他いろいろコンセントにささっているものの待機電力とか)であるらしい。で、試しにMac Proを起動すると、だいたい「0.3kW」ぐらい消費量が増えるのだった。
一連の「オール電化」関連の工事──誤解のないよう言い添えておけば、「オール電化」はつまり「家庭内のすべての熱源を電気でまかなう」ことを言うわけで、「オール電化」と「太陽光発電」はセットではなく、基本関係がないわけだが──はこれでひと段落し、あとは、太陽光発電に関する補助金(国・都・市からそれぞれ出る)をもらいそこねないよう、しっかり申請作業を進めるのみとなる。
ロビンは順調。サンプルのカリカリも問題なく食べている。あと、薬(錠剤)も4種類ほど飲ませるのだが、ひとつは「残尿感を抑える」ためのものだという。病気のためか、あるいはおこなった処置のためか、しばらくは残尿感が残りがちになるのだそうだ。おそらくその残尿感のせいだろうロビンはこまめにトイレに行き、そのうち何回かは排尿せずに出てくるが、しかし出ない場合も(あるいはほんの少しだけ出ているのか)「気が済んだ」というように砂を掻き、入院前のようなあせった様子は見せないのでひとまず安心している。まあ、油断はならないぞとも思っているのだったが。
というわけで本日の電力自給率(6月3日/10:30〜):92.6%

(2009年6月 5日 13:17)

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/ 2 Jun. 2009 (Tue.) 「ロビンの帰還」

ご心配をおかけしました。ひとまずだいじょうぶですので、本日はひとつ、大船に乗ったつもりで先をお読みいただければと思います(はやく読みたい人はここまでスクロール
というわけで余裕をみせ、ちがう話からまず入れば、勝手バナーの欄(ページ右上。バナーが複数種ある場合は確率も多少操作のうえランダムに表示している)にはラストソングスに代え、「高橋明大2days」の告知を置いた。「2days」といっても「たまさかそうなった」ということらしいのだが、「CO2(シネアスト・オーガニゼーション・大阪)エキシビション」でグランプリにあたるシネアスト大阪市長賞を受賞した最新作『ある光』(2009年)と、「水戸短編映像祭」で準グランプリを獲得した『最後の怪獣』(2007年)が、ともに同じ池袋シネマ・ロサにておのおのの映画祭の特集上映が組まれたため、中一日で立て続けにスクリーンにかけられることになっているという次第。いずれもレイトショー(21:00〜)でその日1回のみの上映。12日の『ある光』の上映後には「冨永昌敬 × 高橋明大」のトークショー、14日の『最後の怪獣』では上映前に「松倉如子 with 渡辺勝」のライブが企画されている。
『ある光』『最後の怪獣』ともに、わたしにとってはほぼ「知ってる人しか出てこない」というような映画なのだが、しかしわたし、まだどちらも観ておらず、また監督の高橋君とも、こないだはじめて話をしたのだった。『ラストソングスの脱出』を観に来ていたので終演後に声を掛けた。これまでにも幾度か同じ場に居合わせ、なんとなく顔と名前は一致済みだったものの、しゃべったのはそのときがはじめてである。
というわけでまたもや「未見のものを薦める」わたしだが、しかし驚くべきことに──いまさっき高橋君のブログを見ていて気づいたんだけど──、なんと、高橋君はわたしと誕生日がいっしょ(11月18日)である。その思わぬ発見を前にし、興奮のあまりにわけのわからないままつづけるが、これはもうわたし、「観たも同然」じゃないか。なあ、高橋君。
相馬の丸二年後、同じ日付に生まれた高橋君がおくる、まあおそらく「いい」にちがいない二作品、『ある光』と『最後の怪獣』はぜひ劇場で。詳細(というか高橋君のブログだが)は下のバナーをクリックだ。

高橋明大2days in 池袋シネマ・ロサ

Return of ROBIN

ロビン、無事帰還。右は帰還後の一枚である。
相当に機嫌を悪くして帰ってくるんじゃないかというのが大方の予想としてあり、というのも、これは妻がわたしと知り合う前の話、一回目の尿道結石で病院にかかったロビンはその治療時(入院はしなかった)の不快な体験から極端な人嫌いになっていた時期がある。避けるというよりもむしろ攻撃的になり、わたしがはじめて妻の部屋に行ったときもそのこと(あまりかまったりしないほうがいい云々)を注意された記憶があるが、それはゆるやかにほどけ、とくに立川に越して以降は、ぼけたのではないかというほどに人なつこい猫になっていた。また、外泊という面ではこれもわたしの知らないころ、ペットホテルに預けたことが一度だけあり、そのときはもうげっそりして帰ってきたという。そうした過去のあれこれへもってきての「はじめての入院」であり、なにより病状がね、見るからに不快そうな感じであったため、これはかなりご立腹されての帰宅になるか、はたまた、退院とはいえ当分はちょっと気力の出ない感じで過ごすことになるか──どちらの場合でも、あんまりひどいようなら当面、ポシュテ用に買った例のケージに入れ、ほかの二匹から離してあげたほうが安心するのかもしれない──と、われわれは案じていたわけだった。
杞憂だった。驚くべきことに、天は落ちてこなかった。もしくはべつの言い方をするならひとこと、「ダクタリ動物病院 国立病院」ばんざいである。
予定のとおり午前中に病院から電話。ロビンはすこぶる調子がよく、すでにカテーテルも外され、薄い血尿ながら自力で排尿しているとのことで、膀胱内をきれいにするための点滴を夕方までつづけて、本日中に退院という運び。で、夕方5時すぎに妻が迎えに行く。
前述の杞憂のため、あるいは飼い主の顔を覚えていないのではないかと心配しつつ迎えに行った妻だが、ロビンの反応は良好で、電車に乗り一駅、家に戻ると、ほどなく全部を思い出したらしい。「練り歩いている」と妻からメールで報告。引き取りに行ったさい、病院の先生から「とてものんびり屋さんですね」と入院中の態度を評されたというロビンだけれど、するとどうも、ダクタリ、けっこう居心地がよかったらしい。
帰還したロビンに、さっそくちょっかいを出しはじめるのがポシュテだ。きのうおとといと、いったいなぜ、ロビンがいないとこんなに家が静かか──じゅうぶんに老猫であるロビンはもっぱら寝ていて、けっして自らさわぐわけではないのに──ということを家人はいぶかっていたが、まったく造作なく、その騒々しさが戻ってくる。「ピーはあいつ、つまんねえんだよ」と言わんばかりのポシュテが、ロビンに襲いかかっているのだった。
血液検査での各種数値もすべて、拍子抜けするほど一気に正常に戻って、写真にあるとおり、「で、何か?」という顔をしてはわれわれを数日前までの日常に接続しようとするロビンなのだが、一点、食生活についてだけは、断固その手にはのらないのだということを申し渡さなければならない。もうぜったい、焼き海苔なんかあげないのである。というか、療法食(専用のキャットフード)しか今後はあげない。前にも、というのは二度目の尿道結石のときだが、尿石をできにくくする(尿のpH値を酸性に保つ)ための療法食を処方されて与えていたことがあり、しかしそのときのそれは、尿の酸化には役立つものの一方で胃に負担をかけ、胃薬を同時に与えないといけないというようなものだったから、いったんpH値が正常に戻って以降は与えるのをやめ、ふつうのキャットフードに戻していた。国立のダクタリが妻に説明したところによると、同時に胃薬が必要なような療法食はうちでは薦めないし、また(最近は、なのか)種類もそれなりに豊富なので、必ず好みのものが見つかるだろうということだった。で、カリカリのサンプルを4種類ほどもらってくる。それを試し、6日──ポシュテの去勢手術がある──に、そのうちいちばん気に入ったものを購入するという手筈だ。うーん、しかしなあ、その「いちばん気に入ったもの」ってのが判断むつかしいところじゃないかと思うのだ。なにせロビン、きっとどれも食べるからである。
そんなロビン、4.42kg。

(2009年6月 3日 20:25)

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