6
Jun.
2011
Yellow

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/ 13 Jun. 2011 (Mon.) 「ミクロコスモスと銀狐」

映画も作るバストリオは舞台も作る。かれらの新作公演『絶対わからない』は、6/23(木)~26(日)まで千駄木Brick-oneという劇場で。全6ステージ。もうまもなく。足して二で割ると女学生になる橋本さんと平石さんも出るぞ。

8時02分、起床。
夜、渋谷のアップリンク・ファクトリーで、バストリオの映画上映会「ミクロコスモス I 」があった。『生きている』(2011年/62分)、『信じたり、祈ったり』(2011年/31分)、『ゴーストアース』(2008年/12分/以上、監督はいずれも今野裕一郎)の三本立て。
『生きている』の冒頭、のちに楽団だとわかる外国人たちが無駄話をしていると、そこへもうひとりの仲間が走ってきて、何かが「なくなってしまった」と騒ぐ。「はやく自分で探してこい」とみんなに責められて、そのかれがふたたび走って去っていくまでのいわば〈唐突〉なそのシーンに、なぜともつかず奇妙な充足感が漂い、〈このエピソードがこのまま、以降まったく回収されなくてもべつにかまわない〉という気分にさえなったのは、ドリンクチケットで交換したビールのせいばかりではないはずだ。
あらためて認識させられたのは、佐藤(拓道)さん、すごくかっこいいってことである。二枚目じゃないか。とくに、探知機を手に町を歩き回った末に草むらで何かを見つけ、掴んだそれはフリスビーで、犬が現れ、とっさにフリスビーを飛ばすそのシーンは出色。そりゃ南波(典子)さんも惚れるよというかっこよさだ。その南波さんはというと、何と言いますか、〈語り手と一致しないナレーター〉という奇妙な役割を与えられて〈外部〉からやってくるストレンジャーだ。これはなんだろうといろいろ考える。
終盤へさしかかる手前あたりで、齋藤(庸介)君と今野君がふたり、コンビニの駐車場の縁石に腰掛けて棒アイスを食べているカットがごく短く差し挟まれる。じっさいにはとくに会話のないまますぐにカットが切り替わるだけなのだが、映画の流れや編集のリズムもあるだろうか、そのカットにひどく期待させられ、ここから3分ぐらい使ってふたりがほんとうに無駄な会話をするんじゃないかと身構えたのだし、そこ、その会話、ちょっとおれに書かせてくれよとも思った。
『信じたり、祈ったり』もよかったな。「はじめにそのシーンを撮って、そこから前後を作っていった」という齋藤君とタマコのシーンは、ちょっと北野武作品を思い起こさせる(いやその、感じがっていうか、なんとなくです)。映画は『生きている』よりもさらに〈何でもなく〉なって、オープニングクレジットのバックで梢の若葉にカメラをむけるのと同じように無為に、それでいて真摯に、すべての事柄が撮られていく。──かと思うと、『生きている』につながる小道具の地球儀が突如現れて、巨大な〈北千住サーガ〉の存在が匂わされもするしね。
そういえば帰りの中央線で、橋本(和加子)さん平石(はと子)さんを足して二で割ったような女学生(高校生だろうな)を見た。わたしはイヤホンをし、『ヤプーズの不審な行動』を聴いていたから、足して二で割ったというのはまったくもって〈顔〉の話。連れの、同級生だろう男子の話にしきりにおどろいてみせ、笑っていた。
4月7日の深夜に行ったとんかつ屋(とんかつ屋の話はリンク先の日記のいちばん最後)へふたたび行ってみる。むろんチェックイン(via foursquareもした。店を foursquare に新規登録することを考え、入るときにあらためて看板を見ると、そこには「銀狐」とあった。ちょっと想像しなかった艶っぽい名前だが、まあ、そう言われればそんな気もしてくる。ご主人は79歳だという。
本日(13日)の電力自給率:28.9%(発電量:6.0kWh/消費量:20.7kWh)

本日の参照画像
(2011年6月17日 23:00)

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/ 12 Jun. 2011 (Sun.) 「白猫の裏側にわれわれが見たものは」

これはまさしく0時34分に撮られた。

8時24分、起床。どのくらい起きていたんだが忘れたが、なにか作業をし、また寝る。
12時27分、再起床。朝ご飯は京都で買ってきた茶だんご。うまいうまいと食べる。
ついにわが家が動いたのは、壁掛け時計の件(リンク先の日記の後段)。「ならば」とわれわれがもち出したのは、同じ時計の「白」だ。何色もってるんだって話だが、三色である。そのむかし、黒とピンクと白をまとめて買った。ピンクと同様、白も長らく押し入れに眠っていたもので、出してみると、白はこんど、電池が入らない。夏の時期には押し入れの中が高温になると思われ、おそらくそれで安物プラスチックが歪んだんじゃないか。すこし肉厚なエネループではどうにも入らず、ふつうの乾電池をやや強引にねじ込む。この猫の時計、垂れ下がっている尻尾の部分が振り子のように動作するほか、両眼がゆっくりとまばたきをする仕掛けになっているのだが、そのまばたきがうまく動かない。針は問題なく動いているようだ。べつにまばたかなくてもいいのだが、すこしだけ動く(動こうとする)のでそのさまが瞼の痙攣めき、仕掛けそのものをOFFにもできないので気になる。ネジで簡単に留められているだけなので、裏側のカバーを外してみる。と、その電池を入れにくくなった外側の電池ホルダー(単3×2個)をどけた先に、もうひとつべつの電池ホルダー(単3×1個)が現れたのだった。外側のホルダーから延びたコードのひとつはその内側のホルダーにつながっているように見え、内側のホルダーは空である。この、忘れられた廃駅のような電池ホルダーはいったい何なのか。必要なのか? すべては謎だ。謎は謎のまま放っておくことにして──なぜなら「うまくまばたかない」問題とはまったく関係ないからだ──、わたしは「まばたき」問題の原因を見つけ、それを直す。直った。
というわけで、二週間ぶりぐらいでリビングに正しい時間がもどってきたのだった。
本日(12日)の電力自給率:32.8%(発電量:6.8kWh/消費量:20.7kWh)

本日の参照画像
(2011年6月16日 18:27)

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/ 11 Jun. 2011 (Sat.) 「いいよ、と児玉君は言った」

山村さんのアドバイスを受けて買った土産の茶だんご。そういえば京都の写真はなにひとつ撮らなかった。茶だんご、おいしゅうございました。

8時04分、起床。
これから書くのでわからないが、表題は、おそらく本文とは関係ないはずだ。その点、安心されたい。いやいやこっちの話。
「地点」のサイトの打ち合わせで、交通費を出してくれるというので日帰りで京都へ行ってきた。事前には大雨という予報で、たしかに雨の影響により行きの新幹線は10分遅れで東京駅を発車したものの、京都ではけっきょく降られなかった。車中で日記を2本更新(6日と7日の分)。いいかげん〈きのうの日記〉を書きたいものだと、「追いつき追い越せ」の思いでがんばっている。13時すぎに京都駅着。
三浦(基)さんと、制作のTさんが車で駅まで迎えに来てくれ、三浦さんの運転でそのまま「地点」の事務所へ。まったくその方角には想像が伸びていなかったので少々面食らいもしたが、住まいも兼ねる事務所は、二階建ての、古い──でもとても綺麗な──日本家屋だった。一階の事務所部分は明るくひろびろとして風通しがよく、ガラス戸を開けたその奥には草木の植わる庭がひろがっている。大きな板を渡した壁沿いの作業テーブルには、最近導入したという iMac がでんと置かれ、そのとなりには MacBook Air もある。
きょうは稽古休みの日にあたり、これといってなにもない休日であるらしいのだが、とにかくなにくれとなく、(わたしがTさんと打ち合わせなどするあいだ)こまかく家のことを立ち働く三浦さんである。これがべつだん意外な感じもしない。わたしの吸うキセルにすこぶる興味を示し、キセルがどういう勝手のものなのかをわたしから聞き出すいっぽうで、自身のやるパイプについてその手間のかかり方のちがいを説明してくれ、むこうでなにか用意してるなと思っていると、「この葉っぱなら、『小粋』(キセルで吸う刻みタバコの銘柄)に感じがちかいと思う」と、葉を詰めて火を点け、吸うだけにしてくれたパイプを差し出される。「小粋」もずいぶん気に入ったようだった。
京都に行くよ、というのを、事前に山村(麻由美)さんに言ってあって、夕方、時間があれば会おうという漠とした約束だけしてあったが、打ち合わせが長引くうちに「ここに来てもらえば?」という話になり、呼び出して、さほど離れてはいないらしい家から「地点さんち」まで来てもらう。三浦さんにこんどは最寄りの地下鉄駅まで送ってもらい、山村さんとふたり、電車で京都駅へ。で、構内の喫茶店に入り、それぞれのビールと、フィッシュアンドチップスを注文。新幹線の時間までしばしのあいだ、「こっちがフィッシュで、こっちがチップスだよ」とその見分け方をくり返し教えた。
帰りの電車ではもう1本、日記(8日付け)を更新。
本日(11日)の電力自給率:15.9%(発電量:4.2kWh/消費量:26.3kWh)

本日の参照画像
(2011年6月15日 18:40)

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/ 10 Jun. 2011 (Fri.) 「電子書籍にはびっくりさせられる」

Sophie Zelmani『Sophie Zelmani』。

ヤプーズ『ヤプーズの不審な行動』。

テリー・イーグルトン『なぜマルクスは正しかったのか』(河出書房新社)。

「なー、よしお」用に撮ったもう一枚。見事に舌がしまえている貴重な一枚だが、そのせいなのか、「なんだかよしおっぽくない」と却下に。あ、「よしお」ってのは「ロビン」のことです。その説明が何のことだかよくわからないでしょうが。

8時40分、起床。
笑ったなあ、「牛尾さんのブログ」。新宿アルタ地下で買った980円の雨靴の話。

大雨降った!そしてつかった!そして靴下濡れてた!「信じてたのに!」と思った。でも、まあ、「何を?」ってなもんだなあ。
雨ってばさ|牛尾さんのブログ

CDを買った。5枚。
なかなか読み進められずにいるものの、テリー・イーグルトン『なぜマルクスは正しかったのか』がだんだん面白くなってきたと感じる。いま、第三章を過ぎたところ。

 最後に、記しておくべき点がもう一つある。資本主義は社会主義にとって不可欠だとマルクス自身が主張していたことを、われわれは見た。だがそれは真理なのか? 誰かがきわめて低い水準から、但し、できるだけ迅速に、民主的な諸々の社会主義的価値と相容れるような仕方で、生産力を発展させようと試みるならどうだろう? それはどこか凄まじく、困難な任務だろう。だが、大雑把に言えば、これがボルシェヴィキ・ロシアにおける左翼反対派のメンバー数名の見解だった。このプロジェクトは結局没になったとはいえ、これは、情勢如何では採択すべき正しい戦略であった強力な事例なのだ。
テリー・イーグルトン『なぜマルクスは正しかったのか』 第三章、p.66

 そんな言い方もないもんだけど、ここ、盛り上がる。
ところで本書、原題は "Why Marx Was Right" なわけで、「いいよもう、わかったよ」と言いたくもなるイーグルトンの洒落、皮肉── "Right" もそうだし、"Was" もそう──はタイトルからはじまっている。でまあ、とかくレトリックが過剰なので──その過剰さこそがイーグルトンの口吻=興奮を示すわけで、過剰なのはいいんだけど──、ときおり単純に文章の〈係り受け〉がわからなくなるときがある。いよいよわからず、こりゃちょっと原文にあたって語句の係り受けを確認したいなあという箇所があったのだが、それで気づけば、原書は amazon で、Kindle 版(iPadでもOK)の電子書籍が買えるのだった。でね、なにがびっくりするってね、すぐ読めるんだよ、電子書籍。ほしいと思ってから五分だ。それ、ほんと、びっくりする。
なー、よしお。(©「猫と音楽」

本日(10日)の電力自給率:34.8%(発電量:8.3kWh/消費量:23.8kWh)

本日の参照画像
(2011年6月14日 23:32)

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/ 9 Jun. 2011 (Thu.) 「言っても、あそこで常連と競うのは相当むずかしいと思う」

8時15分、起床。
さて、これは〈書いている現在〉(12日)の話。ここ最近の更新をまとめて読んだ妻からの指摘がいくつか。「グランデュオにはこれまで本屋がなかった」と書いたきのう付けの日記については、「あったじゃないか」と言う1]

1:あったじゃないか

「オリオン書房 サザン店」のこと。あらためて調べると、正確にはグランデュオのテナントではないのだが、利用する側にしたら「グランデュオの地下にある本屋」という認識になる。店側からすると、ビルの3F〜10F部分がグランデュオで(グランデュオではそれを1F〜8Fと表記する)、1・2Fは「サザン」と呼ばれるべつの商業施設。

で、こないだの夕飯時には、「地下にひとつあるのに、またできたのかよ」というかたちで話していたんじゃないかという妻の指摘だ。そうだった。たしかにそんなふうに食卓では話題にしていた。また、5日(日)付けの日記に「夕方、中古VHSで『ナンズ・オン・ザ・ラン』を見た」と書いたわたしだが、それを見たのは4日(土)の深夜だそうだ。ビデオを見はじめるときの流れを「こうだったでしょ」と説明してくれるのを聞くに、あきらかに妻の記憶のほうが正しい。というわけで、いろいろ信用ならないことを書いているこの日記である。
9日の話にもどるが、昼は、有楽町の駅前にある「宝龍」で食べた。「ひるどきはサラリーマンで賑わう」という形容句が付いてまわりそうな(ほんとのひるどきに行ったことないけど)、いわゆる駅前の中華屋である。例の、「foursquare」ってやつ(位置情報を共有することによるSNS。詳しくはここなど)に最近手を出し、ときおり申し訳程度に「チェックイン」しているのだけど、まあ、〈foursquare ユーザー〉と〈宝龍ユーザー〉ではなかなかかぶる部分がないのではないかと(偏見ですが)予想され、ことによると「宝龍」はまだ「スポット」として登録されていないかもしれない──チェックインするにあたって場所の新規登録が必要かもしれない──とも考えて(偏見ですね)、あらかじめ住所などメモってから有楽町へとむかったのだったが、そう、わたしがあまかった。有楽町をなめていた。「宝龍」も、すでに当然のごとくスポットとして登録されているのだし、その「メイヤー」だっているのだった2]

2:メイヤー

ゲーム的要素の強い foursquare では、もっとも足繁くそのスポットを利用する者にたいして「メイヤー」という称号が与えられる。もちろん利用状況によってメイヤーは入れ替わる。

まあですね、ここはひとつ、有楽町に行くたびに「宝龍」で食べて、メイヤーになってやろうという気概が湧かないわけではないものの、行けばきまって「玉子とキクラゲ炒め定食」しか注文せず、それ以外のメニューを食べたことのない者がはたしてメイヤーになってよいものかどうか、そこが悩むところである。
本日(9日)の電力自給率:51.7%(発電量:11.9kWh/消費量:23.0kWh)

(2011年6月13日 17:13)

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/ 8 Jun. 2011 (Wed.) 「増えていくもの」

8時25分、起床。
「オリオン書房」と書いて、東京は立川在住のかた以外にどれだけ伝わるのかわからないが、ともあれ、立川で本屋というと「オリオン」である。オリオン以外に本屋はないと言ってもいいくらいだ。駅前には三越も伊勢丹もあり、ルミネもあればその9Fにはパスポートセンターまであって、ちょっとした〈新宿いらず〉になっていることで知られる立川だが、そこには紀伊國屋もジュンク堂も、ブックファーストもなくて、それらに代わり唯一あるのがオリオンである。いや、唯一じゃなくていっぱいある。そこかしこにある。わたしの知る範囲でも──足をのばすというほどでもない主要生活ルートのなかに──6つのオリオン書房があり、どれもが本を売っている。
いや、品揃えはいいのだ。その点においてあまり文句はない。っていうかべつに文句はない。ありがたいかぎりだ。本を売ってくれてありがとうと思っている。
立川駅にはルミネ、グランデュオ、エキュートという三群の駅ビル商業施設が寄り添っている。うち、グランデュオにはこれまで本屋がなかったが、ルミネにはすでにオールマイティな品揃えの中規模オリオンが、エキュートにはいわゆる駅ナカの本屋としての小規模オリオンがそれぞれ存在している。グランデュオが一部フロアを大きく改装中だということはすこし前から耳にしていたが、去る6月1日、それは知らぬまにリニューアルオープンを果たしていて、きょう、帰りの中央線車中、ふと見上げた中吊りポスターではじめてわたしはそのことを知った。オープンしたのは5Fと6Fで、5Fが、あらたに「ファミリー&スポーツファッション」のフロアとして生まれ変わったことをポスターは宣言する。いっぽうの6Fのフロアコンセプトは「ライフスタイルグッズ&ブックス」だ。まさかな、と思いつつ、すこし遠くにあるそのポスターに目を懲らすと、やはり「ライフスタイルグッズ&ブックス」でまちがいない。立ち上がって個々のテナント名を確認する。オリオン書房だった。
夜、いせ(ゆみこ)さんから電話。ウェブにかんする相談ごとを少々。
本日(8日)の電力自給率:25.6%(発電量:6.2kWh/消費量:24.2kWh)

(2011年6月12日 00:05)

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/ 7 Jun. 2011 (Tue.) 「OS X Dramaragon」

8時20分、起床。
未明に OS X Lion、iOS 5、iCloud らが発表される。まあ、なんですよ、ライオンですってよ。強そうですな。「ライオンまでいったら、そのつぎは何?」ってな話はもうずいぶん前の話題ですが、どうなんでしょう、「ネコ科の草」とか、そういう生き物はいないですかね、この世に。「OS X Dramaragon」とか。世間にとっちゃあ当然「ドラマラゴンってなんだ」って話ですが、アップルの広報は「ネコ科の草です」と答える。とくに猫好きのあいだじゃあ話題騒然ですよ。もちろん、いずれアップルのサイトのトップページはドラマラゴンになるわけですが、それを見てみんなが言うでしょうね、「こういうのなのかあ」って。
まあ、ドラマラゴンの話は措いときますが(もちろん、そりゃあ画期的なOSですが)、なんだかいろいろ発表されたなあと、どうせどれも便利なんだろうと、ちょっと情報を追うのがおっくうにも思えたときに、たとえばこの「Appleに殺されてしまうひと達まとめ、あるいはプラットフォームに依存するということ」という記事は、論旨の当否はともかくとして、ぱっと、iOS 5の全体がおおよそ見通せたような感じがしてありがたかったです。
ま、iOS 5は期待してます。がんばってください。
それはそうと、すごいな、Internet Anagram Server
本日(7日)の電力自給率:34.3%(発電量:8.2kWh/消費量:23.9kWh)

(2011年6月11日 12:59)

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/ 6 Jun. 2011 (Mon.) 「二月も末にかかり」

『群像』2011年6月号。

8時42分、起床。
東京ドイツ文化センターの主催する、ドイツ同時代演劇リーディング・シリーズ「VISIONEN」の第3弾・第4弾チラシを入稿した。
マティアス・チョッケの『文学盲者たち』を松井周さんが演出する第3弾は7月17日(日)14:30 / 19:00 の2ステージ。ルネ・ポレシュの『あなたの瞳の奥を見抜きたい──人間社会にありがちな目くらましの関係』を、俳優・原サチコさんが自ら翻訳しリーディングする第4弾は7月19日(火)19:00、20日(水)19:00 の2ステージだ。会場はいすれもドイツ文化会館ホール(「青山一丁目」駅徒歩5分)
『文学盲者たち』は当初 4月に公演が予定されていたのが延期になったもので、チラシもいちど作成済みだったが、今回、『あなたの瞳の奥を〜』との合同チラシというかたちで再作成となった。というわけで公演の詳細はPDFを参照ください。チケット予約はすでに開始しています。
「群像」6月号に掲載の、古井由吉「枯木の林」を読んだ。短編連作の7回目で、前回は3月7日発行の4月号だから、まあ、震災後はじめての創作発表ということではある。そういった〈期待の地平〉に立ってページを繰ると、いきなり、このやさしく完璧な書き出しにやられるのだ。

 二月も末にかかり、また一段と寒い日はありながら、追って春めいてきた。

 もちろんこの「二月」が、2011年の「二月」であることを保証する記述など作中のどこにもないし、もっと言えば、物語内現在が2011年だったとしてわれわれのこの2011年と同じ2011年であるという約束などない(とも言える)わけだが、つい、これはあの「二月」であると考えてしまうとき、2月の末にはじまるこの物語内現在は、はたして物語内で3月11日にまで至るのだろうかという興味を抱かされることになる。
 ──そしてもちろん、そんな単純な〈期待の地平〉にとどまり続けることを「枯木の林」は許してくれないのだし、ご存じ(?)語り手は複数の焦点化を往来しつつ、多層的な時間を自在に行き来するわけだが、そうして、ついに「三月」のはじめという現在に連れて来られたときの、この感動はいったいなんだろうか。ラストに綴られる語り手の願いは、ほんとうに感動的なのだった。
「NO NUKES SHELTER LIVE」(6月27日、@ 下北沢シェルターのチケットを買う。いや、わたし、何も知らないんだけどさ。兄が「馬場×猪木戦実現...みたいな感じ?」とか言うもんだからさ。
本日(6日)の電力自給率:74.8%(発電量:18.2kWh/消費量:24.3kWh)

本日の参照画像
(2011年6月11日 11:39)

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/ 5 Jun. 2011 (Sun.) 「まちがっている」

「Momento」。まあなにより、アイコンとインターフェイスがすごく美しいのだった。 Momento (Diary/Journal) - d3i Ltd

もちろんこのとき、5時50分ではないのである。

7時45分、起床。
なにやら意地になって起床時間を記録しているかのように思われるかもしれないが、これはたんに、起床時間てやつが「書き出し」としてひじょうに便利だからだ。それこそ日記の書き出しとして(あとにつづく内容がはたして「日記」たりえているかは措くとして)、この世に起床時間以上のものがあるだろうか。そもそも「日記で書き出しに悩む」というのがどこかまちがっているわけだが、いわばそのまちがいに気づかせてくれるのが起床時間であり、「何時何分、起床。」というふうに書くと、すっと、肩の力が抜けるところがあるのだった。
じゃあ、とにかく起床時間という形式さえあればよくて、何時でも何分でもかまわないかというとそんなことはなく、きょうであれば、それは「7時」でなければならなかったのだし、「45分」でなければならなかった。というのは、その時間に起きたからだ。

Moment の画面

って、ついなんとなくくだらないことを書いてしまうくらいに、肩の力が抜けるわけですね。というふうに便利なので、起床時間については、iPad に入れた「Momento」というアプリで、忘れなければ起きたときに記録するようにしている。Momento は、前にもちょっと書いたことがある(で、このときわたしは完全にアプリ名を「Memento」だと勘違いしており、はずかしいが)、Twitter のつぶやき、Facebook の近況、Flickr や Instagram の写真、Last.fm でお気に入りにした曲、Foursquare や Gowalla のチェックイン、YouTube にアップロードしたビデオ等々を──それらのフィードデータを──取り込んで、カレンダーベースの UI のなかに時系列に整理・保持・一覧できるようにするアプリだ。最近ので言うと 「SocialSafe」 ってやつが(これは Mac/Win 用のアプリだけど)おそらくちかい感じだろうか。外部のフィードデータのほかに Momento 独自のメモも取れ、起床時間はそれで記録している。もともと iPhone に入れていたアプリで、まだ iPad には対応してない(互換はあって動くけど、最適化されておらず、iPhone サイズのまま中央に小さく表示される)のだが、複数デバイス間でのデータの同期がまだできないので、どっちに一本化するかとなって iPad で入力するようにしている(このへん、マルチプラットフォーム化だとか、デバイス間の同期だとかの方向へむかって今後の開発がなされることはすでに公式ブログで宣言されているので、それまでのあいだの話)
ところでまあ、「そんなことを言われてもな」と、みなさんがお思いになることは承知のうえだけれども、いま、うちのリビングの壁掛け時計は時間がまちがっている。こないだからずっとまちがっている。「くるってる」ってやつで、時刻が「合っていない」状態なのだけれど、もうぜんぜん合っていないため「まちがっている」と呼ぶのがしっくりくる。リビングの時計は猫をかたどったもので、黒い色のそれをこないだまで掛けていたのだが、電池交換をしようとしたさいに長針が外れ、どこかへ飛んだかして見当たらなくなってしまった。で、黒のそれと同じときに買い、ずっと押し入れにしまったままだった色ちがいのピンクを出してきたと思っていただきたいが、それが、見事にくるう。「針のすべりがわるい」とか、そういった物理的な問題じゃないかと見受けられ、まったく動かないわけではなくて、たまに目を遣るたび、そのときどきの、かれなりの時間を指しているのが見てとれる。わたしのにらむところ、重力に逆らう「31分〜0分」までの半周がどうやらつらそうなのであって、一方、なんだかんだで時刻の変わっているところを見ると、「1分〜30分」まではなかなか快調に回してやがんじゃないかと思えてならないが、ともあれ、いま、まったく参考にならないものが壁に掛かっている。どうしたものだろう。
夕方、中古VHSで『ナンズ・オン・ザ・ラン』を見た。
本日(5日)の電力自給率:40.3%(発電量:9.4kWh/消費量:23.3kWh)

本日の参照画像
(2011年6月10日 20:59)

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/ 4 Jun. 2011 (Sat.) 「今野君おめでとう、など」

『NaNoNi』のあと、Kさんに先導されて、東京ミッドタウンは「京はやしや」なる茶カフェへ。Kさんはかき氷を注文する。

わたしは代表メニューらしい特製あんみつを注文したのだった。

まずは今野(裕一郎)、おめでとう。(よく知らないけど、見様見まねで説明すれば、)中村一義が運営するコンセプトサイト「KIKA:GAKU」で、「K.O.S」(KIKA:GAKU Of the Season) なる作品公募プロジェクトが開かれており(Season なので選考は年4回行われる)、その第2回の最優秀賞を、今野君が監督した映画『生きている』が受賞したとのこと。「K.O.S」選考委員のひとりは中村一義本人なので、なにより、中村君そのひとが作品を見てくれたということが今野君たちを興奮させているのだろう。なお、優秀各賞の発表など第2回「K.O.S」にかんするほとんどは、前掲サイトでダウンロード販売(888円)されているPDFマガジン『K.O.M』(KIKA:GAKU OF MAGAZINES) vol.2 のなかで展開されており、まあ、ちゃんと買いましたよわたしは、この説明のために。

でまあ、その『生きている』をわたしはまだ観ていない。こんどの 6月13日に、渋谷のアップリンク・ファクトリーで上映されるので観に行くつもりにしている。その日は三本立てで、同じく今野君監督作の『信じたり、祈ったり』、『ゴーストアース』も上映されるが、その三本ともが未見だ。『信じたり、祈ったり』にかんして言えば、ほんとは、去年の11月にかれらの舞台公演『まるいじかんとわたし』を京都まで観に行った折り、そこで終演後の上映が予定されていて観ていたはずのものだったわけだが、当日の機材トラブルだかで上映が中止になってしまい、観られなかったという経緯もある。
かれらのこんどの舞台『絶対わからない/Never Understand』──ケイト・ブッシュ「Deeper Understanding」との奇妙なタイトルの符合はなにを意味するのかしないのか──のための特設サイトには、その、京都に観に行った『まるいじかんとわたし』についてのわたしの文章が載った。ここで読めるようになっている(ページのいちばん下)。「サイトに載せるので、過去作品についてのコメントを」とたのまれてこないだ書いたやつだが、こうして他のコメントと並んでみると、どうもひとり調子がちがう感じがしてはずかしい。まあなんだ、これでもがんばって書いたのだろうと、あたたかく眺めてやってもらえればと思う。
7時43分、起床。
午後出掛けて、六本木の俳優座劇場へ。上村(聡)君、Kさんと、エレキコミック第20回発表会『NaNoNi』を観る。
ところでKさんだが、こないだ島(周平)君についてわたしが書いた、「島君は〈松本零士のああいった感じ〉に似ている」の件について、「似てる、似てる、すごい」とたいへんに賛意を示すのだった。早稲田のTA仲間だというのにである。
本日(4日)の電力自給率:77.2%(発電量:17.3kWh/消費量:22.4kWh)

本日の参照画像
(2011年6月 9日 18:59)

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/ 3 Jun. 2011 (Fri.) 「The Red Shoes」

Kate Bush "Director's Cut: Deluxe"

『Director's Cut』に Cast のひとりとして登場するテリー・ジョーンズ。となりの女性は、モンティ・パイソンシリーズ全般にかかわった衣装デザイナー、Hazel Pethig だとのこと。

『ナンズ・オン・ザ・ラン』。DVDは出ておらず、レンタル落ちのVHSが1円とかでAmazonマーケットプレイスに出品されているのを買うほかない。

ところでぜんぜん関係ない話、ケイト・ブッシュのこの写真を見て頭に浮かんだのは、

土屋さんのこの写真だ。この写真のふたり、なんとなく似てやしないか。なんとなくだけど。気のせいかな。

9時25分、起床。
というわけでここのところ、作業中はずっとケイト・ブッシュの『Director's Cut』ばかりをくり返し聴いているわたしだ。『The Sensual World』と『The Red Shoes』(後者のみリマスター版)がセットになったデラックス版てやつで予約購入したのだった(その二枚の旧作から11曲を選び、リメイクした新作が『Director's Cut』である)。同梱のブックレットに収められたスチールの一枚に、テリー・ジョーンズの姿を見つけてそのことを記事に書き、記事をとおして jasouyouqui さんとすこしやりとりもした。というか、そもそもわたしは jasouyouqui さんのブログで──シャルロット・ゲンズブールの『Live & Inédits』はどうなっただろうかと情報をさがしにいった折りに──『Director's Cut』のことを知ったのじゃなかったか。jasouyouqui さんはその後、「Kate Bush、『CAST』の謎」という記事を書き、そのなかで、シングル曲「Deeper Understanding」のミュージックビデオで主演を務めるロビー・コルトレーンについても触れているが、それを読んでわたしは、やっとこさ、そうか、ロビー・コルトレーンて『ナンズ・オン・ザ・ラン』の〈もう片方〉がそうなのかと知った。蒙を啓かれた。

ところでKompuTer(KaTeの頭文字つきの)を抱えるTerry Jonesの属していたMonty Pythonと入れ替わるかのようにRobbie Coltraneは活動初期の頃 「The Comic Strip Presents」にてスタンダップ・コメディアンとして活躍し始めます。
Robbie Coltrane - Wikipedia

Monty Pythonの面々とどれくらい親交があったのかはあまり詳しくはないんですが、その後俳優業がメインになった彼は意外とMonty Pythonの面々と絡んでいるんですネ。

「Nuns on the Run」(1990)ではEric Idle(エリック・アイドル)と、「TheThe World Is Not Enough」(1999 - 「R」役)と「Harry Potter 」(Nearly Headless Nick/ほとんど首なしニック)においてはJohn Cleese(ジョン・クリーズ)と。
Jasouyouqui の 全方位極楽! : Kate Bush、「CAST」の謎

 『ナンズ・オン・ザ・ラン』は高校のときにビデオで複数回見ていて、けっこう好きだったのだが(もちろん、いちばん好きなのは三位一体の解釈のくだりだ)、基本エリック・アイドルしか見てなかったんでしょうな、そこに出ていた巨漢俳優と、その後に知るロビー・コルトレーンとを結びつけることなく暮らしてきてしまった(わたしがロビー・コルトレーンをそれと認識したのは『007 ゴールデンアイ』から)。でまあ、懐かしさが余って、『ナンズ・オン・ザ・ラン』の中古VHS を Amazonマーケットプレイスにて購入。
ところでわたしは『The Red Shoes』が大好きだ。『The Red Shoes』にはまたちょっとした思い出もあって、それ、たしか前にも書いたことがあったはずだとさがすと、あったあった、これだ。

私は鼻がわるい。妻と暮らすようになり、その文化が生活に入ってきてハーブティーを飲むようになった私だが、その愉しみの最大のところであるらしい香りは、ティーカップにぐっと鼻を近づけ、湯面すれすれにまでもっていってようやくそれと知れる。[中略]
しじゅうつまったその鼻の奥、古い匂いの記憶が地層のように折り畳まって、ときおりほどける、ということはあるものだろうか。「ああ、これはあのときの匂いだ」と記憶がよみがえる。今日もまたその経験をしている。
大学受験の折り、日暮里にある母の実家に私は泊まり、そこからいくつかの大学の試験会場へむかったが、この匂いは、あのときの母の実家のなかで、私の鼻にまとわりついていたものだ。居間のテレビのチャンネルをまわすと見慣れない「MTV」が流れていて、それはケイト・ブッシュの新曲のクリップだった。茨城の実家からもってきていたCDは、ピチカートファイヴの「東京は夜の7時」だった。そのときの匂いである。
web-conte.com | Yellow | 2004年11月01日「鼻から漏れ出る記憶」

 この、MTV から流れていたケイト・ブッシュの新曲というのが『The Red Shoes』からの一曲で、この記憶のあと、上京するまでのあいだに地元のレコード屋で同アルバムを──それを買いに行ったわけではなく、店頭で見つけて手にとり、これ、たぶんあのときの曲のやつだろうと──購入したように思う。ただですね、このときに日暮里で目にしたミュージックビデオというのがいったいどの曲のそれだったか、それがどうもはっきりしない。それはアルバムを買った当初からずっとそうで、とくに冒頭三曲(「Rubberband Girl」「And So Is Love」「Eat the Music」)あたりはどれも「そんな感じ」がし、順に聴くごとに「これだったかもな」「これだったかもな」「これのような気もするなあ」と思わせられていまに至る。
当時はともかく、いまや映像の記憶も薄れてなくなっているから、YouTube 上のアーカイブを前にしても「これだ」というふうにならない。そうなると、もはや記憶は底なしに不安定なものになってきて、そもそもわたしは日暮里で、そのミュージックビデオを見たのだろうかということが疑わしくなってもくるし、あるいは「日暮里」なんて土地そのものがこの世には存在しないのかもしれないが、まあ、いろいろ勘案すると、いちばん可能性が高いのはこれってことになるだろうか。

 で、こちらはロビー・コルトレーン主演の『Deeper Understanding』。

夜、床屋へ。床屋は銀座にあり、有楽町の駅で降りて歩いていくので途中マリオンを抜けるのだが、そこで『さや侍』(松本人志監督)のでかい看板──映画そのものをこの看板ではじめて知った──を目にする。笑ってしまった。『さや侍』、面白いんじゃないかな、知らないけど。
本日(3日)の電力自給率:54.7%(発電量:14.4kWh/消費量:26.3kWh)

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(2011年6月 8日 17:23)

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/ 2 Jun. 2011 (Thu.) 「ほうちと」

家の脇んところはいま、どくだみの天下である。うっかりした。じつにいい気にさせてしまった。

こないだ MyMio (MFC-J850DWN) ってやつを買い、その設置にともなって、わりと抜本的に机まわりを整理、掃除することにした。6月1日のわりと遅い時間に帰宅したあと、窓の外のしらじらと明るくなるころまで片付け作業。で、寝て、9時45分に起床。写真は成果のあがった机上部分だが、問題はこのフレームの外側に残っており道はまだなかばである。
その MFC-J850DN/DWN はブラザーのインクジェット複合機で、電話、ファクス、プリンタ、スキャナ、コピー機を兼ね、コンパクトで安い。対抗意見のおもなものとしては、

  • この機種にかぎった話ではなく「ブラザーが」だが、4色インク方式の限界ってやつで、写真プリントにかんしてはエプソン、キャノンにどうしてもひけをとる。
  • 電話機として、専用のいまどきなそれが念頭にあると機能的に物足りない面はままある。
  • そもそも一般論で言って、電話機とそれ以外とでは製品寿命がことなる(電話は断然こわれにくい)ので、置き場所等の条件さえ合えば、ファクス機能付きの複合機エプソンのこれとか)+電話機というふうに分けて購入するのが合理的である。
  • 部品の作りがどれもやわな印象で、カバーの開け閉めやらなにやら、そっと扱わないといけない気にさせられる危なっかしさがある。

といったところが挙げられるが、まあ、いろいろ勘案して「よし」ということになった。写真プリントについては購入後に一枚試してみたが、うちの場合、「これぐらい出るならアタシはいいよ」という妻の評価を得たところである。
MyMio には無線LAN対応のモデルとUSB接続のみのモデルとがあり、実勢価格でさほどの差がないこともあって最終的には無線LAN対応のほうをなんとなく選んだのだったが、どのみち AirMac につなげば無線プリンタになるとこっちは考えているから、あやうくUSBのみの機種を買うところだったのは振り返ってみてひやりとさせられる。というのは、プリンタはそれでいいのだが、AirMac 経由ではスキャナが動いてくれないのだった。
Facebook と mixi とに、前後してそれぞれべつの旧友からコンタクトがある。どちらも高校の同級で、Facebook のほうが広岡君、mixi に連絡があったのが「ほうちと」(漢字を忘れたわけではけっしてなく、まあいちおうの「配慮」である)だ。mixi ではわたしの場合、mixi 上の日記のかわりにここの RSS が表示されるようにしてあるから、いま、友人の「最新日記」欄にいきなりじぶんの名前があらわれたのを見、「おい、てめえ、相馬」と、ほうちとは思っているだろうかという、そのことのためだけのきょうのタイトルだ。
で、いっぽうの広岡君からは Facebook のメッセージでこんなことを言われる。

柳沼先生の授業中,一輪の花を口にくわえ,堂々と遅刻してきた相馬さんの勇姿は今も目に焼き付いています。

 どういうやつなんだ、そいつは。まあね、わたしにも覚えがないわけではないけどさ。「一輪の花」って、バラだったろうか。とすると、そんなものが道端で手に入るとも思えず、あらかじめ買っておいて、わざと遅刻して入っていったってことになるか。それとも遅刻するとわかってから、学校のちかくの花屋か何かに走ったのだっけか。造花だった気もするが、「遅刻したとき用の小道具」のひとつとして、かばんにしのばせてあったものだったか、そのへんの記憶はもうあいまいだ。ていうかまあ、そんなものを「目に焼き付」けさせてしまい、ほんと、申し訳ない。反省してます。
本日(2日)の電力自給率:9.8%(発電量:2.4kWh/消費量:24.3kWh)

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(2011年6月 4日 12:38)

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/ 1 Jun. 2011 (Wed.) 「マルゲリータを掘るひと」

マルゲリータを掘るひと。いや、作品の正式なタイトルは知らないんだけど。

同。やや横から。

買わなかったが、これもなかなか惹かれた。樹脂の側面からひよこの顔が覗け、それがかわいい。

ヒッピー部の、意匠の凝らされた郵送チラシ。写真じゃあまり伝わらないでしょうが、ヒッピー部で制作をしている鹿毛さんの力作である。

というわけで、バストリオの新作公演『絶対わからない』へ足を運んでみるのはいかがか。6月23日〜26日、千駄木Brick-one。

8時37分、起床。
南波(典子)さんに、とあるDVDを送る。以前、妻の好きな映画としてその話題をここに書いたときに、「私も大好きです」と南波さんからコメントをもらった映画だ。日本ではDVD化されておらず、本国で出ている字幕なしのそれに、こないだ(といっても震災前の話だが)自力でVHS版の日本語字幕を移植したのだった。そのお裾分け。うちじゃ Apple TV で見られればいいので .m4v データとして作ってあったのだが、それをあらためてDVDに焼いた。

左欄一枚目と二枚目の写真は、過日、東京ビックサイトでひらかれた「デザイン・フェスタ Vol.33」にて購入した「マルゲリータを掘るひと」だ。その日は『未来の記録』(岸建太朗監督)の初日で、ビックサイトから移動して初台でひとつ打ち合わせを終えたあと新宿まで出、映画にはまだ時間があるので入った喫茶店「珈琲西武」のテーブルに iPad をひろげて、その上に「マルゲリータを掘るひと」を置いて撮った。iPad のガラスパネルにきらきらと映り込んでいるのはだから「珈琲西武」の天井のステンドグラスである。初日の新宿武蔵野館は盛況。ぎりぎりまで「珈琲西武」でくつろぎ、上映開始まぎわに移動したところが満員で、立ち見になる。
これも過日。5月28日には「ヒッピー部」の第2回公演『Vision<A>』を観る。第1回公演を観そこなっているのでこれがはじめてのヒッピー部だ。心霊写真をめぐる50分ほどの作品。50分の時間をかけて「たった一枚の写真を生み出すこと」を考えたと構成/演出の三野(新)君は言うが、では、その一枚はいったい「いつ撮られた」のだろうか。単純に露光に50分かかる写真だとするのも──たしかに舞台はずっと暗かったけれど──なんだかつまらないし、終幕の瞬間にシャッターが下りたのでもないとすれば、やはり、それは〈すでに〉──あの、この公演はもうこれだけでもいいやという気分にすらなろうという、あのしずくが動き出すそれ以前に──撮られていたということになるだろうか。何か書くのは、まずちょっと一柳廣孝さんの著作にあたってからにしようと思いつつまだあたってないけど、あるいはまた、これが舞台作品をとおして一枚の「心霊写真」を撮るという試みだったとして、それが撮るのは、撮影時に見えなかったものが写っているという、われわれのよく知るタイプの心霊写真ではなく、19世紀の古典的心霊写真において見られるような、「あったものが写っている」というタイプのそれだったんじゃないかという考えも頭をもたげてくる。というのはつまり、あの場は、一種の「降霊会」でもあったんじゃないかということだ(このへんは、前川修「写真論としての心霊写真論──心霊写真の正しい憑かせ方」[一柳廣孝編著『心霊写真は語る』所収]を参照)。ともあれ俳優陣が魅力的。小笠原(悠紀)さん、よかったなあ。

これが「松本零士のああいった感じ」だ。

で、その会場で、客として来ていた(周平)に会う。そう、ぼくはね、なんだか島君が好きなのだ。これ、よくよく双方の顔を思い出してみればべつにあんまり(ぜんぜん?)似てないよなあとわかってより不思議なのだけれど、わたしのなかで、島君というとなぜかどうしても「鈴木茂」のイメージがあるのだった。なんでしょうかね、これは。でも顔なのかなあ、やっぱり。──といった感慨を抱きつつ、そのことをまだ本人に言ったことがないが、でもまあここに書いてしまい、なにしろ「鈴木茂」だし、ことによると島君、ものすごくよろこんでしまうんじゃないかと危惧されるわけで、でまあ、ちょっと中和する意味で付け加えるならば、島君はなんとなくあれにも似ている。いや、詳しくないので〈誰〉というふうには言えないが、つまり「松本零士のああいった感じ」である。だからまあ、島君を知らない読者の方々にはぜひ、「鈴木茂」と「松本零士のああいった感じ」を足して二で割ったあたりの若者を想像していただければと思うが、はたしているでしょうか、そんなやつが。
30日の夜には、バストリオにたのまれていた『まるいじかんとわたし』についてのコメントをやっと書いて送った。はじめに依頼を受けたときには「20日あたりを目安に、200字程度で」ということだったが、催促がないのをいいことに、ずるずると遅くなってしまった。しかも送った文章は1,400字もある。またぞろその話ですかいという感じで、〈個の交換不可能性〉にからめた固い文章を書いてしまったのだったが、思いのほか、今野(裕一郎)君も小澤(薫)さんもよろこんでくれたようなのでよかったよかった。「作品に言葉をいただくということはこんなに嬉しいものなのだと思いました」と、小澤さんにそう言われてしまっては、かえってわたしのほうがひどくうれしいじゃないか。
本日(1日)の電力自給率:31.6%(発電量:8.1kWh/消費量:25.6kWh)。5月のトータル成績は 42%(325kWh/763kWh)でした。

本日の参照画像
(2011年6月 3日 16:14)

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