11
Nov.
2011
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/ 30 Nov. 2011 (Wed.) 「妻も一度も見ていなかった」

11月最後の日記は案の定、家鴨田(あひるだ)家鴨(あひる)さんとの会話の採録である。けっして手抜きではないとも言い添えたい。

@ahirudaahiru: 食べ過ぎアンニュイ中年ニート総集編
11月30日 2:23 PM

 まずはこの突端のつぶやきにこそ説明が要るかと思うが、この、どこぞの文豪かという写真が家鴨さんだ。いい歳らしい。家鴨さんはここのところ、なにかというと(おそらく昼めしを)食べ過ぎており、そうしてアンニュイな気分になってしまった午後には(いや、ほんとのところは知らないすけどね)、きまって「食べ過ぎアンニュイ」なツイートをするのがならわしになっている(というこの説明のためにあらためて家鴨さんのツイートを遡ってみると、じつはそんなに多くないんですね、「食べ過ぎアンニュイ」シリーズ)
 で、この日はその「総集編」だという。

@soma1104: もうそんな時期ですかあ。
11月30日 2:25 AM

@ahirudaahiru: 江、終わるの早かったですよね
11月30日 2:31 PM

@soma1104: はい、全然見てませんが、テレビ欄で見かけて早いなと思いました。いや、本当をいうと妻が「早くない?」と言いました。私にはわかりません。
11月30日 2:36 AM

@ahirudaahiru: 私も一回も見ませんでした。奥様によろしくお伝えください
11月30日 2:43 PM

@soma1104: ことによると妻も一度も見ていないかもしれません。その点、どうかご承知おきください。
11月30日 2:57 AM

@ahirudaahiru: 了解です。一応、猫のみなさんにも聞いてみてください
11月30日 3:09 PM

 妻は家鴨さんをフォローしていないので、このやりとりのことは知らない。深夜に帰宅してまず、妻に「よろしく」と言う。「よろしく」とだけ言ってしまったので、妻は夕飯のことと受け取ったかもしれないが、そうして確認すると、妻もまた一度も「江」を見なかったという。一縷の望みが絶たれた瞬間だ。これっぱかりの「江」も妻は見なかった。
 どちらかといって、猫らは見る気満々だったらしい。なにせ「江」だ。2011年を迎えるにあたっては「やっぱ江だよな」「な」「な」と三匹で胸を膨らませたものだったが、いかんせん、妻がチャンネルを回してくれないことには見られないのがかれらの哀しさである。だから、かれらがいまだ「江」のことを「え」と呼んでいることもひとつ大目に見ていただきたいのは、なにせ見ていないのだし、猫だし、猫だとすると、逆にそれなかなかのものじゃないか。
くだらないことを書いてしまったという反省のもと、紹介したいのはこちらのCMだ。ラテンアメリカでいち早く、「同性婚」および「手術証明なしでのIDの性別変更」を可能にしたというアルゼンチンで、その実現へむけて同国の LGBT (Lesbian - Gay - Bisexuality - Transgender) 組織が打ったいくつかのCMのうちのひとつ。英語字幕付き(といってもセリフはほとんどない)

これ以外のCMもこちらのブログ記事(英語)にまとめられています。

きょうのひとこと

残すなヨ(3代目古今亭志ん朝「幾代餅」)

本日(30日)の電力自給率:43.4%(発電量:10.2kWh/消費量:23.5kWh)。11月の自給率:35%(発電量:263kWh/消費量:739kWh)

(2011年12月 2日 14:32)

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/ 29 Nov. 2011 (Tue.) 「キャップぅ!」

コンサート会場で買ったTシャツ。撮ってるひまがないので公式の商品写真から。真っ白で、裾のちかくに "Bless you" と書かれたバーキンのサインがプリントされている。Tシャツだと思って油断しているといい値段するのだった。

これも買った。
『Jane Birkin  perfect style of Jane B.』(メディア・パル)

亡霊怪獣シーボーズ。「ウルトラマン」第35話「怪獣墓場」(脚本:佐々木守、監督:実相寺昭雄)より。

「あいつ、ウルトラマンじゃないのかなあ」とハヤタを疑うイデ。日記本文とはまったくなんの関係もない。なにしろ「怪獣墓場」のなかのシーンですらないのだ。第12話「ミイラの叫び」より。

Facebookのフォトアルバムより拝借。トリノでの上映後、観客のかたから感想を聞いている岸さん(右端)。ちょっとどうしちゃったのかというほどかっこいい。岸さんの文章を含むオリジナルページはこちら

また日付が追っ付かなくなってきたのでまとめて。

25日(金)

 夜、有楽町の東京国際フォーラムへ。ジェーン・バーキンの来日公演「Jane Birkin sings Serge Gainsbourg "VIA JAPAN"」だ。4月に単身来日して「震災復興支援コンサート Together for Japan」(@渋谷クアトロ & Ustream)をおこなったバーキンは、そのときの共演者である中島ノブユキ(ピアノ、編曲も)、金子飛鳥(バイオリン)、坂口修一郎(ホーン)、栗原務(ドラム)とともにセルジュ・ゲンズブールの曲を歌う北米ツアーの開催を決め、今夜はその渡米前の、日本のファンにむけた一夜である。今年はセルジュの没後20年にあたり、北米ツアーの企画はもともとあったものの、震災復興支援コンサートがきっかけを与えるまで、バーキンは「なぜまたやるのか」とツアー開催を躊躇していたとのこと。

〔震災復興支援コンサートのとき〕「私、東京に行くわ!」と言ったのが金曜日、そして月曜日にはそこにいた
マネージャーから「アメリカでもコンサートをやりたいか」と訊かれて答えた「YES、日本のミュージシャンと一緒ならば」と。
私は理由を見つけた

さあ、セルジュと一緒に日本経由で歌を届けに行く。
ジェーン・バーキン「セルジュとともに、日本経由で歌を届けに」

 でまあ、大のバーキン・ファンであるところの妻と、かなり前のほうの席で観たのだった。そりゃあよかったのさ。とびっきりのジェーン・バーキンだったし、言わせてもらうならとびっきりの妻だったのさ。[電力自給率:56.2%(発電量:13.1kWh/消費量:23.3kWh)]

26日(土)

 朝、抜糸以来でひさびさの歯医者。「お掃除」と言われるやつ。「そうはいっても麻酔するほどじゃないかと思って」と済んだのちに語られたところの担当医のさじ加減でもって麻酔なしでやり、なかなか痛い。
 いろいろ、観に行こうかと思っていた映画などすっぱりあきらめて家で作業。
 「これは、デコードされたことばがエンコード元に届くメディアではない」という児玉(悟之)君のつぶやきを取り上げて「どういう意味だろうか」と先日書いたことにたいしては児玉君からその日記を通じ、「デコード」と言いたかっただけのつぶやきであって、それについて相馬と話すことはとりたてて何もないのだとつれない返事がかえってきた。ことによると怒っているのかもしれない。児玉君は怒ると、掛けていたメガネを外して食べてしまうという癖があるから、食べてしまったんじゃないかとそれが心配だ。あのメガネ、似合っていたのになあ。
 というのは冗談として(「似合っていた」ということが?)、わたしは児玉君の、「気分」や「勘」を書いているだけだというその「不親切」な言葉につい惹かれる者であり、「ただ口にしたい」からと口にされたそのつぶやきに不可避に魅力を感じる者である──それこそ、あくまでわたしの側の〈デコードする快楽/デコード欲求〉であることは間違いないものの。だってさあ、かれったら「リツイートは葬っている」とか書くんだぜ。そりゃ、なるほどなあと思わざるをえないじゃないか。

見えない墓場は、いつのまにか死屍累々。
LOSCO » 2011. 11. 10|THU

 「公式リツイート」以前、「 “RT” vs “via”」のころからずっと〈リ・ツイートの思想〉についてぼんやり考えてきた者にとっては、この「気分」はまたあらたなリツイートの側面を指摘するようで興味深い。
 いつの日か、死屍累々たるつぶやき墓場から一匹のツイートが落ちてくる。そのときわたしは、そのつぶやきの亡霊をふたたび墓場へと送り届ける、銀色の巨人たることができるだろうかという、これはわたしの気分。[電力自給率:33.9%(発電量:12.7kWh/消費量:37.4kWh)]

27日(日)

 とりあえずひとつできたのは、岸(建太朗)さんからリニューアルをたのまれていた映画『未来の記録』のサイトだ。できたといっても公開に漕ぎつけたというだけで、いろいろまだ中身は「工事中」だらけである。まったく jQuery さまさまな、裏方はけっこう強引な作りのサイトになっていて、日本語と英語を切り替えられるのだけど、それぞれの HTML が 1枚ずつ、サイト全体で(とりあえず現段階では)2枚の HTML しか存在していない。
 『未来の記録』はトリノ国際映画祭《WAVES》部門にノミネートされ、監督の岸さん、主演の上村(聡)君、プロデューサーの清水(徹也)君の三人がいまトリノへ行っている。きょうは本番サーバへのアップ直前に Skype でトリノの三人と話した。むこうはむこうでスーツなど着込み、いよいよ、これから初回の上映をむかえるところであるという。[電力自給率:30.7%(発電量:8.5kWh/消費量:27.6kWh)]

28日(月)

 前回書いた「居残り佐平次」もそうだが、なかなか、検索して来てくれたかたのお役に立つというのはむずかしい話なのである。とりわけこのような、内容があるんだかないんだかわからない文章で人を寄せているサイトならばなおさらで、そうそうひとの役に立てるものではないが、しかし、きょうはちがった。これはお役に立てたんじゃないかと思うのだ。
 なにせ、そのかたの検索ワードは「昔 深夜 テレビ番組 がんばれ フレディ」だ。相当曖昧な記憶からの手探りである。だいたい、その「昔」ってのは検索ワードとして何らか役に立ったのだろうかとその点がはなはだ疑問だが、キーワードから推し測るに、その番組が「FM-TV」という番組名だったことを知るだけでもきっとこのかたには新たな情報だったんじゃないかと想像される。
 そのかたが案内されたのは「風邪だったのだろうか/MUSIC BAR 道」(2009年5月10日付)。またぞろ無駄に長い日記で、肝心の「FM-TV」にかんする記述が出てくるまでにけっこうスクロールしないといけないということはあるものの、まあ、お役に立てたんじゃないかなあとわたしは自負する。[電力自給率:10.3%(発電量:3.1kWh/消費量:30.0kWh)]

でまあ、きょう(29日)は、みっちりだった。そりゃあまあ、途中 YouTubeで志ん生の「粗忽長屋」を聴いたりもしたけれど、みっちりはみっちりだ。自転車操業がたたってのひさびさ会社泊。わたしは元気です。

今日の一言

あたしの死骸ってのは、あたしにくださいね。(5代目古今亭志ん生「粗忽長屋」)

本日(29日)の電力自給率:15.9%(発電量:4.7kWh/消費量:29.5kWh)

本日の参照画像
(2011年12月 1日 13:59)

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/ 24 Nov. 2011 (Thu.) 「けっこう場所をとる」

聴いていたラジオについてだろう、朝、ツイッターのタイムラインに流れてきた、

@anteros: 毒蝮元気だな。
11月24日 10:31 AM

という報告になんだかほっとする。
で、わたしはというと朝からこんなことをつぶやいた。

@soma1104: 花王名人劇場ボックス出ないかな。このさい全部。ぜーんぶ。なんだったらディアゴスティーニでもいいよ。
11月24日 10:49 AM

 「いいよ」とは言ったものの、相当だぞ、全部となると。「裸の大将放浪記」(芦屋雁之助版)だってあれ花王名人劇場枠だから買わないといけないし、いや、べつに「裸の大将放浪記」を買いたくないわけじゃないすよ、買いますけどね、ただその、よく考えると花王名人劇場ボックス、けっこう場所とると思うんだな。10年やってたし。
DVDだと 250枚組ぐらい?
あとなあ、初回限定版とか買っちゃうと、あのほら、こんなやつ

の人形とか付いてきちゃうだろうしなあ。
きのうからうちの「居残り佐平次考」(2008年2月4日付の日記。日記でもなんでもない)へのアクセスが増えていて、それ「談志 居残り佐平次」で検索して来られるかたが増えたのだったが、なんと言いましょうか、お目当ての内容でなくて申し訳ないかぎりです。たしかに、Googleで確認するといま現在、「談志 居残り佐平次」で 6番目、さらになんと「居残り佐平次」の単独キーワードでは 5番目にそれが出てくる。おはずかしい。ついでに言うと、「ハーポ・マルクス」で検索したときに「ハーポがしゃべった!」(ハーポ・マルクスの自伝『Harpo Speaks!』の私訳。第2章まで訳したところでずいぶん前に止まってる)がウィキペディアに次ぎ、2番目に出てくるということにも、ちょっといま、びっくりさせられているのだった。まいったな。
でもって、あてずっぽうシリーズはロシアにも進出。

@soma1104: そうだそうだ! RT Чебурашка!!
11月24日 12:23 PM

 これはね、つぶやいたあとで調べましたけどね、「Чебурашка!!」は「チェブラーシカ!」だそうです。
本日(24日)の電力自給率:41.5%(発電量:12.0kWh/消費量:28.9kWh)

(2011年11月29日 15:27)

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/ 23 Nov. 2011 (Wed.) 「大神宮さまのおかげで、ほうぼうのお払(祓)いに歩きます」

勤労感謝の日(旧「新嘗祭」)。いい夫妻の日。@tak_kamerad さんの誕生日──「ところで私の誕生日はいい夫妻の日らしいがその前日のいい夫婦の日とどうやって共存する気なのか」( via @tak_kamerad )。ハーポ・マルクスの生まれた日。五代目(というのはあくまで自称らしいけど、の)立川談志の訃報が流れた日。
落語がうずまく。
いや、談志だけではなくて、いろいろうずまいてしまうのはやはり、四天王がみんないなくなっちゃったということの感慨がそうさせるのだろうか──もちろんこの場合の四天王は、春風亭柳朝、古今亭志ん朝、三遊亭圓楽、立川談志(以上、没年順)を指す。むろん柳朝のかわりに橘家圓蔵を数えれば圓蔵はまだ存命(というか現役)だし、わたしは圓蔵だって好きなのだけれど、ここはひとつ、柳朝のほうを数えさせていただきたいというのがいまのわたしの心境だ。林家正蔵、古今亭志ん生、三遊亭圓生、柳家小さん。けっきょく誰も師匠の名を継がなかったのだな(ま、柳朝の場合、「正蔵」はもとより継ぐ目がなかったわけだけど)とそんなことを思ってもみたり。
「イリュージョン」というその命名にはずっとなじまなかった。もっといい呼びようがあるんじゃないかと思っていたが、いなくなられた寂しさのなかでは、「業の肯定」の側面よりも「イリュージョン」の側面のほうが脳裏には浮かぶ。
度重なる再利用で申し訳ないが、2008年10月1日付の日記から。

家には『落語研究会 古今亭志ん朝 全集 下』が届く。同梱の解説本には立川談志の「志ん朝のこと」という文章が収められていて、中身は例の、最晩年の志ん朝とのあいだに交わされたという会話の話(「志ん生になれよ」「そしたら兄[アニ]さん口上いってくれる?」「喜んで。だけど、もっと上手くなれよ」「うん」)。もはやおなじみとも言えるエピソードだが、やっぱりこれは泣けるわけで、そして、それに加えてこうあるのを読み、少し当時を思い出す。

余談だがネ。
円歌、志ん朝という二人会があり、志ん朝が体調不良の為欠席。
代演は俺だ。
「円歌が休みゃよかったろう」
場内爆笑鳴りやまず。

 そういえば、この二人会を観に行っているのだった。永澤とふたりで行ったと記憶している。あらかじめ「円歌・志ん朝」のチケットを取ってあったのではなく、直前、「志ん朝の代演に談志」という報を受けてから電話で問い合わせ、キャンセル待ちして取った。この「円歌・談志」の会はたしかそのとき複数回あって、そのうち東京でのそれは取れずに(あるいはそれに談志が代演したというニュースを聞いてからチケットを取ったか)、私が行ったのは千葉でのそれである。せっかくだからと、トリの円歌を聴かずに帰ったんじゃなかったか。当時書いた日記(2001年10月5日付)にはこう残っている。

▼知ったのは枕元まで運んだ夕刊。10月1日。古今亭志ん朝師がこの世を去る。
▼前日には、キャンセル待ちして取ったチケットを手に千葉まで行き、「圓歌・談志二人会」を聴いていた。お目当ては、志ん朝倒れて代演・談志、という歴史だった。
▼二日前には三省堂で『トランスクリティーク』を買っていた。柄谷行人に「戦後に備えろ」と言われた、その矢先。
▼この「戦後」には、志ん生がいない。

 「この『戦後』には、志ん生がいない」と2001年に書いたときのようなショックはない。こちらとしてはさほど悔いもない。75歳だ。「ふとした病」がおとずれるにはちょういい頃合じゃないか。ただ、じわじわと寂しいのだ。だから、かれのことではなく、かれが愛した落語のことを想おう。
さて、すでにとってある今年のチケットはあと二枚。12月21日の小三治と、23日の志らくである。
本日(23日)の電力自給率:43.0%(発電量:12.0kWh/消費量:27.9kWh)

(2011年11月28日 14:24)

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/ 22 Nov. 2011 (Tue.) 「あてずっぽう」

遊園地再生事業団のふたつ前の舞台『ニュータウン入口』に出ていた鄭亜美さんのハングルでのツイートにいきおいで応答する、題して「あてずっぽうシリーズ」は、どういった加減か、ほかならぬ鄭さんに好評なのだった。

@soma1104: まあ、そう言うなって。 RT 이런 저런 생각이 많아
11月22日 7:01 PM

 考えてみればごくみじかい文なのだし、Google 翻訳だのみで文意を掴めないこともないと思うのだったが、ここはひとつ調べないで応答してみるのが「あてずっぽうシリーズ」だ。すると鄭さんからは「にいさん、、もうとってもナイス突っ込みなんだけど、なぜわかったのか」と返信。あてずっぽうだと答えると感心されてしまった。

@soma1104: その意気だよ。 RT 온천 가고 싶어!
11月22日 7:55 PM

 とりあえずビックリマーク付いてるし、さっきの反動もあるだろうしで、たぶんなんか元気なことつぶやいてるんだろうというそれだけのことなのだったが、「爆笑がとまらん‼やめてくれー!楽しすぎる!」とやけに喜んでもらえたのは何よりである。
ひとまず「お気に入り」──ついでに断っておけばわたしの場合、ツイッターの「お気に入り」は(ちょうどIEにおける用語法がそうであるように)まず第一に「ブックマーク」であって、全部が全部〈気に入ったつぶやき〉であるとはかぎらない──にしておいた児玉(悟之)君のつぶやきを時間を置き、ためつすがめつする。

@sk_losco: これは、デコードされたことばがエンコード元に届くメディアではない。
11月23日 12:06 AM

 ああそういうことかと納得しかかりながらも、あー、そこんところ、もうちょい説明がほしいなって感じもして、やっぱり、ぐいっと掴むには至らない。このへんのことにかんしては児玉君とゆっくり話がしたいよ。勉強会でもいいけど。まずはあれか、スチュアート・ホールの「Encoding and Decoding in the Television Discourse」あたりから読まないとだめか、ふたりで、声出して。
 うーん。
 まあ、「これ」っていうのはツイッターのことなんだろうと思うけど、いったい「デコードされたことばがエンコード元に届く」とはなにごとだろう。
よくは知らない──というか、このPVしか知らない──のだけど、speaker gain teardrop という、広島を拠点に活動しているバンドだそうだ。ちかく(PVの曲を含む)あたらしいアルバムが出るという。

本日(22日)の電力自給率:54.3%(発電量:13.1kWh/消費量:24.1kWh)

(2011年11月25日 23:32)

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/ 21 Nov. 2011 (Mon.) 「『翔んだカップル』と『セーラー服と機関銃』」

木村建哉・中村秀之・藤井仁子=編『甦る相米慎二』(インスクリプト)

有休を取り、東銀座の東劇へ。「第12回東京フィルメックス」の特集上映「相米慎二のすべて -1980-2001全作品上映-」から『翔んだカップル』(トークゲスト:鶴見辰吾)と『セーラー服と機関銃』(トークゲスト:黒沢清)を観る。そうさ、包み隠さずに言うがお目当ては「HIROKO」さ。あったりまえじゃないか。スクリーンで観たかったんだこれを。
とはいうものの、やっぱりこの二作はすごい。『セーラー服と機関銃』なんて、脚本、田中陽造だし。もうわけがわからないよ。
というのもなかば嘘、「わけ」はもはやどうでもよくて、ただただ、観ているしかないのだな「ユーたち(=おれたち)」は。校庭の横移動を、文化祭のこちら側のもぐら叩きを、コブラツイストを、火葬場の火のゆらめきを、「バンバンバンバンバンバン……」を。
ともあれわたしはばかになっているので、何度でも言うが、「HIROKO」がすごい。なにしろこれ(!)を、トータルで「アイドル映画」にしてしまうのだった。そんなばかなことがあるかい、「ユーたち」はばかだったのかいと思いつつ、わたしはいま、玉川大学の願書を取り寄せたい思いでいっぱいである。
ツイッターのタイムラインに幾度となく流れてくるのは横目で見つつもやり過ごしていた『シネアスト 相米慎二』(キネマ旬報社)『蘇る相米慎二』(インスクリプト)を、けっきょく買ってしまった。とりわけ『蘇る相米慎二』、面白いですね。
ところで、東劇へ足を運び、そこにでかでかと貼ってあったポスターを見てはじめて知ったのは、「スクリーンで観る高座 シネマ落語『落語研究会 昭和の名人 参』」だ。シリーズ化していたとはうっかりした。知らぬ間に『参』になっていた。

  1. 桂吉朝「不動坊」('03) 37分
  2. 五代目 三遊亭圓楽「助六伝」('82) 39分
  3. 三代目 古今亭志ん朝「三方一両損」('88) 24分
  4. 十代目 金原亭馬生「鰍沢」('75) 34分

 東京(東劇)、大阪(なんばパークスシネマ)で11月26日(土)より公開。のち、来年1月21日(土)からは北海道(札幌シネマフロンティア)、宮城(MOVIX仙台)、東京(MOVIX昭島)、神奈川(横浜ブルク13)、埼玉(MOVIXさいたま)、千葉(MOVIX柏の葉)、栃木(MOVIX宇都宮)、愛知(ミッドランドスクエアシネマ)、京都(MOVIX京都)、広島(広島バルト11)、福岡(福岡中洲大洋)にて公開予定とのこと。

本日(21日)の電力自給率:58.9%(発電量:11.9kWh/消費量:20.2kWh)

本日の参照画像
(2011年11月24日 15:49)

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/ 20 Nov. 2011 (Sun.) 「36歳のはじまりの終わり」

ピー、どこを見るのかピー(2002-)。

写真を載せてみたところでさほどの意味はないものの、こちら、マーガレット・デュモン(1882-1965)。

そして、ウィンストン・チャーチル(1874-1965)。

元来は犬派だが、「ピー」のことは気になるという牛尾(千聖)さんへのファンサービスとして、写真はきょう撮れたてのかれである。いかんせんポロポーションがおかしなことになっているが、ついついカメラをむけてしまったそのポージングは優雅で、どことなくマーガレット・デュモンを思わせもする。
午後から出かけて、ひさびさ──というのはそこの「中スタジオ」で『トータル・リビング 1986-2011』の稽古をしていたところの──水天宮ピットへ。きょうは「大スタジオ」のほうで、「芸劇+(プラス)トーク──異世代劇作家リーディング 『自作自演』」という企画の第2回、「宮沢章夫 × 戌井昭人」の自作リーディングとトークを聞く。
戌井さんの自作リーディングは『俳優・亀岡拓次』から「吐瀉怪優」(小説)の一部と、『ただいま おかえりなさい』(短編小説集)から二篇、そして「生活逃れの馬鹿者」(エッセイ、『生活考察』連載)の一部を。宮沢さんは「返却」(小説)の一部と、「不在」(小説)からは舞台『トーキョー/不在/ハムレット』で「詩人の独白」となったあの長い一文、『牛への道』の「まえがき」、『彼岸からの言葉』の「一本の赤い糸のようなもの」と「夏の初め、あるいは体重計」(以上、エッセイ)、そして「ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット第三集」(小説)の冒頭を読んだ。
上村(聡)君と牛尾さん、金長(隆子)さんが来ていて、みんなで打ち上げまで参加して帰宅する。
ところでいまや、わたしの36歳はそのはじまりの終わりをむかえようとしており──てな軽口を思いつき、よく耳にする「終わりのはじまり」という言い方を茶化すつもりで書こうとして、それでまず調べてみたところが、この「終わりのはじまり」という言葉、出典を辿るとどうやら 1942年のチャーチルの談話に行き着くらしく、しかもその談話(第二次大戦中、エル・アラメインの戦いで英陸軍がドイツ軍に大勝したという報せを受けてのもの)においては、「終わりのはじまり」ではなく、「はじまりの終わり」のほうこそが主役なのだった。

The fight between the British and the Germans was intense and fierce in the extreme. It was a deadly grapple. The Germans have been outmatched and outfought with the very kind of weapons with which they had beaten down so many small peoples, and also large unprepared peoples. They have been beaten by the very technical apparatus on which they counted to gain them the domination of the world. Especially is this true of the air and of the tanks and of the artillery, which has come back into its own on the battlefield. The Germans have received back again that measure of fire and steel which they have so often meted out to others. Now this is not the end. It is not even the beginning of the end. But it is, perhaps, the end of the beginning.

英国軍とドイツ軍との戦闘は苛烈を極め、すさまじいものだった。決死の白兵戦だった。ドイツ軍はこれまで兵器の豊富さにまさり、数々の小さな民族、小さくはないが用意のできていなかった国々を打ち負かしてきた。また、高度に技術的な装置によってもそれらを打ち負かし、世界を統治すべくもくろんできた。とりわけ航空隊、戦車隊、砲兵隊において言えるが、かれらはまた陣容を整えたうえで戦地へともどってくるはずだ。後方においてふたたび、各国を苦しめてきた大量の火器と鋼鉄とを受け取りつつあるだろう。いま、これは終わりではない。終わりのはじまりですらない。だがひょっとすると、はじまりの終わりではあるかもしれない。
"The End of the Beginning", A speech at the Lord Mayor's Luncheon at the Mansion House, London, 9 November 1942

っていきなり何の話だ、落ちつけ、36歳。
本日(20日)の電力自給率:32.1%(発電量:8.5kWh/消費量:26.4kWh)

本日の参照画像
(2011年11月22日 17:27)

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/ 19 Nov. 2011 (Sat.) 「36歳も佳境」

気のはやい話で恐縮ながら、36歳も佳境だ。一般に、ひとが36歳でいられる時間はみじかいと言われるが、さもありなんと実感している。だから日記だって、36歳ともなればさくさく書くのだ。
@tak_kamerad さんからはツイッターで、わたしの誕生日である11月18日にかんしてつぎのようなことを教えていただいた。

@tak_kamerad: おめでとうございます。wikipediaによるとウィリアム・テルが自分の息子の頭上に乗せられたリンゴを射抜いた日のようですね。なによりです
11月19日 11:09 PM

 なによりだ。まあね、そんなところじゃないかとはうすうす、思っていたのだ。自分でも、いわばそのウィリアム・テル気質というのか、常々ひとの頭にリンゴをのせるところがあるというのは思っていたが、そうか、それを弓で射抜けばいいのだとは考えがおよばなかった。ただただわたしはリンゴをのせていた。これからは射抜こう。
『ショック残酷大全科』はおもしろい。昼に届いてからしばし読み耽る。
ところでいま、ヒトはつぎつぎと親不知(おやしらず)()く。きょうは高校同級(こうこうどうきゅう)永澤(ながさわ)()いたとフェイスブックで報告(ほうこく)していた。つぎに()かれるのは? そう、もしかしたらキミの(ばん)かもしれないのだ。(ふと、大全科調で)
本日(19日)の電力自給率:2.5%(発電量:0.6kWh/消費量:23.6kWh)

(2011年11月21日 09:15)

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/ 18 Nov. 2011 (Fri.) 「36歳である」

こちら、撮影しようとしているとロビンがやってきて、火を火と思わずに顔を近づけた。ロビンはヒゲを一本こがして退散、寸時ショックを受けていたがほどなく立ち直っていた。

日野康一『ショック残酷大全科』(秋田書店)。古本ではなく、いまも生き残る「大全科」シリーズの一冊。

というわけで誕生日である。36歳になった。上山(英夫)君、高橋(明大)君もおめでとう。あと、ミッ(キー・マウス)もおめでとう。
掲げた写真は妻が用意してくれたケーキである。ふつうの売り物のケーキに、オプションで数字のロウソクやら、Happy Birthday のプレートやらが加えられている。プレートには「ひとし」と名前が書かれているが、これを注文するさい、妻は店員に「お名前はひらがなでいいですか?」と訊かれ、そう訊かれるまで(メッセージは「Happy Birthday」だし)勝手になんとなくローマ字を想像していたから不意をつかれて、「あ、えっと……」と咄嗟に答えられないでいると、顔色をうかがった店員はかさねて、「あっ、カタカナ?」と訊いたという。
きのう17日に解禁したボジョレー・ヌーヴォー──11月の第3木曜日に解禁になるため、おのずと誕生日近辺が解禁日になる──も、妻が選んできたそれを飲む。よく知らないが、「ノンフィルターで売り場にあったのはこれだけだったから」かなんか言っているところのそれは、そういえば去年も飲んだ銘柄だとのこと。若々しいながらもしっかりした味わいで、まあね、旨いのだった。
Facebook ならびにツイッターにて、日付が変わるそうそうからたくさんのお祝いメッセージをいただく。ありがたいこってす。こんなね、一介の手品師にすぎないといえばすぎないわたしなんかに、みなさん目をかけていただいてね、もう最近はろくに紐も結べないというのに。ほんと、ありがたいこってす。
で、誕生日がまったく同じである高校同級の上山君が Facebook 上に、

自分が生まれたときの父の年齢なぞはとうに越えたのに、ゼルダだプラレールだとか言っていていいのでしょうか。

と書いたのを読んでふと気づくが、そういや、わたしはまだそれ(自分が生まれたときの父の年齢)、越えてないのだった。ま、そもそも父と母の年が離れていることにくわえて三男だからなのだが、たしかわたしは兄弟のうちでひとり、父が40代に入ってからの子どもだったはずだ。だからなんだということもなく、ま、締まってこーぜーってことに変わりはないわけですけど。
夜、帰宅時に郵便受けを確認すると宅配の不在通知票が入っていて、アマゾンからの荷物だという。妻もわたしもきょう届くような買い物に覚えがないので「何だろ」という話になり、それでようやく日付に思いあたって、あ、これはひょっとして「ギフト」ってやつだろうかと思ったところがやはりそうだった。不在通知票に気づくのが遅かったため、けっきょく明けて19日に受け取ったのだったが、鈴木(謙一/泉)さまご夫妻より、メッセージカードとともに『ショック残酷大全科』が届く。
古本なのではなく、いまなお現役で生き残る「大全科」シリーズ(秋田書店)の一冊だ(奥付によれば「昭和57年9月20日 初版発行、平成5年12月25日 6版発行」とのこと)。「身の毛もよだつ映画の残酷シーン大登場」という副題の付いたこの本を紹介するにあたって、「そうです、ご存じのあの調子です」と説明する以外にどう言葉を尽くせばいいのかわからないが、まあ、いちばんうしろのページにあった「★この本の主な内容」をそのまま引用するならばこんな感じである。

パート1 残酷映画の巨匠 ヤコペッティの大残酷物語
世界残酷物語〜世界女族物語〜続・世界残酷物語〜さらばアフリカ〜ヤコペッティの残酷大陸〜ヤコペッティの大残酷
パート2 知られざる魔境 世界の大驚異ゾーン
残酷人喰大陸〜失われた大陸〜緑の魔境〜革命の河〜カニバル〜鎖の大陸〜タブウ〜残酷飢餓大陸〜夜と霧、ほか
パート3 ドキッ!! 恐怖映画のショックシーン大全集
残酷!マカロニ・ウェスタン特集〜パゾリーニ残酷特集!!〜ゾンビ〜ブギーマン〜エイリアン〜ヘルナイト、ほか
パート4 名作・ショック映画 大ロードショー
エレファント・マン〜ホラー・ワールド〜グレートハンティング1、2〜カタストロフ〜ポルター・ガイスト、ほか

 はい。ほんと、素敵なものをありがとうございました。だいじにします。
本日(18日)の電力自給率:14.7%(発電量:3.1kWh/消費量:21.0kWh)

本日の参照画像
(2011年11月19日 22:48)

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/ 17 Nov. 2011 (Thu.) 「おでんがやって来た ヤア!ヤア!ヤア!」

昼間、わたしが会社に行って家には妻(と猫)だけというそのあいだに、いつものように北本の義父母がクルマでやってくる。毎度、大量の手料理を作って持ってきてくれ、お米や、ビールなども積んできてくれて、そうしてじぶんたちは妻がホームベーカリーで直前に焼いたパンを土産にもらい、ロビン(年長の猫、別名「よしお」)をかわいがってから、わりとそそくさと帰っていくのがならわしだ。まあ、だいたいお米がなくなるタイミングで妻が声をかけ、ついでにいろいろ持ってきてもらっているというかたちで、それで今回も、お米の切れかけていた一、二週間前にはじめは来てくれる予定でいたのだったが、ちょうどわたしが抜歯前後で口内が腫れ、いきおいのある食事ができないために大量の手料理を頂戴するにはタイミングがよくないとなって、お米などはさきに送ってもらい、来訪は持ち越されてきょうになった。
ところでなぜ、ロビンだけが義父母にかわいがられるかといえばむろん、ほかの二匹(ピー、ポシュテ)がいっさい姿を見せないからである。義父母にかぎらず、来客とみればすぐ二階に避難し、帰るまで降りてこない。帰ったとみるやすぐに降りてきて、誰だ、誰が来たんだと匂いを確認するポシュテ(別名「じゃがも」)である。
でまあ、なかば定番化したメニューだが、大量のおでん、混ぜご飯、そしてささみにのりを巻いて揚げたやつ──いま、この料理を何と呼んで書いたらいいのか妻に訊いた答えがこれだ。子どものころからのおなじみで、遠足や運動会となればお弁当に詰められた一品だがとくに名前はない、とのこと──をいただく。夜はそれ。明日もそれ、ことによるとあさっての朝もそれというくらいの量なのだった。ごちそうさまです。
本日(17日)の電力自給率:51.1%(発電量:13.5kWh/消費量:26.4kWh)

(2011年11月19日 17:43)

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/ 16 Nov. 2011 (Wed.) 「アクティビティ」

ツイッターに新機能の「アクティビティ」が加わる。フォローしている相手の活動状況──誰をフォローした、どれをお気に入りにした、どれをリツイートした──が表示されるもので、いずれの情報も、知ろうと思えばこれまでだってそれぞれ知る手立てはあったわけだが、アクティビティ機能により、じつにお手軽にそれらの情報にアクセスできるようになったかたちだ。見かけとしては Facebook の「ニュースフィード」を思わせて、より SNS のほうへとツイッターが大きく踏み出した印象を与える機能になっている──というか、アクティビティという用語そのものが Facebook 由来と言っていいようなもので、従来の説明のされ方でいけば、つぶやきが流れてくるのがツイッターのタイムライン、アクティビティ(活動状況)が流れてくるのが Facebook のニュースフィード、だったわけだ。
SNS のほうへ、というのはつまり、〈つぶやき〉単位から〈ひと〉単位へということで、この場合、アクティビティ機能のうちのリツイート情報について考えるとおそらくわかりやすい。というのも、フォロー、お気に入りのふたつとちがって、リツイート(されたつぶやき)はそもそも、タイムラインを眺めているだけで流れてくるものだからだ。とはいえ、タイムラインにおいてはあくまで〈つぶやき〉単位であるから、フォロー対象のつぶやき(フォローしているからリツイートされなくても直接読める)がべつのフォロー対象によってリツイートされたことはそれとわからないし、また、非フォロー対象のつぶやきが複数のフォロー対象によってリツイートされた場合にも、そのつぶやきがタイムラインに現れるのは(そうじゃない場合もあるけど基本的には)一度きりであって、リツイートかどうかにかかわらず、その都度々々の──刹那的でもある──〈つぶやき〉そのものに出会うということが体験の基本になっている。
それにたいし〈ひと〉単位のアクティビティでは、リツイートという行為のほうが注目されるのであり、〈誰が〉ということが興味の基本になるのだ。
で、このツイッターの SNS化については早々に多くのユーザーから拒否反応が出ているわけだが、そのへん、どういった声があるのかとネットサーフィンするうち、The Guardian の「Twitter's activity stream: too much information?」という記事(この記事自体は、たんなる覗き趣味にはとどまらない可能性をアクティビティ機能に見ようとするもののようだ)に行き当たり、そのコメント欄の書き込み経由で、かの風刺漫画雑誌『パンチ』の、およそ150年前の記事へと辿り着いた。「The House Telegraph」と題されたその記事は、当時最新の通信技術であるテレグラフ(電信)をあつかい、それがロンドンにもたらすだろうプライバシーの破壊について皮肉をこめて予言するものである。
というわけできょうは、以下にその『パンチ』誌の記事を訳出してみよう。例によって随所に誤訳の可能性はあるし、どうも語の意味がはっきりしないところなど、文脈からの類推で強引に訳をつけてもいるので、どうかひとつ、そのつもりでお願いします(訳の間違いについての指摘など、あれば遠慮なくメールください。あるいはコメント欄でもいいですし)

A Telegraph all over London? The wires brought to within 100 yards of every man's door? A Company established to carry it out?

電信がロンドンを覆い尽くす? 電信線がすべての家の玄関を100ヤード以内の距離につなぐ? それを実現するための会社が設立される?

Well - I don't know. There's a good deal to be said on both side.

さあね、わからない。両方の側面から、言わねばならないことがたくさんある。

It certainly would be pleasant to be within five minutes of such a message as "Dine at the Club with me at seven;" or "SQUATTLEBOROUGH JUNCTIONS" at six premium; I've sold your hundred, and paid in the cash to your account;" or "Little stranger arrived safe this morning at twelve; mamma and baby doing well;" and one might occasionally be grateful for such a warning as "KITE and POUNCE took out a writ against you this morning - Look alive;" or "JAWKINS coming to call on you; make yourself scarce."

たしかに、つぎのようなメッセージを5分とかからずに受け取ることはたのしいだろう。「7時に、あそこのクラブで食事でも」とか、「 "SQUATTLEBOROUGH JUNCTIONS" が6倍の高値。君のぶんの100を売って、現金で口座に入れといたよ」とか、「小さきストレンジャーは無事、今朝12時に到着。母子ともに健康なり」とか。あるいはときおり届くつぎのような警告には感謝するかもしれない。「カイトとパウンスが君の令状をとった。ぐずぐずするな」とか、「ジョーキンスがじきそっちへ行く。さっさと出掛けたほうがいい」とか。

But think on the other hand of being within five minutes of every noodle who wants to ask you a question, of every dun with a "little account;" of every acquaintance who has a favour to beg, or a disagreeable thing to communicate. With the post one secures at least the three or four hours betwixt writing the letter and its delivery. When I leave my suburban retreat at Brompton, at nine A.M., for the City, I am insured against MRS. P.'s anxieties, and tribulations, and consultings, on the subject of our little family, or our little bills, the servants' shortcomings, or the tradesmen's delinquencies, at least till my return to dinner. But with a House Telegraph, it would be a perpetual tete-a-tete. We should be always in company, as it were, with all our acquaintance. Good gracious, we should go far to outvie SIR BOYLE ROCHE's famous bird, and be not in two places only, but in every place within the whole range of the House-Telegraph at once. Solitude would become impossible. The bliss of ignorance would be at an end. We should come near that most miserable of all conceivable conditions, of being able to oversee and overhear all that is being done or said concerning us all over London! Every bore's finger would be always on one's button; every intruder's hand on one's knocker; every good-natured friend's lips in one's ear.

しかしいっぽうで、君に質問をしたがっているすべての馬鹿や、つまらない請求書を手にしたすべての借金取り、お願い事や、やりとりするのが不愉快な用件をもったすべての顔見知りたちもまた5分とかからない距離にいることを考えてみてほしい。郵便では、手紙が書かれてから届くまでの少なくとも3、4時間が保証されている。午前9時にブロンプトンにある郊外の別荘を出ていったんシティーへと向かえば、少なくとも夕飯を食べにもどるまでのあいだ、わたしはP夫人〔訳者註:パンチ夫人てことかな?〕がいだく心配事や、悩み事、相談事──われらが小さな家族についての、われらが小さな請求書についての、使用人たちの欠点についての、はたまた小売商人たちが犯す過失についての──から身を守ることができる。しかし家庭用電信においては、わたしは彼女と永久に差し向かいになるだろう。いわば、われわれはつねに、すべての顔見知りといっしょにいなければならなくなる。なんてこったい、これじゃわれわれはボイル・ロッシュ卿の有名な鳥にもまさって〔訳者註:ロッシュ卿は「人間は、鳥にでもならないかぎり同時に2ヶ所に存在することはできない」といったような発言をしたらしい〕、たった2ヶ所に存在するだけでなく、家庭用電信が届くかぎりのあらゆる場所に、たちどころに存在できてしまうことになる。もはや孤独は不可能になるだろう。無知であることの至福が終わりを迎える。ロンドン中の、われわれにかんして行われたり言われたりするすべてのことをついつい目にし、ふと耳にしてしまうとなれば、われわれは考えられるうちでもっとも悲惨な状態へと近づいている! あらゆる退屈な輩の指がベルの押しボタンにかけられていて、あらゆる乱入者の手が玄関のノッカーを掴んでおり、気立てのよい友人たち全員の唇が耳元にある。

No - all things considered, I don't think society is quite ripe for the House-Telegraph yet. If it is established I shall put up a plate on my door with "No House-Telegrams need apply."

ノーだ。いろいろ考えた結果、社会はまだ家庭用電信を迎え入れられるほど完全に成熟してはいないとわたしは思う。もしもそんな会社が設立されたならば、わたしは家の玄関にこう書いた札を提げるだろう。「電信無用」。
"The House Telegraph", Punch, Dec. 18th 1858

本日(16日)の電力自給率:53.4%(発電量:14.0kWh/消費量:26.2kWh)

(2011年11月19日 03:26)

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