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Aug.
2007
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/ 13 Aug. 2007 (Mon.) 「妻は虚脱状態にある」

妻が『花より男子』(神尾葉子)の全巻を一気に読み、立てつづけに再読までしたのがこの週末のことだ。厚めの完全版コミックスで二十巻にもなるそれは連載期間にして十一年ものあいだ書き継がれた大河(?)少女漫画だが、すでに完結して次回を待つ必要のないいま、現代っ子(近代っ子?)が集中してかかれば、あっけなくも二日足らずの夢であった。そして妻はいま、虚脱している。読むものを失って途方に暮れている様子の妻に与えるべく、いしいひさいちの単行本を二冊ばかり買ってきたのだが、いしいひさいちではだめらしい。見向きもしやがらねえ。面白いのになあ。
この虚脱状態に対症療法で臨むとするならば、たとえば『王家の紋章』(細川智栄子)などしかないのではないかと妻は言う。よく知らないが、長いらしい。
一方、いしいひさいちの二冊というのは、『ドーナッツブックス—いしいひさいち選集』の第三十九集(2006年、双葉社)と、戦争モノの連載をまとめた『眼前の敵』(2003年、河出書房新社)である。「ファン」が何を言ったところでさほどの説得力をもたないと思うが、どちらも面白い。たまにものすごいものが含まれている。
ところでいま、ふいにそのことに思い至ったのだけど、「ドーナッツブックス」ってあれか、「ピーナッツブックス」のもじりか。

(2007年8月15日 02:18)

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/ 12 Aug. 2007 (Sun.) 「またいつでも交換しよう」

2004年に「web-conte.com」のドメインを取り、散らばっていた複数のサイトを統合した折り、過去のコンテンツたちもなるべく同じ(新しい)枠デザインのなかに組み入れてサイトの整合性を高めようとしたのだが、ま、とくに「Red(Superman Red)は厖大で、かつ手書き制作だから途中で力尽き、「これはいいか、このままで」と古いHTMLのままに放置していたページたちがいくつかある。このあいだ、じつに6年ぶりの更新だったことを報告した「広川太一郎データベース」もそのひとつ。
で、「広川太一郎データベース」のリニューアルをとおして、ほかのコンテンツにも流用できる共通フォーマットのようなものができたから、あとはぐっとラクだろうという思惑のもと、ひきつづき「多者の交換日記」「気持ちのいい連中」「ハーポがしゃべった!」「空飛ぶモンティ・パイソン、スケッチ台本の和訳」をデザイン変更した。あと、「コーナーの日記」の2002年6月以前の分もそれ以降のフォーマットに合わせた。
そんなことをしている場合かよ。
作業のなかで自然と自分の昔の文章たちに出会うかたちになって、むろん出来不出来はさまざまだが、書いたことをすっかり忘れていたものなどもあり、案外面白いのでびっくりした。たとえば「多者の交換日記」というのは2001年7月〜2002年7月までつづいた企画で、一言でいうと〈署名を交換〉する交換日記である。投稿フォームを設けて私(相馬称)の日記を募集、書いてくれたその人の日記を私が書いて、両者を同時に掲載する。「で、結局何がしたいのか」ということがもうひとつ判然としない企画ではあるが、当時は〈個人ホームページなるもの〉についてしばしば考えていた時期で、これは何だろう、〈個人〉を融解させようという試みだったのかな、ちがうか(運営上「署名が交換されている」というルールは明かされているから、当然融解なんかしないわけだけど)。こういったものはむろん、企画がじっさいに進行しているなかでしか生まれない楽しさがあって、その〈出来事〉性に支えられていた部分などは〈当時〉を共有していない人が読んだときに「もたない」わけだが、でもまあ自分で読み返すに、結局書く段になれば企画の意図などまっさきにどうでもよくなっていることがわかり、単純に「相馬称」という署名から解放されて「なんでもいいのだ」というその状況を謳歌していたように見えて、たとえば、2002年4月4日の「まくらざか」さんとの交換日記で私が書く「まくらざか」さんの日記はこんなにでたらめだ。

思い出したが、私は禁煙中だ。
禁煙中だということを忘れて、この十数年たばこを喫ってきてしまったのは、まったくうっかりしていたことだ。スパスパ喫っていた。
それで思い出したが、新聞を発明したのは私だ。自分で発明したことも忘れて、毎日読んでいたのはまったくうっかりしていたものだ。
スパスパ喫っては読んでいた。
(まくらざか)

「気持ちのいい連中」は同じ時期に設けたコーナー枠で、〈デジカメ写真日記〉というものに手を付けたはじめのもの。そのころ使っていたデジカメが「FinePix」シリーズの「50i」で、そこからコーナータイトルを「Fine Pixes」と付け、さらに意訳して「気持ちのいい連中」である。どんなものをアップしていたかほとんど忘れていたのだが、「思いがけぬこと」はちょっと自分で笑ってしまった。思いがけなかった。
などなど。
先に触れた「多者の交換日記」だけど、デザイン変更ついでに「相馬の日記を書いて送る投稿フォーム」もメンテナンスしておいた。いままた私の日記を書いてくれる者さえあれば、いつでも交換しようと思う。

(2007年8月13日 19:22)

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/ 7 Aug. 2007 (Tue.) 「ひきつづき『栃高』の話」

「富士日記2」での言及リンクから来られた方は、まずきのうの日記へどうぞ。
で、きのうの日記の末尾、ウィキペディア上の「栃木県立栃木高等学校」(ちなみに略称の「栃高」が「とちたか」であるのは「栃木工業高等学校」の「栃工」と区別するため)の記述に触れて私は、

関係ないけど、いまウィキペディアにある「栃木県立栃木高等学校」の項目を見たら、概説のところにいきなり次の記述があって笑ってしまった。

なお、平成18年の末から各学年の教室にてエアコンの設置工事が進められており、平成19年の夏季から使用される予定である。

 それ重要かよ。あきらかに〈エアコンの有無が重要な問題である人間〉が編集してるだろう、これ。あそこの教室のやつか。

 と書いた。この場合は、〈内部の人間〉というか、要するに生徒ですけど、そいつがこのエアコンに関する記述を書き加えた(あるいはほかの記述もこいつが書いているが、エアコンに関してだけ、事の重要度についての価値判断が乱れた)のではないかと楽しく想像され、その意味で(辞書的な〈透明性〉を欠いた、〈顔〉のようなものが現れたことに対して)「誰だよおまえは」ってことになるわけだが、つづいてネットサーフィンをするうち、ウィキペディア界にはそれとはまたべつの「誰だよおまえは」があることを私は知ることになる。
というのは、「栃木県立栃木高等学校」(きのう説明したように男子校である)とも非常にちかしい関係にある女子校、「栃木県立栃木女子高等学校」(略称は「栃女/とちじょ」)についての記述だ。むろん「栃女」においても、「栃高」と似たような〈記述者の顔の現れ〉はあり、たとえば概説の部分に書かれる、

近くにある太平山の麓には「ファイト、栃女」と書かれた石がある。

 というどうでもいい情報や、

毎年校内では大平山耐久レースという行事が行われ、女子校で有るにもかかわらず、山道を含む約15kmを走らされる。[強調引用者]

 という恨み辛みには、ぼんやりながら卒業生の〈顔〉が浮かんでくるけれども(「女子校で15km」というのが全国的にみてどうなのか、そこのところ私は判断材料をもたないが、ちなみに「栃高」の「耐久レース(マラソン大会)」は32kmだ。ばかである)、しかしいま、私がより問題にしたいというのは、たとえば「制服」の項にある次のような記述のことである。

ここ数年でスカート丈を短く上げたり、スカーフを付けなかったり、カフスを開けたままにしたりする着こなしが見られるようになった。

 誰なんだいったいおまえは。「ここ数年」での変化を指摘するからには、それ以前から、少なくとも十年ぐらいにわたって彼女らの着こなしの流行、その変遷を見つづけてきたにちがいない者がここにいることになり、そう考えたとき俄に、純粋な事実の列記であるかのようにも見える直前の記述のなかにもまた、その記述が抱え込む〈視線〉のあやしさが透けてくることに気づいて、慄然とさせられるのだ。

デザインは近くにある栃木県立栃木商業高等学校と同じであるため、校外で共に校章バッジを外してしまうと区別できない。

 いいじゃないかと私は言いたい。区別できなくたってさ。でも、これを書く者にとってはちがうのだ。制服のディテールを記憶し、見分けることの欲望に貫かれた者がそこにはいる(ように読め、で、笑ってしまった)
さて。きのうの日記を読んだ永澤(高校同級で、演劇部仲間のひとり)コメント欄に書き込んでくれていて、そこにはこうある(抜粋)

ウィキペディアの注意書きに,
「中立的な観点:この記事は、中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、あるいは議論中です。そのため、偏った観点によって記事が構成されている可能性があります。」ってあるけど,どこのことかな?エアコン設置への想いがチベット経験者とそれ以外で違うってこと?

 で、ここに出てくる「チベット」が読者にはよくわからないと思うので(まったくどうでもいいことながら)解説しておけば、つまり私が「あそこの教室のやつか」と書いたその教室のことを、古くから生徒たちは「チベット」と呼び習わしていて、ま、端的にいって冬、校舎の構造や日当たり等の条件によるものか、他の階や棟にある教室とはまったく不公平に、「ものすごく寒い」一角があるのだった。
いや、だからそんなことはどうでもいいんだけど、それより永澤には、どうせだったらおとといの日記に書いた呼び掛けのほう、

ていうか、みんなお盆休みとか予定はどうなんだ。上山君はまだ中国に行ったっきりか。永澤は何をしている。荒川はいったい今年で何歳だ。

 にこそコメントをもらいたかったのであり、ずるいことを書くが、たとえば私が期待したコメントは次のようなものだ。

お盆は実家にいると思うよ。あと、荒川君はぼくらと同級だから、今年で32歳じゃないかな。

 このコメントが書かれることによってようやくあの日記は完結するのだ。完結したってどうなるものでもないけど。

(2007年8月 8日 20:59)

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/ 6 Aug. 2007 (Mon.) 「母校のことを忘れていた」

宮沢(章夫)さんが審査員として体験した高校演劇全国大会の様子が「富士日記2」[8月2日付]に報告されていて、高校演劇出身者のひとり(一応ね。そう言っても嘘ではない)として興味深く読んだが、ひとつすっかり忘れていたことがあって、それ、私の母校(ってだけでなく「母部」になるわけだけど、栃木県立栃木高等学校・演劇部)も出場していたのだった。
全国大会で優秀校に選ばれた4校(宮沢さんが最優秀作と書いている「文部科学大臣賞」1校と、その他「文化庁長官賞」3校)が、その受賞作を国立劇場で上演する「東京公演」が8月25日、26日にある。そのことを知らせてくれたのは同級で演劇部仲間だった田村君で、「BBS」のほうに書き込みをくれたのだったが、それで「ん?」と思いあらためて大会の審査結果を調べてみると、母校、「文化庁長官賞」をとってやがった。

文部科学大臣賞 岐阜県 県立岐阜農林高等学校 『躾──モウと暮らした50日』
文化庁長官賞 大阪府 追手門学院大手前高等学校 『あげとーふ』
静岡県 県立富士高等学校 『紙屋悦子の青春』
栃木県 県立栃木高等学校 『塩原町長選挙』

 で、田村君はその「東京公演」を指して、

誰か見に行きますか?田村家は26日に見に行く予定です。

 と書くのだが、それに答えようと思い公演情報のページを探すと、あきらかに「栃高」(「栃木高校」の略称/愛称で「トチタカ」と読ませる)が出るのは25日だけであることがわかり、おまえそれわかってるのかよ、というのが「BBS」でのやりとり。
公演情報のページを見てもらえばわかるが、ちなみに25日が『塩原町長選挙』と『紙屋悦子の青春』で、26日が『あげとーふ』と『躾──モウと暮らした50日』。あと、「全国高等学校総合文化祭・優秀校東京公演」というのが全体の公演名であるとおり、演劇だけやるのではなく、プログラムのなかには日本音楽部門、郷土芸能部門の優秀校の公演も含まれる。
私はいま、どのようにして「先輩ヅラ」をすればいいか、そのことを考えているが、それにはやっぱりあれかな、「ニセの演劇部史」を創造して提示するのがいいだろうか。いかにわれわれが弾圧を受け、廃部の危機に瀕しながらも潜伏と抵抗を繰り返し、いまの隆盛へとつながる〈部の命脈〉を保ったかという物語だ。三人ぐらい犠牲者を出したことにしよう。尊い犠牲だったな、あれは。えーとね、タカシマ君だ。タカシマ君とね、もう二人はえーと、そうだな、三つ子のタカシマ君でいいや。似ていたなあ三人とも。そっくりだった。
ところで栃木県立栃木高等学校は男子校である。言い換える必要もないけどつまり女子がいないのであり、するとどうしたって演じられる戯曲の幅に決定的な制限が生まれるのは厄介だ。ま、全国大会に出た後輩たちの芸風(?)がどんなものかは知らないが、われわれの知っている当時の栃高演劇部は「全国」を狙うようなそういう部活動ではなかったから気は楽で、「カツラかぶって女の子役」っていう選択肢も絶対ないわけじゃなかった。ていうかそれもう「コント」ですけどね。とくに私は部長でありながら「高校演劇なるもの」(それこそ仮想された、ジャンルの総体としての〈高校演劇〉)が嫌いだったので、一度は地区の大会で純粋に「漫才」で笑わせようとしたり、あと、10分ぐらいで終わったり、そういう調子だったわけで、いや、申し訳ない、廃部の危機に瀕させていたのはぼくらです。(あ、でも私のときは結局「カツラかぶって女の子役」ってのはやらなかったかな。あれはあれで才能と力量が要るという判断だったか、それともたんに「面白くない」と思ったか。)
関係ないけど、いまウィキペディアにある「栃木県立栃木高等学校」の項目を見たら、概説のところにいきなり次の記述があって笑ってしまった。

なお、平成18年の末から各学年の教室にてエアコンの設置工事が進められており、平成19年の夏季から使用される予定である。

 それ重要かよ。あきらかに〈エアコンの有無が重要な問題である人間〉が編集してるだろう、これ。あそこの教室のやつか。

(2007年8月 7日 15:14)

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/ 5 Aug. 2007 (Sun.) 「加島さんと、そして句会」

句集『Tシャツ』の著者である、大学同窓の加島さんからはメールをもらった。以前の日記[7月28日付]に私は、

『Tシャツ』は帰ってすぐ楽天ブックスで注文した。「読んでもらえるんなら送りますよ」と言ってくれたのだったが、まあ、こっそり注文だ。読んでなにがしか感想を送れればと思うが、いや、そういえば俺、こっそりしすぎてかしまさんの連絡先を何も知らないんじゃないのか。どう送るってんだ。それこそ、「かしまゆう」で検索してここを見つけてくれることを願ってやまない私がいまここにいる。

 と書いたのだったが、その後届いた『Tシャツ』には著者の略歴と並んで連絡先(実家の住所と電話番号)も載っていて、そこに掛けてみたところ本人は不在、出られたお母さんに、「時間のあるときに携帯まで連絡をもらえればとお伝えください」とこっちの番号を教えてあった。その加島さんから電話ではなく先にメールをもらったのは、つまりその、ほんとうに「『かしまゆう』で検索してここを見つけてくれ」ていたというわけで、前掲の箇所を読み、むこうも相馬に連絡をしてみようと思っていたところへ、先に私の電話があったということらしい。
なんだよ、読んでたのか。じゃあ話は早いというか、話はもうないというか、伝えたかったのはつまるところメールとサイトのアドレスで、「ウェブ上に感想書いたから読んでね」ってことだからなあ。
そうそう、俳句といえば私も以前アソビで「句会」と称するものをやっていた(メンバーは大学同窓の吉沼や、高校同級の上山君など)。これまで二回ほど開催し、第一回当日の様子を書いた日記がここに、第二回を終えてしばらくのちの日記がここにある。ホンモノの「句会」がいったいどういうかたちをしているのか、ちっとも知らずにわれわれはただ遊んでいたのだが、テーマ(「夏」「年甲斐もなく」等)を決め、参加者はテーマに添った句と自由に詠んだ句をあらかじめ用意して、それを短冊状の紙にプリントアウトして当日持ち寄る。紙はシャッフルされ、誰の句かというのをはじめは隠したかたちで、ひとつずつ順に取り上げ、みんなで合評するというか、たぶんに勝手な「解釈」をしゃべりあう。会の眼目は句そのものよりも合評のほうにあって、その場で発生する掛け合いをややスリリングなものとして楽しんでいた。また、たいてい記録係を兼ねてくれる吉沼が音声を拾う目的でビデオを回し、それをもとに後日、合評の様子をテキストで採録した冊子を作成、参加者に配ったりもしていた。
いくつかの句と、その合評の模様は「Red」にも掲載したが、ま、くだらない会合っすよというところを理解してもらうために挙げれば、そのひとつはたとえばこうした調子である。
で、この「句会」、枠設定があるようでいてあまりないというバランスが遊びとしてはなかなかよくできていて、できれば近くまたやろうよという話もあるのだけれど、そこに、加島さんも呼ぶというのはどうか。来てくれるかわからないけれども、ぜひとも呼びたいところだ。面白くなると思う。ていうか、みんなお盆休みとか予定はどうなんだ。上山君はまだ中国に行ったっきりか。永澤は何をしている。荒川はいったい今年で何歳だ。

(2007年8月 6日 21:56)

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/ 1 Aug. 2007 (Wed.) 「八月は小田亮さん推進月間」

最左欄、丸数字の「8」の下にある八月の写真のボツ案。オリーブ。

本橋哲也『カルチュラル・スタディーズへの招待』(大修館書店、2002年)。入門というか、思考するきっかけとして手ごろな啓蒙的一冊。平易な文章であることがかえって厄介なほどに、扱われる内容は平易ではない。

かしまゆう『Tシャツ』(文學の森、2004年)。楽天ブックスで扱っている。商品ページはこちら

大学時代に教わった先生のひとりである小田亮さんがブログ(はてなダイアリー)をはじめていたことをいまになって知った。そのひどく〈分厚い〉ブログを見つけた興奮のようなものはひとまず「blue」のほうに書いたのでそっちを参照していただきたい。

 その小田さんのブログはあまりの〈分厚さ〉ゆえ、たんにリンクを張ったくらいではたしてその一次テキスト(というのはつまり小田さんのブログ記事)をどのぐらいの人が読み進んでくれるだろうかとちょっと不安でもあり、おこがましいけれどもできれば私なりにその内容(とりわけ刺激的な部分について)を紹介──することをつうじて自分自身の理解するところを整理──したいと思うのだけれど、たったいまはその時間がないのでまたいずれ。
ほかに最近買って読んでいるのは本橋哲也さんの『カルチュラル・スタディーズへの招待』(大修館書店、2002年)。「カルチュラル・スタディーズ(文化研究)」はすでに私の学生時代、かつての「テクスト論」に取って代わり、文学研究においてそのメインストリームとなりつつあったもので、さらにはいわゆる「カルスタ」なる略称(基本的にはたんなる略語だが、人によっては「軽スタ」の響きを含み、「お手軽な研究手法」という皮肉が込められる)も当時から広く出回っていたけれど、いまふたたびそこへ「招待」されてみようというきっかけは何だったか。えーと、忘れたな。例によってアマゾンで買ったのだけど、その商品ページにあるカスタマーレビューのひとつがすごくひどいので紹介しよう。「くだらない。本当にくだらない」と書き出してからそのレビュアーはこうつづける。

そもそもカルチュラル・スタディーズとは、学問ではない。左翼やマルクス主義者の隠れ蓑(つまり学問を装った政治運動)である。それを大学で「教えて」いたり、もっともらしい言葉をしたり顔で使ったり、カタカナ語を多様したりするから、生真面目な人は勘違いしてしまう。

 これ、ある意味において応えるなら「おっしゃるとおり」である。透明であるかのような「学問」という価値の体系そのもの(何が学問であり、何が学問でないのか)が、すでに何らかの政治性をともなっているのであって、むしろそのことを指摘してみせるのがカルチュラル・スタディーズの典型的な仕事であるからだ(むろん、たんにそこに政治性があることを指摘するだけで事足れりとしてしまう論は、それこそ「カルスタ」の悪例だけれど)
7月28日付の日記に書いた句集、かしまゆう『Tシャツ』(文學の森、2004年)も届いた。一読。

俳句を作るようになってから、移ろう季節の中で風も水も輝きはじめました。私が感じた夏草を揺らす風を、この本を手に取ってくださった誰かに伝えることができたなら、それほど嬉しいことはありません。

 と、かしまさんは「あとがき」のなかに書くが、まああれだよね、「十七音でしゃべる技術」ってことだよね、ひとまず俳句は。むろん十七音は短い。短いがゆえに、直接詠まれている言葉以上の情景をそこに呼び起こしてみせるという技術なり、その魅力なりといったものがあるのだろうが、それとはまたべつに、十七音で、きっかり十七音分の情景を差し出してみせるという技術があるように思え、さしあたり私が魅力を覚えるのもそちらの技術である。たとえばこれはどうか。

 裃を着て舞猿の叱らるる

 裃(かみしも)を着た猿回しの猿が叱られていたのだろう。それだけのことである。それだけのことなのだけど、「十七音でしゃべる技術」(もしくは「十七音で視る技術」)をもった者はついそれを〈詠む〉のだ。

 一着の馬七夕の雨の中

 これは多少野心的な作りなのかなとも思うが、しかし、これも〈きっかり十七音分の情景〉であるところが私には好ましい。

 見送りに行かざる髪を洗ひけり

 これ、ついつい五・七・五のリズムでもって、「見送りに/行かざる髪を/洗ひけり」と読むと「見送りに行かざる髪」という〈女の物語〉がやにわに立ち上がるのだが、あえて不定律俳句ふうに読み、「見送りに行かざる/髪を洗ひけり」と考えると、これはまたべつの、〈きっかり十七音分の情景〉が浮かんで面白い。

本日の参照画像
(2007年8月 3日 05:53)

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