/ 14 May. 2006 (Sun.) 「かっこいいなあ」
■やろうと思えば会社から持ち帰った仕事などあるにはあるものの、何もしないと決めて、ぼんやりとした日曜を過ごす。妻は洗濯にいそしみ、私はサタデー・ナイト・ライブ 25周年記念番組のDVD をみる。番組冒頭に登場するのがビル・マーレイ。観客席には招待された多くの有名人たちが座っていて、それをいじって回る。ドリュー・バリモアに対しては、耳元で「ドラッグはもうやめたんだよね?」。おなじみ "Live from New York, it's Saturday Night!" のタイトルコールもビル・マーレイがつとめるのだが、そのさい客席にいるギャレット・モリスに向かって「耳の不自由な人のために手伝ってくれ」と声をかける。「難聴者のためのニュース」というかつての有名なネタらしいのだが、これが笑った。ビル・マーレイがタイトルコールをする画面の左上に円形の枠が出て、そこにギャレット・モリスの顔のショットが収まるから、これはその円のなかで同時に手話通訳が行われそうな恰好になるのだが、円のなかのギャレット・モリスはビル・マーレイの言う言葉を「大声で」繰り返すだけ、というもの。笑ったなあ。番組の大半は過去のコントのダイジェスト映像で、各ブロックに区切られたそのコント集の合間に、要は「VTRをどうぞ」と言う役割で、そうそうたる歴代のホストたちが登場する構成(有名どころで欠席なのはエディ・マーフィーのみ)。スティーブ・マーティン、チェビー・チェイス、マーティン・ショートの3人は揃って登場。チェビー・チェイスだけがサボテン・ブラザーズ(スリー・アミーゴス)の衣裳で出てくるが、あとのふたりはタキシード。「この衣裳で出るって打ち合わせだろ?」「みじめだからやめようってことになったじゃないか」というやりとりのなか、ほとんどしゃべらず、ただただチェビー・チェイスに憐れむような視線を投げるスティーブ・マーティンがたまらない。昔のコントに関して言えば、ダイジェストとして編集されてしまっているので雰囲気以上のものはわからなかった。
■サタデー・ナイト・ライブといえば、13日深夜放送の回に民主党のアル・ゴア氏が出演、番組の冒頭で「ゴア大統領のTV演説」を行ったらしい。演説内容の全訳とともに「医学都市伝説」で紹介されていた。ビデオはここ(回線の関係か非常に重いです。また、「YouTube」上にアップされていたものは著作権上の問題で削除されたようなので、これもそのうち消えるかもしれません)。しかし、"Live from New York, it's Saturday Night!" の掛け声の、なんとかっこいいことか。
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/ 13 May. 2006 (Sat.) 「田村君の結婚式」
■田村の結婚式当日。私は友人代表のスピーチと、それから仲間といっしょに余興(何度も書くようですが「歌とコント」)をやることになっている。
■あいにくの雨。そして気温もきのうよりぐっと下がって肌寒い朝である。東京を朝5時に出た吉沼夫妻が、無事8時すぎに着く。追って永澤もふたたび荒川宅に合流。ようやく全員が揃っての練習。
■雨のなか、荒川の運転で式場まで。式は教会式。私が仏前式で、荒川が神前式、上山君が(まあ言うなれば)人前式だから、いろいろ取り揃ったものだ。すると永澤のやる方式がもうないな。何か新しい方式を見つけてもらえればと思う。
■緊張した。出される食事はほとんど喉をとおらない。うまくいったのはスピーチのほうだ。前半は弁舌あざやかにくだらないことを言い、後半、訥々と「いい話」をするという構成。事前に誰にも原稿を読ませていなかったので、後半がどれだけ「いい話」として通用するか判断がつかないまま臨んだが、まあそれなりにうまくいったようだ。席で聞いていた吉沼は「うるっときた」という(さらに妻の目撃証言によれば吉沼は涙ぐんでいたらしい)。これはうまくいった。
■余興は、反省点が山積みだ。しかも、それ前回(荒川の結婚式での余興)のときも終わったあとにまったく同じ反省をしていなかったか俺たち、という調子。出来の悪さにいちばん落ち込んでいたのは上山君。いっぽう、永澤のなかではかなり満足度が高かったようだ。前者は基本的に「会場全体に伝わらなかった(伝わりにくいパフォーマンスだった)」ことを反省し、後者は「新郎には伝わった(笑っていた)」点を評価している。まあ、何よりもまず使用する会場設備の事前確認が足りなかった(今回の会場はリハーサルをするのにお金がかかるという話があり、それを敬遠していた面もあるけど)。スタンドマイクを使ったのだが、マイクの指向性がかなり強く、マイクに対してしっかり正面から声をぶつけないと拾ってくれないし、楽器の音もほとんど拾わない。「会話」を意識して話す相手に顔を向けたりするとマイクが拾っていないのだ。はじまってすぐそのことには気づいたが、やりながら皆にそうした指示を出している余裕がなかった。
■だめだなあ、どうしてこう余興向きでないスタイルにばかり行くのだろうか。こうしてまた、「余興」としては最後の荒川の「乾杯」に救われた。そのあとに出てくるほかの余興の、そのあまりの「余興らしさ」に上山君と私はうなだれる。次の機会(残っているのは永澤の結婚式)があるとすれば、やっぱり次は映像だよ。映像がいい。と、これも前回同じようなことを言っていたはずだが。
■ぐだぐだになってしまって申し訳ない、というようなことを後日田村に電話したときに話すと、田村は「いやいや面白かったよ」と喜んでくれていた。披露宴のあと、式場のカメラマンが田村に「あれ、面白いですね。わかる人にはわかりますよね」と褒めていたらしい。カメラマンのその言葉に少し救われた。
■妻が先日来の風邪で体調が思わしくなく、二次会は失礼することにして東京に戻る。つもりが、その途次で私の実家から連絡が入り、みえさん(義姉)のお産がはじまって、今日にも産まれそうだという。妻も行きたいというのでふたりで下館へ。ちなみに、助産師さんをたのんでの自宅出産である。みえさんのいる兄宅(実家の向かい)はむろんたいへんなことになっている最中なので、そっちには顔を出さず、母家のほうで待機。結局この日はいったん引いてしまって産まれなかったが、夜までいて、そして東京に戻る。
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/ 12 May. 2006 (Fri.) 「栃木に来ている」
■会社を定時にひけたあと、一路、電車で栃木を目指す。新宿からは新宿湘南ラインに乗ったがちょうど混雑時で、こっちはスーツケースなどもあり大荷物だからと、ここはひとつグリーン車ってやつにはじめて乗る。Suica をもっているとホーム内にある券売機でグリーン券が買えるのだが、あらかじめ料金をたしかめずに券売機をいじっていたら、それ、950円もする。500円ぐらいのつもりでいたが、グリーン車を甘く見ていた。そして、この「Suica グリーン券」てやつがすごいことになっている。細かい描写をするのはいまは面倒なので次の機会にゆずるが、とにかくシステマティックなのだった。
■栗橋駅へと向かう電車のなかで11日の日記を書く。栗橋で乗り換えて、さらに新栃木まで。そこで永澤の車に拾ってもらい、荒川宅までもう少し。9時すぎに着いて、ごはんをよばれる。
■いるメンバーだけでひとまずコント部分の練習。動きを決めていく。言いにくそうにしている台詞は、このさいどんどんちがう言い方を提案し、試してみることにする。近年まれにみる体調絶不調期にあるという永澤は、まあ基本的には風邪らしいのだが、多少元気がない。11時すぎには、大阪から上山君夫妻が栃木に到着。荒川が車で迎えに行く。吉沼夫妻だけは明日の早朝、栃木に来ることになった。
■コントにある程度めどを立てて、次は歌と演奏パートの相談と練習。こっちに関しては上山君に任せっきりで私は何もしない。というかできない。全体を2回ほど通したところですでに午前2時だ。明日の朝は早いし、永澤は自分の実家で寝るために車でこれから戻らねばならないしで、いったん練習はお開き。寝る準備をして、みんながそれぞれの床についたのが、なんだかんだで午前3時ごろである。寝ればいいものを──そしてじっさいに眠いものの、PowerBookなど持ち出して電車のなかで書いた日記の推敲をはじめてしまった。なにしろほんとうは眠いから、推敲を経た文章は悪化しているかもしれない。
■いよいよあきらめて1時間ほど寝たあと、5時すぎに吉沼に電話すると、ちょうど東京の家を出るところだった。8時ちょうどに荒川宅の最寄り駅に着くという。それからまた寝て、6時半に今度は永澤に電話。吉沼の着く時間を伝え、駅まで車で迎えに行く役をお願いする予定だったが、永澤がことのほかグロッキーで、その役は荒川に回されることになる。妻は7時すぎに起きた。私はこの日記を書いている。
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/ 11 May. 2006 (Thu.) 「ダ・ヴィンチ・コード」
■ところでいきなりな話、『ダ・ヴィンチ・コード』だけれども、私はまだ読んでいない。「医学都市伝説」のブログが先日取り上げていたのが『ダ・ヴィンチ・コード』で、そこには辛口な読後評が書かれてあるけれども、書き出しには、
連休の間、酒飲んで寝てばかりいたら、定年退職後に濡れ落ち葉となってアル中化し、我が良き顧客(筆者の職業は精神科医:引用者註)となる人々を思い出して、せめてまとまったことをしようと、必死になって文庫本3巻という結構な厚みのこの本を読み通す。
(医学都市伝説: ダ・ヴィンチ・コード)
とあり、まず私が感銘したのは筆者の、「せめてまとまったことをし」たいというその意志だったはずだと思い出す。とかく買ってきた本を読了していないのが私である。そんななか、読後評のなかに軽く引き合いに出されるかたちで登場する「U・エーコの『薔薇の名前』」という固有名詞には、その記事を読んだとき、ほんとうに驚かされる思いがしたのだった。
例えば狙いは似ていないでもない、U・エーコの「薔薇の名前」や「フーコーの振り子」とかでは、別にクソ難しいトリビアを垂れ流しこそしなくても、もう少し厚みがある印象を残しましたがなぁ。
(同上)
いったい何にはっとさせられたのだろうか。ひとつには、「そうだよ、『薔薇の名前』も読んでいなかったじゃないか」(これは買って読了していないのではなく買ってないのだが)ということがあって、するとそれはつまり、『ダ・ヴィンチ・コード』を読むんだったらそれよりもまず『薔薇の名前』だろうと考えたことになるけれども、しかし立ち止まって考えてみるに、俺、『ダ・ヴィンチ・コード』を読もうとしていたんだっけ? という疑念は当然湧くところで、いやいや、べつに読もうとは思っていなかったはずだと答えるとするなら、結局のところ私は、ただ純粋に『薔薇の名前』を読みたいと思ったのだとしてまちがいない。
■そうだよ、『薔薇の名前』もまだ読んでいなかったじゃないか。
■読めばまずまちがいなく面白いだろうと思われる本、あるいは少なくとも読んでおいて損はないだろう部類の本で、けれど(だからこそなのか)、読んでいないものは多い。『ドン・キホーテ』だってそのひとつだ。『トリストラム・シャンディ』だってちゃんと読んだのはほんのわずかな量でしかない。そうした本たちはえてして事前に優劣というか、優先順位を付けにくいから、「読んでみるか」とそのうちのひとつを手に取った瞬間にものすごい数の同様の本たちが想起されてしまう。「じゃあ、ひとつこれから片付けよう」とそこで堅実な歩み方ができればいいものの、できないんだなあ。
■あと、読書に際しての辛抱も足りていない。最近は本を読んでいるとすぐ眠くなるので困っている。困ったなあ。
■で、『ダ・ヴィンチ・コード』はどうなったんだという話だけれども、じつは単行本がうちの本棚にはあって、着実に物事を進めていくことで知られる妻が、しばらく以前に読了しているのだった。で、私はその前に『薔薇の名前』だ。断固、『薔薇の名前』だ。ここはひとつ妻に読ませて、その感想を聞くという手もあるかもしれない。「妻に聞く、世界の名作」だ。それはいいな。
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/ 9 May. 2006 (Tue.) 「台本配布」
■田村の結婚披露宴でやる余興の「コント部分」の台本に、8日の夜、ようやく取りかかった。書き出したらわりとすんなり書けた。で、今日(というのは9日のことだけど)の昼過ぎにメンバーのみんなにメールで流す。お待たせしました。本番は次の土曜日。まあね、これでなんとかなるでしょう。期待してますよ、演者のみなさん。
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/ 7 May. 2006 (Sun.) 「休みの日々」
■無為に過ごしがちな休日である。
■ひとつにはいま、うちではデジタル WOWOW とスカパー!110 とが両方見られるということがあって、それがよくない。デジタル WOWOW は6月30日まで無料視聴キャンペーンだと捨て身なことをいうし(7月以降継続する場合に使用するクレジットカード番号をあらかじめ伝え、要は契約を済ませてしまう。で、キャンペーン適用期間が終わって課金がはじまるその前に解約してもかまわない、というしくみらしい)、スカパー!110 のほうはぐっと穏当だけれども16日間の無料体験サービス中だ。よくないってこともないが、ついつい見てしまうのはいかがなものか。子どもかよ。
- ハイビジョン No.1
- ハイビジョン放送の情報量は、DVDの倍以上。(情報量が多い=細部まで綺麗に映る“高精細”な映像) デジタルWOWOWは、国内のデジタル放送においてハイビジョン映画の放送数が最多。つまり綺麗な画質の映画を一番楽しめるのはデジタルWOWOWなんです!
と謳うデジタル WOWOW の映画は、単純な話、きれいだ。きれいだなあ、とこないだなんとなく見始めてしまったのは『サハラ 死の砂漠を脱出せよ』である。まあなんです、これを番組表でだけ目にしていたら、『サハラ 死の砂漠を脱出せよ』はまずまちがいなく見てないだろう部類のタイトルですよ、これは。(ちなみに原題はただの「Sahara」。)
■で、結局最後まで見てしまった。信じてもらいたいが、わりとおもしろかったんだよ、それが。どういう映画かは、以下の amazon.co.jp によるレビューが手際よくまとめていてわかりやすい。
クライブ・カッスラー原作で、世界中にファンを持つ冒険シリーズを映画化。主人公のダーク・ピットは、海洋学者、アメリカ政府のエージェントなど、さまざまな顔を持つ。1枚の金貨を手がかりに、西アフリカで秘宝とともに姿を消した甲鉄艦を探すピットが、謎の疫病の真相を探る博士と出会い、型破りなアドベンチャーへと発展していく。
ヒーロー像は、ジェームズ・ボンドとインディ・ジョーンズの合体のようだが、そこに軽妙な魅力が加わっている。ピット役のマシュー・マコノヒーも、わざと軽さを意識した演技。実際にアフリカで撮影された映像が圧巻で、走るラクダから列車に飛び移ったり、墜落した飛行機を改造して砂漠を疾走したりと、他の映画にはないアクションがたっぷり登場する。ペネロペ・クルス演じる博士とのロマンスはさらりと描くのみで、むしろピットと相棒アルのコミカルな掛け合いに重点が置かれているのは、冒険アクションとして効果的。全体に目新しさはないものの、このジャンルとしては合格点の出来だ。(斉藤博昭)
(Amazon.co.jp:サハラ -死の砂漠を脱出せよ-: DVD)
いや、べつにおすすめしてるわけじゃないんですがね、こうした映画をテレビで見てはぼんやりするような日々だった。
■一方、妻は着実に物事をすすめていくからえらい。布の手提げバックとテーブルクロスを縫い上げ、家庭菜園にも着手した。ミニトマトと、小カブと、インゲン。種の買い物について行った私が、脇から「これもいいなあ」と追加で買わせたゴーヤとブロッコリーは、育て方の資料が手元になくてまだ蒔いていない。
■そんななか、夫はビル・マーレイの『恋はデジャ・ブ』を観たり(これも邦題で損してるよなあ。原題の「GroundHog Day」が訳しづらいのはわかるが、たとえば素直に「2月2日」とかさ。内容についてはこちらを参照されたい)、まったく唐突な話だけれども『リオ・ブラボー』を観たり(このふたつはレンタルビデオ)。連休前から手を付けていた鈴木謙介『カーニヴァル化する社会』(講談社現代新書)だけはなんとか読了させた。
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/ 3 May. 2006 (Wed.) 「エウリカ!」
■引っ越し後の買い増し家電のひとつがエスプレッソマシンで、どう考えたってこれは衝動買いの部類に入るが、買ったのは Electrolux というメーカーの「NOVA ECM350」というやつだ。衝動買いたる所以はコーヒーメーカーとセットになった図体の大きいほう(エスプレッソマシンだけの型もある)を買った点にあり、コーヒーに関してはうちはサイフォンがあるから、どうしたってサイフォンのほうを使ってしまう。サイフォンのほうが旨い。コーヒーメーカーは一度にたくさん淹れられて、保温プレートがあることが利点で、なんとかそこに活路を見出したいところだ。
■エスプレッソマシンはまだ操作そのものが楽しいという時期で、そのうち飽きるんじゃないかとは思うものの、ありがたいことにまだ飽きていない。いつもたいていカプチーノ(エスプレッソに泡立てミルクを加えたもの)を作る。そのほうがより操作が大仰になって楽しいということもあるし、あと、大がかりなわりにはやはりエスプレッソは少ないのだった。報告したかったのは、ようやく熱々のカプチーノを淹れる手順がわかったということである。マシンの機能上、エスプレッソの抽出とミルクをスチームノズルで泡立てるのとは同時に行うことができないから、これまでは素直に(?)、まずエスプレッソを淹れてから次にミルクを泡立て、泡立てたミルクをエスプレッソに注いでいたが、そうするとどうしても飲む時点でぬるいのである。先日友人たちが大挙してわが家に来たときに振る舞ったカプチーノもその手順だからぬるかった。むろんカップはお湯で温めておくし、エスプレッソを抽出するまでにミルクやら何やらもろもろの準備は万端に整えて臨むのだが、どうしてもぬるい。なものだから、これはこうしたものなのだろうと諦観して、友人たちにも「言っとくけどぬるいから」と宣言して振る舞っていた。
■で、単純なことなのだけど、ミルクの泡立てを先にやって、エスプレッソの抽出をあとにすればよかったのだ。それでだいぶちがう。エスプレッソは量が少ないからミルクを泡立てているうちにすぐ冷めてしまうが、その逆は比較的大丈夫、ということのようだ。なるほどなあ。気がついてよかった。
■いや、それだけの話なのだけど。
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/ 1 May. 2006 (Mon.) 「眠かった」
■30日の夜、吉沼夫妻は帰ったけど、残りのメンバーで打ち合わせのあと食事に行き、それからまた家に戻ってきて準備の手筈に関する若干の相談を済ませて午後9時ごろに解散したそのあと、ソファで少し眠り、風呂に入ってから、ひきつづいて明け方まで仕事をした。また少しだけ寝て会社へ。午後6時すぎにすぱっと切り上げて会社を出たが、帰ってきてみるとひどく眠い。かろうじて風呂に入り、「Yellow」を更新する。電気を消さずに寝てしまったことを妻に叱られる。余興の台本は書けなかった。
■『ブロークン・フラワーズ』は立川でもやっているようだ。観に行こうかな。「サタデーナイトライブ」出身者というとスティーブ・マーティンだ。スティーブ・マーティンがクルーゾー警部を演じる「ピンクパンサー」の新作もまもなく封切りなのだった、と先日、映画館の壁に貼られたポスターを見て思い出す。