/ 31 Jan. 2014 (Fri.) 「いつまで書いている」
■というわけで、いつまで書いているんだという 1月の日記だけれども、いよいよここに漕ぎつけた。ありがとう。ひとえにみなさんのおかげです。もう何も思い残すことはないので、わたしは 2月へ行きます。
■思い残すことといえば、きのうの「ドロンドロン」を書いているときに、かつてコンタロウ氏が「 1・2のアッホ!!」のなかで描いた「アラッ・ドロン」のことがふと脳裏をよぎり、日記の記述をどうにかそこへ接続できないかと考えていたことをいま思い出した。土台無理な話なので、接続しなくてよかったといまは胸を撫で下ろしている。
■そして、これがコンタロウ氏の描く「アラッ・ドロン」だ。
そうだ… アラッと 気がついた時にはもうドロンしてる… やつこそはフランスの麻薬シンジケートの陰部…いや幹部アラッ・ドロンなのだ
『 1・2のアッホ!!』第 6巻、p.11
とは作中の麻薬取締官による説明であり、わたしはいま、アラッ・ドロン登場回の「カントクコネクションの巻」と「カントクコネクション2の巻」を読み返した。だからいま、わたしはアラッ・ドロンにすごくくわしい。アラッ・ドロンについて何でも説明してやろうという気概に溢れている。しかし同時に、そんなことをしている場合ではないということもまた弁えているつもりだ。もう行かねばならないのだから、2月へ。
■そうはいっても『 1・2のアッホ!!』の第 6巻といえば、やはり表題作の「バイバイキングの巻」に触れておかねばならないのではないかという気にもさせられる。「ああ! 望郷の巻」「地球人襲来! の巻」とつづく連作で、そこでは 1970年代のアメリカのバイキング計画がネタにされている[※1]。
- ※1:バイキング計画がネタにされている
バイキング計画は NASAによる火星探査計画で、無人探査機のバイキング 1号、2号がそれぞれ 1975年に打ち上げられ、翌 76年に着陸に成功した。「バイバイキングの巻」の初出時期はわからないが、単行本は 1977年12月31日の初版発行で、作中のアメリカ政府が「カーター新政権」であることからも 77年の作品と思われる。で、わかるようにわたし( 75年生まれ)はリアルタイムの読者ではちっともなくて、「兄のお下がり」であるこれを小学校中〜高学年のころに読んでいた。
予算の都合で片道分の燃料しか積んでいない NASAの「有人」火星探査機バイバイキングの乗組員に仕立て上げられたそば屋の出前持ち「ノロ和」が火星へと旅立ち(「バイバイキングの巻」)、無事火星に降り立って火星人女性とのあいだに家庭まで築くが、今度は火星の NASAにだまされて有人地球探査機に乗せられ帰還(「ああ! 望郷の巻」)、まさかの帰還にあわてた NASAが再度ノロ和をバイバイキングに乗せ打ち上げると、今度はそこに「カントク」らのレギュラーキャラクターたちも乗り合わせて……(「地球人襲来! の巻」)というお話だ。いや、読者におかれては、なぜいま自分は「バイバイキング」のあらすじを読まされているのかと、いぶかる向きもきっとあるだろう。思いはわたしもおなじだ。アラッ・ドロンさえもほぼ関係なくなってしまった。もとより「 1月31日」はまったく関係がない。申し訳がない。
■では、2月にまたお会いしましょう。
Cycled 1.8km • 8min • 40kcal.
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/ 30 Jan. 2014 (Thu.) 「ドロンドロン」
■タイ・パタヤで開催されている「 PTTパタヤ・オープン」のシングルス 2回戦、クルム伊達公子 v. Tadeja Majericの試合を夜、ライブストリームで見た。7-6(4), 6-3で伊達さんが勝ち、ベスト8に進出したのだけれど、1回戦にひきつづいてのたいへんな試合(トータル 1時間39分)だった。で、日付が変わった未明に、伊達さんの公式ブログに自身による試合の振り返り記事がアップされたのだが、読んでいてとにかく「ドロンドロン」が気になってしかたがなかった。
2回戦もタフでした。
今日の相手は掴みどころがなく
ペースを乱される展開でとってもやりづらかった。パワーはあるけど
基本はドロンドロン拾って拾ってくるタイプ。
でも急に特にバックハンドは打ってきたりするので
リズムが掴めない。
2014 Pattaya Open 2r|伊達公子オフィシャルブログ ~Always Smile~
ここにまず最初の「ドロンドロン」が出てくる。なんとなくわからないでもなく、「拾う」を修飾していることからして「どんどん(拾ってくる)」に「泥臭いプレースタイル」というニュアンスが掛け合わされているのかとひとまず解釈して読み進めるが、こちらのその半端な理解を尻目に、伊達さんはとにかく「ドロンドロン」言う。
とにかく左右に振っても端から端まで走っては
ドロンドロン返してくる。
意外に前後の反応も悪くなく走ってくる。出だし2&3ゲーム目でそのドロンドロンに
まったくタイミングが合わずドツボリかけて
気持ちを切り換えて後ろのドロンドロンにつき合わないように
でも後ろに下がらされるときは次の展開を変えれる隙を待つ。
同上
ひょっとして「ドロンドロン」が言いたいだけなのではないかと疑いたくなるほどだが、しかしこれほど躊躇なく使われているということはわりと知られた「テニス語彙」なんじゃないかとも思えて、「テニス ドロンドロン」で検索してみるも、これといった結果は引っ掛かってこない。じゃあ、もう少しローカルな「伊達語」としては確立されているのだろうかとブログ内検索をすると、あった。たった 1件、1箇所だけだが、2012年1月の記事に前例が見つかる。
今日の相手はフォアーはドロンドロンやって来るし
バックはいろんな攻めをしてくるしミスも少ない。
ITF$50,000+H S QF & D F|伊達公子オフィシャルブログ ~Always Smile~
また、さらにさかのぼって 2011年4月の記事には、同じニュアンスを伝えると思われる、「ドロン」単体での用例がもう 1件見られる。
そんなことよりも
ドゥルコのフォアーのドロンとしたボールに
最後まで対処しきれなかったのが大きな敗因。
Barcelona Ladies Open 1R|伊達公子オフィシャルブログ ~Always Smile~
「ドロンドロン」が指す状態にはどうやら、「球質」が関係しているようだ。また、ごく限られた用例からの話だが、フォアハンドのボールはドロンとしがち、ということもここからは見てとれるかもしれない。そこであらためて問われるのは、「ドロンとしたボール」とはいったいどんなボールかということだが、意外に意味は広く、伊達さんが「やだなあ」と思うボールのことだったりしたらどうしようと、ちょっと思わないでもないのだった。
■という報告。
Cycled 2.1km • 10min • 46kcal.
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/ 29 Jan. 2014 (Wed.) 「ライブスコアのたのしみ」
■タイ・パタヤで開催中の「 PTTパタヤ・オープン」、シングルス 1回戦のクルム伊達公子 v. ガルビネ・ムグルッサをライブスコアにて観戦したのは、ゆうべ 28日の夜から今日の未明にかけてだ。
■たぶんおおもとにあるのは賭け事業界のニーズなのだと思うが、いまどき、見ようと思えばかなりの試合がなにがしかの動画中継で、かつ画質のわるさやカクカク具合をいとわなければ無料でも見られるように按配されているのだけれども、とはいえ各大会のうちでも低い扱いのコートで行われる試合など、どうしても中継のないものもあって、今回のがそれだ。簡素なスコアボード上を切り替わる文字── 0、15、30、40、A──をただ見、つぎに切り替わるのをただ待ちするだけなわけだが、しかし白熱したな。
■ちなみにライブスコアはたとえばこんな感じ。
これでいうと、選手名のアタマに付いている黄色い丸がサーブ権で、名前の右の [ ] で囲まれた数字は世界ランク、さらに右の、薄い色で表示されている数字が「 bet365」というオンラインブックメーカーでのオッズだ。ここではランキング 19位のディミトロフのほうが「ややかたい」と見られているわけで、「いまこの瞬間に betした場合、当たれば 1.40倍の配当がある」ということを示している。そうやって途中からでもどんどん betができるので、このオッズも試合の進行につれ、それこそ一球ごとに刻々と変化する(どの時点まで betできる決まりなのかはいまいちよくわからない)。で、スコアの配信がやや不安定なときなど、ときに本来のスコア表示(いちばん右の 15とか 30とか)よりもオッズのほうが素早く、着実に更新されることがあって、いよいよという緊迫した場面ではむしろオッズのほうを見守っていたりもする。
■ちょっと身がもたないくらいに繰り返される緊迫と安堵と不安のすえ、じつにトータル 2時間53分、6(2)-7, 7-5, 7-6(6)のフルセットで、ついに伊達さんが勝った。相手のムグルッサは世界ランク 35位( 1月27日付)で大会の第 6シード、伊達さんは全豪オープンでの 1回戦敗退もあってランキングを 105位に落としていたところでのアップセットだ。
大きな大きな勝利です。
勝ったからだけではないです。
2014 Pattaya Open 1r|伊達公子オフィシャルブログ ~Always Smile~
と、明け方に更新された公式ブログで伊達さんも(「も」ってこたあないけど)大きく興奮し、それで、どんな試合だったか、どんなキーポイントがあったかということをこまかに振り返ってくれるのだったが、しかし、そんな試合だったことなどつゆも知らない──基本、得点の移り変わりしか見ていない──われわれもまた、いっぽうで大いに興奮していたのだった。
ライブスコアに「ダブルフォルトを見る」というのは、それちょっと相当の技芸ではなかろうかと思う。基本的には、「サービスゲームで、あまり間隔をおかずに相手に点数が入った場合」ってことになるのかと思うが、だとすると「セカンドサーブをリターンエースされた」可能性や、「ファーストサーブが入り、3ショットで終わった」可能性をどう排除するかがむずかしく、その見極めにはセンスとデータ把握力とが問われることになるだろう。ってまあ、ひとくちにライブスコアと言っても、モノによっては「いまのはサービスエース」といったことまで表示してくれる手の込んだものもあるから、たんにそれだけの話かもしれないけれど。
■でもその、わたしはこのひとたちほどじゃないというか、個々の得点/失点をそこまで〈映像化〉して見ているわけでもないんだけど、しかし何だろう、このライブスコアのたのしさってやつは。いや、もちろんね、今日のライブスコアがそこまで面白かったってことについちゃあ、何よりもまず「試合が面白かった」という以上の理由はないわけで、だからその、「大きな大きな勝利」、おめでとうございます、伊達さん。
Cycled 1.9km • 9min • 41kcal.
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/ 28 Jan. 2014 (Tue.) 「Twenty Years of (my) Mac」
■こんな話題をもってくるということは相当書くことがないんじゃないかとご想像いただきたいところだが、そういうわけで、Macintoshが 30周年だそうだ。30周年を記念して Appleでは「 Thirty Years of Mac」という特設サイトをオープン、話題を集めている。
■ 1984年1月24日、初代といわれる Macintosh 128K(写真)が発売された。むろん(生まれてはいたけれど)当時のことは知らない。わたしが Macに触れたのはそれから 10年後の 1994年、大学に入った年である。Appleの CEOはすでに 4代目のマイケル・スピンドラーだった。上京してしばらくは次兄とふたり暮らしをすることになるのだが、大学に入るなりその兄(当時 Macintosh IIvxユーザー)に「じゃ、とりあえず Mac買おうか」と言われて買ったのが LC575という機種だ。
■本来は家具を揃えたりとかの名目で親から出た「上京資金」のようなものをつぎ込んだのだと思うが、具体的にどういう支払いだったかはよく覚えていない。ただ、その後に 32MBのメモリを 10回払いのローンで買ったことはよく記憶している。LC575は秋葉原──うーん、ソフマップだったかなあ、それもよく覚えていない──で買い、兄とふたりで高円寺まで手で持って帰った。ぎりっぎり持ち帰るべきではない重量だった。時代はインターネット以前。「マルチメディア」ないし「インタラクティブ(双方向)性」という夢が CD-ROMメディアをめぐって語られていたころだ。The Residentsの「 Freak Show」とかね。で、わたしはというと「信長の野望」の Mac版などやっていた。あと「二角取り」。
■と、この調子ですっかり振り返っている時間もさすがにないので、本家「 Thirty Years of Mac」に Webフォントとして用いられているアイコンフォントを拝借しつつ、以降のマシン遍歴だけ示しておくとこんな具合である。さて、いよいよ退役時期をむかえた Mac Pro (2006) の、そのつぎはいったい?
■あ、あとポータブル機の遍歴はこんな感じっす。
- PowerBook 190cs/33MHz
- PowerBook G4/667MHz 15インチ (Gigabit Ethernet)
- PowerBook G4/1.33GHz 12インチ
- MacBook Pro 17インチ (Mid 2009)
- MacBook Air 11インチ (Mid 2012)
Cycled 2.2km • 10min • 47kcal.
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/ 27 Jan. 2014 (Mon.) 「北関東によって伝えられたミネストローネ、さえも」
■いったい何を言い出したんだと、朝、フォロワーのみなさんには心配をおかけしたろうか。
余った節分豆で作る、煎り大豆のミネストローネスープ [ダイエットレシピ] All About http://t.co/TJNw1chElD #SmartNews
2014年1月27日 9:48
垣間見てしまった知人の一面にひやりと首のあたりをなぜられる、そんな思いをさせてしまったとすれば申し訳ないが、いっぽうでここに思いがけず、新たな相馬像が誕生したとも言えよう。節季を重んじてきちんと行事をこなし、豆が余れば煎って料理に使う手間を惜しまない、ミネストローネはどうかというその提案に興奮してみせる料理好きで、かつダイエットへの目配せも怠らない、そんな相馬はどうか。「あの相馬が、豆を余らせるとは」といった驚きも、あるいはあったかもしれない[※1]。
- ※1:「あの相馬が、豆を余らせるとは」
いきおいで書いたが、何を言っているのか自分でもわからない。
■ツイートから一時間もたったころ、小中同級のNさんに Facebookで「いいね!」を押され、かつコメントまで寄せられてようやく気がついた。「 #SmartNews」というハッシュタグが付いていることからしておそらく、iPhoneに入れているニュース閲覧アプリの SmartNewsで「この記事をツイートする」といったような操作をしたのだと思われるものの、なんにも覚えがないのだった。その記事を開いた記憶さえないので、ズボンにねじ込んださいに iPhoneの画面がなお生きていて、触れた指が奇跡的に操作を成立させてしまったとしか思えない。直前には Safariで、バブリンカの優勝を伝える THE TENNIS DAILYの記事を読んでいたはずだ。うん、あらためておめでとう、バブリンカ。という気分のわたしに、Nさんは言う。
〔ミネストローネなら〕しもつかれ(すみつかれ)より家族には受け入れてもらえるかも。
まぁ、しもつかれ、作った事ないんですけど。。。
何の話だ?
■と思ったら、そういう話だったわけだ。あ、「しもつかれ」というのはこちらのほうの郷土料理で、個人的により馴染みのあるのは「すみつかれ」という呼び名のほうか。そもそもが救荒食〔飢饉をしのぐための食物〕であってまず子供受けはしない、ということのほかにとくに説明する言葉もこまかなレシピの記憶も持ち合わせていないのだが、どうやら、そこに使われる大豆は節分に撒いた残りを用いるのが習わしであったらしい。
しもつかれとは北関東地方(主に栃木県方面。群馬県・茨城県方面なども)に分布する伝統の郷土料理で、初午の日に作り赤飯と共に稲荷神社に供える行事食。鮭の頭と野菜の切り屑など残り物を大根おろしと混ぜた料理である。地域によりしもつかり、しみつかり、しみつかれ、すみつかれ、すみつかりとも呼ぶ。
しもつかれ - Wikipedia
まず言いたいのは「呼び方多いよ」ということだが、
『宇治拾遺物語』『古事談』などの説話にも記述されている「酢むつかり」を起源とする説が有力であり
同上
ということからすると、呼称の揺れ幅は、ことによるとたんに〈思い思いに訛った=当人たちはみな「酢むつかり」と言っているつもり〉ということなのかもしれない。いや、それを言ったらミネストローネだって、北関東に伝承していたらきっと事情は同じだったはずなのだ。
ミネストローネ(minestrone)は、主にトマトを使ったイタリアの野菜スープである。イタリアでは、使う野菜も季節や地方によって様々であり、決まったレシピはなく、田舎の家庭料理といった趣である。そのため、トマトを入れていないものでも「ミネストローネ」と呼ばれることがある。北関東地方では、地域によりミノセトロニ、ネムストロネ、ニモシトロニ、ミニシトロニ、ミノシトローニとも呼ぶ。
Cycled 1km • 4min • 22kcal.
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/ 26 Jan. 2014 (Sun.) 「歌舞伎座へ、母と」
■歌舞伎座へ、母と。「壽初春大歌舞伎」の昼の部を観る。11時開演であいだに休憩をはさみつつ四演目、終わって外に出たときにはもう 16時をまわっていた。で、16時半が夜の部の開演時刻だ。たいへんなことになっている。
■母のほうは建替え後の歌舞伎座に入るのがはじめて。わたしは建替え前も含めてはじめての歌舞伎座だ。花道にちかいいい席で観る。「大向こう」と呼ばれる例のかけ声では、「
■歌舞伎座のあとは寿司。銀座で寿司。ここがほんとうにうまかった。えーとね、「寿司清」ですね。アップルストアの斜め向かいあたりにある。
■喫茶店ですこし休んでから上野へ。下館への帰途につく母とはそこで別れて、わたしは鈴本演芸場の窓口に寄り、(古今亭)志ん好さんの披露目興行の前売りチケットを買う。と、そのころには全豪の男子シングルス決勝──ナダル v. バブリンカ──が試合開始。「ほう」という出だしなどライブスコアで確認しつつ家路につく。
■第 3セットの終盤からテレビ中継にありついて、バブリンカのグランドスラム初優勝を見届けた。
Cycled 1.9km • 9min • 42kcal.
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/ 25 Jan. 2014 (Sat.) 「準決勝の録画を見る」
■というわけでまんまと、ナダル v. フェデラーの結果を知らぬまま過ごした。いまでも知らずにいる──と書けば漱石の『こころ』めいてたのしい[※1]のだが、そうしていると次の決勝も見られないので録画を見ることにする。誰か v. バブリンカであるところの男子シングルス決勝は明日( 26日)の夜だ。
- ※1:漱石の『こころ』めいてたのしい
- 「奥さんは今でもそれを知らずにいる」と「上 先生と私」の十二章にある。この記述が足がかりのひとつとなる〈手記を書く現在における「私」〉という問題こそが『こころ』を読む醍醐味だが、たとえば小森陽一「『心』における反転する〈手記〉」(『構造としての語り』所収)では、語る現在における「私」(=青年)と「奥さん」(=静)との〈共棲〉というあざやかな物語が読まれている。
■ところでわたしはテニスにかんする日本語ニュースソースとして、これまでもっぱら「 tennis365.net」を参照していたのだが、先日来「 THE TENNIS DAILY」も読むようになってその記事の(というか多分に訳文の?)質の差に驚いている。前者の翻訳記事の投げやり感はかなりのものがあり、それに比すと後者にはだいぶ「記事」っぽさがあるのだった。
■もういっぽうの準決勝をバブリンカが制したことで、もしフェデラーが勝てば「スイス・ファイナル」となる状況ができあがり、「ああ、それはいいストーリーだなあ」といった感慨と期待と願望とがどことなくただようのがこの準決勝(いや、だからきのうの夜に終わってるんだけど)なのだが、過去の対戦成績や昨年来の調子、贔屓目のないところに想定される現時点での「実力」ってことでいけば、やはりオッズが低くなるのはナダルのほうだ。ただ、ナダル側の唯一と言っていい不安材料が「マメがつぶれた左手のひら」で、痛み云々はともかく(!)、厚いテーピングをそこに巻くためにグリップを握る感覚に微妙に違和が生じ、それが試合にどう影響するかわからないという事前情報である。THE TENNIS DAILYの配信する記事もどことなく、スイス・ファイナルになれば面白いという興味からフェデラー寄りの視点でより多く書かれているように見えるその状況のなかで、だからこそ、記事のしめくくりにそっと添えられたこの一文にはぐっとくるものがあった。
ナダルは左手のひらにできたマメに苦しんでいる。準々決勝でも22歳のグリゴール・ディミトロフ(ブルガリア)を相手に第1セットは落とし、第3セットでもセットポイントを許すなど苦戦した。彼は手に厚いテーピングを施し、サービスを打つのに影響があると認めている。
だが、女子の準決勝に注目が集まる中で、彼は木曜日の練習ではテーピングなしで練習している。
まずはバブリンカが決勝に進出。次はナダルか?フェデラーか? [全豪オープン]|グランドスラム|ニュース|THE TENNIS DAILY
■わたしもまたフェデラーに期待していた(というか、今大会の「期待できるフェデラー」にわくわくしていた)ひとりだったが、結果はナダル。フェデラーもけっしてわるくなかったのだが、これが相性というものかの 7-6(4), 6-3, 6-3 ストレートである。テーピングにかんしていうと、ナダルは試合途中にメディカルタイムアウトをとってマメの治療をおこなったあと、以降テーピングをせずにたたかった。
■あ、前にも書いたけど、ナダルについてはその、どことなく顔が高校同級の永澤(悦伸)に似ているという一点でもってわたしは好きなのだった。がんばったな永澤。おめでとう。
■トリン・T. ミンハ『ここのなかの何処かへ──移住・難民・境界的出来事』(平凡社)と、『天然生活』の 3月号、『となりの関くん』5巻、『ちはやふる』22、23巻を買った。
Cycled 3.5km • 13min • 74kcal.
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/ 24 Jan. 2014 (Fri.) 「お読みいただいてますでしょうか」
■全豪では男子シングルス準決勝、ナダル v. フェデラーが夕方から。これはちょっと録画することにして、どきどきの延命をはかる。
いちおう録画してるし、ライブスコアは追わないことにする。きっとどっかで結果知っちゃうんだろうけど。
2014年1月24日 18:26
とつぶやいたのは、唯一ネット以外に情報源となる可能性のある妻に「言うなよ」ということを示すためだが、そうして、以降いろいろ情報を遮断する。
■夜、六本木の「新世界」というライブハウス(でいいのかな? 劇場? 四半世紀前には「アンダーグラウンド自由劇場」だった場所である)で宮沢(章夫)さんのトークイベント「ラジオ無駄話の宮沢」があり、ただの客として聞きに行く。トークの内容については──そのほとんどが書けないようなたぐいの話だったのでむろん──割愛。
■イベントのあと、同じく聞きに来ていた石原(裕也)君と話していたのだが、そこで驚くべき事実を聞かされる。この正月に実家に帰った折り、両親に「新しい炊飯器買ったんだって?」と訊かれたという石原君がそこで「ん?」となったのは、そのことを親に言った覚えがないからで、それで問いただしてみた結果、「どうやらうちの親、相馬さんの日記を読んでるみたいなんですよ」。
■ちなみに石原君が炊飯器を買ったということを書いた日記( 2013年12月7日付)はこちら。息子の名前で検索してたまさか件の日記に行き当たったのか、はたまたご両親がわたしの日記を定期的にチェックされているのかについては、その手前の段階でビックリしすぎたために聞きそびれたという石原君だが、どうも、話しぶりからすると後者の可能性が高いのではないかということである。
■どうも。はじめまして。お読みいただいてますでしょうか。ディスプレイ越しに失礼いたします、相馬です。石原君にはいつもお世話になっています。こんどもあの、近いうちにその新しい炊飯器で炊いたうまいご飯をふるまってもらおうじゃないかという話になってますんで、どうかひとつよろしくお願いします。
■いやー、こういったものは意外と読まれてないものだということ。と同時に、意外に読まれてるものだということ。今後もそのふたつの認識とともにがんばっていきたいと思います。
■あ、そうそう、この日更新した 19日付の日記で、児玉(悟之)君の作ったサイト(映画『ハロー、スーパーノヴァ』の特設サイト)を取り上げ、たいへん些末な指摘(と、このウラでこっそり別の不具合の報告)を行ったのだけど、その件は児玉君が素早い対応をみせ、ほどなく修正されていた。
あ、そうそう、ページの冒頭にある「2014 2/22土- 28金 池袋シネマ・ロサ」という画像はなぜスマホ向けの Retina対応をさせないのだろう、ということをちょっと思ったけど、それはたいした話ではないというか、「うるせーよばーか」と児玉君は言うだろう。そんなこと言われちゃうのかあ。
2014年1月19日付「チケット発売 / 宮沢さんと Apache / ハロー、スーパーノヴァ」
@soma1104 対応いたしました! ありがとうございます! #うるせーよばーか
2014年1月24日 19:00
Cycled 2.2km • 10min • 48kcal.
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/ 23 Jan. 2014 (Thu.) 「書かれなかったことに手を延ばして」
■妻の手元にはアマゾンから、今日が発売日の PS3用ゲーム「戦国BASARA4」が届く。「バサラって何だっけ」といまウィキペディアにあたったのだけど、わりとちゃんと意味があって「へえ」という感じだ。「戦国BASARA」シリーズは、戦国武将たちに材をとりつつもいっそ爽快なくらいにでったらめな時代/状況設定のアクションゲーム──ゲームジャンル名は「スタイリッシュ英雄(HERO)アクション」と自称されている──なのだけど、まあその、本多忠勝が「ロボ」っていうのはちょっと笑ってしまった。
■小中同窓の、例のHさんから Facebookでメッセージをもらう。15日付の「初恋は実在した」に登場願い、いろいろ書いたことへの反応だ。たくさん日記に採用されて照れるとのこと。でもって、たぶん、小学生当時のことをHさんがよく記憶していると日記のなかで驚いてみせたことにたいしてだと思うが、こんなことも言う。
でも、そうちゃんのように、最近のことを事細かに覚えていられないのよぉ。。
幼い頃の方が、しっかり生きていたのかなぁ?
あ、「そうちゃん」というのはわたし(相馬)のことね。
で、きっと日記の書きっぷりを見てそんなことを言ってるんだと思うが、わたしが「最近のことを事細かに覚えてい」るというのはそれ、まるきりの誤解というか、たんに錯覚だ。この日記がそのように読めるとすればそれはただわたしが「そう読めるような書き方をしている」からにすぎず、じっさいには日々のことを微細に記憶しているわけでも、ましてや「しっかり生きてい」るわけでもないのでご安堵(?)いただきたい。書かれてあること以外はすべて忘れていると言ってもいいし、書けば書いたなりに時間が輪郭をもつのだとすれば、だからわたしの生活はじつのところ、多くの書かれなかったことと、いくつかの書き損ねられたことによってこそ成り立っている。
■と、そんなことを考える折から(という「物語化」がまず嘘なんだけどさ)、ジエン社の山本(健介)君のツイートが目にとまった。
調べていたのは、1970年代の事だったのだけれど、店員さんによれば「その時期の研究本だけあまりなく、それより少し昔の昭和ノスタルジー本か、あるいはその先の年代の研究本なら盛んに出ているが、70年代だけぽっかりとないんです」との説明。
2014年1月23日 0:50社会全体が、ぽっかりと忘れられる、中途半端な過去がある。個人でもぽっかり忘れている過去と同じく。ごく普通の日常は、ぼんやりと忘れて行く。悲しくもなく幸せでもない、中途半端な過去ばかりが消えていく。
2014年1月23日 0:57
■ところで山本君のこのツイートを見、「あ、これで書こう」と思ったらしいわたしのメモがこれで、「 23(日)」の脇に「山本君のアレ」としているのが見てとれる。ちなみに「 22」のところのどう見ても「レンモンド」と読めるのは「レイモンド(・ウィリアムズ)」の書き間違い。「 21」の横の字は「真打」で、そのとおり書かれたのが「志ん公改メ志ん好」だ。「メモこれだけ?」と驚かれてしまうとちょっと逆効果なのだが、示したかったのはつまり、いずれの日記もこの程度のメモから「でっち上げられている」のだということだ。そう思っていただければさいわいである。で、問題は「山本君のアレ」だが、わたしは上に引いた山本君のツイートから、いったい何を書こうとしていたのだったか。
■「ぼんやりと忘れ」られ「消えていく」ところの「ごく普通の日常」は、つまり「書かれなかったこと」でもあるだろう。日記において、その「悲しくもなく幸せでもない、中途半端な過去」はしばしば「今日はとくに何もなかった」と言語化されるところのものだ。あえて肯定的に捉えるならば、「とくに何もなかった」は、どうやったって手の届かない「書かれなかったこと」──もしくは書かれなかったことの集積としての、書くわたし──に、どうにか手を延ばそうとする行為のひとつだと言えなくもない。
■そう、その「とくに何もなかった」でいうと、児玉(悟之)君なんかはうまいんだよなあ。
他には、なにも書く事が無い。夜、雨。
01/21-TUE | KODAMA Satoshi
とかね、
つまらない日々だが、飼い猫は毎日、同じ感じでふつう。
01/25-SAT – 01/26-SUN | KODAMA Satoshi
とか、このすっと口にする感じがまことにうらやましい。あこがれる。
■話がとっちらかってきたが、だからその、わたしは「とくに何もなかった」が不得意なのだ、ってことでどうだろうか。さらっとそれを口にすることが(下手なので)できずにこうして無闇に手を延ばす、そのさきに刻々と、何かを書くそばから生み出されていく「書かれなかったこと」が指をかすめはしないか、掴めはしないか、それに触れることができたらと夢のようなことを思っているような気もする。
Cycled 1.8km • 9min • 39kcal.
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/ 22 Jan. 2014 (Wed.) 「みんなが十六歳まで学校に行くだろう──もう少し後になれば」
■全豪では男子シングルス準々決勝のナダル v. ディミトロフ戦と、マレー v. フェデラー戦。いずれもライブスコアで観(?)戦。ライブスコアも、これはこれで見入ってしまうということはあって、もっといえば刻々の結果として切り替わるスコア表示ばかりでなく、気づけばその結果と結果のあいだの、切り替わらないでいるスコアにも──セカンドサーブだろうかと想像したり、長いラリーを思ったりしつつ──見入ってしまっている。いつしか「横目で確認」どころの騒ぎではなくなっていて、だったらもう映像で見たらいいじゃないかという話だ。で、そのライブスコアで観た範囲の印象だけれども、やけにフェデラーの調子がいいのだった。サービスゲームをさくさくキープする。すごく強い。
■『共通文化にむけて──文化研究 Ⅰ 』の読書はあまり進んでいない。というかほとんど進んでいない。のだけれど、収められたエッセイのうちの一本、「このアクチュアルな成長」にはちょっと興奮/放心してしまった。こりゃすげえ。
いま、異なった経験をした少年にとって、その集落は記憶となった。それは成長のためには断ち切られねばならなかった。事実の問題へ、この権威、あの学問に頭を垂れる世界へ。価値判断、絶え間ない公開討論、さまざまな党派や思潮への分派、すばやい言葉の応酬と繰り返される決め手の一言。そして揺れる列車に腰かけ、掻き消えてしまったが一握りの者たちが覚えている声、すぐにごみ屑になってしまう多くの印刷物、そして列車が速度を増すとともに暗くなっていく都市、がらんとしたプラットフォームに立つ見知らぬ人びと、ネオン広告とライトアップされた大聖堂のドーム、ディーゼルの騒音と街灯の列。そこに突然新たな種類の沈黙が生じ、答えは消え去って、決め手の言葉は忘れられ、さまざまな範疇は崩壊する。これは、真実が姿をあらわすといわれる深夜の沈黙である。わたしたちが活発に活動する真昼の真実もおなじくらいに有効であるのだが。疑問はおなじなのだ。わたしたちが住んでいるのは、いったいいかなる国なのか?
レイモンド・ウィリアムズ「このアクチュアルな成長」『共通文化にむけて──文化研究 Ⅰ 』(みすず書房)p.37-38
冒頭ほどなくのこの問いへの導入がまずかっこいい。身を切るようなイメージのラッシュ──賑やかな孤独(© SMB)とでも呼べそうな感傷のなかに、しかし「少年」が身を投じたその冒険世界のワクワクもゾクゾクも消え去ってしまってはいない──、そして沈黙、夜の問い。ああ! と身悶えするほどのかっこよさで、ついついこの部分を何度も読んでしまう。
■巻末の編者解題によれば、このエッセイはウィリアムズの主著のひとつである『長い革命』( 1961年刊行)の「結論」として書かれ、しかしけっきょく使われずに終わったものだという。のちに偶然から手稿が発見され、没後から 20年、ウェールズの歴史家ダイ・スミスの手になる伝記『レイモンド・ウィリアムズ──戦士の物語』に補遺として収められた。冒頭で発せられた問いにつづいては、「のちの読者にとってはおなじみとなる個人的な調子で、彼の知る複数の世代を通した経験と成長の交差について述懐」(ダイ・スミス)がなされるのだが、以下はその最後のところ。要はいちばん最後の段落をその興奮とともに引きたかったのだが、最低限文脈のとおるようにと考えるうちにまたぞろ引用が長くなってしまって申し訳ない。
長い革命の歴史についてわたしが理解しているあらゆることから判断して、わたしは長い革命がまだ初期段階にあると信じている。あるひとつの世代のなかで新たな可能性が幻視され、伝達され、新たな人間の生のありようが認識される。闘争と奉仕によって、ある期待がかたちをなし、それはやがて実現されていく。同時に、ほかの人びとによってその期待は鼻で笑われたり、拒絶されたりする。それもときには、あの新たな生のありようが実現した際には成長するであろうまさにその男女によって。そして、にもかかわらずそれが実現したとき──たとえば貧しい人びとも書くことができる必要があると認められたとき──あれほど高く感じていた天井がすぐ上に迫ってわたしたちを圧迫し、わたしたちの頭を押さえつけてくるのである。なぜなら、わたしたちがそこまで成長したからだ。その天井を破り、新たな期待を設定することは、かつてと変わらず困難である。
創造の努力はつねに、いまここでなされる。前の世代の創造はすでに伝達され、受け入れられた。しかし人間の精神は習慣の型にはまって鈍磨しがちである。ほとんどのラディカリズムが回顧的である(「かつては酷い不正があったが、現在はない」)のと同様に、わたしたちの成長についての思考のほとんどは、わたしたちがすでに知っていることに限られるものだ(「みんな十五歳まで学校に行くものだ」)。(略)
わたしはこのつくりかえられた国において、なにか恒久的な平地があるとは考えない。わたしが目にするのは、いまだ未熟な成長である。(略)
(略)この人間の可能性の感覚は、この成長への確信はあまりに高望みではないかといわれることがある。多くの人からその言葉を受けるのだが、それはどちらとも証明しがたい。経験のみが、この疑問を解決するだろう。
そして、その答えがどちらであるかはじつのところ重要ではない。もし成長が未完成であるということが受け入れられるなら。もし、少なくとも目の前にはもう一段、昇るべき長い革命の段階がある(「みんなが十六歳まで学校に行くだろう──もう少し後になれば」)と認められるなら。この国をわたしは愛し、この国にわたしは献身する。そしてこの国にはともに仕事のできる人びとがいる。この国のありようは、ひとつの方向を見すえるわたしのまなざしに、わたしのものの見方に一致している。ここには記録があるのだ。このアクチュアルな成長の記録が。
以上、同前。p.41-43
最後に──この引用だけを読めば余計にそう感じられるかと思うがやや唐突に──「国」への愛や献身が言われるわけだが、ここに登場する「国」という言葉の、この文章内でのこの使われ方のうつくしさに、わたしはちょっと目を開かれた思いだ。「国」にはこの用法もある、と言えばいいか。「うつくしい国」なんていうものはないが、国のうつくしさはある[※1]、と言えばいいか、つまりはそういったことをいまさらながらに思ったのだった。
- ※1:国のうつくしさはある
ところで、「かたい石などない。石のかたさはある」と言えばなんだか仙人めく。もしくは名人めく。ってなんだこの註は。
■副読本にと思い、高山智樹『レイモンド・ウィリアムズ──希望への手がかり』(彩流社)を買おうとこないだ新宿のブックファーストに行ったが、なくて、同じくレイモンド・ウィリアムズの『完訳 キーワード辞典』(平凡社ライブラリー)を買った。
■「キーワード辞典」という書名からは、なんとなく軽めの「参考書」的なソレを思い浮かべてしまうところだが──と書きながらわたしはいま、「参考になる図書」というあらゆる本がそう呼ばれる可能性をもったよりニュートラルな意味ではなく、本についてのある種の序列をイメージしながら、「一段下がるもの」として「参考書」という言葉を使ってしまっているわけだが──、まったくそういったものではなく、アルファベット順に取り上げられた「 aesthetic 美的・美学的・審美的」から「 work 仕事・労働」までの英語 131語について、その語源から近現代における意味の変化までを──いま、「参考書」の意味についてわたしが(水準がぜんぜんちがうけど)ちょっと自省的にふりかえったように──丹念に調べて辿ってみせるというものすごい本であり、ものすごい仕事である。
「家族」「社会」や「大衆」「弁証法」などといった基本的な語彙の意味が、日常的な意味合いの形成から、政治的な変容を経てどのようにイデオロギー化されるまでが解き明かされる。決して哲学用語辞典ではなく、日常的に使用される意味が徹底的に追究されることで、その歴史性、イデオロギー性が露になっていくのだ。
Amazon.co.jp: 完訳 キーワード辞典の 野火止林太郎さんのレビュー
とあるとおりで、(本人は異議があったらしいが)カルチュラル・スタディーズの祖として紹介されることの多いレイモンド・ウィリアムズの、まさしく主著のひとつだろう。
Cycled 2.1km • 11min • 47kcal.
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/ 21 Jan. 2014 (Tue.) 「志ん公改メ志ん好」
■一般社団法人落語協会ではこの春、五人の新真打が誕生し、三月下席の鈴本演芸場を皮切りに「真打昇進襲名披露興行」がはじまる。その新真打のひとりが古今亭志ん公、改メ「五代目 古今亭志ん好」だ。興行日程は次のとおりで、うち〔〕内が、志ん好がトリをとる日。
- 3月21日〜 3月30日 鈴本演芸場・夜〔 3月23日(日)、26日(水)〕
- 4月 1日〜 4月10日 末広亭・夜〔 4月1日(火)、9日(水)〕
- 4月11日〜 4月20日 浅草演芸ホール・昼〔 4月12日(土)、16日(水)〕
- 4月21日〜 4月30日 池袋演芸場・昼〔 4月22日(火)、28日(月)〕
- 5月11日〜 5月20日 国立演芸場・昼〔 5月14日(水)、18日(日)〕
国立演芸場をのぞいて、各寄席では本日( 21日)より日付指定の前売り券が発売されている。さあ、いくつ行けるか。
■志ん公にかんしていえばこれはもうきっぱり「贔屓」なので、わたしがここで何をでかいこと言おうと、「あ、ばかになってる者がいる」と受け流してもらいたいのだけれど、とはいえわたしは、彼に夢を見る者だ。その夢について、たとえば二年前にはこんなふうに書いた。
■いま誰が〈贔屓〉かと──まあ、訊かれやしないのだが、もし──訊かれれば、その名を答えようと決めているのが志ん公で、それはつまりわたしが、「〈古今亭の正調〉はきっといつか、かれにこそ宿る」と信じる者だからだ。ここでいう〈古今亭の正調〉とはむろん、志ん生=志ん朝=志ん五というその系譜のすべてを射程に含むある種の〈理想〉のことで、たとえば 2008年7月30日、志ん五の「ねずみ」を聞いたときに震え、「これなのではないか」と予感されたもののことである。
2012年1月15日付「新春大沼寄席」
あらためて引いて気づくが、書かれたほうもまったくいい迷惑だと思う。
贔屓の引き倒したァこのことじゃないのか、もっとおとなしく、ためになるように引き立てることはできないのかと、ちょっと反省しないでもないわたしである。だから、ここはひとつ YouTubeで見つけた古今亭志ん生のこの披露口上(初代の林家三平が真打昇進したときのもの)でも聞いて、しみじみ、真の贔屓とはなにかについて思いをめぐらせてみたいとも思っている。
■うん。なにを言ってるんでしょうかこのひとは(笑)。「噺家一人助けると、猫千匹にむかうというくらいでございます」じゃないよ。
■てなわけで、いや、まだまだ手放しで「すごくいい」とはもちろん推せないのですけども、でも、なかなかいいよ、いいときもあるよ、ぜったいよくなると思うんだという次第で、志ん公 改メ 志ん好を、どうぞよろしくお願い申し上げます。
Cycled 1.1km • 4min • 25kcal.
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/ 20 Jan. 2014 (Mon.) 「はかどらない、の図」
■そうだった、島(周平)君から「あけましておめでとうございます」とメールがあったのだった、今日。「いま?」ということはあるものの[※1]、そのことへのエクスキューズ──そもそもが喪中気分(おそらく大滝詠一さんのことを言ってるんだと思います)だけれども、「何はともあれお正月」だということ云々──も含んだ、またもや丁寧な手つきのメールが届いたわけだったが、こちらもまた例によって、まだ返事を送っていない。送れよという話だ。
- ※1:「いま?」ということはあるものの
でもあれだ、寄席の世界では 1月11日〜 20日の興行を「正月二之席」と呼んでそこまでを正月とするから、その基準に立てば今日はぎりぎり最後の正月である。
■あ、島君は発奮のため、アップルストアの初売りに行って新しい iMacを買ったらしい。
■荒廃をきわめている寝室とそのクローゼットを救うべく、暮れのうちに買い増してあった無印の衣裳ケースの段ボール梱包をいよいよ解いて、さあ仕事にとりかかろうとする妻を阻む者──その三匹の名をポシュテ、ピー、ロビンという。順に 5歳、11歳、17歳だ。畳んだ衣服を入れようと開けた衣裳ケースの引き出しの、まだ何も入ってないそのなかを入れ替わり立ち替わり、三様に遊ぶ者があればこれははかどらない。よもや老齢のロビンまでもが騒ぎにつられ、浮かれようとは思わなかった妻だが、ロビンは一瞬だけ、ぴょんと入り、ぴょんと出たという。入ったまま何をするでもなく、満足げにじっとしているピーがいちばんのじゃまだ。ポシュテの狙いはむしろ本丸のクローゼットにあって、あそこが開かないかと期待するふうでもある。まったくはかどらないまま、日は暮れていった。
■夜、ミュージシャンで音楽プロデューサーの佐久間正英さんの訃報が、タイムラインをつうじて。さして佐久間さんの仕事に詳しいわけでもないのに「あっ」となったのは、末期のスキルス胃がんであることを公表したあとの、去年 9月のライブを観ているからだ。早川義夫さんとのライブ「The beautiful world」(スペシャルゲストはくるり)である。日記の更新を怠けていた時期なので残っているのはツイートのみだが(しかも佐久間さんにはまったく触れていないのだが)、記憶の手がかりにまず引いておく。
中に入ってようやく、クアトロってここね、ここがクアトロねと思い出している。前回来たのは相当まえだぞ。なんだっけ。デビッド・バーン?
2013年9月29日 17:25というわけで、早川義夫+佐久間正英「The beautiful world」(specialguestくるり)です。ustream中継もあるそうです。18:00より。http://t.co/am1PfZSrEd
2013年9月29日 17:37〈ナマ早川義夫さん〉てことでも相当久しぶりです。音楽活動を再開されてほどないころの江古田(日芸の講堂だか)のライブ以来じゃないでしょうか。ともあれ、わたしの早川義夫好きにかんしてはすべて次兄の影響です。
2013年9月29日 17:56
その次兄は 9月19日、ひとつ前の渋谷ラストワルツでのライブ「Hello World」に行っている。そもそもわたしがクアトロのチケットを取ったのも兄のツイートを見てだった。
「この人の歌でもう一度ギターを弾きたい」という歌とギターを聴きに行こう。
2013年8月10日 13:37
「この人の歌でもう一度ギターを弾きたい」は佐久間さんの言葉。「この人」は早川さんのことで、スキルス胃がんであることを明かした 8月9日の文章「goodbye world」のなかで、手術を控えた佐久間さんはこう書いている。
その夜、塩釜で早川義夫さんと演奏をしながら漠然と思った。
自分はこの人の歌のために音楽をやって来たのではないだろうか。この人と出会うためにギターを弾き続けて来たのではないだろうか、と。そんな風に思えるほど歌にぴったりと寄り添うことができる。
16歳で初めて彼の歌に出会い、どうしようもない衝撃を感じ、そんな少年が61歳になっても同じ気持ちでその人のためにギターを弾く。
手術が済んで、いま一度演奏をすることができる身体に戻れるのなら、この人の歌でもう一度ギターを弾きたい。
10月のシカゴ大学でのコンサートまで持ち堪える可能性は低いかも知れないから、できれば9月中にでも東京でライブをできないか。なるべくたくさんの人に二人での最後の演奏を届けることができたら、と。そんな青臭いことを考えてみた。
goodbye world - Masahide Sakuma
で、「できれば9月中にでも東京で」と書いていたライブは実現したのだ。
■そんなわけで最後も、兄が夜、タイムラインにそのリンクをしずかに流していた YouTube動画をふたつ。2005年3月のライブ映像。ラストワルツ到着。店の前で佐久間さんがタバコ吸ってる!
2013年9月19日 17:37とてもよかった。いっぱいないた。
2013年9月19日 22:28
Cycled 2.4km • 11min • 53kcal.
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/ 19 Jan. 2014 (Sun.) 「チケット発売 / 宮沢さんと Apache / ハロー、スーパーノヴァ」
■遊園地再生事業団プロデュース『ヒネミの商人』のチケット一般発売スタート。直販のルアプルショップ(学生チケットの取り扱いはこちらのみ)のほか、チケットぴあ(Pコード433-708)、イープラス、カンフェティ、座・高円寺チケットボックスにてお求めいただけます。
ちなみにタイムテーブルはこんな感じ。
★印は託児サービス(定員あり・対象年齢 1歳~未就学児・ 1週間前までに要予約・料金 1,000円)のある公演です。託児サービスのお申し込みは別途、座・高円寺チケットボックスまでどうぞ。
■いや、それはそうと、わたしはそろそろチケットのほうを作らねばならないのだ。ルアプルショップでご購入いただいたお客様に郵送するチケット。うん。がんばります。
■宮沢(章夫)さんから、Mac環境が新しくなり、OSが Marvericks (10.9) に上がった関係で、ローカルの Apacheサーバ上で遊園地再生事業団のサイトをテストできるようにしていた(わたしが設定方法を伝えて、そうしてもらっていた)ものがうまく動かなくなった、ついては設定方法をもういちど教えてくれ、というメールが来たのがきのうだ。
僕のところのサイトを作ってくれるデザイナーの相馬に教えてもらったはずだが、MacのOSをアップデートした途端、拡張子phpのファイルをローカル環境でブラウズできなくなってしまった。Apacheかなんかをいじるんじゃないのかな。って書いてもなにを書いてるのか自分でもよくわからない。
2014年1月18日 11:34
で、そもそも何を設定してもらっていたのだったかを(古いメールなど漁って)思い出したり、わたし自身がまだ Marvericks環境をもっていないこともあって Marvericksでの勝手のちがいを調べてみたり、はたまたそれらをとりまとめ、どう作業してもらうのがスマートか考えたりするうちに──そしてうっかりテニスを見、ライブへ行き、タイ料理を食べるうちに──返信が遅くなった(テニス、ライブ、タイ料理についてはきのうの日記を参照ください)。
わたしにメールしたあとも宮沢さんは、ネットを調べるなどして「風邪で頭がぼんやりしているなか」自力解決を試みたらしく、その苦闘の跡がツイッターに残っているが、いよいよメールを送ろうという段になってわたしはそれらのつぶやき群を目にしたから、ちょっとあわてもした。
風邪で頭がぼんやりしているなか、遊園地再生事業団のサイトを更新しようと苦労する。OSをアップデートしたらlocalでphpファイルが読めないので、ネットでヒントを探し、あれこれやったがいっこうにできない。おかしいなあ。熱がさらにあがる。
2014年1月19日 10:32
で、メールで説明を送ると、しばらくしておおよそうまくいくようになったと連絡があったものの、一点だけ挙動のおかしい箇所が残るということで、そこから何回かメールのやりとりがつづく。最終的に、「あらためて最初からやりなおしたらうまくいった」と報告をもらったときにはもう夜になっていた。
■児玉(悟之)君の日記から辿って、映画『ハロー、スーパーノヴァ』の特設サイトを見る。とてもよくできたサイトだと思う。こまかに計算されている。
今日、手がけていた、バストリオの映画『ハロー、スーパーノヴァ』の特設サイトが公開された。題字も制作している。
01/18-SAT | KODAMA Satoshi
あ、そうそう、ページの冒頭にある「2014 2/22土- 28金 池袋シネマ・ロサ」という画像(下のやつ)はなぜスマホ向けの Retina対応をさせないのだろう、ということをちょっと思ったけど、それはたいした話ではないというか、「うるせーよばーか」と児玉君は言うだろう。そんなこと言われちゃうのかあ。
いや、それはそれとして、映画『ハロー、スーパーノヴァ』(今野裕一郎監督、2013年、88分)は 2月22日〜 28日、池袋シネマ・ロサにてレイトショー(連日 21:00〜)だそうです。こちらが予告編。ぜひ。
Cycled 1.6km • 8min • 35kcal.
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/ 18 Jan. 2014 (Sat.) 「連日の全豪に、連夜の EXシアター六本木」
■全豪オープンでは女子シングルス 3回戦のエレナ・ヤンコビッチ v. 奈良くるみだった。全豪(メルボルン)は時差が二時間しかないので、夜更かしして観戦するということもなく、平日は──まあ、見ようと思えば WOWOWのオンデマンドライブ配信を iPhoneで見るという手があるものの──もっぱらライブスコアを横目で確認するぐらいのことになるから、テレビ観戦できる週末はやはりいい。
■2ちゃんねるのテニス関連のスレッド──テレビ中継やライブストリーム、ライブスコアなどの実況をする「テニス総合実況スレ」とか──をときおり読むのだけど、そこではたいてい、選手たちは略称やあだ名で呼ばれる。フェデラー=「フェデ」、ナダル=「ナダ」、ジョコビッチ=「ジョコ」といった具合であり、また、ベルディヒが「空気」[※1]と呼ばれるのもその界隈では有名らしいが、そんななかで、あるときヤンコビッチが「女優」というあだ名で呼ばれているのを見たときは笑ってしまった。うまいこと名付けるなあと思ったわけで、だから、ほどなくそれが、彼女がかつてインタビューに答えて言ったという「テニスをやってなかったら女優になりたかった」云々の発言をからかったものだと知ったときには、むしろちゃんと由来のあることにがっかりしたくらいだ。なんだよ、そういう理由かよ。そんなこっちゃなくて彼女の存在が──「どこ」がどうと腑分けして説明するのはむずかしいが、その風貌・佇まいがトータルで──ただもう女優然としてるじゃないかとわたしは言いたい。でもって、くわえて今大会ではどこか(ウェアもあいまって?)艶めかしくすら感じるヤンコビッチはわが家の注目する選手のひとりだけれども、それはそれとして、応援するのはくるみちゃんだ。がんばれくるみちゃん。
- ※1:「空気」
どんな大会においても「誰にも気づかれずに」安定して 4回戦、ベスト8あたりまで勝ち上がり、気づいたときにはいつのまにか敗退しているというその存在感のなさから、とのこと。まあ、そう言いつつ彼ら自身は何かと注視してるわけで、要は好きにちがいないんだけど。
■結果は 2-0 (6-4, 7-5) のストレートでヤンコビッチ。惜敗、と言ったらいいのか、ストローク戦では互角以上に打ち合っていたくるみちゃんだったけれど、さすが女優、肝心なところで崩れきらなかった(あ、ランキングではヤンコビッチが 8位〔かつての最高位は 1位〕で、奈良くるみが 74位〔最高位 70位〕です)。でもって奈良選手、ひょっとしてあれですかね? 「サービスゲームが不得意」だったりしますか? いや、だとすればそれ、「何だよそれ」ってくらいのすごい弱点だと思われるわけですが──と同時に、それでいてなお互角に渡りあっているのかいとも思うわけですが──、まあともあれ、今大会の 3回戦進出により大会後のランキングでは日本人女子トップになることが確定してもいて、ぜひ、さらに上をめざしてがんばってもらいたいところです。
■で、WOWOWの流すがままにガバシュビリ v. フェデラー、ラオニッチ v. ディミトロフなど見て、夕方出かける。ナイトセッションのヤング v. 錦織は、途中までライブスコアで確認。
■連夜の EXシアター六本木は「ロッカデリック・アンサンブル」──高田漣(Vo,G)、伊賀航(B)、伊藤大地(Dr.)/スペシャル・ゲスト:鈴木茂、細野晴臣、ムッシュかまやつ、小山田圭吾、高野寛。曲目はこんな感じ( Facebookの「高田漣official」ページにあったものを参照しました)。いやほんと、そりゃもうよかったですよ。
- 古靴店
- Pop Music
- 鯵
- 絵空事 (with 鈴木茂)
- ウッド・ペッカー (with 鈴木茂)
- 砂の女 (with 鈴木茂)
- Memphis (with 細野晴臣 & 鈴木茂)
- Cheat (with 細野晴臣)
- 29Ways (with 細野晴臣)
- The House of Blue Light (with 細野晴臣)
- コーヒーブルース (弾き語り)
- なんとなく なんとなく (with ムッシュかまやつ)
- どうにかなるさ (with ムッシュかまやつ)
- ゴロワーズを吸ったことがあるかい (with ムッシュかまやつ & 小山田圭吾)
- Walking the dog (with ムッシュかまやつ & 小山田圭吾)
- Bao Shen (with 小山田圭吾)
- Glass (with 小山田圭吾 & 高野寛)
- 野バラ (with 高野寛)
- オールナイト
Encore: - 火吹竹
■で、六本木からもどる途中の新宿駅、大江戸線や都営新宿線の改札のあたりで篠原(礼)さんにばったり。「いまさっき小山田圭吾を観てきたよ」と言うと「ええっ!」とのけぞっていた。あ、小山田圭吾ファンであるところの篠原さんについてはこちら( 2012年2月19日付「黒門亭で。トモヨチャンと。」)を参照ください。
■夜、「カオマンガイ」でテイクアウト。ラープの豚( 2辛)、ガパオご飯の鶏( 3辛)、ヤムウンセン( 2辛)、タイオムレツ。
Run 0.5km • 377 steps • 2min • 27kcal.
Cycled 3.2km • 15min • 70kcal.
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/ 17 Jan. 2014 (Fri.) 「テクノリサイタルを聴きに」
■ EXシアター六本木で、高橋幸宏 with 小山田圭吾×砂原良徳×TOWA TEI×ゴンドウトモヒコ×LEO今井。曲目はこんな感じ。
- CUE
- Ballet
- Now And Then
- Lay My Love (Brian Eno & John Cale cover)
- Radio
- Radioactivist
- Don't Think Twice,It's All Right (Bob Dylan cover / acoustic)
- I Need You (The Beatles cover)
- Everybody Had A Hard Year (März cover)
- Turn Turn
- Still Walking To The Beat
- 中国女
- Disposable Love
- Drip Dry Eyes
Encore: - Something In The Air
で、「Turn Turn」から「中国女」まではドラム叩いてた。
■いやほんと、ものすごくよかった。とくに「Ballet」。あと、けっきょくそれですかいという話だけれどそうはいってもの「中国女」は圧倒的。あ、ナタリーのライブレポート記事の見出しにある、「テクノポップ忠実再現ライブ」というのはちょっと印象が異なるかなあ。「Ballet」なんか、こんな曲だっけと思うほどの鮮烈さに圧されたのだし、ほか、どれもこれもが一夜かぎりの贅沢さを湛えていた。だからそうか、テクノの〈イデア〉なるものがどこか高みに想定されていて、それを提示してやろうという意思をあのステージに汲み取るならば、あの夜は、たしかに完全な〈再現/体現〉だったのかもしれない──そう考えたときに合点がいくのは、あの晩の真の演奏者はきっとテクノなる一者だったのだということで、だからこそ、フライヤーにある公演名は「 TECHNO RECITAL」〔演奏会の意味での「リサイタル」は元来、1人の演奏者が行うもののことを言う〕とされたのでなかったかということだ──てなことを思うほどに、つまり、よかった。願わくは音源化・映像ソフト化だけど、ないのかなあ、なさそうな感じだったなあ。
Cycled 1.2km • 4min • 25kcal.
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/ 16 Jan. 2014 (Thu.) 「妻、さらに髪を切る」
■長らく、
■いや、お読みいただいてわかるとおり、当方、ヘアースタイルについての語彙がひじょうに欠如しており、いったいどのぐらいの長さで、どういった髪型になったのかちっとも伝わっていないと思うけれども、まあ、短くなったのだと思ってもらいたい。あ、でも、そんなじゃあないよ。そこまでの短さではない。そこまでではないけれども、でも、前の長さを思ったらやっぱりずいぶん切ったよねえというところの長さだ。いわば、ショートカットである。
■業を煮やした妻が、「これを載せろ」と自撮りの写真でも寄こしてくれればなあと思うのだったが、そうもならないので今日はこれまで。
Cycled 2.2km • 11min • 49kcal.