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Feb.
2018
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/ 14 Feb. 2018 (Wed.) 「指月の譬 / 没するんかい」

ロビン。2016年10月。

今日は背すじがよい。悪くない。
さて。

@ninety_deg: かつて詩がわからないと思っていたころ、月を指している指を見ていた。
2018年2月12日 22:23

 この「直角」さん(ご本人は存じ上げません。その一連のツイートのみによって一方的にお見かけし、かねてより勝手に惚れている者です、当方は)のツイートに端を発したネットサーフィンは意外な波を乗って、山本伸裕さんの「龍樹の『空』思想から親鸞の『方便』論へ : 『戯論』prapañcaと『智度言』prajñaptiとの差異について」という論文にまで至り、こりゃちょっと山本さんの本『「精神主義」は誰の思想か』など)で清沢満之のことを知ろうかとさえ思っているというのは、当の直角さんにしてみれば「は?」という話かもしれない。
「月を指している指」というこの比喩(指月の譬)は仏教説話のほうに由来しているらしく、たとえばお釈迦様が入滅(死)にさいして弟子に語った教え、といったかたちで語られるのだが、そこにおいてはつまり「真実(月)」と「言葉(指)」とが対比されている、と解説するのが通例のようだ。

 お釈迦様は入滅される際、弟子たちに、教えの内容を依りどころとし、言葉に依ってはならないと仰いました。
 教えの内容を依りどころとし、言葉に依らないのは、言葉は教えの内容を表しているのであって、言葉がそのまま教えの内容ではないからです。それをわからずに、言葉だけに依って、教えの内容に依らないのは、人が月を指して教えようとするときに、指ばかりを見て月を見ないようなものなのです。
 教えの内容に依らず、言葉に依るとはこれと同じことです。言葉(指)そのものが教えの内容(月)ではないのですから、言葉に依ってはならないのです。
「説話とたとえを知ろう①『指月のたとえ』」『季刊せいてん』no.110、月を指す指 – 浄土真宗|LOGからの孫引き

 この〈素朴〉な説明にたいしてすぐさま思い起こされるのはもちろんソシュール以降のいわゆる〈言語論的転回〉であり、ことに(直角さんのいう)「詩」でいうならば、言葉そのものに注目を集める「異化」の作用によってこそ詩的言語は日常的言語から区別されるのだ──詩においては指こそがすなわち月であるのだ──と主張したロシアフォルマリズムの詩人たちである。そして、前掲の山本さんの論文は「指月の譬」を直接取り上げてはいないが、同じように言語活動を副次的で下位のものとする理解──煎じ詰めればそれは、〈不変の実体〉を想定し、その周辺に〈仮の事象〉を配置する二元論である──のもとに読解/解説されてきた龍樹(ナーガールジュナ)の『中論』を丹念かつ素直に読み直して、不変の実体なるものがあるとする言説こそが龍樹のいう「戯論(けろん)」なのであって、「不断に世界の一面を切り取って,それを何らかの手段で表現し続けていく」という言語活動のありよう(それは世俗の暮らしそのものでもある)に龍樹は最上の悟りに通じる可能性(「輪廻即涅槃」)を見ただろうことを示し、そしてその読みを、親鸞による龍樹理解へと開いていく。
もちろん、仏教の教義云々とはべつのところで、それ自体がすでに一篇の詩であるような直角さんのツイートは美しいわけだが、そのことがまた、いわば〈ツイートそのものが月である〉という事態を呼び起こしてもいる。たとえば直角さんが傍らにいて、月を指さすなら、どうしたってまずわたしはその指を、月を指さす直角さんを見てしまうだろう。そこにおいて月を指さす直角さんと月とは不可分(未分節)であり、その総体が美しいからである。
さて、仏法に言寄せた直角さんへの告白はこれくらいにするとして、インドの龍樹と日本の親鸞とをつなぐ重要な思想家として中国僧の曇鸞(どんらん)がいるわけだが、ウィキペディアを参照してみるとその「生涯」について次のような記述があり、笑ってしまった。虚実ないまぜの、あくまで言い伝えとしての生涯だけれども、ここはひとつ虚心に読んでみていただきたいのだ。

出家して、龍樹系の四論(『中論』、『十二門論』、『大智度論』、『百論』)や『涅槃経』の仏性義を学んだ。ところが『大集経』(だいじっきょう)の注釈の最中に病に倒れ、不老長寿の術を茅山の陶弘景について学び「仙経」を得て帰る途中、洛陽で菩提流支に出会い、仏教にこそ不死の教えあると諭され、『観無量寿経』を授けられた。そこで、曇鸞は「仙経」を焼き捨てて、浄土教に入り研鑚に勤め、并州の大巌寺に住し、後に石壁の玄中寺に入り、さらに汾州平遥山の遥山寺に移って没した。
曇鸞 - Wikipedia、2018年2月11日 (日) 01:16 UTCの版、「生涯」の項、太字強調は引用者

 没するんかい、っていうね。
では最後に龍樹の言葉を。ハッピーバレンタインデー。

滅することもなく、生じることもなく、途切れることも、永続することない。また、一つの意味しかもたないこともなく、あらゆる意味をもつこともなく、来ることも、去ることもない。そのように、「戯論」の寂滅した、縁によるものごとの浄らかな生起を教え導かれた仏陀世尊に、私はあまたの説法者のなかでも、最も尊い方として敬意を表する。
龍樹『中論』

Walking: 4.6km • 6,778 steps • 1hr 13mins 57secs • 216 calories
Cycling: 2.4km • 12mins 21secs • 53 calories
Transport: 70.3km • 1hr 26mins 37secs
本日の参照画像
(2018年2月20日 11:09)

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/ 13 Feb. 2018 (Tue.) 「ところでまったく関係ないが」

ロビン。2016年9月。妻の膝の上にて。

ところでまったく関係ないが──という導入は、はたして日記としていかがなものか。その書き出しに続いて書きつけられるべき事柄は杓子定規に考えるならばそもそも〈わたし〉と何の関係もない事柄ということになる。時事の社会的・国際的なニュースなど、その遠さや大きさからわたし個人との直接的な結びつきを言うのがむずかしい事柄に触れるということはあるだろうが、しかし、それもまた基本的には〈日付〉という接合面によって日記との連関をもつことになるのが通例だ。〈わたし〉とも〈日付〉ともまったく関係ない何か? はたしてそんな事柄がここに書かれたとして、書かれた途端、日記に書かれるという当のそのことによってそれは〈わたし〉とも〈日付〉とも関わりをもってしまうことになる。そんな傲慢さが、日記というジャンル(非ジャンル?)の要諦ではある。
ところでまったく関係ないが、笠木(泉)さんと今度打ち合わせの名目で会うことになり、その打診がこないだあったのだけど、そのさい本題とは関係なく「何かいい落語の CD貸してー」とも頼まれた。それで「何があったかな」とぼんやり思う日々。持ってるようなつもりでいてそんなに持ってないんだよな、音源。聴かせたい、ということでいえば正蔵(先代)、右朝あたりがぱっと浮かぶ。あとはまあ、柳好(先々代。あ、先代の CDもあるな)、可楽(先代)、柳朝(先代)とか? それから若い頃の談志、とどのつまりの志ん生、馬生(先代)、米朝。あ、三代目の小さん( SPレコードの音源)とかもあるけど、どうすか?
オリンピックはそこそこ見ている。これは女子ジャンプを見終わってのつぶやきで、推敲してるうちにうっかり「面白いでしょツイート」のフォーマットに着地しているのが忸怩たる思いだが、まあ、ほんとに笑ったのだった。伝わるかなあ、ニュアンス。言っとくが、「ゆく年くる年か」は褒め言葉だ。

0:31
伊藤選手のインタビューから戻ってきた放送席の原田雅彦がいよいよ言葉に詰まり、しばし無音の放送が続いたあと、折しも雪の舞うジャンプ台を捉えた映像のなかで曽根アナが短い情景描写を決めたので笑ってしまった。「ゆく年くる年」か。

 あ、あれですね、渡部暁斗選手が銀メダルを獲得した男子ノルディック複合ノーマルヒルの中継の締めくくり、興奮気味の荻原健司氏が「ミスター・ナンバーツーの汚名返上、とはいきませんでしたが!」と言ったさいに、苦笑い気味に間髪入れず「ナンバーツーは汚名ではありませんね」と(どちらかというと荻原氏を)フォローしたのもこの曽根優アナですね。で、この荻原氏の発言について言えば開会式の折りの取材談話で渡部選手自身が「『ミスター・ナンバー2』を返上することが目標」と発言したらしいので、それを受けて口を衝いたものだろう。(談話の要約がどこまで正確かはわからないものの)渡部選手がただ「返上」としたものを、四字熟語の「汚名返上」に変換してしまった荻原氏の無意識を見事に(ほんとうに「間髪入れず」だった)フォローしてみせたかたち。

 ◇ナンバー2返上を
 渡部暁斗(ノルディック複合) いい調子で来られている。金メダルを取って、「ミスター・ナンバー2」を返上することが目標。
平昌五輪・談話(開会式):2018平昌(ピョンチャン)五輪・パラリンピック:時事ドットコム

『物語 岩波書店百年史 1』は少しだけ進む。『新版 合本 三太郎の日記』(角川選書)も届いた。

Walking: 3.3km • 4,639 steps • 49mins 49secs • 155 calories
Cycling: 2.6km • 15mins 14secs • 58 calories
Transport: 70.1km • 1hr 25mins 39secs
本日の参照画像
(2018年2月16日 15:00)

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/ 10 Feb. 2018 (Sat.) 「高山玲子『ゴーストライター』 / ヒゲ王国出身の」

オカルト界の巨大なアイコン「ブラヴァツキー夫人」こと、ヘレナ・ブラヴァツキー [1831 - 1891]。おもにアメリカで活動し、近代神智学を創唱した。そうです。よく知りませんが。

ロビン。2016年9月。ずいぶん小さくなったなあと感じさせる一枚。

夜、横浜・井土ヶ谷の blanClassで、高山玲子の『ゴーストライター』。

どうも、こんにちはー

お返事ありがとう。
それではこれから演劇を始めます。
これから行う上演は『あなたが消えた時のこと』です。
『ゴーストライター』 | TAKAYAMAREIKO

 参加者でもある観客は、自分が消え(死んときのことを──それは何歳のときで、どこで、側には誰がいて、どんな景色が見え……、といった具合に浮かんだイメージを何でも──書くように請われ、続いて、ひとりずつ舞台脇に座ってマイクに向かい、それを読み上げるよう促される(もちろん参加しないでもいいが、結果的に大半が参加した)。ワンセンテンスごと区切って読み上げられたそれが出演者である荒木悠によって逐次英語に(参加者のテキストが英語である場合には日本語に)通訳され、客席から見て正面の壁には、読み上げる参加者を正面から捉えた生中継のカメラ映像と、そして別室(?)でひとり「上演」する高山玲子の姿をこれも固定カメラで中継する映像とが並んで投影される。自身が読み上げを行っているあいだは「観る」ことができないという理屈で、壁の両映像の全体をさらに撮影した記録映像が最後にもういちど「上映」され、(いちおう)そこまでを含めた時間の全体が「上演」であるという構成。
 ちなみに観客はもうひとつ、読み上げ用のテキストを書く前に「百年年表」と名付けられたシートにも記入を求められる。0歳から 100歳(もしくはその手前で死ぬ歳)まで、5年ごとに 1分の時間を与えられて各年齢に紐付いた記憶(場所でも出来事でも何でも)をメモするそれは上演に直接使用されることはないのだが、テキストを書くにあたっての〈準備運動〉になっていることはたしかで、5年で 1分という均質化された時間の経過のなかで百年を俯瞰するとき、たとえば単純に、(長生きするとしてだが)「まだまだ長いなあ」といったことを思ったりする。
でまあ、以下は雑多な感想。
別室にいる高山さんの映像にはいっさい音がなく、時折カメラに近づいたさいには口元の動く様子も見てとれるが、その声はこちらに届かない。じつはそれ、企画側からすると「テクニカルなミス」(ほんとは高山さんの発するセリフも客席に届く予定)だったらしいのだが、しかし無音であることによって結果的に、別室の映像と会場との〈没交渉〉はより際立つことになった。おそらく会場側のマイクの音(参加者によるテキスト、および通訳)は高山さん側に届いていて、それに感応して別室での「上演」が果たされる関係にはあるものの、むろんアテ振りをするわけでもなく、ただ気ままにふるまっているようにも見えるその映像は基本、会場との連関をもたない。映像の不鮮明さも手伝って、それはどこか、不意に発掘された遠い昔のホームビデオのようにも見えた。「わたしはなぜこれを見ているのか」「これはわたしにとって、何のゆかりのあるビデオなのか」といったことを思う。古いホームビデオに映るのは、何世紀も何世代も隔たった見知らぬ家族のようにも、よく知った、ごくちかしい恋人のようにも見えて、それにしてもやはり、「死者であること」はたんに「ここにいないこと」=すぐ隣の部屋にいて姿が見えないことに等しい、ただそれだけのことなのかもしれないと思わせられる。
降霊術? これもその不鮮明な映像と、少しく高山さんの白い衣装とから喚起されたイメージだが、かの心霊ブーム華やかなりし 19世紀イギリスあたりの、降霊会/交霊会も脳裏に浮かんだ。われわれは霊との交信を望む会の参加者たちであり、その会に乞われた職業霊媒師が高山さんだ。参加者の期待を一身に受け、いま、高山さんは別室でその降霊術を試みているというような。異名は平成のブラヴァツキー夫人、白いブラヴァツキー夫人こと高山玲子。
まあ、たぶんに参加者のテキストにも負うところの多い上演で、そのテキストは(それだけ強固な枠設定だということもあろうが)どれもよかった。ちなみにわたしがもっとも感銘を受けたのは、最後のほうで語った関西のイントネーションの方のあれ、「しかし、心のどこかで諦める。それに尊さを一瞬感じる」と閉じられるあの一篇である。
書いたテキストは提出してしまったのでいま手元にないが、わたしのは短いのでだいたい覚えているといえば覚えている。せっかく(?)なのでついでに披露すれば、これがきのう考えた、わたしの最期なのだった。

99歳のとき。
どこかも、誰が側にいるのかも、意識はおぼろになっている。
側には妻がいる、ように思っているが、ほんとうにそうかはわからない。
元気か? 元気なら、ちょっと看取れそうにないぞ、おれ、と妻に。
あいにく元気ね、と妻──が言ったような気がしたが、気のせいだったかもしれない。
鼻わるいからな、おれ、とよくわけのわからないことを応えた。
それっきり。

帰宅するともう 0時ちかかったが、なんとジャンプの男子ノーマルヒル決勝がまだ競技中だった。見ていると、ものすごく立派な口髭をたくわえた選手が映り、大ジャンプを成功させた。「おおー」となったもののどこの選手だったかを確認し損なった茶の間では、いかにも爵位を持っていそうなこの彼こそ、今回がオリンピック初参加となる「ヒゲ王国」の選手団のひとりだったのではないかというふうに話がまとまる。以降、ヒゲを生やした選手が出るたびに国籍を確認しては、「ヒゲ王国か? あーちがう、このひとはドイツだ」といった具合に残念がる遊びが流行ったのだった。
って、この話、要るか? 『ゴーストライター』の感想だけでよかったんじゃないか?

Walking: 4.1km • 5,660 steps • 57mins 45secs • 195 calories
Transport: 108.1km • 2hrs 40mins 33secs
本日の参照画像
(2018年2月11日 19:30)

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/ 9 Feb. 2018 (Fri.) 「ああ『内面生活』」

ロビン。2016年8月。

紅野謙介『物語 岩波書店百年史 1』は第3章「『知識』から『教養』へ」まで。面白い。さすが「物語」という筆の運びも所々見え、まあ何というか、盛り上がるのだった。

 岩波茂雄は教師を辞めたら、いずれ晴耕雨読の田園生活に帰るつもりであったという。その前に「市民」として関わることのできる仕事に転じてみよう。そう考えていた岩波の目の前で、神保町の古書街が火の海に包まれた。個人の思いと事件とが交差したとき、新たな一歩が踏み出されることになった。
第1章「古書店からの出発」、p.34

 いやいや、笑いごっちゃないですけどね(笑ってないですか?)、ここ(第1章の締め括りにあたる)はさすがにぐっとくる。
でまあ、俄然、第3章で扱われている阿部次郎の『三太郎の日記』が読みたくなるのだった。もちろん紅野さんの切り取り方と読みとが抜群なのだと思うが、それにしても〈日記書き〉としてこれはやはり読んでおくべき、あるいはそれこそ教養として容れておくべき一冊なんじゃないかと思わずにいられない、その「メタ」ぶりであり「倒錯」ぶりである。

漱石の『三四郎』ばりの「青田三太郎」という平凡すぎる名前を与えたこの虚構人物を設定することにより、著者と日記の書き手に一線を画し、さらにその日記の書き手に、時差をおいて三年前の日記に対面させ、非連続な自己に立ち会わせる。さらに、あらためて日記を書き出し、みずからの内なる言葉を書きつけようとするのだが、それもぴたり重なることはなく、日記と内面の反映関係はないと言う。こうした二重三重の否定的な距離化の操作をへて獲得されるのは、そのような語り自体の真実性である。これは嘘だと言い続ける書き手を用意することで成立するメタレベルの「真実」の表象を目指したのである。
第3章「『知識』から『教養』へ」、p.88

〔略〕『三太郎の日記』は、創作であると同時に評論・エッセイであり、そのような混淆したジャンルを生み出したことによって読者を得た。複数の自己を抱え、さまざまな想像力を働かせながら、たえず思索しつづけること。たえず更新しなければならない「内面生活」という課題こそ、「教養」の前提である。
同、p.90

うふふ。かくして「教養」をめぐる旅はつづく。

21:02
すっかり忘れてたんで、いま見て自分で笑っちゃった。スーパーマンレッセブン第11話

「スーパーマンレッセブン」はもう 20年も前に作ったページ(ページデザインというか HTMLは 10年くらい前に一度整えているけど、中身は 20年前のまま)。ふと覗いたアクセス解析で珍しくここへのアクセスがあって、つられて自分で見に行ったら全然記憶になく、新鮮に笑ってしまった。笑ってしまったが、これ、いったい「面白い」のかどうかはわからない。
円谷ウルトラシリーズのパロディで、「ぽい」シナリオをそこそこちゃんと書いている回と、あらすじだけのまるきりふざけた回とを交互に配するかたちで全11話を作った(あ、だからツイートのリンクにあるやつが最後/最新の回なのね)第1話第3話第9話(形式的には)ちゃんとしている回である。
夜は「 HIRA」というカレー屋のカレー。さのみ足繁く通っているわけでもないと思うのだがマネージャーといった感じの人に顔を覚えられており、一ヶ月ぶりぐらいの今日は「ずっとお待ちしておりました」と声をかけられる。おいしい。
帰宅するとオリンピックが開幕していて、開会宣言の少し手前あたりから見る。とおりいっぺんのことをしていると言えばそうなのだが、それでも少しく感銘を受けたのは、なんとも〈健全〉なナショナリズムの発露がそこにあった気がしたからだった。

Walking: 3.5km • 5,019 steps • 53mins 7secs • 164 calories
Cycling: 3.8km • 13mins 55secs • 80 calories
Transport: 70.2km • 1hr 34mins 31secs
本日の参照画像
(2018年2月10日 23:09)

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/ 8 Feb. 2018 (Thu.) 「バックナンバーを注文」

ロビン。2016年8月。

おとといの日記には紅野謙介さんの名をちょっとだけ出したが、そうなるとワンセットで、わたしのなかにもうひとつ浮かぶ名前が金子明雄さんだ。丸々二十年ちかく前の成城大学で、ゼミ担だった石原千秋(「さん」はいいのね? 付けなくて、ほんとに)がサバティカルで一年間休んだその年に、学部の講義のほうを肩代わりしたのが金子先生だった(というふうに思い出すが、記憶違いがあったら申し訳ない)。明治末から大正にかけ、近代日本文学が〈メディア〉として駆動しはじめるその現場々々──岩野泡鳴とか、日陰茶屋事件周辺とか、島崎藤村とかだっけ──を扱った金子先生の授業はとても面白く、その後のわたしの興味関心に多大な影響を与えているもののひとつである。いまは立教大学の教授であるらしい。
てなわけで、最近は何か書いてないかなーとひさびさにその名前を検索して知る 2016年の論文はこんなタイトル。「〈文壇〉のハッピーバースデイ──ディスプレイとしての花袋・秋声誕生五十年祝賀会──」。
 ね? いったいどんなハナシなのかにわかには想像がつかないものの、面白そうでしょ? いまはなき(すでに 2016年いっぱいで休刊した)岩波の雑誌『文学』の、2016年5・6月号に掲載されたものだそうで、その号の特集は「文壇のアルケオロジー」。横文字が使われているが(でもって、そのことでもちろん「フーコー的な意味での」という含意があるわけだが)「文壇の考古学」ってことですね。
 いま「文壇」と言われればそこそこ興味の湧くところで、何より金子さんの書いたものが読みたかったから、岩波書店のサイトの案内に従い、メールでバックナンバーを注文する。
夜に出した注文メールに翌朝すぐ返信があり、在庫があるから送るとのこと(送料を含めた支払いは、それに同封の郵便振替用紙で、という手順)。連休中に読めるだろうか。

Walking: 3.1km • 4,593 steps • 50mins 25secs • 145 calories
Cycling: 2.6km • 13mins 7secs • 57 calories
Transport: 70.4km • 1hr 34mins 46secs
本日の参照画像
(2018年2月10日 08:20)

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/ 7 Feb. 2018 (Wed.) 「NAOMYとその他の買い物」

こちらがファーストアルバム『 PROGRAM PICTURE』。

ロビン。2016年7月。

夜、帰り途に新宿で途中下車し、まずディスクユニオンで NAOMY『 JS 自称主婦』 を買う。それから紀伊国屋書店で『映画芸術』( 462号)、『文學界』( 3月号)、紅野謙介『物語 岩波書店百年史 1 「教養」の誕生』も手に入れた。『桜のような僕の恋人』きのうの日記を参照)はいちおう手に取ってぱらぱらめくってみるところまで行ったが、理性がまさって購入には至らず。
『 JS 自称主婦』の CDを iTunesに読み込むとアルバムアートがすっと表示されたので「もしや?」となり、そこではじめて iTunesでもダウンロード購入できたことに気づく。というか、そもそも Apple Music(定額で聴き放題のあれ。わたくし現在利用中)で聞けたのだった。CD買っちまったぜ。ま、いいですけど。
NAOMY、じつははじめて聴く( NAィKIとしてのパフォーマンスを一度見ているが記憶はあまり鮮明でなく、だからまあ、はじめてに近い)んですが、いいですね。初聴での好みは「ワイドショー」「肩が凝る」「よそはよそ うちはうち」。でも、「 It takes time」もいい。
まあその、モチーフがモチーフだけに、アルバムリリースの折も折ちまたで歌詞が話題であるらしい「あたしおかあさんだから」をここに引き合いに出して、そことの比較において『 JS 自称主婦』を称揚し、それで「われながらブログ書いた感」でも出そうかと思ったのだったが、やめにする。そもそも全然ちがうのでね、両者は。もうね、背丈がちがう。おぼん・こぼんくらいちがう(そんなにちがわないのね)
あ、同じ作家がサンマーク出版から出しているという絵本『このママにきーめた!』を、軽くセンター返ししてみせる「母さんはアタシ」の気持ちよさ、ぐらい言っときましょうか、せっかくなんで。
さらに夜、佐藤(一晃)君から Facebookメッセージが届く。『トーキョー/不在/ハムレット』のときの、あの(えーちょっと待ってください、いま役名思い出しますから。うーんと、「島村幸彦」。自動車雑誌を読み上げてたあの役と言えば像が結びますか? の)佐藤君だ。サイトを作ってほしいとのこと。はい、作りましょう。

Walking: 6.7km • 9,995 steps • 1hr 44mins 56secs • 318 calories
Cycling: 2.5km • 13mins 30secs • 55 calories
Transport: 72.3km • 2hrs 2mins 34secs
本日の参照画像
(2018年2月 9日 17:36)

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/ 6 Feb. 2018 (Tue.) 「教養問題に新展開、など」

ロビン。2016年5月。

今週の使ってみたい言葉。「ご恵投いただく」。
どこぞで試写会があったとおぼしく、冨永昌敬監督の新作『素敵なダイナマイトスキャンダル』( 3月17日全国公開)についてのツイートが夜、いくつか流れてくる(いやまあ、冨永君がリツイートしてたわけだけど)。面白そうなのだった。
冨永監督といえば去年観た『南瓜とマヨネーズ』もとてもよかった。

@soma1104: それであの、金曜に観ました。『南瓜とマヨネーズ』。スクリーンにみごとに「コマ」を生む、冨永監督の愚直かつへんな演出。
2017年11月28日 22:40

 この〈スクリーンに「コマ」を生む〉についてはもう少し日記のほうで言葉を費やそうとそのときは考え、またそのため、読んでなかった魚喃キリコさんの原作も映画のあとで読んだりしたが、けっきょくその日記は日付の遠のくまま、書かずじまいにしてしまった。
 『素敵なダイナマイトスキャンダル』が公開される 3月なかば、はたしていまのこの〈日記欲〉はそのときまで継続しているだろうか。
さて「教養」問題だが3日付「渋谷へ行くなど」の後段を参照)、「あっ、これは!」という一冊を見つけたというのは、『物語 岩波書店百年史 1 「教養」の誕生』だ。この『百年史』は全3巻で、巻ごとに著者がちがうのだが、「『教養』の誕生」と副題の付くこの第1巻を担当しているのが紅野謙介さんなのだった。大学のとき、ゼミ担だった石原千秋(「さん」付けねえのかよ)がサバティカルというやつで一年休んだ年に、代わりにゼミの授業を受け持ってくれたのが紅野先生である。紅野先生なら間違いない。うん。これだな、この本を読んで「教養」の誕生に立ち会い、それから山本(圭祐)君に何をあげるか考えることにしよう。
それで紅野先生の Facebookへの投稿など見ていたら、ついこないだ、「『国語』教育研究会」なる会で、「大学入試共通テスト(国語)の分析と評価──サンプル問題およびプレテスト 2017をめぐって」という発表をしていたことを知る。

「大学入学共通テスト」のとりわけ「国語」をめぐって議論する会を開くことにしました。記述式・マークシート式の併用が話題になっていますが、それ以上に根底にある「思想」が気になります。なかでも、この間の論理的思考力の育成について「テクスト」という言葉で統一されているのをみなさんは知っていますか。テキストではなく「テクスト」。しかも、この語彙が意識的に使われています。「本審議のまとめにおいては、文章、及び、文章になっていない断片的な言葉、言葉が含まれる図表などの文章以外の情報も含めて「テクスト(情報)」と記載する」。これは「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)(中教審第197号)」にある注記です。えっ、テクストは情報だったのか?と業界人のみなさんは驚かれるでしょうね。このようにかつての「テクスト」論が換骨奪胎されて国策のなかに取り込まれていたのです。ぼくは完全なテクスト論者ではなかったけれど、同年代で理論的な推移を見守っていたものとしても見過ごせません。この取り込みによって何が起きているかも考えてみたい。
紅野謙介、2017年12月27日の Facebook投稿の一部

 なんだよー。すげー面白そうじゃねーかよー。
それはそれとしていま、ファンであるわたしが、テニスの内藤祐希選手から勧められてしまったのが宇山佳佑『桜のような僕の恋人』だ。フォローしている内藤選手のインスタグラムにストーリー投稿があり、文庫の表紙を撮った写真に添えて、「まじオススメ!!!!」「これは死んでも読んだ方がいい。」「本が嫌いな人でも読めるくらいいい。」と文字が躍る。そうなのかあ。アマゾンで検索してざっと梗概など読むに思いっきり「難病ものの純愛もの」なのだけれど、16歳が全力で勧めるこの小説を、ファンとしてはやはり読まなくちゃいけないだろうか。どうだろうか。
ふと思い出すのはこの暮れに帰省したときの長兄の言葉で、そのときは次兄とのあいだで何かの映画(何だったか忘れた)が話題にのぼっていたんだと思うが、わたしの 10コ上である長兄は去年大病をしたこともあってだろう、「いよいよそんなもの見てる場合じゃない歳だからさ」と言っていたのだった。あははは。
 それでいくとどうなんでしょう、その 10コ下であるわたしにはまだ、「そんなもの」を見たり読んだりしてる時間があるのでしょうか。(いやまあ、長兄が「そんなもの」呼ばわりしてるのは、『桜のような僕の恋人』的なものとはまた範疇のちがう「そんなもの」たちですけどね、念のため。)

Walking: 3.4km • 4,900 steps • 51mins 7secs • 161 calories
Cycling: 3.1km • 15mins 6secs • 66 calories
Transport: 69.7km • 1hr 13mins 37secs
本日の参照画像
(2018年2月 8日 14:35)

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/ 5 Feb. 2018 (Mon.) 「ニボル、たぶん、びっくりする」

ロビン。2016年5月。

写真はわが家の柱の一本。いちばんの爪研ぎスポットで、見てのとおりのありさまはロビン、ピー、ポシュテの皆がここで研いできたからだ。
 二階に物を取りに行っていると、リビングから妻の「ニボル! そんなとこで爪研いでいいわけないでしょ!」という叱り声が聞こえたので、戻ってからどこで研ごうとしたのか訊くと、ここだった。
 あはははは。ニボルにしてみれば、そりゃ、びっくりだろう。「えっ!?」となったのではないか。こんなだもの。ここが「研いでいいわけない」とは、とんだドッキリにかかったような心持ちだ。
「デヴィッド・バーン、トランプ大統領の肥溜め発言を受けてカリブ&アフリカによるプレイリストを公開」( NME JAPAN、2018年2月2日付)

さて、今日はわりあいうわの空なので、備忘録をかねてこのさきのあれこれを。
書いているいまから言えば明日、7日には NAOMYのセカンドアルバム『 JS 自称主婦』が発売。発売日以外にたぶん共通項はないものの、宮沢(章夫)さんも寄稿する『文學界』3月号(【大特集】岡崎京子は不滅である)とともに初日にゲットするのはいかがか。
週末の 10日、11日は高山玲子『ゴーストライター』。観に、あるいは参加しに(?)、行くといいのではないかと思う。
あと、勝手バナーも設置しているところのジエン社『物の所有を学ぶ庭』は 28日から。これはその、上村(聡)君、善積(元)君らが出るということもあるが、その前にまず、タイトルがとてもいい。観たほうがいいんじゃないかなあ。
3月7日には高森(郁哉)さんが本屋 B&Bでトークイベントに出るらしい。高森郁哉×片岡龍峰「デス・スター、破壊するとどうなる?」『「スター・ウォーズ」を科学する』(化学同人)刊行記念
などなど、である。

@ninety_deg: キス、自力では思いつかない。
2018年2月5日 22:37

Walking: 3.7km • 5,427 steps • 56mins 3secs • 173 calories
Cycling: 2.7km • 13mins 28secs • 59 calories
Transport: 81.2km • 1hr 40mins 15secs
本日の参照画像
(2018年2月 7日 01:06)

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/ 4 Feb. 2018 (Sun.) 「東銀座へ行くなど」

ここに至ってついに、仲が悪いという設定を忘れる場面が出てきたふたり。

ロビンとピー。2016年4月。

かたちはさまざま、やり口(笑)もそれぞれだが、どうやら続々と大場(みなみ)さんのもとには手紙が舞い込んでいるようでうれしい。なんでわたしがうれしいんだって話だが、まあ、うれしい。
午後から出かけて東銀座は歌舞伎座。「二月大歌舞伎」の夜の部を母と観る。いままでの(九代目)松本幸四郎が(二代目)松本白鸚を、(七代目)市川染五郎が(十代目)松本幸四郎を、(四代目)松本金太郎が(八代目)市川染五郎を、親・子・孫三代で同時に襲名する披露興行。さらにこの高麗屋三代の同時襲名は二代連続(と言えばいいのか?)で、37年前の 1981年に、順繰り繰り下がって初代白鸚・九代目幸四郎・七代目染五郎の三人も同時に襲名披露を行っている。
「筋書」と称して売られている公演パンフレットに、演劇評論家の上村以和於さんによる「高麗屋の芸その多様性」という文章が載っているのだが、笑ったなあ(「すごくよかった」の意味です、念のため)。その終わりちかくの一節。

思えばその三十七年前、このとき初代白鸚となった先代の大星由良之助が、たしか八歳だったと思うが孫の七代目染五郎の力弥と、花道に置いた小さな木戸を境に、酔いにまぎれて交わすやりとりの有様は今も私の眼底に生きている。「園町を離れてから急げ」と力弥の背に掛けた声音が、白鸚の声の聞き納めだったような気がしているのだが、じつはこれは錯覚であったかも知れない。

 いやね、ふつうに考えれば「聞き納め」のはずがないんですよ、七段目、そのあとも話続くし。でもそれを記憶と心とに素直に書いて大きなデタラメを出現させ、「〜ような気がしているのだが、じつはこれは〜」というすっとぼけ方も抜群に、デタラメをそこに置きっぱなしにする手際があざやかだ。あはは。「じつはこれは錯覚であったかも知れない」じゃないよ。読んで一瞬、俺が書いたのかと思ったじゃないか(わたしが書いたとすれば当時 6歳だから、聞き納めた=そのあと寝てしまった可能性もなくはなく、筋はとおる)。 「熊谷陣屋」、「芝居前」からの「口上」、そして「七段目」。総じてとてもよかった。「芝居前」のツラネ(と呼ぶらしい)でだいぶやられていたのだけど、「口上」でいよいよ泣く。まったく型どおりに述べられる口上というのはひじょうに広大な余白のようなところがあるから、ちょっとずるいんだよ。

Walking: 5.1km • 7,146 steps • 1hr 24mins 40secs • 242 calories
Cycling: 3.8km • 21mins 8secs • 84 calories
Transport: 107.9km • 2hrs 8mins 10secs
本日の参照画像
(2018年2月 6日 01:00)

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/ 3 Feb. 2018 (Sat.) 「渋谷へ行くなど」

ニボルに上に乗られる。

左からロビン、ポシュテ、ピー。2016年3月。

23:33
たべすぎた。

2日夜のこのツイートに未明、石原(裕也)君から「いいね」が付く。たべすぎたことのただの報告に「いいね」とは何がひとの琴線に触れるかわからないものだが、しかし一歩立ち止まってみるなら、ほんとうに言いたかったことは「いいね」ではないのかもしれないとも考えられる。〈この話題に「いいね」もヘンだけど、ボタンが「いいね」しかないから〉というよく起こりがちなアレで、とすると、石原君に「いいね」を押させたのはどのような感慨だったか。大食ぶりへの驚きか、暴食への心配か、自重を促す叱咤か。そのどれでもないとすれば、「たべすぎた」にたいして、あるいは石原君が投げかけたかったのは次のような言葉だったかもしれない。
 「よかったですね」。
あ、それ「いいね」か、ほぼ。と、以上ここまで、惰性で書いてしまったどうでもいい話。なお、たべすぎたのは「てんや」。

夜、渋谷「 Li-Po」にトークイベントを聞きに行く。イベントの名前が長いのだが、ちゃんと書くと「シブレキ〜渋谷文化事件調査委員会」の第4回で、「公園通り、道玄坂、宮益坂 坂と川、谷の街から生まれた都市型ポップミュージックとは?」という催し。トークゲストが牧村憲一さん、聞き手として宮沢(章夫)さんという、例の「牧村さんに聞く」シリーズの(場所を移しての)続編という恰好。ひと目に長いのでよく読んでなかったイベントタイトルをさっきちゃんと書き写してみて知るのは、「あんな」だったわりに、けっこうタイトルに沿ったハナシになってたんじゃないかということである。
荒井由実、ジャンジャン、労音といった話題から出発して、数多の脱線を挟みつつ、渋谷という土地の記憶と深層をめぐる話まで。途中、「いかに当時のユーミンが、同業者にとってもスター(ある種の希望の象徴)であったか」を示すものとして牧村さんが紹介したシュガーベイブの「 YUMIN'」( 1975年5月21日収録の FM東京の音源)など、貴重な音もいくつか。若かりしユーミンの、じつに軽やかな歌声を記録した「海を見ていた午後」(どういう音源だったか忘れた)もよかった。まあ、詳細レポートはわたしの任ではないので誰か(オフィシャル?)に期待するとして、検索で来るかもしれない人向けに少しは有益なことを書いておくなら、〈新宿から渋谷への流れ〉の話で宮沢さんが「これは前、文章に書いたんですけど」と言っていたのは、たぶん、早稲田の表象・メディア論学会が出している『表象・メディア研究』の第7号( 2016年度)に所収の、「渋谷が語るもの──『ユースカルチャー(=若者文化)』の行方──」という論文のことだと思う。それをどこでどう入手できるんだってことについてはよく知らないけど。
ところで知り合いの俳優、山本(圭祐)君のツイートだけれど、

@yamak1980: 今年の誕生日は教養が欲しいです
2018年2月3日 20:08

大場(みなみ)さんの「誕生日に手紙がほしい」というツイートに応えたばかりの身としては、ちょっと、山本君にも「教養」を贈らないといけないのではないかという気にさせられているのだ。最大の問題は、「教養」って何贈りゃいいんだってことだが、これはむずかしいよ。ブリタニカ国際百科事典とかか。あるのかいま、それ。いや、あったとしてすげー高いんじゃないか。はたまた、大正教養主義的な立場に立って岩波の漱石全集とか。いや、それはちょっとちがうような気がするし、やっぱり高い。となると何だ。諸橋大漢和も、文庫クセジュ全巻セット(そんなセットないと思うが)もどれもみな高くつくとすれば、「さすが教養」と言うよりほかない。いや、そういうんじゃなくてね、教養、何だろうなあ教養、と悩んでいる。

Walking: 2.3km • 2,785 steps • 29mins 51secs • 109 calories
Cycling: 1.1km • 5mins 8secs • 24 calories
Transport: 42.9km • 47mins 24secs
本日の参照画像
(2018年2月 4日 23:52)

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/ 2 Feb. 2018 (Fri.) 「『コーヒー』 / 手紙のその後 / もきちのかたち」

これが「もきち」。児玉君のインスタグラムより拝借。

うちの「にせもきち」こと、ピー。じつは全然似ていない。

ピーと、その下にロビン。2016年2月。

父・順敬の字はこんな感じ(実物コピー)。

すべては Facebookの入れ知恵ですが、そういったわけで、稲毛(礼子)さん、誕生日おめでとうございます。最近ここ読んでるかどうかは知りませんけど。稲毛さんさえ元気なら、右に倣えでわたしは元気です。

21:09
赤レンガ倉庫で『コーヒー』でした。あの猫は見ちゃうね、ということのほかは気のきいた言葉も見つかりません。よかったです。

夜、横浜の赤レンガ倉庫でニブロールの『コーヒー』を観る。16年前に初演された初期作品桜井圭介さんの当時の文章から引けば「彼等にとっての『長篇劇映画第一作』」)を、若い新たな出演者を得て踊り継ぐ/踊りなおす再演/RE-初演。わたし、残念ながら初演は観ていない。ただ、べつの折りに展示として見たんだと思うが、映像の多くは見覚えがあった。終わり間際のあの猫のことはツイートで触れたが、あと、冒頭ちかくの UFO映像も、なぜだろう、(ダンスをほったらかして)見ちゃうね、あれ。それも不思議なことに、「ホンモノかなあ?」って虚心な感じで。
今年は父の十七回忌であり、そうか、父を失ってまもなくのころが 16年前の初演のころなのかというところまで記憶はつながったが(ちなみ今日はこのブロックをいちばん最後に書いている)、16年前のことなんて実質的には〈何も覚えていない〉ような気にもなる。16年前が「古い」だなんて──「低速」で「低解像度」だなんて──それこそ〈覚えていない〉者の錯覚でしかないのだ。2002年のわたしと『コーヒー』と、2018年の『コーヒー』とわたし。四角の四隅で整然と向かい合うつもりだったその四者が、バーンという音楽=映像=ダンスの鮮烈な開幕とともにリノリウムの上に放り出されて、いよいよ 2018年もはじまったなというような、そんな夜だった。

12:52
日記。1日付「はたして大場さんに手紙は届くのか」
15:49
いいねが付いてほっとするなど。そしてわたしはひと仕事やり遂げた。手が痛い。

日記の更新後しばらくしてから大場(みなみ)さんが「いいね」をくれ、胸を撫で下ろす。とにかく何の相談もなく書いてますからね、こちとら、毎度のこってすが。
しかし手紙、まあ書いたんですけど、多少なりともていねいな字1]を書こうと思うともうすぐに手が疲れてだめだ。筆圧はさほどでもないと思うがペンの握り圧がね、ていねいに書こうと思うと制御の効かない感じになる(結果、さしてきれいな字でもない)。なんてラクなんだデジタルよ。いい気になってキーボードで下書きを打つとえらい目に遭うので、諸兄には注意を促したい。打ってるときは物足りず、もうちょっと書いたほうがいいかとか思っていたがとんでもなかった。長いよ。へとへと。
というわけで、ミニ連載の最終回は最下欄にて。

1:ていねいな字

ところで唐突にイイコトを言い出すならば、「うまい字というものはない。ただ、ていねいな字はある」というのが父の教えだった。ような気がする。教師あがりの住職だった父は、ものすごくいい字(形の特徴の元をただせばガリ版字、もしくはゲバ字という説もあるが)を書くひとだった。

16:05
もきちのかたち。

「もきち」というのは知人、児玉(悟之)君の飼っている猫の名前だ。無印良品のメールニュースが先日来、バレンタインデーに向けて「 St.Valentine's day きもちのかたち。」というコピーを件名に使っていて、何度来てもそれを「もきちのかたち」と読んでしまう。

St.Valentine's day もきちのかたち。
いつもありがとう。お疲れさま。大好き。これからもよろしく。
贈る人の数だけ生まれる、もきちのかたち。1人ひとりにぴったりのバレンタイン、見つかります。

 もきちのかたちもさまざまだと知る春の一日、それが St.Valentine's dayだ。
ニボル近況。一説によると亡くなったロビンは日々やって来ており、夜ごと、さまざまな「食べられるもの」についての知識をニボルに授けているらしい。おでんやスルメ、エビの尻尾といったものから病院で出された舐め薬、そして「ただのゴミ」まで品目は多岐にわたるが、その説明はわりと手短で、決まって最後にこう言うのだという。「機会があればぜひ」。

〔ミニ連載・最終回〕いくつかのクエストをこなすことで郵便局が復活。「速達王」の称号ももらってどうやらこれでいったんクリアの様子。速達王は、出す郵便物がすべて速達になるのだった。お得。

Walking: 6.1km • 8,214 steps • 1hr 26mins 37secs • 289 calories
Cycling: 1.1km • 5mins 58secs • 24calories
Transport: 122.7km • 3hrs 2mins 1secs
本日の参照画像
(2018年2月 3日 09:59)

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/ 1 Feb. 2018 (Thu.) 「はたして大場さんに手紙は届くのか」

ロビン、ピー、ポシュテ。2016年1月。

2:37
あ。もうこんな時間(家鴨さんのツイートの時間)か。
23:27
日記。31日付「月の夜、ベケットとデデが」

さて二月。
この日記の数少ない読者のうちでいったいどれほどの方に、そしてそもそも、当の大場(みなみ)さんにさえ、はたしてそれと気づかれていたかどうかという話だが、29、30、31日の日記で、それぞれの末尾に一文ずつ付記していたミニ連載が、名付けて「はたして大場さんに手紙は届くのか」だ。ハナから説明するとまず、大場さんの次のようなツイートが二度にわたってあったと思っていただきたい。

@obami23: もうすぐ誕生日なんですけど、手紙くれませんか。
2018年1月28日 22:02

@obami23: みんな、手紙ください…3日に届くように…
2018年1月31日 15:41

 つまり、( @obami23のアカウント名からも察せられるとおり)2月3日が大場さんの誕生日であり、その誕生日にめがけて(おそらくは郵便で)手紙を書き送ってくれないかと呼びかけている。ひとつ目のツイートにはどこか私信めいた響きもあり、あるいは誰か透明な宛名のついたつぶやきかとも思えたが、ふたつ目のそれでははっきり、「みんな」に向けた呼びかけになっている。
 はたして、大場さんに手紙は届くのだろうか。
 もちろん、この呼びかけに応じようと考えたひとりがわたしだが、ではここで、わたしのミニ連載を振り返ってみよう。

〔 29日〕帰り途で便箋と封筒を買う。
〔 30日〕ペンがない。
〔 31日〕依然、ペンがない。

 十中八九、わたしからの手紙は届かないんじゃないかと思うが(そもそもペンがないのだし、ペンは買う気がないようだし)、しかし何も、わたしばかりが「みんな」ではない。生活にペンを欠かさない備えのいい人間や、はたまた大場さんのためならペンだって買おうという豪儀な者が、フォロワーのなかにいないともかぎらない。わたしもなんとか、ペンを手作りするなどしてできるかぎり手紙を届けたいとは思うが(思いがけず、とても画期的なペンを発明してしまったらどうしよう?)、まあ、あてにはせずにいてくれたらさいわいである。
 はたして、3日、大場さんに手紙は届くのだろうか。
いやまあ、意外に届くんじゃないかとも思いますけどね。ひとつ目のツイートに「いいね」が 2、二個目にたいして「いいね」3、リツイート 2と、ツイッター上の表れでこそさっぱりな感じだが、そもそも郵便であるからには「住所」のカベがあるわけで、SNS的な賑やかさとは離れた場所でこそ手紙への気運は高まっているにちがいない。というわけで、わたしの予想は六通。わたしのそれが届けば七通だが、まあ、六通も届けば充分でしょうよ。
ニボル近況。あれだけむさぼっていた缶詰にたいし、ちかごろ選り好みをするようになってしまった。贅沢を言い出したニボルと、そもそも缶詰は少ししか食べない(し、すぐに譲ってしまう)ピーのおかげで、ポシュテはすくすくと太っている。

清書。しかし郵便局がつぶれていた。

Walking: 3.7km • 4,967 steps • 55mins 18secs • 175 calories
Cycling: 1.2km • 6mins 51secs • 27 calories
Transport: 70.8km • 1hr 22mins 59secs
本日の参照画像
(2018年2月 2日 12:29)

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