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Dec.
2008
Yellow

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/ 31 Dec. 2008 (Wed.) 「大晦日のこと」

大晦日から元日にかけての一泊で、寺であるわたしの実家(茨城県)に帰省、二日から三日にかけての一泊で妻の実家(埼玉県)に帰省するというのが結婚以来のほぼお定まりである。猫を家に残していくため一泊が限度だということからこうした日程になっている。
午後、家を出る間際に30日付の「Yellow」を更新、家を出て、年賀状を投函、姪の誕生日プレゼントとお年玉用のポチ袋とを駅ビルで買い、電車に乗る。電車のなかでイーモバイルをつないで「Pink」の文章を追加したのが年内最後の更新。中央線、武蔵野線、埼京線、東北線、水戸線と鈍行を乗り継いで二時間半ほど、下館に着くと風がすごかった。
写真は実家の除夜の鐘。除夜の鐘というものは本来、年内に一〇七つ撞き、明けて一つを撞いて一〇八とするのが本寸法なものであって、当然、年内に一〇七つ撞くことを考えれば逆算して十時すぎぐらいから撞きはじめないと間に合わないわけだし、もっと言えばそのへんはすっかり計算された上で、あらかじめ決められた者が決められた間隔で撞いていくというのがNHKの「ゆく年くる年」で中継されるようなきちんとした寺の除夜の鐘であるわけだが、うちはむかしから(少なくともわたしの知るかぎり)、たんに撞きたい人がやってきて撞くということになっている。檀家さんの多くは「紅白歌合戦」を見終わってぞろぞろとやってくるという調子で、だから撞きはじめるのも遅いし、年が明けても延々と撞いている。で、そもそも数をかぞえていないのだった。
一方、年が明けると本堂ではお参りがあり、住職(長兄)がお経をあげたあと、集まった方々にむけて法話の体をなすようななさないような、年始の挨拶をする。それをうしろのほうの席で聞いていた。本人が肯定するかどうかはべつとして、聞いているとすっかりしゃべりのスタイルを確立した感のある兄だが(まあ、なにがしかスタイルをもたないとやっていけないというか、つまり〈慣れ〉という面もあるのだろうが)、きょうは聞いていてふと、この調子はどことなく、ラジオなどでしゃべるえのきどいちろうさんではないかと思ったのだった。

(2009年1月 2日 13:57)

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/ 30 Dec. 2008 (Tue.) 「大掃除」

デヴィッド・バーン&ブライアン・イーノ『Everything That Happens Will Happen Today』

松岡正剛『連塾 方法日本 I 神仏たちの秘密日本の面影の源流を解く』(春秋社)

宮沢章夫『アップルの人』(新潮文庫)

CDの買い納めはデヴィッド・バーン&ブライアン・イーノ『Everything That Happens Will Happen Today』
本の買い納め(となるだろう)は、松岡正剛『連塾 方法日本 I 神仏たちの秘密日本の面影の源流を解く』(春秋社)、宮沢章夫『アップルの人』(新潮文庫)『落語ファン倶楽部 Vol.6』(白夜書房)。『落語ファン倶楽部 Vol.6』の付録CDには、古今亭志ん朝の真打披露口上〜高座『明烏』のさわりが収められている。司会が先代正蔵、口上が先代文楽と先代馬生のふたりというごくあっさりしたものだが、文楽の口上になぜか涙が出そうになる。併せて桂ざこばの襲名披露口上も収められ、こちらは司会が枝雀、口上は米朝、先代小さんの揃い踏みである。なんと気持ちのいいCDか。
大掃除の一日だった。

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(2008年12月31日 14:10)

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/ 29 Dec. 2008 (Mon.) 「マフラーをなくす年の瀬」

奥沢某所にて。

さて、うかうかしているとこれが年内最後の更新となるかもしれない時期にさしかかった。一年を振り返りつつ、すぐそこまで来て顔をのぞかせてもいる二〇〇九年に一瞥をくれて、ここはひとつ何かまとまったことを書きたいところだけれど、そうもいかないのは、そんな文章に頭を悩ませている暇があったら一冊でも本を本棚に片付けたらどうだという顔で、大掃除中の妻がこちらをにらんでいるからだ。いまも、右手にダイソン、左手にもダイソンを持って、にらんでいる。あれ?いつのまにダイソンが二台も?と思うまもなく、左手にもっていたダイソンを妻はこちらに投げつけてくる。ひらりと身をかわしたわたしはキーボードを肩に、なおも描写をつづけるが、気づけば、わたしの脇を通りすぎたダイソンはシネマディスプレイに命中してそれを木っ端みじんに砕いた。「おのれ!」とばかりに「おのれ!」と打つわたしにはもう、きちんと「おのれ!」と打てているのかたしかめる術がない。なにしろディスプレイが壊れてしまった。妻はクイックルワイパー殺法でたたみかける。クイックルワイパー殺法についてはまた後段で説明しようと思う。
27日の夜は「奥沢にある某所」での忘年会。それへ向かうさい、立川駅でマフラーをなくした。南武線のホームにある立ち喰いそば屋で、カウンター下の棚に脱いだそれを置き、食べ終えてそのまま電車に乗ったのだった。これから忘年会に向かおうという者がいったいなぜ立ち喰いそばを食べなければならなかったか、悔やんでも悔やみきれないが、というのもそのマフラーが妻のものだからだ。いつも巻いているマフラーなのだったが、じつは妻からの借り物なのである。妻はおかんむりだ。困った。
似たマフラーをネットで探してみてはじめて、「あれは、同じものとなるとなかなかないのだ」という妻の言い分が実感となってわかってくる。微妙な色のニュアンスはあるものの、柄自体はまったく特殊なものではなく、定番というか、ありふれてさえいる柄だ。ブラックウォッチと言うのだそうで、グリーンとネイビーのチェック柄である。問題は色味と同時に、フリンジと呼ぶらしい、端に付いているビラビラした部分で、一般にそれは長方形の短いほうの辺に付いているのが常だが、なくしたマフラーはそれが長いほうの辺に付いているのだった。これがちょっとない。ついにひとつ見つけ、「あ、これは似てるねえ」と妻に言わしめたものの、それはその輸入ショップですでに完売になっていた。
28日は大掃除に付き合う。パソコン机のまわりを片付けるのにほぼ一日かけてしまった。29日、いちおう、仕事納め。
いやまあ、もう一回ぐらい書けるかな、年内。

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(2008年12月30日 09:25)

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/ 24 Dec. 2008 (Wed.) 「日々は過ぎゆき」

ラストソングスの寸劇。ちなみに妻は離れた位置からこれを観ていて、ほとんどセリフが聞き取れないまま見守っていたらしい。「また何かのドラマを再現してたんでしょ?」と妻。

新郎新婦。新郎の挨拶。

上村君のお父さんが作詞したという「ラストソングスのテーマ」(「明日があるさ」の替え歌)を唄って大団円。

溜まってしまったよ日記が。なかなか忙しかった。「LONDONYMO」 と「GIJONYMO」 をずーっと聴いている。
インクジェットプリンタを買い替えた。これまでと同じキャノンの、「PIXUS iP4600」。ま、どうということないインクジェットプリンタっすよ。──と、かつての「ALPS MD-2300」ユーザーはどうしても記憶のなかの〈あれ〉と比較してしまっていけない。
21日の夜は上村君・梨乃さんの結婚披露パーティー。代官山UNICE。司会役も含めてなんやかや、くるくると働くのはラストソングスと笠木さんのチームである。少し早めに会場に入り、クリスマスツリーの飾り付けという皆目要領のわからない作業を妻とふたりで任される。あやうくぞんざいなツリーになりかけたが、いせ(ゆみこ)のダメ出しがあったおかげでツリーは体裁を保った。知った顔がぞくぞくと来る。妻は、じつに『トーキョー/不在/ハムレット』以来数年ぶりに会う岸(建太朗)さんが「何も変わっていない」ということをまのあたりにし、ほっと胸を撫で下ろしていた。
ラストソングスによる〈寸劇〉から会は後半戦に突入。ラストソングスといえば毎回、素朴なまでに「場の条件」から編み上げていくその構成手腕に定評があるが、今回もまたそうやって、巧みに会のクライマックスが用意されていった。あたたかな、よい会だったとつくづく。
映画『金糸雀(かなりや)は唄を忘れた』を撮った赤羽(健太郎)さんがそのブログにしばらく前、「ネクストへ向けて」として、「まだ詳しいことを書けない」とある企画のことを書いていたが、どうやらその企画に、わたしも呼ばれたということらしい。「らしい」というのもあれだが、まだこれっぽっちも時間を割けずにいて、何も手伝えていない。きのう(23日)、ようやくその企画の「原作」を本屋で買ってきた。
前々回の日記ではたいそうな、さも大規模サイトであるかのようなことを言ったものの、その後は、アクセス集中による負荷制限を受けるということもなく(たまたまわたしがそれに遭遇していないだけで、陰でアクセスできなかったユーザーがあった可能性は否定できないものの、おそらくはそれもなくて)、サーバのほうは順調に推移しているように見える。というか、いくら「それなりにアクセスがある」とはいえ、たとえばMySQLの同時接続数が12を越えるといったような負荷制限を受けるとなると、やっぱりそれはスパム行為による連続アクセスとか、そういったことがないとちょっとそこまでいかないのではないかと思えるのだった。
で、はじめて知ったのだけど「リンク元(リファラ)スパム」なるスパムがあるんだね。知らなかった。「はてなダイアリー」など一部のブログサービスでは各記事ページの下部に「コメント」や「トラックバック」と並んで、「リンク元」の自動表示機能(その記事に対し、どのページのリンクからやって来たユーザーがどれだけあったかを、そのリンク元への逆リンクとともに示す)が付いていることがあるが、リンク元スパムはその機能を利用し、宣伝したいサイトのアドレスをリンク元情報に入れるかたちでさまざまなサイトに大量のアクセスをかけ、その「足跡」を残そうとするのだった。むろんその大量アクセスはプログラムによるもので、じっさいにはリンクなど存在しない。上記のとおり一部のブログではその足跡が自動でページ上に公開される(リンク元への逆リンクが張られる)から、おもな狙いはそれによって大量のバックリンク(自身のサイトへの被リンク)を獲得し、検索エンジンに対し自身のサイトの価値をアピールすることにある。当サイトのコンテンツのうち「Pink」には、Movable TypeでもWordPressでもなく「a-blog」というブログツールを利用しているが、これに、管理画面から「リンク元」をチェックできる機能が付いている。ログインしなければ表示されない管理画面上でのことなので、a-blogに対してリンク元スパムを送りつけてもじっさいにはバックリンク効果は生まないのだけれど、スパムにそんなことを言ってもはじまらず、しかもa-blogの場合、そのリンク元情報をデータベース(MySQL)に記録するから、スパムが飛んでくるたびにデータベースへの接続が発生することになるのだった。
というわけで、これまでとくに気にせずにいた設定のいくつかを見直し、キャッシュ機能を利用するようにしたりだとか、キャッシュへのアクセスだった場合にリンク元を記録しないようにしたりだとか、できるだけの対策を試みる。そんなこともしていた。

本日の参照画像
(2008年12月25日 23:19)

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/ 17 Dec. 2008 (Wed.) 「発射式」

時間がないので手短に、思いつきだけ。うっかりしたことを言わないためにも先行研究にあたりたいところだけどその時間がない。

これからどうしたらいいか見当もつかぬまま、ただ眺めがいいからと、平日の午後に乗ってしまうような「なにか」だ。
「富士日記 2.1」2008年12月15日付

 仮に「観覧車」が、高い位置から街=世界を一望するための装置だとして、するとその誕生にはやはり、「博覧会」的な、20世紀的欲望が絡んでいるのではないかということがひとつ。

1907年4月、東京・上野で開催された東京勧業博覧会で設置された観覧車が日本初とされていたが、1906年5月に大阪の日露戦争戦捷紀念博覧会で既に観覧車が設置されていたということが1906年4月6日付の大阪毎日新聞の掲載記事により判明した。
観覧車 - Wikipedia

とあるとおり、日本における最初期の観覧車がいずれも「博覧会」と名の付く場所に設置されたことは興味深い。でもあれか、一般に「博覧会の世紀」というとそれは19世紀のことだっけか。
それと、高所から街を一望するための装置としての観覧車の歴史を調べていくなかでひょっとして判明したりしないだろうかと想像するのは、現在ひろく普及するところの「回転するあれ」が、その昔「回転式観覧車」と区別されて呼ばれた時期があったということで、その当時、世界には「回転式」のほかにもさまざまな形態の観覧車が存在したということがありはしまいか。たとえば「発射式観覧車」だが、「発射式」は準備に時間がかかるうえ一度にひとりしか乗れず、長く景色を楽しめないし、なによりあぶないといったことがあって、それゆえひとびとは熱狂的に、画期的な「回転式」の登場を受け入れたといったようなことが観覧車の歴史にはあったのではないか。

(2008年12月18日 16:01)

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