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Feb.
2012
Yellow

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/ 15 Feb. 2012 (Wed.) 「10日から15日のこと」

2/10(金)

林家ぼたんさんの会である「倶楽部ぼたん」に志ん公さんがゲスト出演するということで、駒込は「ソフィアザールサロン」へ。行ってみると民家だった。二階(三階に吹き抜けている)がちょっとしたコンサート用のスペースになっていて、奥にはグランドピアノがでんと鎮座するその部屋でふだんは演奏会やピアノ教室などが開かれているらしい。
第66回を数える「俱楽部ぼたん」はつまりぼたんファン(?)の集いであり、20人弱のお客さんたち(そのほとんどが男性)はおそらく固定客なのだろう。アットホームな空気のなか、電気ポットに入った紅茶(だかコーヒーだか)や、クッキーなどのお菓子がふるまわれる。すごいとこ来ちゃったなと、そりゃ、思わないでもない。

夢の酒 林家ぼたん
妾馬 古今亭志ん公
(仲入り)
饅頭こわい 古今亭志ん公
転宅 林家ぼたん

「妾馬」は二度目。出来は去年「志ん五追悼 弟子の会」で聞いたときのほうがよかった。空間が空間なのでどうも自分の家で稽古しているような感覚になり、緊張感がなくなりがちでいけないと自身マクラで話していたのがまさしくそのとおりの分析で、こまかな起伏が感じられず、ツルツルと進行してしまった印象はぬぐえない。
終演後に懇親会があり、志ん公さんに、志ん五の「時そば」を焼いたDVDを渡す。志ん公さんは師匠・志ん五からは「時そば」を教わっておらず、師匠が演っているのを見たこともなければ、師匠の口から「時そば」という単語が出たのを聞いたこともないという。別れぎわ、次回はおそらく 19日の黒門亭に伺いますと伝えると、「じゃあ 19日は、〈志ん橋仕込みの〉ですけど『時そば』でも」と言ってくれた。 [電力自給率:35.9%(発電量:13.5kWh/消費量:37.6kWh)]

2/11(土)

ひさびさ妻とふたりで電車に乗り、タクシーに乗り継いで川越南文化会館へ。「森のイスキア」を主宰する佐藤初女さんの講演会。義姉が妻をさそい、妻がわたしをさそった。少し前から妻が夜、夕飯の残りご飯でおにぎりをむすんでいるのはいわゆる「初女さんのおむすび」に感化されてのものだが、影響云々を言うにはちょっとあれなくらいの自己流で「ただ無骨にむすんでいる」らしく、つい先日、ネットで検索して初女さんのおむすびについてその作り方など調べたという妻曰く「ぜんぜんちがった」とのこと。次兄家族が全員来たのと、あと、こちらも義姉にさそわれた(荒川)里沙さんが赤ん坊を抱いての参加。荒川(泰久)のほうは風邪で来られず。
講演会が終わったころに志ん公さんからメール。「時そば見ました」とのこと。
帰りにはみんなで食事。「大穀」という店で「そばと小天重」。うまかった。[電力自給率:42.1%(発電量:15.2kWh/消費量:36.1kWh)]

2/12(日)

KAAT 神奈川芸術劇場で地点の『トカトントンと』を観る。神奈川芸術劇場は NHK横浜放送局との合築施設になっており、だからだろう、入ってすぐの一階アトリウムには壁面に大きな液晶モニタが据えられて、NHKの放送が常時流れている。ちょうどわたしが建物に入ると、折しもその放送中の画面に「陛下が 18日に手術へ」という速報テロップだ。いや、ほとんど予備知識なしで劇場にむかったのだが、「近代」という巨大なテーマを扱っているらしい『トカトントンと』に「天皇」の影が差しているだろうことはまず間違いなく、こりゃなんというタイミングかと、いっぽうでは単純に「えっ」と驚きもしつつ、その速報を見たのだった。
舞台についてはいまちょっとこれという言葉がない。またかいの声もあろうが、ひとまず @HRAK_GM さんのブログ記事など参照していただければさいわいである。
志ん公さんのブログが更新されていた。古今亭駿菊さんが理事長をつとめる「今そこ演芸団(今そこに落語と笑いを配達する演芸団)の落語会に参加し、大船渡の仮設集会所など 3箇所で「時そば」をやったらしい。そのことを書いたブログ記事のタイトルが「松世」。志ん公さんの日記のタイトルは毎回漢字二字の造語というかエセ熟語なのだが、「松世」はおそらく「まっせ」で、つまり「末世」のシャレなのだろうと思われ、「末」が「松」にどうしたって置き換わってしまうような、そうした〈根源的な希望〉こそがあるひとつの実感なのだろうと想像された。いい言葉だよ、松世。[電力自給率:46.2%(発電量:15.9kWh/消費量:34.4kWh)]

2/13(月)

志ん生は文楽型である。
以前にネットサーフィンしていて、とある落語通の文章を読んだ。煎じ詰めれば「美濃部家(志ん生、馬生、志ん朝)が好き」というタイプの落語好きらしいそのかたは、志ん朝についてよく語られるところの「破天荒な父志ん生とは違った文楽型の名人を目指した」という定説に否を突きつけたい欲求を抱えつつ、しかし「さんざん聞き込んだCDと、読みまくった可能な限りの本から、最近ではやはり文楽型なのだろうと思うようにやってきた」と書かれていた。その結論を導くために引かれた補助線は多岐にわたるが、「CDと一言一句変わらなかった」という「多くの寄席好きの証言」もまた傍証のひとつである(これは「そうかなあ?」と思わないでもないが、まあ証言なのでしょうがない)

 志ん朝はやはり「文楽型」なのだろう。そういう意見を読むたびに反発し、そうではないと言い続けてきたが、それはファンとしての意地っ張りだったように思う。自分なりに勉強しての今の時点での結論である。どこかでひっくり返したい気持ちをいまだに持っている。

で、きょう、ひっくり返すとすればこの手しかない──というか、この手がある──とわたしが思いついたのが、「志ん生は文楽型である」だ。もちろんご想像のとおり、アクロバティックにならざるをえない論ではあり、まだ思いつきなので詳述は控えるが、でもこれ、「言える」と思うんだよなあ。[電力自給率:27.8%(発電量:10.9kWh/消費量:39.1kWh)]

2/14(火)

じぶんの Tumblr サイトをひさびさいじってみたり。ロビン(猫、オス、15歳)の食欲と行動に「おや?」と思わせる点が出始める。[電力自給率:2.9%(発電量:0.9kWh/消費量:30.1kWh)]

2/15(水)

「やっぱり具合悪いかも」というロビンについてのメールが昼間、妻からあり、ついついツイッターにその心配をつぶやいて、フォロワーのみなさんにご心配をいただく。病院に連れて行ったりなんだりという、ロビンのその後についてはひきつづき 16日以降の日記で。[電力自給率:17.5%(発電量:4.9kWh/消費量:27.9kWh)]

(2012年3月 1日 14:21)

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/ 9 Feb. 2012 (Thu.) 「立川談春独演会アナザーワールド11へ」

7日(火)

立川談春独演会「アナザーワールド11」初日(@成城ホール)。いせ(ゆみこ)さんをさそう。

三人旅 立川こはる
源平盛衰記 立川談春
(仲入り)
夢金 立川談春

というわけで過日の演目予想1月16日付「ひきつづきばかになっているありさま」は見事に外れたというか、だいたい「外れたもなにも……」という予想内容だったことに「夢金」──これぞ冬の噺──を前にしてはじめて気づかされるわけで、「まめだ」はどう考えても秋の噺だし、「らくだ」はあれ、初夏ぐらいの噺だろうか(はっきりと季節が示される噺ではないが、登場人物が薄着なイメージがある)
開口一番のこはるを見て「あ、このひと知ってる」といせさん。いっしょに飲んだことがあるとのこと。こはるさんも小田急沿線に住んでいるらしい。
「源平盛衰記」はいわば〈お取り次ぎ〉というか、「二十歳そこそこ、小ゑん時代の若き談志が作って大いに売り出した『源平』を作られた当時のまま、昭和30年代〜40年代のギャグもそっくりそのまま再現して演ります」とはじめに断ってのスタート。そうは断るものの、やはり「照れ」なのか、地噺である「源平盛衰記」にさらに自身のメタレベルな「地」──談志のギャグへの寸評や、談志が得意とした話術的仕掛けの解説など──を幾度となく差し挟んで、それがまず何より「談志っぽい」のだった。昭和天皇をさしての談志のギャグ、「あのひとも戦争さえしなきゃいいひとだったんだけどねえ」がたまらない。
二席目の冒頭では、一席目を終えてソデへ下りた直後、会のスタッフに「照れずに演ってください! みんな期待してるんですから!」と言われ、弟子たちもそれにうん、うんと首肯いていたという報告をし、「というわけで照れずに演ります」と言ってすぐに「夢金」に入った。サゲは、ふたたび「百両ォー」という雄叫びがあがったところで階下のオヤジが「静かにしねえかい」。これ、こういうふうにサゲを「きれいに」したのは先代金馬だそうだが、あまりにスマートだったので「ひょっとして」と思い、あとでいせさんに訊ねてみるとやはり「夢だった」というそのオチに気づいていなかった。本来のサゲはこれこれこういうかたちで、だから「夢キン」なわけ、といった解説をしたり。
でまあ、夢だったということがわからずとも充分に圧倒された様子のいせさん(落語を聞くのは何回目かで、「うまいひとのを聞くのははじめて」とのこと)と、駅前の串焼き屋で飲んで歓談。[電力自給率:3.9%(発電量:1.4kWh/消費量:35.3kWh)]

8日(水)

古今亭右朝が演った「ガーコン」をニコニコ動画で聞く。[電力自給率:10.1%(発電量:3.9kWh/消費量:38.3kWh)]

9日(木)

立川談春独演会「アナザーワールド11」の三日目・最終日。きょうは笠木(泉)さん姉弟と。(鈴木)謙一さんが来る予定だったのが来られなくなり、急遽、弟さんに白羽の矢が立てられた。笠木さんがときおり話題にするのでなんとなくは知っていた弟さんに、はじめて会う。

湯屋番 立川春樹
源平盛衰記 立川談春
(仲入り)
夢金 立川談春

一般的な演劇公演と同じような、連日同一演目をやる(と、あらかじめ案内されている)かたちの公演というのは落語においてはまれな形態なわけだが、この「アナザーワールド」シリーズがそれで、いきおいもあってためしに二度観てみたのだったけれど、やっぱりね、二度観たら観たで、そりゃいろいろとたのしいのだった。
出来は初日のほうがよかったように思う。もとより三日間三回だけの公演で噺の成熟度が大きく変わるとも思えず、それよりかは「初日」特有の緊張感がもたらすもののほうが大きかったのかもしれない。三日目の「源平」は構成の面ではやや「完成度」を増し、談春自身のメタレベルな「地」をどこで出してどこで出さないかという計算がよりなされている印象があったけれど、ライブの力でいえばどちらかといって、「少しでも忍んでいただけたなら幸せです」と結んで頭を下げた初日のほうがぐっとくるものがあった。
三日目の収穫といえばなんといっても「源平」の途中、脱線ついでにやや制御を失って披瀝された、ちかごろ落語界をにぎわす例のあれ=「落語芸術協会にたいする末廣亭席亭の提言」への〈怒りの応答〉だろう。〈これ以上ない追悼コメント〉とも聞こえたこの〈応答〉はやっぱり、論理の当否を超えてぐっとくるものがあった。
終わって焼き鳥屋(と呼べばいいのかな、あそこは)で笠木さん姉弟と歓談し、解散する。[電力自給率:37.1%(発電量:14.9kWh/消費量:40.1kWh)]

きょうのひとこと

かわいそうなのが田舎でございます。(古今亭右朝「ガーコン」)

(2012年2月29日 01:43)

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/ 6 Feb. 2012 (Mon.) 「ムスカリ君」

いろいろと開けてまわるムスカリ君。

ムスカリ君に囓られたムスカリ。

これが、たぶんかつてミニ胡蝶欄だったもの。ムスカリ君はこれも大好きだ。

いま、「ムスカリ君」の愛称でひとびとに親しまれているところのポシュテ(猫、オス、3歳)は、猫草はむろんのこと、クサ的なるものが大好きで、見境がない。「クサ的なるもの」と書けばまだ穏当に聞こえるやもしれないが、実態に即せばもう「プラント一般」に目がない。買ってきたミニ水仙をためしにテーブルのうえに置き、猫どもがわらわらと集まってくるのを観察しているうち、ほどなくポシュテがぱくっとやったので「ハイ、終了」となったじっさいの映像を以前紹介したごとく2009年12月24日付「よくわからないところにシャンプーはあった」、たいていの花はそうしてポシュテから避難させる意味で洗面所へと追いやられることになるわけだが、これはまだポシュテが赤ん坊だった 2008年に買ったミニ胡蝶蘭──もうとっくに枯れてひさしいが、枯らしたまま、ずっと洗面所に置いてある──にたいしてポシュテは、いままだ洗面所に忍び込むたびに駆け寄り、カラカラカサカサになった茎や葉に食いついている。ばかなのである。
ムスカリの鉢を買ってきたのは 1月10日のことで「新年だよ」、これなどはもう食べるだろうことが目に見えるからもとよりリビングなどで「日の目を見る」ことは叶わず、買って以降ずっと二階のトイレに飾ってあった。とはいうものの、ポシュテは、このトイレもそうであるところのレバー押し下げ式のドアを(先輩のピーから学んで)自力で開けられるわけで、われわれとすれば、「経験で言ってトイレはめったに開けない」ということにすがるしかないのだった──と思っていると、やはり開けた。寝室で寝ているとレバーハンドルに飛びかかる「がちゃん」という例の音がし、つづいて物が落ちる派手な音だ。トイレタンクの上に転がっているところを発見されたムスカリの鉢はすぐに救出されて、けっきょくやっぱり、洗面所に避難させられることになる。というのも、洗面所のドアは引き戸で、ムスカリ君はこれまで、これを開けることができなかったからである。
開けるようになったのだった。洗面所の引き戸というのが、どうやら季節によってその木材が膨張・収縮を繰り返すようで、夏場にはやけに建て付けがわるい感じになるいっぽう、冬には軽くなり、すーっとスライドさせられるようになる。で、冬季のその状態であれば、隙間に爪や指を差し挟むところからはじめて、最終的に「腕ずく」でこじ開けることができるということを最近、ムスカリ君は知ってしまった。
わが家にある戸の形状としてはもうひとつ、クローゼットの折れ戸があるが、これもムスカリ君は腕ずくで開けることができる。いろいろと開けてまわるムスカリ君だ。
洗面所に退避させたムスカリの葉を食べているところを妻に目撃されるにいたって、やはり「洗面所の牙城」は守らねばならないとなり、戸の脇に、外側からロックするための百円玉を常備して、それを溝にあてがって回し、こまめに鍵をかけるようになったわが家のこのごろである。
本日(6日)の電力自給率:2.0%(発電量:0.9kWh/消費量:43.8kWh)

本日の参照画像
(2012年2月19日 13:05)

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/ 5 Feb. 2012 (Sun.) 「池袋演芸場二月上席へ」

池袋演芸場二月上席。相当ひさしぶりの寄席の定席。昼・夜とも立ち見の出る盛況で(といっても池袋はそもそもの座席数が100席弱で、他に比べて少ないんだけど)、すでに前座が出るころにはほぼ席が埋まっていた。うしろのほうの席で、と思っていた目論見は崩れ、最前列、いちばん下手の端に座る。けっきょくその席を動かずに、昼の部の前座から夜の部のトリまで、まるまる観た。

〈昼の部〉
十徳 柳家いっぽん
たらちね 古今亭志ん公
奇術 ダーク広和
鹿政談 蜃気楼龍玉
錦明竹 古今亭菊志ん
漫談 林家ペー
真田小僧 桃月庵白酒
替り目 古今亭志ん弥
太神楽 鏡味仙三郎
時そば 三遊亭歌武蔵
(仲入り)
千早振る 橘家文左衛門
出来心 古今亭志ん橋
三味線漫談 三遊亭小円歌
笠碁 隅田川馬石

〈夜の部〉
子ほめ 柳家おじさん
平林 桂才紫
羽織の遊び 柳亭左龍
漫才 ホンキートンク
長屋の花見 橘家仲蔵
宮戸川 柳家花緑
俗曲 柳家小菊
短命 柳家権太楼
(仲入り)
粗忽長屋 林家たい平
鮑のし 古今亭菊六
紙切り 林家正楽
幾代餅 古今亭志ん輔

「たらちね」志ん公。そうか、志ん公の与太郎は「鼻へ抜く」のかな。与太郎噺ではないが、一瞬だけそれが出た。〈奇術〉ダーク広和。イトコに似てる。って何だその感想は。「鹿政談」龍玉。なるほど聞き心地に師匠(五街道雲助)に似たものを感じる。〈漫談〉ぺー。落語協会が掲載するプロフィールによれば 70歳(1941年生まれ)だ。その年齢を生々しく感じさせて一瞬どきっとさせられた声は、しかしどうやら風邪気味ってこともあったらしい。「真田小僧」白酒。生で聞くのははじめて(「はたご」か「喜助」時代に聞いている気がするがさすがに内容は記憶にない)。で、そんな感想もないもんだが、マクラのときの声と息遣いがまるきり〈織田裕二をやる山本高広〉だってことにきょう思い至る。「千早振る」文左衛門。自由。「こないだまで鈴本(演芸場)でよそ行きの落語をやらされてたから」。〈太神楽〉鏡味仙三郎。いつだったか、ヒザがわりの翁家和楽・小楽のあとに上がった志ん朝がマクラで、「こういう分野にはまだまだ〈名人〉というものが出てきますよ」と言った、その太神楽の妙技。傘の上で鞠、升、金輪を回したあと、「きょうは調子がいいのでもうひとつ、茶碗を」と言ったところで「待ってました」の声がかかる。「出来心」志ん橋。いいなあ。声量にやや衰えは見えるものの、その太い声がはっきりと落語の力を信じている。「親分のめえですが」。〈三味線漫談〉小円歌。かつての大看板たちの出囃子──文楽=野崎、志ん朝=老松、志ん生=一丁入り、三平=祭囃子──を披露。まさかと思ったが生演奏の「老松」で泣きそうになる。まだだめなのだなあ。「笠碁」馬石。マクラで囲碁の話をはじめたからひょっとして「柳田格之進」か、あるいは「笠碁」か、と思っていると「笠碁」。「笠碁」となると、やはり大師匠(師匠・五街道雲助の師匠である先代金原亭馬生)のそれを片側に浮かべつつ聞くことになる。サゲのところ、「それ、さすがに視界に入るだろう」という例の問題(従来のそのサゲ自体がもつ不自然さ)がこちらの意識にのぼった。馬石の意識にものぼっていたろうか。馬生の映像を見てるぶんには気にならないんだけどなあ、なんでだろう。いきおい?
「宮戸川」花緑。これが意外と好印象。「短命」権太楼。けっきょく、この日どれが印象に残ったかってことで言うと、やはりこれになるのかなあ。かなり完璧な「短命」。「鮑のし」菊六。聞いている途中ではじめて、「3.11以降の鮑のし」という問題に思い至る。口上を教わって間違うというパターンのなかに、「やがて長屋からツナギが参ります」「やがて長屋からツナミが参ります」「ツナミじゃあない、ツナギ」という(志ん生起源の?)クスグリがあるのだが、菊六はそれをやらず、言い間違いパターンでないギャグに組み替えていた。あれ? そういえばそこの言い間違い、志ん朝は「ウナギ」だっけ?(「居残り佐平次」とごっちゃになってるだけ?)〈紙切り〉正楽。ハサミ試しで「相合傘」、注文に応えて「五代目小さん」「龍が千頭」「澤穂希」「バーテンダー」を切る。さすがライブ、「五代目小さん」のお題では、切るあいだのBGMに下座が小さんの出囃子「序の舞」を弾く。「幾代餅」志ん輔。わたしの個人的な落語受容史のなかで、いちばん毀誉褒貶のはげしいのがこのひとかもしれない。2001年の日記ではかなりべた褒めしてるし、2008年の日記ではぼろくそに書いていて、ほんと、身勝手このうえない。申し訳ないかぎりだ。けっきょくそれ、「ファン」なんじゃないかとも思う。で、きょう。あいかわらずクサイっちゃクサく、「幾代餅」ってそういう噺か? と思わないでもないが、でもその、そんな、言うほど(言ってるのはわたしだが)わるくもないのだった。志ん輔に変化が起きたのか、わたしがまた変わったのか、はたして……

きょうのひとこと

捨てちゃえそんなもの!(10代目金原亭馬生「笠碁」)

本日(5日)の電力自給率:27.2%(発電量:10.8kWh/消費量:39.7kWh)

(2012年2月 7日 17:28)

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/ 4 Feb. 2012 (Sat.) 「獅子奮迅の働きでダンボールをしばる」

池袋演芸場はきょう行こうかとも思っていたのだがさすがに代演が多すぎたので明日に順延。ふとんのなかで池袋演芸場のサイトを開き、出演者を確認して順延を決めたあと、この日何をしていたのだったか、何も思い出せないところをみるとおおかたぐずぐずしていたのではないか。あ、そうだ、ダンボールをしばったのだ。明日(5日)の朝、町会の廃品回収に出す大量のダンボールを獅子奮迅の働きでしばる。
猫のポシュテが寝室の液晶テレビめがけて飛び、派手に落下させた話を以前書いたが2011年10月19日付「六日目/きょうも行ってません」、同じことはそのあともういちどあり、テレビはふたたび無事だったものの、きょう気づいたのはテレビ[TOSHIBA 26RE1S]とBDレコーダー[TOSHIBA RD-BZ700]をネットワークにつないでいる無線LANコンバーター[BUFFALO WLAE-AG300N]がひっそりと壊れていたことだ。ダビングをしようとして気づく。REGZA 26RE1S 側で外付けハードディスクに録画した番組を RD-BZ700 でディスクに焼くには、直接は焼けず、いったんネットワークを介して RD-BZ700 の内蔵ハードディスクへデータを転送しないといけない(認識まちがっていたらご指摘・ご指南をねがいます)
型番の微妙に進んだ(いま確認すると製品本体の仕様は同じらしい)WLAE-AG300N/V をアマゾンで注文。併せて猫砂(ねこのきもち 消臭猫砂ひのき 8L) 6袋も。これも以前に書いた「いくら数を調整しても分割配送されてくる猫砂」2011年10月9日付「妻はご立腹だ」だが、最近はもうあきらめて 6袋ずつの注文にしている──すると、2袋ずつ入ったダンボールが 3つ来る。
注文は「当日着」にひと足遅く、明日の廃品回収後に届くから、これでまた、こうして、ダンボールは溜まっていく。
本日(4日)の電力自給率:36.3%(発電量:15.0kWh/消費量:41.3kWh)

(2012年2月15日 14:05)

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/ 3 Feb. 2012 (Fri.) 「それでも鹿毛ちゃんはかわいい」

きのう momo online shop で注文した「ジルケ くま」という人形は即日発送され、きょう届いた。アマゾン並の迅速な対応である。
深夜、会社を出たという連絡をしようと妻の携帯に何度かかけるも、つながらずにそのつど留守電になる。SMSに投げたメッセージの下に「配信済み」が表示されないところをみるとどうやら電源がオフになっているらしく、たまさかの電池切れかとは想像するものの、しかし一抹の不安がよぎるのはこの日、1月29日付の日記(「児玉君に会う」)を更新したなかにこう書いたからだ。

わたしは二時間のあいだ、ほぼ「鹿毛(綾)ちゃんがかわいい」ということしか口にしなかった。

 ことによるとこれに怒っているのではないか。それで電話を切っているという可能性も捨てきれない。
いや、まさかなあ。でもなあ、こういったものは「ふとした加減」てやつでわからないからなあ。その場合、どうとりなすかだ。「世間の手前ああは書いたけれども、じつを言ってたいしてかわいくないのだ」ということを懇々と説いてみるのはどうか。妻は言うだろう。「世間は関係ないし、意味がよくわからないうえ、そもそもかわいいかどうかの問題ではない」。
タイミングもあるからな。まずは固い空気のまま黙々と食事をすることにして、それで頃合いを見計らい、ふと合点がいったように晴れやかな表情になってポンと手のひらを打つ。ひとりごとのように言うのだ。「そんなかわいくないかも」。殴られるのではないかわたしは。鹿毛ちゃんに。
電池切れだとすると家の固定電話にかければつながるわけで、しかしそれで出なかったらいよいよコトだぞと少し躊躇したのち、かけてみるとあっさり出て、やはりただの電池切れだった。だから言うわけではないが、鹿毛ちゃんはやはりかわいい。こんど、お茶でもしましょう。
でまあ、ひょっとして日記の記述に怒って電話に出ないのではないかと少し不安にもなったと話すと、妻は「(わたしが)嫉妬ォ? 嫉妬ォ?」と何やらうれしそうにしていたのだった。
本日(3日)の電力自給率:37.7%(発電量:15.3kWh/消費量:40.5kWh)

(2012年2月12日 22:00)

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/ 2 Feb. 2012 (Thu.) 「おめでとう」

京都の児玉(悟之)と山村(麻由美)さんが入籍したらしい。おめでとうございます。
1月29日に児玉君とドトールでしゃべったさい、ひょんな流れからわたしの高校同級の上山(英夫)君がやった「結婚披露合宿」の話になったのだが、ずいぶんこの話題に食いつきがいいなあとは思っていたのだ。あと、去年の6月11日付の日記、タイトルを「いいよ、と児玉君は言った」として本文では何ら説明しなかったこれは、この日京都駅の喫茶店で山村さんと話していたとき、そのつい先日、山村さんのプロポーズ(3回目)にたいして児玉君がついに「いいよ」と言った、ということを教えてくれたのだった。
そういえば一般に 11月22日を「いい夫婦」の日と語呂合わせするようだが、それでいくと 2月2日は、「いい」なんていう余計な形容のとれた、そのもの「夫婦」の日である。いっそじゃまになるような理想像や鋳型から自由なのだと捉えることもできるし、あるいは、夫婦なんざ「いい」に決まってるじゃないかという恥ずかしくってとても口にはできないような感慨を、ひっそりその日付に託すこともできるだろう。
えーとね、うちの入籍日は 6月7日。「むじな」の日。いや、なぜ 6月7日だったのか、妻のほうに何か謂われがあったような気がするのだが忘れてしまったから、こう書いておくとあとで教えてくれるのではないか。
その日、2004年6月7日付の「Yellow」の日記がこれ。入籍を報告する児玉君の日記を読み、それで自身のを読み返す。もう少しいいこと書いてるかと思いきや、そうでもなかった。ちなみに同日の「Pink」の記事はこちら。
えー、いま画面を覗かれました。「おばあちゃんの命日」だそうです。
未明に momo online shop でおもちゃ(人形)を注文。
本日(2日)の電力自給率:24.4%(発電量:9.4kWh/消費量:38.5kWh)

(2012年2月11日 12:24)

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/ 1 Feb. 2012 (Wed.) 「ロック・アンド・ロール」

これが名児耶さん。バストリオのFacebookページより拝借。

朝、本棚から川勝正幸『ポップ中毒者の手記(約10年分)』(大栄出版)を掴んで、会社へ。遅刻してもいて、なるべく早く着きたかったのでちょうどホームに入ってきた有料特急に乗る。ぱらぱらと拾い読みつつ、「あとがき」に手を出したところで電車は新宿。特急なので新宿で乗り換えねばならず、ホームで快速を待つあいだ、ふたたび「あとがき」に目を落とした。

@soma1104: 朝の新宿駅で粒をこぼして泣きたくないなら、『ポップ中毒者の手記(約10年分)』の「あとがきに代えて 1996再会の時」はいま、みんな、家で読もう。
2012年2月1日 10:20

でもってバストリオ、『Rock and Roll ーあなたにとって大切なのはココロー』(1月27日〜2月1日、@新宿眼科画廊)だ。よかった。

そこはライブハウスだったけど、荒野でもあって、間違いなく日本だった。
ある日、彼女は泥棒になった。なんの悪気もなかったし、べつに理由もなかった。
そのココロだけが、彼女を動かしていた。
音を出す身体。その震えるココロ。わたしはスピーカー。

というのがオフィシャルサイトにあるコピーである。ちなみに、チラシやポスターに載っている長めのバージョンだとこうなっている。

そこはライブハウスだったけど、荒野でもあって、間違いなく日本だった
ある日、彼女は泥棒になった
なにもなくなったその場所で、音だけが鳴っているそんな景色のなかで、彼女は泥棒になった
なんの悪気もなかったし、べつに理由もなかった。そのココロだけが、彼女を動かしていた
そんな彼女も盗まれた。それはカミサマの仕業だ
なす術もなく、いつも盗まれては移動するそれらを、ただ見つめていた
そんなふうにしながら間違いなく彼女はあたらしい朝を迎えるのだった
音を出す身体。その震えるココロ。わたしはスピーカー

 苦し紛れに引用してみてふと興味深く思うのは、ここに並ぶ言葉のほとんどが〈過去形〉だということである。
だから何?──もちろん日本語は時制にゆるい言語であって、過去形だから過去時制ともかぎらないわけだが、あの、何よりもまず〈現前すること〉を表現しようとするような舞台の、その物語(?)はつねに〈過去〉のなかに置かれていた。と書けば、何やらあたりまえのことを言っている気がしてくるわけで、ちょっとこのままこのセンで文章を押し進めることにくじけそうになってもいるけれど、だからつまり、つねに/すでに過ぎ去ってしまうために〈いま〉たりえない〈いま〉という時間にたいして、まず正直でいようとするのがバストリオ的態度であり、そこに、この〈過去形〉は根差しているのではないかということである。
あるいはそのことに、Cafe&Gallery Tranq Room(前々作『まるいじかんとわたし』)、千駄木Brick-one(前作『絶対わからない』)にひきつづいておなじみの光景となった、横長の舞台は関係しているのかもしれない。横長であるだけでなく、(要は会場が狭いということだが)これも横長に伸びた客席のすぐ目の前にそれが横たわるから、どこに座ったって「舞台を一望する」ということはあきらめざるをえないし、たとえば真ん中に座って、舞台の下手から上手へ視線を移すには首ごと動かすことになるから、その移動に物理的な「時間」が発生することをわれわれはつよく知る──という、そのいわば〈横長の思想〉を生むのもまた、「空間」である舞台そのものに「時間」を持ち込もうとするバストリオ的欲望ではなかったろうか。
〈いま〉とは境のことであり、そっからこっちが過去、そっからあっちが未来。劇場へ足を運ぶ途中のついさっきの出来事から、ギリシア神話まで、過去であるということの前で均しく扱われる時間の堆積が、ついつい境をはみ出してあちら側に片足を置くような、そうした錯覚が終盤には到来する。

あるいは〈いま〉とは鏡のことであり、それを境に過去と未来が向き合っているとすればどうか。「二人グルーチョ」よろしく、ほんとは鏡など(割れて)ないのかもしれないと想像してみるのはどうだろうか。
反復時制──と、これはただの思いつきのメモ。
ま、もっとちゃんとした感想が読みたいというかたにはぜひ @HRAK_GM さんの「確信のない希望の希望」のほうを参照していただくとして、そうだなー、やっぱ名児耶(ゆり)さんがかわいいってことに尽きるかなー、わたしは。名児耶さん、あれだよね、短髪ってこともあるけど、「宮崎(晋太朗)君をきれいにしたような顔」してるよね。あれ? そんなこと思ってるのおれだけ? 心外? いや、相っ当きれいにした状態よ、宮崎君を。
あとまあ、制作手伝いの鹿毛(綾)ちゃんがかわいい。出演してないけどね、制作手伝いだから。
でもね、そうは言っても橋本(和加子)さんですよ。見ましたか、この写真。

 こりゃ相当ですよ。(この写真はこちら「出演者紹介その10」より拝借。)  いや、作品に話をもどせば、シルク・ドゥ・ソレイユについて石田(美生)さんがしゃべるのを聞いている、その橋本さんの相槌のほうに笑ったなあ。「ああ、あとはみんな(外人なんや)」とかなんとか、そういった感じのひとことに笑ってしまった。ただの相槌なんだけどなあ、なんだか可笑しかった。
本日(1日)の電力自給率:28.8%(発電量:13.0kWh/消費量:45.1kWh)

本日の参照画像
(2012年2月10日 16:55)

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