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Mar.
2009
Yellow

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/ 5 Mar. 2009 (Thu.) 「猫とゴミ箱」

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左がいま、妻を悩ましているゴミ箱と猫である。ゴミ箱はDOTTUSというメーカーのもので、これをリビングに置いている。
1枚目の写真を見てもらいたいが、ゴミ箱の向かって右は見たままの仕組みで、ちなみにうちでは、上に可燃ごみ、下に不燃ごみを入れている。その左、扉式に開くほうは、なかにゴミ袋をセットできるようになっていて、3枚目の写真にあるように上部の押し下げ口からゴミを捨てる。ここには、もっとも嵩張りがちなプラスチックごみを入れていると思ってもらいたい。そして、最近このゴミ箱の上に飛び乗るようになったのが2枚目の写真の、この猫である。名前を「ポシュテ」という。
かねがね、そうしたことになるのではないかと懸念していたところ、ついに先日、飛び乗ったポシュテがゴミ箱の上を歩いていて、上部の押し下げ口を踏み抜いてなかに落ち、扉がパカッと開いて、ごみもろとも転げ出てくるということがあった。初回のそれはおそらく単純に〈事故〉だったと思われるが、なかなかに楽しいらしく、また、副賞として匂いの付いたごみをゲットできるということがあって、ここ最近、進んで繰り返すようになったのだった。
夜半、階下から〈その音〉が聞こえるたびに起き出してごみの片付けをせねばならず(片付けなければさらに漁って、ものによっては食べてしまうからだ)、すっかりそれに付き合わされてゆっくり眠りに就くことができなかったと、妻は訴える。

(2009年3月 6日 18:06)

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/ 4 Mar. 2009 (Wed.) 「彼岸のソフマップ」

朝はなにやら気分よく目覚めた。そのことに促され、電車で読む本を替えてみようと本棚に向かう。〈気分〉のやつがわたしにまず推してきたのはなぜか『遠くまで行くんだ』だったけれど、厚いのでこのさい却下(各号が分冊になっていれば一冊をさっと小脇に抱えたところだったが)、けっきょく、丹生谷貴志さんの『ドゥルーズ・映画・フーコー』を手にとって家を出る。そんな朝だが、そんなとはどんなか。
「富士日記 2.1」で、6日のトークライブ(「来るべき素人のために」@Naked Loftのことを知る。店に電話して予約。
まったく関係ない用件で笠木(泉)さんの携帯にメールしたところが、ちょうどいま、パソコンを買うべくひとりで秋葉原に向かっているところだと返信にはあり、それでまあ、はたして買えるだろうかと不安を訴えていた笠木さんだが、やがて、とても買える気がしない、このままでは何を買うかわからない、だめだ、マッチも尽きたし、寒い、もうじゅうぶんだ、なにより眠りたいけれど、あそこで手招きするのは誰だろう、花が咲いて、むこうはずいぶんあたたかそうだと切れ切れに届くメールは細いような声を上げ、わたしはただ、そっちには行かないほうがいいのではないかとだけアドバイスしたが、その直後、巧みな絵文字でもって極楽浄土のさまを子細に描いたメールが届くにおよび、思わず目を瞠った。死んだのかなとも思ったが、更新されたブログを読むに無事MacBookを購入できたようだ。よかった。
深夜、『ダージリン急行』をもう一度見る。妻と。DVDを買ったのだった。

(2009年3月 6日 05:18)

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/ 3 Mar. 2009 (Tue.) 「シルビアのいる街で」

シルビアにまちがわれる女性(ピラール・ロペス・デ・アジャラ)。DVDのパッケージではなぜかいしだあゆみ風の顔に写っていて印象が異なるが(たんに写真の比率が正しくないのだろうか)、本編ではこんな感じ。

こちらはポスター。

夜、雪。予報で言われていたほどではなく、残念なほどほとんど積もらず。それよりも花粉症がひどい。きょう着て出掛けた服は、きのう、びゅうびゅうと風の吹くなか外で干したものだそうで、きょうことさらくしゃみと鼻水がひどかったのはそのせいではないかという妻の推論。花粉症はあれだ、鍼を受けると副作用的に改善したりするはずだが、去年の後半からとんと足が遠のいている。
というわけで深夜、スペインから届いた『シルビアのいる街で』のDVDを見る。英語字幕だが、ほんとうにセリフはないと言っていいほどの量だし、それでもなお所々は(慣れの問題と語学力から)黙読が追いつかなかったりもするものの、まあ、この映画においてはたいした問題ではない。ややつまずくのはその手前で、そもそもDVDのメニュー画面がスペイン語なものだから、字幕を選ぶのにどれが「英語」だかわからないということがある。「イングレスってまさかなあ」と思いつつ「inglés」を選んだら正解だった(あ、ちなみにセリフはフランス語)。あと、特典メニューのなかのどれが予告編なんだかわからない。
しかしその、いったいこれのどこがこんなに面白いのかについては、ちょっとすぐに適当な説明が見つからないし、適切な映画的知識もないんだけど、いわば〈なにひとつ起こらない〉この映画が、けれど(/だからこそ)すこぶる面白いということにまったく驚かされ、興奮させられる。いくつかのカット(カメラ固定で通りの様子を延々と映しているようなところ)では、飽きるどころか、もう切り換わるのかとさえ思わされる始末であり、つまりまあ、じっさいには相当なことが(おそらくは相当な計算のもとに)〈起こってもいる〉。あと、単純な感想として「だめだろうこの男は」ということがあるけれど、そのことに少なからずうきうきもさせられるのだった。数年前に出会った女性(シルビア)の面影を追い求めながら、スケッチという行為を介して(それを口実に?)視界に入る女性を次々と視姦するうち、ついにシルビア(というか、これぞという女性)を見つけ、何をするかといえば尾行を開始、ぐんぐん尾行したのち、乗り込んだ路面電車のなかでいよいよ声を掛けると「シルビアではない、もう付けてこないで」と女性に諭されて、人違いだったことにがっかりする。って、それ、だめだろう。(ハナシの筋としては、ほんとうに以上のようなことのみである。) ま、とにかく面白い。DVDを借りたい友人知人のみなさまは遠慮なくどうぞ。

小田亮さんのブログが更新されていた。村上春樹がエルサレム賞受賞講演で行ったスピーチを取り上げ、それをレヴィ=ストロース的な思考の枠組みから高く評価する「『卵と壁』と社会の二層性」という文章がアップされている。なるほどなあと、いつもながらわたしはただただ説得させられる者である。抜き出す箇所としてはあまり適切ではないかもしれないものの、

「卵の側に立つ」ことは、「パレスチナ人の側に立つ」こととは違います。「誰もが卵」なのですから。

という言葉には少なからずはっとした。

本日の参照画像
(2009年3月 4日 21:21)

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/ 2 Mar. 2009 (Mon.) 「シルビアが来た」

『ダージリン急行』

母はその後、おかげさまで28日に無事退院。退院手続きの手伝いなどして、東京駅まで送った。
さて今朝方、というのは書いているきょうの話だが、通勤中のわたしの携帯に妻からメールがあり、航空便でビデオとおぼしい荷物が届いたが心当たりがあるかと問う。心当たりならあるのだった。それ、スペインのDVDGOというサイトに注文した『シルビアのいる街で』のDVDである。やった、届いたよ。
ホセ・ルイス・ゲリン監督『シルビアのいる街で』は去年の東京国際映画祭で上映され、その折り、蓮實重彦さんによる檄文がネットを駆けめぐったことで知られる。わたしもその檄文を目にし、少なからず心を揺すられたのだったが、しかし劇場には足を運べなかった。月日は流れて先週、ネットサーフィン中に、どこをどう回ったのだったかふたたび『シルビアのいる街で』に突き当たり、そのときはじめてYouTube上の予告編を見た。

 そして、次に見たのがこれ。予告編もすごいけど、これは決定打である。

 で、ついつい注文してしまったのだった。DVDは英語字幕付き。「台詞はほとんどないので、英語字幕は苦手だという人でも問題なく見れると思う(中学程度の英語力は必要だが)」と、同じようにDVDを買って見た人のブログにはあった。さらに言って、セリフがさっぱりわからなかったとしてもぜったい面白いはずだと上の映像(濃密な三分間)が背中を押す。リージョンコードは「2」同士なので問題なし、「PAL→NTSC」に関してもうちにあるDVDデッキは自動変換してくれるらしいから大丈夫だろう。ああ、はやく見たいよ。
ウェス・アンダーソン監督の『ダージリン急行』をレンタルDVDで見たのはおととい、1日だ。思わず二回見た。これもすごい。三度出てくるスローモーション(冒頭、少年の葬式、ラスト)はいずれもすばらしいが、まずもって冒頭のスローモーションにはやられるというか不意をつかれた。そしてその手前、エイドリアン・ブロディがビル・マーレイを抜いて現れる一瞬で、これが超一流のコメディだということが知れる。「あ、この人(ビル・マーレイ)関係ないんだ」ということがその瞬間、一挙に説明されるわけだが、その説明が成功するのはけっして「追い抜かれるのがビル・マーレイである」からなのではなく、おそらく、あくまでも画面内の動き──その気持ちよさによってである。仮に、追い抜かれる人がビル・マーレイでなかったとしても充分に成立するだけの強度が画面にはあって、その上でなおかつ、やっているのはビル・マーレイなのである。そりゃ、何と贅沢で一流な。タクシーの車内、最高にそつなくありきたりに腕時計を覗き、「急いでいる」ということを示すビル・マーレイがもう、おっかしくってしかたない。
2日は夜、下北沢へ。プリセタ第11回公演『モノガタリ デ アムール』の顔合わせがこの日あって、ホームページ担当であるところのわたしも、その後の居酒屋での親睦会から参加した。戸田(昌宏)さんの隣に案内され、おもには浅野(晋康)君、野村(恵里)さん、玄覺(悠子)さんらとしゃべった。つい席を動かずにいて、福津屋(兼蔵)さんとまったくしゃべらなかったのをあとで悔やむ。
ところで前々回、2月25日の日記は、読み返すとなんだか言外にも忙しさをアピールするような調子を帯びていたんじゃないかと反省される。無沙汰のあいだ、徹夜もしていたけれど、充分ぐずぐずもしていたということは記録されておくべきだろう。
前述の『ダージリン急行』をTSUTAYAで借りてきたのはおよそ一週間前、2月24日の火曜日だ。さっそく見るつもりで帰宅したものの、帰ると居間のテレビではWOWOWのアカデミー賞授賞式をやっていて、ついついそちらを見てしまった。その〈このうえない晴れがましさ〉は、まあ素直に心動かされもする。プレゼンターのひとりとしてロバート・デ・ニーロが登場したが、ロバート・デ・ニーロは、なんだかどんどん西川のりおに似てきてはいないだろうか。
零時を過ぎて帰宅することは稀ではないが、たいてい、帰宅後に家で晩ご飯を食べている。さらにはたいてい満腹になるまで食べ、するとどうしても眠くなるということがあるけれど、また、テレビが点いていたりすれば、ついついそれを見てしまいやすい。根が〈テレビっ子〉であるということは、抜きがたくわたしを規定しているもののひとつであるように思われるのだ。テレビっ子はまた、テレビの消しどきを知らない。回せども回せども、もう消したらどうだという番組しか残っていない状態におちいりつつなおもチャンネルを行き来して、いくばくかの延命を図っていることが少なからずあり、ありていに言って、最近見たテレビの半分は通販だ。テレビっ子ではあるものの、最近のゴールデンタイムのことはよく知らない。

本日の参照画像
(2009年3月 3日 12:32)

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