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Aug.
2009
Yellow

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/ 27 Aug. 2009 (Thu.) 「DSiを買い、ドラクエ9をはじめる」

またべつの「まさゆき」。

妻のDSを持たされ、行き帰りの電車などで「すれちがい通信」にいそしむ三日目。妻のほしがっていた、いわゆる「まさゆきの地図」を手に入れる。しかも二枚(二枚あったからどうなるってものじゃないが)。うち一枚、さきに手に入れたほうは、有楽町ビックカメラのゲーム売り場で「すれちがった」誰かからである。ということはひょっとして、あのときイジェクトしてしまっていなければ前回の日記を参照)、じつは一日目で手に入れていたのかもしれない。
「まさゆきの地図」について、すっかり勘違いしていたのはそれがゲーム内の正式名称だと思っていたことだ。そうではなく、これはユーザー間での通り名なのだと妻に教わる。本来は「見えざる魔人の地図Lv87」という名前であるその地図が珍重されるのは、「ほぼメタルキング(倒すと極端に多くの「経験値」がもらえるモンスター)しか出てこないフロアがあるダンジョン」のありかを示す──で、これら「地図」はたんに場所の情報なのではなくて、場所を知っていてもアイテムとしてその地図を持っていなければ当該のダンジョンに入れない──からなのだが、その地図を最初に発見し、配りはじめたのが「まさゆき」という名前のプレイヤーだったことからその通り名になったという。また、ネットで話題になっている特殊なダンジョンの地図は「まさゆきの地図」以外にもいくつかあるが、そのうちのひとつ、「川崎ロッカーの地図」はJR川崎駅のロッカー付近で配布されはじめたのだそうだ。
それはなんだか面白いな、と思ったことからむくむくと欲は育って、つい、どうしたわけか「Nintendo DSi」を買ってしまった。「つい」とか「買ってしまった」とか、書き方が言い訳めくのはすでにうちには「DS」が二台あるからだ。じゃあ、なぜ「DSi」を買ったのか。まあ「DSi」だと、ダウンロード購入できる「DSiウェア」という専用ソフトでもって「ゲーム&ウオッチ」(「マンホール」など。「オクトパス」はまだ?ないようだ)が遊べるってことがあるのだけれど、それ、買ったあとで知ったしなあ。
で、同時購入のソフトは「ドラクエ9」。これも妻が発売日に買ってすでに家にあるのだが、そっちは妻がいまなお(いったんクリアはしているものの、いわゆる「コンプリート」=完全攻略をめざして)プレイ中であり、また、加えて「ドラクエ9」では「ぼうけんのしょ」(セーブデータのこと)をひとつ分しか記録できないということがあるから、併行して遊ぶためにもう一枚なのである。

『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』

いやー、完璧なオープニングじゃないでしょうか。って、べつにタイトルで流れるアニメーションの出来がよいといったことではなくて、

「シナリオ・ゲームデザイン/堀井雄二」

というクレジットが出るまでの、その運びが完璧という話。まずしばらく「冒険」があり、いくつかのごく簡単な課題を揚々とこなすなかで、徐々に「天使界」というその世界とそこでのふるまい方にも慣れはじめたちょうどそのとき、ある急展開が待っている。不意の暗転ののちゆっくり浮かび上がる「シナリオ・ゲームデザイン/堀井雄二」の文字と、「あっ、まだはじまってなかったんだ!」という心地よい驚きとはほぼ同時の出来事だ。さらに言えば、タイトル前のくだりにおいてしっかりと「天使のいやらしさ」(人間存在を低く見ていたり、人間を見守るというおこないに利己的な目的合理性があったりといったこと)が示されてもいるため、タイトル明け、自分に天使の輪も羽根もなくなっている(!)ことには驚きのいっぽうで大きな安堵とよろこびを覚えさせられ、「そう来なくっちゃ」という高揚感とともにいよいよ冒険ははじまるのだった。むろん「貴種流離譚」ではあって、主人公=自分は輪や羽根がなくなっても特別な存在であるのだけれど、そうした導入部を経たいま、スタート地点に立つわたしは「なにより人間的な愚かしさこそがいとおしい」という気分に満ちているわけで、だからそれこそ「サンディ」など、もういとおしくってしょうがないのである。
電力自給率:(26日)39.4%、(27日)98.3%

本日の参照画像
(2009年9月 2日 23:55)

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/ 25 Aug. 2009 (Tue.) 「すれちがいの夏」

これが日本一うまい「味道楽ミニ2」。

なんといってもまず驚きと困惑とを表明しなければならないのは「くめ納豆が経営破綻」のニュースだ。なんてこったい。

 「くめ納豆」ブランドで知られる1952(昭和27)年創業のメーカー、くめ・クオリティ・プロダクツ(茨城県常陸太田市)は25日、東京地裁に民事再生手続きの開始を申し立て、経営破綻(はたん)した。負債総額は110億円。「金のつぶ」を展開する業界2位のミツカングループ本社(愛知県半田市)が、くめのブランドを引き継ぐ。
(cache) asahi.com(朝日新聞社):「くめ納豆」破綻、ミツカンが支援へ 業界3番手 - ビジネス・経済

わが家で納豆といえば「くめ納豆」である。なぜならうまいからだ。このさいはっきり言わせてもらうが、納豆では「くめ納豆」がいちばんうまい。群を抜いてうまい。さらに註を加えるなら、ここで「くめ納豆」と言っているのは「味道楽ミニ2」のことである。より高級を謳った上位商品に「丹精」というのがあるが、これはさほどではなく、やっぱり「味道楽ミニ2」だ。これまで何品か、たとえば「成城石井」の棚で見かけるような「なんだか高級そうな納豆」(じっさい高い)も試してみたけれど、そのつど軍配は「味道楽ミニ2」に上がったのであり、それつまり「好みの問題」ってことは多分にあるものの、しかしやはり日本一うまいとしか言いようがないのが「味道楽ミニ2」だ。
「くめ納豆、くめ納豆」とうるさい相手と暮らすことがなければ、おそらく積極的には食卓に納豆を並べていなかったろう(つまり基本的には納豆が好きではない)妻をして「これはうまい」と言わしめるのが「味道楽ミニ2」であり、妻もまた「食べられる納豆がなくなっちゃうじゃない」とニュースには大きくショックを受けている。とはいえ、支援に乗り出した「ミツカン」が「くめ納豆」からその「営業権と商標権を取得することで基本合意」したとも報じられており、「くめの従業員が10月にも設立する新会社から『くめ』ブランドの納豆を仕入れ、ミツカンが販売を担う」毎日jpの記事というから、まあ、すぐさまその味が消えるということはないのだろう。
ところでわたしはいま、「ドラクエ9」の刺さった妻のDSを持たされて、会社へと出かける日々だ。わたし自身はプレイしていないし詳しく知らないが、「すれちがい通信」というやつなのだった。ゲーム上では「宿屋の客引きを手伝う」という設定になる。客の呼び込みをおこなう状態にしたDS(本体を閉じた状態でかまわない)を持ち歩き、同じ状態にある人と街でまさしく「すれちがう」と、自動的にDS間の無線通信がおこなわれて、その人が宿の客(その人にとってはこっちが客)となる。で、お互い、手土産に宝の地図を持参することができて、泊まった客からその地図をもらうことができる。その方法でもって、妻は「まさゆきの地図」を手に入れたいという。「国民的RPG」だからこそ成り立つ仕掛けだろうが、それにしても、電車に乗るやばんばん「すれちがう」から驚きである。
きのうも持ち歩いていたのだが、きのうはとにかく言われるまま、閉じた状態で朝手渡されたそれをお尻のポケットに入れ、一度も開くことなく純心にただ身に付けて一日過ごしたのだった。昼間、ビックカメラ有楽町店のゲーム売り場(そこで「Wii Sports Resort」を買った)もうろついてみたからじゅうぶん「すれちがった」可能性は高く、重責を果たした思いで帰宅したけれど、いざ妻に返そうとしてポケットのなかのDSをつかむさい、刺さっている「ドラクエ9」のカートリッジに指を当ててイジェクトしてしまう。「あれ?」と俺、「あーあ」と妻。
衆院選と同時に実施される「最高裁判所裁判官国民審査」だが、24日付の朝日新聞朝刊に、今回審査を受ける九人を対象におこなったアンケートの各回答と、それぞれが関与した主な裁判、経歴などが掲載されていたアンケートの回答全文はasahi.comにある。「あれって何で判断すればいいの?」と先日妻に訊かれたばかりだったため、「こんなのがあるよ」と示すと熱心に読みはじめる妻だが、しばらくして笑い出すから何かと思えば、裁判官のひとり、金築(かねつき)誠司(せいし)さんの「経歴など」の欄にこうあるのだった。

 東京地裁所長、大阪高裁長官などを歴任。最近、小学館の「日本の歴史」を読んでおり、全16巻のうち、14巻までを読み終えた。

 そりゃ、このいきなりな「金築さん情報」はいったいなんだということになるだろう。いっそ、「辞めてゆっくり読んでもらったらいいんじゃないか」とさえ思うが、これ、asahi.comにある回答の全文を読めばわかるとおり、わるいのは朝日新聞の要約のしかたなのだった。
金築さんはなにも唐突なことを言い出したのではなく、また小学館の「日本の歴史」のことで頭がいっぱいなのでもなくて、紙面では省略されているが、じつはアンケートのなかに「(19)最近読んで感動した本、面白かった本は」という質問項目があるのである。で、それにたいする金築さんの回答全文はこう。

 (19)小学館「日本の歴史」。全16巻のうち、14巻まで読み終えたが、資料の発掘・解読などが進んで、昔の人々の生活ぶりが詳しく分かるようになってきたことや、日本史に対する新しい見方などを教えられた。

『学習まんが 少年少女日本の歴史』

さらに妻はこれのことだと思ったらしい。これは全23巻だし、おそらくちがうと思われる。

 もちろん、「全16巻のうち、14巻まで読み終えたが」と原文でもつい報告してしまっている金築さんから、そのことにたいする「はしゃぎ」のようなものがどこかしら感じられることはたしかだというものの、だからって、あの要約はちょっと面白いじゃないか。
 質問項目にはほかに、「(17)尊敬する人物と、その理由は」、「(18)趣味は何か。また、好きな言葉、座右の銘は」などが含まれていて、金築さん以外の方々についても、それら「末端の質問」にたいする答えから適宜編集され、とくに説明のないまま、「経歴など」の「など」として朝刊紙面には載っけられている。
本日の電力自給率(25日):56.6%

本日の参照画像
(2009年8月26日 19:18)

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/ 24 Aug. 2009 (Mon.) 「トンボのいま」

足と影はポシュテ。

トンボのいま

ポシュテがゴキブリをくわえていると妻に起こされたのが、この数日のうちのどこに収まる出来事だったか判然としないが、指さす先を見れば、今夏初ゴキブリであるそれを見事ものにしたポシュテが、わざわざ二階の寝室まで来て、そこそこ元気の残る相手をもてあそんでいるのだった。妻の懸念のひとつは、ポシュテが(おそらく階下に出現したのだろうそれを)われわれの寝ていた寝室にまで持ってきて遊んでいるということで、行動パターンからしてそれはおそらく「報告」か「自慢」、ことによると「プレゼント」でさえあるかもしれず、ほうっておくと最終的には枕元にそれを届けかねないから、まあ、早々に回収してくれということで起こされたのだった。
「今年も出てしまった」ということに妻は少々どんよりしているものの、しかし、昨夏までとはっきり事情がことなるのは、いまや、われわれにはポシュテがいるということだ。かねてやるやるとは聞いていたが、じっさいやるね、ポシュテは。「ゴキブリもまたよし」といった風情で懐手のままの老猫や、移動するそれをまじまじと見つめるだけの「残念な人」のみを抱えるわが家ではもはやないのである。
推定の誕生月である九月を迎えれば、いよいよ一歳となるポシュテだ。笠木(泉)さんからもらったイギリス土産の猫用おもちゃを、与えた翌日には早くも解体してしまったポシュテだが、その、もうあまり原形をとどめていない「トンボ」の胴体の部分は、しかしいまだポシュテのお気に入りであることを笠木さんには報告したい。

最近の電力自給率:(21日)57.5%、(22日)41.1%、(23日)32.1%、(24日)49.1%

本日の参照画像
(2009年8月25日 17:42)

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/ 20 Aug. 2009 (Thu.) 「さんざんなピーの話」

二段重ねでもすっぽりだ。あまり居心地がいいとも思えないのだが、「残念な人」に何を言ってもはじまらないのである。

いっぽう短毛種のポシュテは床に寝そべる。見るからに床のほうが涼しいと思うのだが、そこのところ、あの写真奥の人はどう思っているのだろうか。

ねこベッド

だいたいねえ、そんなうまくいくわけがないじゃないかというのは右の写真だ。「本格木製ベッドで愛猫の安心と心地良い眠りをサポート」「無垢材を使用して北海道旭川の職人さんがひとつづつ手づくりし」た逸品、「ねこ家具シリーズ」の愛猫用木製ベッドは48,000円である。
先日、猫用のクールマットというやつを通販で買ったのだった。数千円である。誰ひとり使やあしない。
おもにはピーのことを思ったのである。ピーは玄関の土間によくひっくり返っている。ひんやりするのだろう。長毛種だけに、さぞ暑かろうとは想像されるのだ。そして、ピーはダンボールも好きだ。とりわけアマゾンのダンボールがお気に入りである。届いた本を取り出して空になったそれにすっぽり収まっている。ダンボールは、いったい涼しいのかわからない。むしろ温まるのではないかと思うが、いっこう気にせず、満足げにすっぽりである。収まりきる体格ではないので「嵌っている」と言ったほうがいいかもしれない。嵌り、はみ出し、もじゃもじゃしている。とにかくもじゃもじゃだ。この時期、ピーが足元にすり寄ろうものなら暑くってしかたがない。あっちに行っててもらいたい。と、さんざんなピーだが、しかしクールマットは案外いけるかもしれない、さんざんな言われようをする労をねぎらってやれるかもしれないと親心を出したのである。
さっぱりだった。たしかに、上に乗れば幾分クールではあるのだ。ただ、上に重みが加わってはじめて、数秒後にひんやりとした感じが味わえるというモノの仕組みだから、なかなか猫相手に「数秒待て」というのもむずかしい話なのである。掴まえ、その上に置くがぜんぜんである。すぐにそこから離れ、そうしてアマゾンにすっぽりだ。いったい涼しいのかそこは。
そもそも、仮にクールマットのひんやり感がうまく機能して、かつピーがそこに寝そべったとしても、こんな繊細なひんやり感など、あのもじゃもじゃに阻まれてピーに伝わろうはずがないではないかと街では囁かれはじめるのだった。いやそれどころか、まったくなにひとつあいつは感じていないのではないのか、暑いも寒いも、ただもうあのもじゃもじゃの前ではひとしく「わからない」にちがいない、なにしろあの鼻の穴は、くぼんでいるだけで奥まであいてないのだしという声さえ専門家のあいだからは上がって、つまりは、まったく「残念な人」だというのが数年来の評判である。
あまり関係ないが、昨夜には「それ以外の人」というあだ名がついたピーである。「ロビンと、ポシュテと、それ以外の人」だ。なんてさんざんなのか。

佐々木中『夜戦と永遠 フーコー・ラカン・ルジャンドル』(以文社)を少しずつ読んでいるが、きのう電車のなかで読んでいて、うっかり笑ってしまったのがラカンのつぎのような言葉である。

ボロメオの結び目のメタファーは、そのもっとも単純な形態においては、不適切なものです。それはメタファーの濫用です。なぜなら、実際には、想像界と象徴界と現実界を支えるものなどないからです。性的関係は存在しないということ、これがわたしが口にしたことのなかで本質的なことです。性的関係が存在しないのは、ひとつの想像界とひとつの象徴界とひとつの現実界があるからです。これは敢えてわたしが言ってこなかったことです。にもかかわらず、今いいました。

 「今いいました」じゃないよ。
 わたしは黙読しつつ、この言葉を、矢内原美邦さんの声で聞いていた。
肩と足の痛み、だいぶひく。
きのう今日の電力自給率:(19日)42.5%、(20日)84.4%

本日の参照画像
(2009年8月21日 01:44)

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/ 18 Aug. 2009 (Tue.) 「肩と足がばつぐんに痛い」

実家ではクロアゲハも羽化した。ちなみにうしろに写っている青いものは犬小屋(主なし)。
そしてわが家の勝手口にも野良(?)の子猫。
網戸越しに撮影。先日から子猫が四匹ほど、頻繁に姿を見せている。

『STUDIO VOICE』の最新号(で、最終号)は、買ったけど、佐々木中さんのインタビュー記事しかまだ読んでいない。『夜戦と永遠』、読まなきゃなあ。出たばかりのころに書店で目にして買ったのだけど、ちっとも読んでいないよ。Twitterで何気にご本人とお近付きになっている場合ではないのだった。読もう。『夜戦と永遠』をひとつ夏の課題図書と位置付けたいが、もう、夏もそろそろあれじゃないか、終わるんじゃないか。まあ読もう。読んで読書感想文を書こう。「ぼくがもしフーコーだったら、そんなことはしないだろうにと思いました」とかね。そんなやつを書こう。原稿用紙二枚だな、それ、せいぜい。
12日の夜に下館(茨城)に帰省。13日、迎え盆を手伝ったというのは実家が寺だからである。といってたいしたこともしていない。本堂の向拝(ごはい)の脇に、いわば受付のような場所が設けられるのだが、間近に蝉を浴びながら、そこに座って番をするのだった。

座布団に正座しているところから膝立ちになるとちょっとした林家気分である。
3:00 PM Aug 13th movatwitterで

というつぶやきはそのときのもの。

野良猫と飼い猫

写真は実家の勝手口である。左手前の「茶色」がポシュテの兄弟、その奥二匹は乳兄弟(か、もしかすると異父兄弟)で、右手前が乳兄弟たちの父ではないかとされる「ビービー」だ。こうして日々ごはんをもらっているらしいが、飼っているわけではなく野良である。そして右奥にいるのが「マメ」、上記四匹とは基本的に関係ないところの実家の猫で、ほんとうのエサ場は家のなかにあるものの、いっしょに外で食べたかったとみえる。メスの老猫で喘息持ちでもあるのだが、最近は彼ら野良たちの感化を受け、外に行ってばかりだという。この日も、勝手口の戸のむこうに野良たちの影が見え、開けると、そのなかに混じり「はじめまして」という顔をこちらにむけるマメがいたのだった。
13日夜に帰京、14日は予定がなく家でウェブ制作。
15、16日は夏祭り(ちかくにある神社の祭礼)。今年は町内会で「体育部副部長」なる役をもらってしまい、その一環として参加する。15日は町内の公会堂で、体育部がかき氷、焼きそば、フランクフルトをふるまうその手伝いをし、で、16日が神輿渡御。「日本一重い神輿」を擁する下館を故郷にもちながら、記憶ではこれが人生初の神輿担ぎである。なるほどこういう案配なのかと知る。はじめからしまいまでずっと担いでいた。
それにしても、下館のアレはやっぱりどうかしているのである。そうしたものの常で、「日本一」というその記録はとうに破られたのだとばかり思っていたのだが、いまネットでその紹介を読むに、「じっさいに担ぐ神輿では」いまだ日本一の重さを誇っているらしい。2トンだそうだ。日本一のほうのそれは1992(平成4)年に新調されたもので地元では「平成神輿」と呼び分けられているが、もうひとつあって、1895(明治28)年、日清戦争の戦勝祝いに作られたという「明治神輿」がそもそもでかい(二基ともに現役)。こちらは重さ1トン、大きさは平成神輿よりひとまわり小さいだけで、両者が並ばなければ「小さい」とはまったく気づかない。それでも比べれば軽いということだろう、担がれ方には勢いが出やすく、くわえて相当ガタがきているから、揉まれて神輿本体がぐらんぐらん揺れる。いっぽう、平成神輿にはそうした派手さが少なく、なにせ倍重いので、比較すれば担ぎ方も地味になりがちなのであり、その「地味に重い」というあり方がまず「どうかしている」ポイントのひとつとなっている。

下館の神輿

これは平成神輿のほう(たぶん)。

下館の神輿

こちらも手前はおそらく平成神輿。拡大するとよくわかるが、はるか後方にもう一基見えているのが明治神輿。道路が拡張されてしまったいま、「遠くのあれ、ひょっとしてすごくでかくないか?」というのが残る楽しみ方のひとつである。

検索したら動画があった。今年の動画である。しかしあれだ、神輿の迫力のことだけを考えれば、メインコースとなる駅前通りがすっかり整理され、道幅も大きく拡張されてしまったのはまったく残念なかぎりだ。以前はこれがもっと道の狭い、ふつうの商店街の通りだったから、そのロケーションが神輿の大きさをいやというほど強調したし、すこし暴れるとすぐアーケードの人垣に突っ込んでしまうという醍醐味さえあったのだった。
いや、わたしがおととい担いだのはまちがってもこれじゃないし、下館なら子供神輿に相当するようなサイズのそれだが、それだってまあ担げばじゅうぶんに重いのである(担ぐために付け足される白木の重さが大半だけれども)。あ、宮入りのときに一度だけあったんだけど、あの神輿を差し上げるやつはやる側として楽しいね、やっぱり。

仕事で、とある政治家(衆院選の立候補予定者)のサイトの運営をしていて、17日は公示日前日、つまり選挙前にサイトを更新できる最後の日なものだから、日付の変わるぎりぎりまでその対応。きょう18日はまたべつの仕事で会社泊。
そんな日々の電力自給率:(12日)69.6%、(13日)100%、(14日)44.3%、(15日)55.6%、(16日)90.3%、(17日)76.0%、(18日)43.3%

あ、こちらはYouTubeの。

本日の参照画像
(2009年8月19日 18:11)

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