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Apr.
2012
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/ 30 Apr. 2012 (Mon.) 「何も覚えていないのなら、書かなければいいのではないか」

急に〈われに返る〉ようで申し訳ないが、いま、これを書いているのは5月31日なのであり、ほどなく6月1日になろうとするなか、なぜわたしはまるまるひと月前の日付の日記を書いているのか、自分でもよくわからなくなっているけれども、とにかく26日付の「六代目」を書いてはやめ、書いてはやめしてひどく時間がかかり──途中、なぜ六代目なんぞのことにこんなに時間をかけなくちゃいけないのかと少し腹立たしい気分にもなりつつ、しかし独演会をいっしょに聞きに行ったKさんに「(高座を聞いて)色々考えさせられたと言うのを、もう少し聞いてもいいですか?」と言われていたことにも応えるべく、当代小さんの高座にいまこちらが勝手に見いだしているかすかな希望のことをここできっちり言葉にまとめようと思うも、なかなかまとまらず、参照項をもとめて五代目、三代目、四代目の資料に遊ぶうちにいつしか〈夢は小さんをかけめぐる〉といったような案配になったのは更新した日記にあるとおりで──、その後の「南天襲名披露とエマニュエル」(28日付)「母と上野へ」(29日付)もぜひとも文章にしておきたかったものだから順に書いていくうちに、気づけばこうして「4月30日」なるところに出てきてしまった。
何も覚えていないのだ。
お読みいただいているかたはご承知のとおり、ここのところの日記は「Day One」という日記アプリに入力しておいたメモ書きや、ツイッターでのつぶやきを併載/参照しつつ書いているのだけれど、鈴本演芸場に母を案内するというイベントを終えて力が抜けたものか、それらの記録がこの日はぱったりと止んで、ないのだった。ほかに頼りとなる電子的な〈外部記憶〉たち──たとえばiCalカレンダーの予定、送受信したメール、iPhoneのSMSでの会話、あるいは「Simplenote」というアプリで最近ちょこちょこ入力していたりする出金メモ等々──も、きれいさっぱりとゼロで(いや、受信メールがゼロってことはさすがにないけど、来たのはDMのたぐいのようなメールばかりで)、この日何をしていたかについて何ひとつヒントを与えてくれない。
となれば残る頼りは妻だが、妻はいま、となりでゲームに夢中だ。鎧を着て、杖のようなものから炎をブオーッと出している。
GW前半の最終日、わたしは家でぐずぐずしていたのではないかと思うのだ。
本日(30日)の電力自給率:27.2%(発電量:6.1kWh/消費量:22.4kWh)。4月の自給率:51%(発電量:355kWh/消費量:696kWh)

(2012年6月 2日 11:31)

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/ 29 Apr. 2012 (Sun.) 「母と上野へ」

ま、ふと思い立って、わたしが誘ったのだった。「お山」と呼ばれるらしい上野のあの界隈を「庭だった」と言ってはばからない母は日暮里の生まれで、だからわたしは子どもの時分、母の帰省の折りなど、連れられて国立科学博物館によく行った。「母と出かける」というと、わたしのなかではまず国立科学博物館のイメージがあるのであって、あの界隈にはほかに動物園もあれば科学博物館以外のさまざまな文化施設も揃っているそのなかで(むろんそれらにも行っているはずだが)、国立科学博物館の印象ばかりがやけに突出しているというのは、まあ、好きだったのだろうし、さらに言えば、どうやら母もまた〈科学博物館的なるもの〉が好きらしいということがあって、それでおのずと行く回数が増えたものかもしれない。なにしろ、国立科学博物館ではいま特別展として「インカ帝国展」──なんと心躍る響きだろうか──をやっているのだが、ふたりでそれ見に行こうかとはじめに提案してみたところ、「こないだ見てきた」と母は言うのだった。
というわけで、じつにひさびさ、母子で国立科学博物館に行ってみるのはどうかというところからはじまった企画である。インカ帝国展は行ったばかりだというし、じゃあ何にするか、ともあれ母はふたりで出かけること自体に乗り気だから、まあこっちだってべつにどこでもいいわけで、たとえば国立科学博物館の常設展のほうはどうか、あそこ、常設展だけでもけっこう満腹になる感じじゃないのか、あるいは動物園でもいいし、とにかくあの界隈の何かしらに行こうということになったのち、日を置いて母から電話があり、「行ったことがないので鈴本(演芸場)に行きたい」と思いがけぬ方向に急旋回したのだった。ことによるとこれは、親孝行ってやつなのではないか。

7:59
起床。
9:55
日記を更新。22日付「あしながは活躍している。てながはどうか」
10:35
日記を更新。23日付「なるほどねえー」
10:47
出かける。上野へ。
12:29
母と落ち合って食事を終えたところ。
13:01
国立博物館の常設展へ。
15:23
不忍池でソフトクリームを食べてる。
17:04
鈴木演芸場に入る。
20:48
鈴本ハネました。母さん、こっくりすることもなくトリまで堪能した様子。
22:13
4/29 鈴本演芸場・夜の部。金明竹/花どん、元犬/志ん吉、太神楽曲芸/翁家和楽社中、手紙無筆/文左衛門、たけのこ/喜多八、漫才/ロケット団、マキシム・ド・呑兵衛/白鳥、粗忽の釘/雲助〈仲入り〉ギター漫談/ペペ桜井、奇術/アサダ二世、双蝶々(小雀長吉)/馬石。

日記をふたつ更新したのち家を出て、昼に上野駅待ち合わせ。そこは「上野は庭だ」というひとに店選びをまかせて、京成上野駅ちかくの中華料理屋「蓬莱閣」でランチを食べる。満腹。鈴本のほうはわたしの判断で「夜の部」(17:30開演、開演15分前ぐらいから前座が上がる)を見ることにし、それまでのあいだを「何かしら」でつなぐことに。というか、母の生態をよく知る者として何より心配なのは、「母、鈴本で寝やしないか」ということであって(「絶対寝るでしょ」と妻はきっぱり言った)、とにかく前半であまり飛ばさないよう、疲れてしまわないよう、ゆったり時間をつぶすことに専心する。
で、まずは国立科学博物館へ。インカ帝国展は入場待ちに一時間といった列がすでにできており、それを横目にわれわれは常設展のほうへ。「日本館」というのと「地球館」というのがあって、日本館のほうから順に見る。話題の特別展にはちょこちょこ来ているらしい母だが、常設展を見るのはそれこそわたしを連れてきていたあのころ以来のようで、ふたりとも、その二十年以上前の記憶──いま日本館となっているのがあのころからある古い建物で、何よりその階段の手摺に見覚えがあった──をダイレクトに参照しつつ、そして母は、常設展でかつて見たというミイラにやけにこだわる。「あ、このへんじゃない? ミイラがあったの」「そうかも」「もうないのかね」「アレはあのとき特別に来てて、お帰りになったんじゃないの?」「そうか」。
博物館は「見て回る」ので意外に疲れる。休み休み地球館まで見て退出、公園を歩いて不忍池のほうへ。池を望みながらソフトクリームを食べ、そののち松坂屋のなかの喫茶店に入った。で、だいぶのんびりしてから、いざ、鈴本。

金明竹 柳家花どん
元犬 古今亭志ん吉
太神楽曲芸 翁家和楽社中
手紙無筆 橘家文左衛門(白酒代演)
たけのこ 柳家喜多八
漫才 ロケット団
マキシム・ド・呑兵衛 三遊亭白鳥(彦いち代演)
粗忽の釘 五街道雲助
(仲入り)
ギター漫談 ペペ桜井
奇術 アサダ二世
双蝶々(小雀長吉) 隅田川馬石

ね? けっこういい番組でしょ?
今席はヒザ前を削って(仲入り後の出演人数をひとり減らして)トリの馬石が長講たっぷりという趣向で、その馬石の「双蝶々」(ふたつちょうちょう)(の、上中下で言うとだいたい中にあたる部分。ちなみに翌日の高座でつづきを演ったらしい)もむろんよかったけれど、でも、きょうはなんといっても喜多八の「たけのこ」かなあ。
母はよく笑っていた。けっきょく一度もうとうとすることなく、トリまでたっぷり堪能したご様子である。仲入りのときに「二ツ目といってもみんなうまいのね」と言うので「ん?」となるが、どうやら「トリをつとめるのが真打ちで、トリ以外はだいたい二ツ目が出てくる」と思っていたらしい。文左衛門も喜多八も雲助もみな二ツ目だと思って聞いていたようだ。
ハネたあと、ふたりで寿司を食べてから解散。最終の新幹線に乗る母と上野駅で別れた。そんな一日である。

以下、おまけ。不忍池でのわたしのつぶやきに端を発した、児玉(悟之)君とのきょうのやりとり。

@soma1104: 不忍池でソフトクリームを食べてる。
2012年4月29日 15:23

@sk_losco: @soma1104 何味ですか?
2012年4月29日 15:25

@soma1104: @sk_losco ランラン味。
2012年4月29日 15:27

@sk_losco: @soma1104 知らないやつですね。何色なんですか?
2012年4月29日 15:47

@soma1104: @sk_losco バニラ味色。
2012年4月29日 17:05

@sk_losco: @soma1104 さてはバニラ味でしたね。
2012年4月29日 17:36

本日(29日)の電力自給率:83.6%(発電量:17.9kWh/消費量:21.4kWh)

(2012年5月30日 16:44)

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/ 28 Apr. 2012 (Sat.) 「南天襲名披露とエマニュエル」

8:25
起床。
11:33
日記を更新。21日付「勇者、勝つよ」。
11.37
出かける。わりと慌て気味。
16:19
4/28 桂こごろう改メ二代目桂南天襲名披露公演@日本橋公会堂。時うどん/紅雀、七段目/米團治、粗忽の釘/市馬、強情/ざこば〈仲入り〉口上(南天、ざこば、米團治、市馬、紅雀、南光)、鹿政談/南光、野崎詣り/南天。
16:22
@izumikasagi 南光、よかったよー。
16:38
そうなんだよ、愚か者はひょこひょこ出てこないといけないんだよ。
17:15
とんこつラーメン。南光の「鹿政談」で気分がいいのでひと口ビールも。
19:58
エマニュエル『甘い記憶』@シアター711。
20:23
おもろう生かしてもろた。

昼前に出かけて水天宮前、日本橋公会堂。桂こごろう改メ二代目桂南天襲名披露公演。15日に大阪・サンケイホールブリーゼで最初の披露目(昼夜二回公演)があり、二番目の開催地となる東京公演である。

時うどん 桂紅雀
七段目 桂米團治
粗忽の釘 柳亭市馬
強情 桂ざこば
(仲入り)
口上 南天、ざこば、米團治、市馬、紅雀、南光
鹿政談 桂南光
野崎詣り 桂南天

口上でまんまと泣く。滂沱。ほんとうに滂沱。
1972年に83歳で亡くなった先代南天には米朝が私淑し、晩年はよく面倒を見ていたといい、先代南天が米朝宅へ遊びにくるのもしばしばだったから、まだ子どもだった米團治はしょっちゅう遊んでもらっていたらしい。その先代南天が臨終にさいして言ったという言葉を米團治が口上の挨拶のなかで紹介していたが、それが「おもろう生かしてもろた」だ。
南光が挨拶で南天のことを「パッションをもった若者」と表現すると、すかさずさえぎってざこばが「パッションて何や」。「……情熱です」、「ああ、情熱か」というやりとり(これに似たやりとりを米團治のときの襲名披露でもやっていたような気がするが)から口上の雰囲気は一気にくだけて「フレンドリー」な口上と相成るも、そんななか、わけてもぐっときたのは市馬の挨拶だった。直前までの流れから市馬の挨拶も「フレンドリー」な内容ではじまったのだが、最後にクッと調子をあたらめ、「いずれにいたしましても」と区切ってはじまるそのお決まりの文句になぜだか知らず涙があふれたのは、その挨拶のさまが、ちょっと五代目小さんのそれに重なったということもあるかもしれない。そうして挨拶のあとに市馬が披露した相撲甚句を聞き、涙がとまらなくなってしまったのは、これはもうひたすら、「晴れがましさ」ってやつのすばらしさにやられたのだった。
高座ではなんといっても南光の「鹿政談」。すばらしかった。これまでに聞いた「鹿政談」のなかにあってマイベストと言ってもいい。「そうなんだよ、愚か者はひょこひょこ出てこないといけないんだよ!」と、多幸感に包まれた道々、興奮しつつその高座を噛みしめる。南光の演る愚か者の、この最高の「ひょこひょこ」感!
下北沢へ移動して少し時間をつぶしたのち、スタジオ711で、「エマニュエル」第一回公演『甘い記憶』を観る。サイトを作ったので招待されたのだった。ことによると南光効果もあったのかもしれないが──どんな効果か知らないが──、この『甘い記憶』が、なんだかよかった。「悪くない」と言ったらちょっとあれだけど、悪くなかった。
終演後、作・演出の浅野(晋康)君に挨拶しようとしてその順番をうかがっていると、聞こえてきたのはわたしの前でかなり長いこと浅野君としゃべっていた年輩の男性の言葉で、そのかたは、「ラストで山田キヌヲ(役名失念)がメガネを外して登場するが、あれはよくない。せっかく魅力的に見えていた彼女が、メガネを外すという記号的行為によってむしろ〈ブス〉に見えてしまう」というような主旨のダメを出していたのだが、「そういうこっちゃないんだよ」と、あのラストの山田キヌヲを肯定する論理をわたしは帰り道、たしかに頭に浮かべていて、乗り換えで吉祥寺駅の改札をくぐったあたりでは「よし、こういうふうに書こう」とさえ思っていたのをありありと思い出すが、それがいったいどんな論理だったか、もう忘れてしまったのだった。申し訳ない。
ま、「かわいかった」ってことですよ、要は。
隣のザ・スズナリでは橋本(和加子)さんの出ている『家の内臓』(作・演出:前田司郎)が公演中で、それを観に来ていた園田さんとばったり会う。「観ないんですか? 橋本さんよかったですよー」と園田さん。「かわいい」ついでに言えばさ、みんな思ってると思うけど、園田さんもかわいいよね。
本日(28日)の電力自給率:57.2%(発電量:15.0kWh/消費量:26.2kWh)

(2012年5月29日 16:10)

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/ 27 Apr. 2012 (Fri.) 「現在地」

8:10
起床。
22:13
チェルフィッチュ『現在地』@KAAT。アフタートーク。
23:39
タイ屋台。テイクアウト。

というわけで会社を出て横浜。チェルフィッチュの『現在地』を観る。上村梓さんが出るってことは知っていたが、その他の事前情報には何ひとつ触れぬまま行って、それでアフタートーク(岡田利規×松井周)があるってことも終演後のアナウンスで知ったのだけど、残って聞くかどうか、ちょっと迷うほどによかった。このまま帰らしてくれないかなあと思うほどによかった。〈物語〉だった。
ま、けっきょくアフタートークもじゅうぶん面白かったですけどね。
開演前の受付でひさびさ黄木(多美子)さんに会う。終演後のロビーでは梓さんと少しだけしゃべった。どうでもいいことしか話さなかった。
本日(27日)の電力自給率:16.2%(発電量:3.3kWh/消費量:20.3kWh)

(2012年5月27日 12:37)

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/ 26 Apr. 2012 (Thu.) 「六代目」

いや、これは五代目です。そりゃまあ、五代目ですよ。『落語研究会 五代目柳家小さん大全 上』。

柳家小里ん・石井徹也『五代目小さん芸語録』(中央公論社)。

6:33
起床。
8:28
MT 5.13アップグレード。ラジオ・ラストソングスのCAPTCHA問題。
14:46
おいおいおい待て、MT5。
21:00
小さんひとり千一夜「第五夜 春はひねもす」。与太郎の春(ろくろ首・錦の袈裟)/小さん〈仲入り〉愛宕山/小さん。
23:22
おいおいおいMT5。

三代目といえば小さん。六代目といえば圓生? 松鶴? 柳橋? それとも? 
夜、渋谷で柳家小さんの独演会。渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(というのは、ルアプルのミーティングでよく使っているあのジョナサンのごくちかく)。会の監修をしている高平哲郎さんと旧知のKさんにチケットをたのんだところ、なんと招待扱いになってしまい恐縮する。

与太郎の春(ろくろ首・錦の袈裟) 柳家小さん
〈仲入り〉
愛宕山 柳家小さん

 前座や助演はなしのまさしく独演。襲名後の当代小さんを聞くのは3月28日の「落語研究会」につづく二度目で、その前はずっとさかのぼって三語楼時代に幾度か聞いている。
共通項のあるふたつの古典落語をつなげて一席に仕立てる「一席二噺」という趣向が会の売りで、今回は「ろくろ首」と「錦の袈裟」を前後につなげて「与太郎の春」。「ろくろ首」のサゲの箇所まで行ったあと与太郎はけっきょく、昼間はお屋敷、夜は母親のいる長屋に帰って寝るというサイクルでもって生活をはじめる。そんなある日のこと、お嬢さんを乗せた人力が大八車と衝突、怪我で伏せったお嬢さんを与太郎が熱心に看病するうちにふたりの結びつきも強くなるが、気づけばむち打ちになったお嬢さんの首が伸びなくなっていて万々歳、理を詰めればややうやむやのうちにだが夫婦はそれを機に長屋住まいに、三年の月日が流れて、お嬢さんの言葉遣いも長屋のおカミさん然としたものにすっかりあらたまった、として「錦の袈裟」へ。発端となる若い衆の寄り合いの場面(隣町との見栄の張り合いという要素)はカットされ、「錦のふんどしが入り用になった」という相談を与太郎がカミさんに持ちかけるところから。
小さん自身が「東京かわら版」5月号のインタビューで、

噺家にとってくっつける意味はあまりないね。
「CD発売によせて 六代目柳家小さんにきく」「東京かわら版」平成24年5月号、p20

と言っているように、一席二噺という形式はあくまで趣向のものであって、そこにとりたてての「意味」はない。ふたつの噺を有機的につなげるということが目指されているわけでもさほどない印象で、そこはむしろ、「お嬢さんの言葉遣いもすっかり長屋のカミさん口調にあらたまりまして」という〈ご都合主義的つなぎ〉がギャグとして利用されているふうでもある。どうせなら「錦の袈裟」でも丁寧な言葉のまま(って、「ろくろ首」でお嬢さんはひと言もセリフがないけど)、お嬢さま育ちを思わせる受け答えで錦のふんどしの相談に乗るという演出が試されてもよかったのではないかと聞きながら思ったけれど、ま、そういうことでもないかというのは、じゃあ「お嬢さんの家は金持ち」という設定との折り合いはどうなったのかということもあるし(想像で補うなら、おカミさんは「金がない」から錦を買わなかったのでなく、「倹約」で買わなかったということか)、またそれを言えば、そもそも「錦の袈裟」という噺自体が理にかなった筋・設定なのかって話にもなってくるからだ。
ま、当代小さんを真っ向からけなしてきた「落語好き」には、きっとこれも一蹴されるだろうなという高座ではあるのだ。つなげて演る意味がない、「素直」に演じて噺そのものの魅力をこそ引き出すべきといった声は容易に想像されるし、そうした声をねじ伏せるだけの上手さ、面白さはない。随所に入るクスグリも、「小さん」(という名跡が期待させるところの芸)を聞こうという向きにはただ「余計な入れごと」と映ることだろう。
なのだけれど、にもかかわらず、「聞いてられなくはないな」と──なんて消極的な肯定のしかたなのかって話だけれど──そう受けとめつつ聞いている自分がいて、何よりわたしはそのことに驚いている。なにしろわたしは2005年当時、三語楼の小さん襲名が決まったというニュースに接して、ブログにこのように書いていたところの者である。

「ここ3、4年、急に存在感を現した」と小三治が評しているところの最近の高座は知らないので、まあ、何とも言えません。コメントは差し控えたいと思います。先代小さん存命の当時に寄席や落語会で数回出会ったことのある三語楼に関しては、ほんとうに退屈な印象しかありませんけれども。
web-conte.com | blue | 三語楼が六代目柳家小さん襲名へ、だそうで

 こう書いたのはたしかにわたしだし、たとえば2001年11月の、先代小さん目当てで行った会での三語楼の高座が「聞いてられない」ものだったという記憶はいまだわたしのなかに生々しいけれど、しかしいま、わたしは、ことによるとここから、まぎれもなくあの「小さん」の「六代目」が生まれるかもしれないという期待(/幻想?)を抱いてもいて、こうなるともう、演じる小さんの変化云々というよりも、むしろ聞く側の、わたし自身の変化なのではないかと考えざるをえない部分もある。ちなみに、その2001年11月23日、先代小さんを聞いた日の日記がこれ。見事に三語楼にはいっさい触れていない。

▼行けなかった人たちには申し訳ないというか、いやそれはそれとして今後もまめにチェックしていかなくてはいけないというか、「小さんの落語は今が聞きどきだ」という小三治の言葉はまったく言葉そのまんま取っていただきたいところなのだった。ネタは「ふだんの袴」。
▼86歳の名人の、口跡鮮やかでなく、そうしてやたら確かな手つきで口からこぼれるのは全部落語。いつしか落語。何をばかなことをしゃべってるんだこの人は。
11月23日(金)「小さんを見る」

 五代目小さんが亡くなったのはこの半年ほどあとのことである。
「小さんひとり千一夜」の会のマクラやクスグリは、その大半(?)を監修の高平哲郎さんが書いているらしい。高平さんなので、むろんそれらは「小さん」を神格化しようとするような方向には向かわず、むしろ神格化された「小さん」──落語そのものの表象であるようなその名前──を、肥沃なイロモノの大地へと引きずり下ろそうとするかのような企みに満ちている。何とも強力で、贅沢なその夾雑物(褒め言葉)のなかにあって、それでもなお──それだからこそ?──、かれのなかの「小さん=落語」がその朴訥とした表情を見せる瞬間があり、その瞬間にこそ六代目の魅力と可能性はある。

五代目小さん亡き後、六代目柳家小さんを襲名して早5年。得意ネタは200席に及ぶ。シリーズ「小さんひとり千一夜」では毎回名作古典落語に取り組みます。「渋谷区文化総合センター大和田 伝承ホール」で風雅な六代目をお楽しみください。

というのはチラシにあるコピーだが、六代目の魅力は「風雅」ではないように思うのだなあ。
でまあ、考えも文章もどうもまとまらないから、参照項としてさらに三代目と四代目の音源を引っぱり出して聞き直してみたものの、やっぱりうまいなあということなのであって、べつにその、これといってね、考えがまとまるわけでもないのだった。

 小さんは天才である。あんな芸術家はめったに出るものじゃない。いつでも聞けると思うから安っぽい感じがして、はなはだ気の毒だ。じつは彼と時を同じゅうして生きている我々はたいへんなしあわせである。今から少しまえに生まれても小さんは聞けない。少しおくれても同様だ。──円遊もうまい。しかし小さんとは趣が違っている。円遊のふんした太鼓持は、太鼓持になった円遊だからおもしろいので、小さんのやる太鼓持は、小さんを離れた太鼓持だからおもしろい。円遊の演ずる人物から円遊を隠せば、人物がまるで消滅してしまう。小さんの演ずる人物から、いくら小さんを隠したって、人物は活発溌地に躍動するばかりだ。そこがえらい。
夏目漱石「三四郎」(三)

と漱石が(作中で与次郎が口にする小さん評としてだが)書いた三代目小さんの録音は、『昭和戦前面白落語全集東京篇に一席だけ収録されている(「うどんや」)。SPレコードから復刻されたたった8分の音源で、「往時の芸を知る」にはさすがに制約の大きすぎる資料だけれど、そうはいっても(少なくとも手元には)これしかないんだからしょうがない。というか、うまいよ、三代目、やっぱり。
併せて聞き直した四代目小さんの音源も同全集のもの。付属の解説書にある演目紹介(文・保田武宏)には、

四代目小さんは、評価の分かれる人だった。名人だと言う人もいれば、下手だとの声もあった。そのせいか、三代目小さんよりもぐっとレコードの数が少ない。二十枚足らずである。その中から六席を収録した。

とあり、なるほどたしかにうまい一方、いや、面白い/面白くないを判断するにはSPレコードからじゃあどうにも無理があるのだけど、これを「うまいが面白みがない」「つまらない」と受けとめる層があってもおかしくないかもな、とそのじっさいの高座を想像させる語り口ではある。でもなあ、うまいんだよ。それはこの音源でもどきりとするくらいよくわかる。
 「よしみつこ」(古今亭志ん五と立川左談次のお内儀さん同士によるUST番組)第24回放送(2011年8月9日分)では雑誌『落語界』の昭和50年8月号を取り上げ、その特集記事である先代馬生のインタビューから一部をこう紹介している(途中、話題は四代目小さんからちょっとそれて八代目文治の話になるけれど、そこも興味深いのでいっしょに)

 こんなかにちょっとマニアックな話があってね、「師匠が聞いた先輩たちのなかで名人上手というのはどんなひとたちがいますか」って、インタビューされてんですよ。そしたらね、「これはこないだも会長[=当時落語協会々長の先代小さん]と飲んで話したんだけど、そのときに小さんさんが、いままでで誰がいちばんうまかったと思うって聞いたから、わたしはなんといっても先代文治師匠、それから四代目の小さん師匠だって言った」って。「そしたら会長も、そうだろ? な、な、おれもそう思うって」言ったってんですよ。
 つまりこの、文治師匠っていうのが、お客様には全然ウケなかったんだけど、なにしろ芸がクサかったと。で、クサい芸ってのは腕がないとできないから、[先代馬生は先代文治のもとに]すっごい稽古に通ったんだって。それで志ん生師匠にね、先代の八代目の文治師匠にお稽古に行ってるって言ったら、志ん生師匠が「よせよせ、あんなクサいところは」って言ったって、書いてあるんですけどね。どうも志ん生師匠は、馬生師匠が好きな八代目文治ってひとをどうも好きじゃなかったみたいで。
 四代目の小さん師匠ってのは、すっごいなんか名人だったらしくて。まあ、年寄りはみんな[四代目小さんのことを]すごいって言ってるんで、まあ先代の小さん師匠はその弟子ですからね。
よしみつこ第24回、13:30あたりから

 また、こちらは柳家小里ん・石井徹也(聞き手)『五代目小さん芸語録』(中央公論社)から。その巻末に添えられた柳家小三治によるエッセイのなかに、四代目小さんはこのように登場する。

 レコードでしか聞いたことはありませんが四代目(先代)小さんの噺。多くの世評によるとホントに面白くなかったそうです。起伏もなく、同じテンポでトントントントン。枕も説明もト書きも、会話になっても人物が変わっても声柄もテンポも変わらず。どこが面白いんだ、ただ退屈なだけじゃねぇかと、トリに上がった四代目小さんが始めて五分十分経たないうちにお客はどんどん帰ってしまうのだそうです。それでも辛抱強い半分位の客は残って聞いている。けど、もう我慢の限界だと、また客はばらばら帰ってゆく。そして、三分の一だか五分の一に残った客の前で見せた噺の世界。それはこの世のものとは思えない面白さであった、素晴らしさであったそうです。どうです、おもしろいでしょ。いいでしょ。私がどれ程我慢強い奴かわかりませんが、どうか残った五分の一の客になりたいものと憧れてきました。最晩年の我が師五代目小さんの噺に私がぞくぞくするというのがおわかりでしょうか。
柳家小三治「我が師五代目小さんの落語」(柳家小里ん・石井徹也『五代目小さん芸語録』p.280)

 いや、このエッセイ、かなりぐっとくる(もちろん本編の『五代目小さん芸語録』もいい)ので、これ以上はぜひ買うか、相馬から借りて読んでいただきたい。
六代目の二席目は「愛宕山」。終演後にご本人に伺ったところによると柳家小満んから(つまり桂文楽の型で)教わり、そののち古今亭志ん朝からもアドバイスをもらう機会があったらしい。うーん。もろもろ(物語をつなぐタテ糸の「朝飯前」とか、コチャエ節で山道を登るところとか、竹をたわませるところとか)、半端な印象はぬぐえないかなあ。
チケット代のかわりにと、受付で売られていた六代目のCDを買う。一席二噺で「時そば」と「うどん屋」を合体させた『二割五分』。その「うどん屋」のパートで、ご機嫌の酔っ払いが呵々大笑する声がまったくもって五代目のそれだったからどきりとした。まあ、特筆すべきはそれぐらいなんだけど、でもなあ、この笑い方ができるんだったら、可能性はあると思うんだよなあ。
本日(26日)の電力自給率:8.8%(発電量:2.2kWh/消費量:24.8kWh)

本日の参照画像
(2012年5月26日 20:56)

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/ 25 Apr. 2012 (Wed.) 「鍼へ」

8:00
起床。
9:10
おにぎり忘れる。
15:00
床屋。
20:00
鍼。

夜、都立家政の「中田治療院」へ。鍼治療。心を入れ替え、前回──は3月19日で、じつに三年ぶりぐらいで行ったのだった──からたった一ヶ月での通院で、だからまあ「凝りがひどくなる手前での定期メンテナンス」というつもりだったのだけれど、どういう加減か、あるいは馴れによってこちらの緊張が足りなかったか、これまででいちばん痛かったかもしれない。
しかし覿面。髪も切ったし、ゴールデン・ウィークってやつに向け、わたしは万全の構えである。
本日(25日)の電力自給率:35.1%(発電量:7.7kWh/消費量:21.9kWh)

(2012年5月 2日 18:53)

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/ 24 Apr. 2012 (Tue.) 「5,400円かあという話」

7:45
起床。
11:39
いい天気だなあ。
13:30
サーバ移転祭り。
19:30
左談次行けず。

web-conte.com を次々移転させてきたその名残りで、coreserver、heteml、さくらに分散して置いていたもろもろのサイトをさくら(のマネージドサーバ)一本にまとめる。がんがん移転。にわかの移転祭りだ。
夜は「立川左談次のひとりでやる会」に行くつもりだったが、夕方からの会議が延びて断念。
郵便受けにはイー・アクセス社(イー・モバイル)から、「長期ご利用のお客さまだけにお知らせです」と如才ない手代のような顔つきのDM。開いてみると Pocket WiFi LTE (GL01P) にアップグレードしませんかという話である。LTEという新しいモバイル通信規格により(目下は主要都市部にかぎるけど)通信速度がぐんと上がるうえ、新しい料金プランによって月々の払いは700円ぐらい下がって、さらにいまならキャンペーン中につき、購入からまだ2年を経ていない現在の機種 (GP01) の契約解除料が最大1万円引きになるという。1万円引かれて、で、いくらの契約解除料になるのかをネットで確認するのには「My EMOBILE」という契約者専用サイトにログインする必要があり、ログインするには自分の Pocket WiFi に割り当てられている電話番号が必要だとなって、じゃあその電話番号を知るには……といった案配でしばし孤軍奮闘する。
5月(1年2ヶ月経過)時点での契約解除料は 15,400円。1万円引かれて 5,400円。でまあ、たぶん替えると思います、LTEに。
本日(24日)の電力自給率:78.2%(発電量:19.1kWh/消費量:24.4kWh)

(2012年5月 2日 17:12)

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/ 23 Apr. 2012 (Mon.) 「なるほどねえー」

8:12
起床。風呂。
20:26
会社を出る。

Day One のメモももうこんな感じだ。ま、働いていたということである。
早稲田大学の表象・メディア論系のサイトの、「xett」のページなど更新。あ、いまさらですけど、「キュートな世界へ~ドラマ『Q10』に寄せて~」という学生の評論に添えられた長谷正人さんの講評で、

ついでに言えば、Q10はおそらく『1Q84』のパロディで、『2Q10』という意味でしょう。

とあったのには、あー、なるほどねえーと思いましたよ。
本日(23日)の電力自給率:12.3%(発電量:2.8kWh/消費量:22.6kWh)

(2012年4月29日 10:25)

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/ 22 Apr. 2012 (Sun.) 「あしながは活躍している。てながはどうか。」

8:30
起床。
11:48
出かける。
12:27
吉祥寺着。駅そばを食う。
14:55
ASH&Dライブ3@前進座劇場。
16:37
帰宅してサンドイッチを食う。昼寝。

「ASH&Dライブ vol.3」──シティボーイズ、中村有志、久本朋子、ムロツヨシ、ザ・ギース、ラブレターズ、阿佐ヶ谷姉妹が出演──を観に吉祥寺へ。

吉祥寺駅ではあしなが育英会が募金を呼びかけていた。あしながはがんばっている。でも、てながは? てながはどうしているだろう。あしながの活躍ばかりが聞こえてくることからみても、すでにふたりのコンビは解消されたということだろうか。もう、お互いの道を行こうということになったか。コンビ解消を境にしてなのか、思えばてながの話を耳にしなくなった。してみると、やはり「てながのほうが不便」ということか。

足長手長
足長国の足長人が、手長国の手長人を肩車したふたりでひとりの妖怪で、福島県のあたりではふたりは夫婦だといわれている。足長の足の長さは約6mもあると言われ、ブロンズ像の彼らは互いに協力し魚を獲っている[写真。水木しげるロードにある立像。魚というかタコと格闘しているさまである/引用者註]。海辺で見かけたら、必ず海が荒れるというから要注意。
水木しげるロードの妖怪たち

メモには「昼寝」と書いているが、そのままずいぶん寝てしまった。
本日(22日)の電力自給率:11.7%(発電量:2.7kWh/消費量:22.9kWh)

(2012年4月29日 09:52)

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/ 21 Apr. 2012 (Sat.) 「勇者、勝つよ」

『古井由吉自撰作品』(河出書房新社)。既刊の第1巻には「杳子」「妻隠」「行隠れ」「聖」、6巻には「仮往生伝試文」を収める。

7:34
起床。
8:36
風呂。
9:21
コンタクトにする。
9:30
ひと仕事(表メ)。
10:56
ごはん。目玉焼き、ハンバーグ、にんじんのナントカ。
12:38
出かける。
13:20
自撰に『聖耳』は洩れたのか。
14:24
日本橋着。ドトールに入る。意外にTポイントが溜まっている。
16:56
薮伊豆土曜寄席「かざぐるまの会」(第57回)@薮伊豆総本店。子ほめ/風車、孝行糖/志ん公、馬の田楽/風車〈仲入り〉三方一両損/風車。
17:35
日暮里着。
19:25
くにみ志ん公落語会。大山詣り/志ん公。終わってこれから鰻を食う。
22:43
帰宅。

ここのところは節約(当社比)を旨とした生活を送っているので、行って手にとればきっと買ってしまうんだろうなあというソレのある本屋には意識的に足を向けないようにしていたものの、ウェブ系の参考書を買おうと立ち寄ったさいについつい、やっぱり買ってしまったソレというのが『古井由吉自撰作品』だ。全8巻刊行予定のうちの既刊2冊を前日に買った。上の「Day One」のメモに「自撰に『聖耳』は洩れたのか。」と書いているのはその話。
なにせ古井由吉なのだからいずれはきっちりした「全集」が出るのだろうし、出るべきだし、出ればそりゃ買うわけで、ここで自撰作品集なんかに惑わされている場合ではないというか、そもそも、すでに小説にかんしては全作品を、小説以外の著作もだいたいのところをそれぞれ単行本でもっているのだからもう充分じゃないかとも言え(まだ手に入れてないのはたとえば田中康夫との対談本である『フェティッシュな時代』[1980年] とかね)、さらに「仮往生伝試文」にいたっては最初の単行本古本で29,800円もしたんだよ)と、2008年に新装復刊したときの単行本とを両方もっているから今回の『自撰作品』所収のものはつまり三冊目になる──なった──わけで、と書けば、心ある読者のかた(おもに妻)には「ばか」と思っていただけるだろうか。
『自撰作品』所収の「杳子」をちびりちびりと読む。
「杳子」には大学のゼミの授業で出会った。ゼミ担任の石原(千秋)先生が研究休暇で授業を受け持たなかった年があり、その一年は代打で日大の紅野謙介先生がゼミを担当して前期が内田百閒、後期が古井由吉(の初期作品群)を取り上げての演習だった。「杳子」とも、古井由吉ともそれが最初の出会いだったけれど、わたしが決定的に古井由吉にやられたのはそののち、当時『群像』連載中の『聖耳』を読んだときのことである。で、それら、いわば〈頸椎以降〉の作品(笑)で再会して虜になった身からすると、いや、これ、言葉そのままの「印象批評」なのでそのつもりでお願いしたいが、初期の作品群のなかでもどこか「杳子」だけは突出して異質な、まあその、「ぼくらの由吉じゃない」とでも言いますか、「小説っぽい」と言うとあれだけど、そういう意味も込めて「ムクな」、「ソリッドな」魅力をもった作品だと眺めていたところがあって、で、ひさびさに読み返してみるとそれってやっぱりあの冒頭、

 杳子は深い谷底に一人で坐っていた。

からはじまって、二段組の『自撰作品』では四ページつづく、あのとにかく完璧な第一段落が強烈に作用しているのじゃないかと思えるのだし、でもって一行の空白をはさんで、

 後になって、お互いに途方に暮れると、二人はしばしばこの時のことを思い返しあった。

とつづいていく第二段落以降は、あらためて読んでみるとこれがけっこう「ぼくらの由吉」なのだった。
日本橋と日暮里と、(古今亭)志ん公さんの出る落語会をふたつはしごする。
ここのところツイッターでは行った落語会の演目メモしかつぶやいていないから、ちょっと、これは余っ程なことになっているなと傍目には思われているかと思うけれども、数えてみればたしかにたいへんなことになっている。言い訳ができない。今年ここまでで足を運んだ回数が26回、接した高座が140席、噺の種類で104演目、落語家を数えれば91人という次第で、うち、志ん公さんが17席・11演目だ。志ん朝を追いかけ、京都・大阪に出かけては米朝を聞き、最晩年の小さんにすべり込んだあのころよりも、数としては多く聞いている。これでもしわたしが定年など迎えていて、平日の昼間も時間のある人間だったらいったいどうなっていたのかと、考えるだに恐ろしい。
「孝行糖」は先月の落語研究会につづいての二回目、「大山詣り」はひさびさ志ん公さんでの初物だ。「孝行糖」は総合的には研究会のときのほうがよかったかなと思うけど、それはやっぱり会場の空気も作用してのことだろう。「大山詣り」は、初物効果もあるだろうけれどなかなかよかった。でも、まだまだここから。なにせわたしは志ん公に、「志ん五」も「志ん朝」も、「志ん生」さえも期待しているのであり、だから、先は長い。
そういえば「大山詣り」を聞いた会場の、日暮里の鰻屋「くにみ」のご主人の息子さんが、わたしのこのサイトを見つけたらしい。「けっこう聞いてらっしゃるんですね」と言われる。あ、どうも。見てらっしゃいますか? 書くのが遅くなってすいません。七月、また行きますんでよろしくお願いします。
タイトルの「勇者、勝つよ」は、ツイッター上での児玉君とのやりとりから。

@sk_losco: ほんとはもっとドラクエⅤしたいけど、仕事の続きしよう…。
2012年4月20日 0:01

@125imanim: @sk_losco 今どこ?
2012年4月20日 1:06

@sk_losco: @125imanim 子供たちが石になってた俺を助けてくれたとこ。言っとくけど、俺スーファミ持ってなかったから初めてやるんやで。続きとか教えたらしばくで。
2012年4月20日 1:22

@soma1104: @sk_losco 勇者、勝つよ。
2012年4月20日 20:04

@sk_losco: @soma1104 それはなんとなくわかってました。
2012年4月20日 20:08

 まあその、児玉君が応接してくれたとおりのおふざけツイートなのだが、と同時にこの「勇者、勝つよ」は、『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995年、金子修介監督、伊藤和典脚本)のラストシーンにおける藤谷文子(草薙浅黄)のセリフ、「来るよ。ガメラはきっと来るよ」の調子でもって読んでもらうと、またべつの感動があるのではないかとも思うのだった。
ひさびさに書くとやっぱり下手になっているし、どうも長くなりがちでいけない。あとはさくっと書いて、さっさと現在時にまで行くよ。
本日(21日)の電力自給率:25.3%(発電量:5.8kWh/消費量:22.9kWh)

本日の参照画像
(2012年4月28日 11:28)

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