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Aug.
2007
Yellow

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/ 31 Aug. 2007 (Fri.) 「案外本人なのではないか」

7月28日付の日記「同窓会」にコメントをもらったのだが、これが、わかりそうでいてもうひとつわからない。コメントにはただひとこと、「こら!」とあり、「天使」というハンドルネームを使って、誰かが──もしくは天使が──私に「こら!」と言っている。この「天使」さんが〈誰〉なのか、それがわからない。わからなくたってむろんいいのだけれど、名前に添えられているURLに行けばきっと誰なのかわかるのだろうと、はじめにそううっかり考えたばかりに、そこへ行ってみて存在しないドメインだと知れると俄に半端な気持ちにさせられてしまった。メールアドレスからもちょっと推測がつかない。
「同窓会」というこの日記にある記述で、「こら!」という叱責につながる文脈はおそらくふたつあり、ひとつは、その成城大学「石原千秋ゼミナール」同窓会の席で石原先生が私に言ったひとことからつなげて書いた次の箇所への応答である。

石原先生には開口一番「おまえブログに変なこと書いてんじゃないよ」とにこやかに言われ、「おっ!?」と思ったが、それはこの同窓会の通知のことを書いた7月4日の日記のことだった様子。研究に行き詰まると、ときおり「石原千秋」でネット検索をしているらしい。こりゃ滅多なことは書けないね。ってこんなことを書いてる時点で次にまた叱られるんだろうけど。

 つまり、「また叱られるんだろうけど」と書く私に対して案の定「こら!」と言ってみせるのは、ふたたび検索してここに辿り着いた石原先生本人か、あるいはそうであるかのように仮構されたキャラクターであるということになる。ただまあ、わからないが、「天使」という名前やその他の振る舞い方からして素直に本人だとは思いにくく、後者だとすれば、同窓であるとか先輩だとか、〈石原千秋〉でもってどこか私とつながっている者が想像されるのだが、推測できるのはそこまでだ。
可能性としてはもうひとつあって、その同窓会の席で再会した加島さんが「第4回ヘップバーン新人賞」という俳句の賞を獲ったことに絡み、こう書いたことへの「こら!」である。

「ヘップバーン」は「オードリー・ヘップバーン」の「ヘップバーン」だろうか。名前を冠するくらいだからオードリーが審査委員長を務めるのかもしれない。日本語読めるんだろうか。というか、死んでるんじゃないのか。日本語の読める女流俳人がオードリーの霊を降ろし、それで「This」とか言って選んでいるのだとすれば、われわれはヘップバーン新人賞の権威をどう考えればいいのかよくわからないことになるが、まちがいなくそんなことはないから大丈夫だ。

 そりゃあ、「こら!」だろう。仮にヘップバーン新人賞の関係者(オードリーの霊を降ろしている人など)が読んだとすれば怒声が降りかかったとしてもおかしくないところだ(ま、加島さんだって関係者だけど)。しかし、にしては、「こら!」はちょっと乾きすぎている。それほど怒っているようには見えないのが奇妙だ。
もちろんツッコミとしては、ヘップバーンのくだりに対してもらうほうがありがたいのだが、またべつの単純な事実として、アクセス解析を見るに、このコメントを書いた人は「まとめ検索」というブログ検索サイトで「石原千秋」を検索し、その結果からうちに来ていて、するとやっぱり、〈誰〉なのかということで言えば〈石原千秋〉でつながる誰かである可能性のほうが高いことになる。
あらためて書けば、〈誰〉であるのかを特定することにさしたる意味はなく、このどうでもいい話題でもってついついこれだけ書いてしまったのは、まあその、何だって書いていればついついこのぐらいの分量にはなってしまうよということと同時に、こうしてコメントに応答するかたちで次の記事を紡いでいくという方法が、昔ながらにウェブ的であり、ローカルなことを言えば「Yellow」的であるということの再確認である──むろん、コメントに本文記事で返していくというこの関係は根本的に非対称なものであり、おそらくあくまでもどこまでも対称性を理想とするだろう〈ウェブ〉を想像する場合において、この方法自体は「真にウェブ的なのではない」と思われるけれども。
と、ここまで書いてから、思いついて「天使 石原千秋」で検索してみたのだけれど、うーん、そうかあ参照1参照2参照3参照4、これ案外本人なんじゃないかって気にもなってきたな。

(2007年9月 3日 19:10)

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/ 30 Aug. 2007 (Thu.) 「句会へむけて」

少し前に[8月5日付]、大学同窓の加島さんにむけた呼びかけとして書いていた例の「句会」だけれど、開催にむけてちょっとずつ、何人かに声をかけはじめている。開催日は10月中の土・日・祝日のどこかということで考えはじめたが、おそらく、このままいけば10月27日(土)か28日(日)のどちらかになるだろう。場所、どうしようかな。ま、参加者の足の便のことを考えず、どこかに場所をとる面倒だけを避ければ立川のわが家でやるという手もあるけれど、参加人数によっては無理がある。やっぱりどこか会議室のようなところを借りるべきか。ちなみに第一回のときは参加者のひとり・吉沼のアパートの部屋だったが、そのときは四人だけだった。第二回のときは倍の八人ぐらいに人数が増えて、で、その人数にしては無闇に広い、台場区民センターというところの和室を借りた。あ、いまその当時の日記[2003年3月19日付]を読みかえしていたらちょうどそんな記述があったんだけど、西荻窪の「亜細庵」(というエスニック系の料理屋、もう何年も前に常連だった)でやるってのはどうか。というか、「亜細庵」はちゃんとまだあるのか。うーん。会議室のような場所のほうが無難かなあ。
ところで、声をかけるのと同時に開催日について都合・不都合を聞いてまわっているのだが、加島さんから来た返事には、「いまのところ10月の予定はこんな感じです」として、すでに埋まっている日程についてこうあったのだった。

×日 句会(xx:xx〜@□□□
×日 ○○○○
×日 ○○○○(xx:xx〜@□□□

 うわ。本物がいたよ。って、むろん加島さんが本物だ(同人に参加して賞を得、自費出版ながら句集を出している)というのは知っていたことだが、そうかあ、やってますか、句会。
あと、南波(典子)さんにも声をかけ、「ぜひ」という色よい返事をもらってあるのだが、そのメールのつづきで「久々だなあ、句会」と書いているこの句会はあれかな、以前、南波さんのサイトの「しいたけ園←ブロッコリー」上で知人らの投稿を募り、自作も含めて定期的にそれらを紹介していた「ばもー木曜句会」のことかな。それとも私が読み落としているすきに、どこぞの同人の句会を経験していたりするのだろうか。ちなみにいま、そのバックナンバーを辿り直してみると、サイト上で南波さんがはじめて俳句について触れているのは2003年12月7日の文章であると知れ、そこにはこのように記述がある。

久保さんは俳句を詠んだことはありますか。私はまだ一度も自分で詠んだことがありません。どうしたらいいものかさっぱりわからない。ただ俳句の世界が面白そうでとても気になっているのです。よく「句会」の話など聞きますが、その場で考えて詠むなんて私にはとてもできそうにないなあ。

さて、むろん当方の「句会」はれっきとしたニセモノであり、ま、ニセモノといってもべつに「四・八・四」で詠むとか、そういうことではないが、何て言うのかな、文化祭の教室で学生がやる飲食店のような、そうしたニセモノである。とりあえず〈場の設定〉として「峠の茶屋」なり、「句会」なりがあればいいのであって、きっと俺、当日はあんまり俳句のことを考えていないと思う。といって、まるきり誰ひとりとして店のことを考えていないとなれば「峠の茶屋」はそもそも成り立たないわけだが、そのへんはほら、共同企画者で心配性な吉沼のほうがしっかり考えてくれるだろう。そうした点で吉沼はじつにたのもしい。
第一回の記憶のことを書いても、そもそもの中心軸となるのは吉沼である。吉沼を基点として、その高校同級の大竹君と、大学同窓の私というふたりの男がおり、このふたりは吉沼のサイトから張られた双方のサイトへのリンクを辿ってネット上ではすでに知り合っていたものの、それまでじっさいに顔を合わせたことはなく、折りも折り、その春から大竹君が東北大学の院に進んで遠くに越すということから、じゃあ、その前に一度会っておきますかというのが、この「句会」という企画のそもそものはじまりで、さらにただ会うというのもなんだからと、「じゃあ、句会ってことにしようか」といきなりなことを提案したのはたしか吉沼だったはずだ。で、その経緯を私が日記に書いたところ、私の高校同級である上山君がそれを読み、面白そうだといって急遽参加を果たして、結果、吉沼と私がそれぞれの高校同級を連れてきて紹介しあうというような、そうした構図になったのだった。
で、句会というか、句の合評はなかなか白熱したものになったわけだが、考えてみれば、「句会」という企画がOKになる時点ですでに四人ともかなり垣根の低い関係だったのだとも言えよう。その初期メンバーの四人ともが本物の句会についてはなにも知らず、それで、独自に会の方式を案出したのも吉沼だったと記憶している。以下、われわれがここで「句会」と呼んでいるこのアソビについて、あらためてそのやり方のようなものを書けばこういう具合だ(で、想像だけど、本物の句会というのもきっと、わりとこれに近いかたちをしているのじゃないかな)

  1. 事前に共通テーマ=お題を決め、それを参加者にお知らせします(たとえば「夏」「老い」など。1題か2題ぐらい)。
  2. 参加者はそれを受けて、「テーマに添った句」と「自由に詠んだ句」をそれぞれ最大2句ずつぐらい、あらかじめ作っておきます。
  3. そのさい、できる環境があればですが、自分の句を1句ずつ紙にプリントアウトして、その紙を当日持ち寄ります(白い紙に適当な明朝フォントで。できれば短冊状の、細長いかたちにした紙が好ましい。プリンタ等がなくてそれができない人については応相談)。
  4. 当日、みんなから集めたその紙をシャッフルし、誰の句かというのをはじめは隠したかたちで、1句ずつ順に取り上げていきます(テーマごとにわけてやります)。
  5. 1句ずつ、取り上げられたその句の解釈について、みんなでああだこうだ自由にしゃべります(ここがアソビのメインです)。
(2007年8月31日 20:15)

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/ 26 Aug. 2007 (Sun.) 「高校演劇とシュヴァンクマイエル展、友人たち」

これを書いているいまごろ、NHK衛星第2では「青春舞台2007」の生放送中だろう。もとからそのように「富士日記2」には書いてあった[8月7日付]といまは知れるが、いや、宮沢(章夫)さんが生放送のスタジオゲストとして出るとは思っていなかった。読み落としていた。あと、録画中継される舞台も国立劇場での公演ではなく、島根の全国大会のときのものが流されるのだろうと、とくに根拠もなくそう勘違いしていた。今朝(27日)のことだが友人の上山君に、「優秀校が決まっていない大会の時点で全舞台ずっとテープ回しとくのも効率悪いでしょう」とごく冷静なことを言われ、それもそうだなと気づかされた。
というわけで話は前後するが、25日(土曜日)には国立劇場へ、その優秀校の東京公演を観に行ってきた。二日開催されるうちの一日目で、演劇の部では母校・栃木県立栃木高等学校の『塩原町長選挙』と、静岡県立富士高等学校の『紙屋悦子の青春』が上演された。同級で、同じ演劇部だった荒川と田村もそれぞれ奥さんを連れ、わざわざ栃木から足を運んできたので彼らと半蔵門駅でおちあい、演劇の部がはじまる手前の午後3時すぎに劇場に入る。
栃木高校の『塩原町長選挙』はまあ、宮沢さんが「富士日記2」でおおまかに評していたとおりと言えばとおりで、くだらなさの点において非常に好ましいのだけれど、そのいっぽうで後半、メッセージ性のある台詞が発せられるようになると途端にそのシーンから笑いの要素がすとんと消えるのは、それはちょっとどうなのかとOBとしては苦言を呈しておきたいところだ。はじめからしまいまでメッセージ性のない完全なナンセンスというのはむろんむずかしいだろうけれど、でも、そのメッセージ性を含んだシーンにだって笑いを絡めることは充分可能なのだし、それにさ、それをやらなきゃ、もったいないよ。
国立劇場のお客さんは充分にあたたかく、前半ではかなり笑いを取っていてその〈運動エネルギー〉もあり、メッセージを発するシリアスな熱演もそれはそれでまあまあ成功していて〈位置エネルギー〉だってあるのだから、やや冒険めくのかもしれないが、なおのことメッセージをさらに異化する笑いをそこに入れてほしかったし、どうせならあくまで、「くだらなさ」のただなかにメッセージを浮かべてほしかった。
たとえばこまかいところで言えば、あそこがさあ、もっといろいろ方法があると思うんだよ。「塩吉」の小学校に塩吉の兄が尋ねてきた放課後、兄と担任の教師とが下手側の位置で会話していて、やや離れた上手側では塩吉がひとり黙々と机のまわりを雑巾掛けしているシーン。結局、両者の世界はつながらずに(あるいは逆にそれが演出の意図だったのかもしれないが)、塩吉はただ掃除を終えて、会話を終えた兄がそれに声を掛け、いっしょに帰ろうということになるだけなのだが、ここ、黙々となされる塩吉の掃除の側にもっと何か仕掛けられなかったかと思う。「ものすごく掃除の要領がわるい」とかね。ま、そのへんのさじ加減はむずかしいし力量も関係してくるけど、後景にある「塩吉の掃除」に何か微妙でくだらないことをさせつづけ、それで最後に下手の会話がそこにスポットを当てることができれば、それ、つまり「チーズ・ショップ」の構図が使えるのに、と、そんなことばかり考えているOBの意見になど耳を貸すべきではないとわれながら思うけれど。
『紙屋悦子の青春』は非常によくできていた。うまいなあと単純に感心させられた。栃木高校がそのくだらなさにおいて〈高校演劇的なるもの〉あるいは〈全国大会的なるもの〉からはみ出しているのと同様、これだってきっと高校演劇のメインストリームからははずれているのだろうと想像される(で、もちろん、優秀校とされた残りの二校もきっとそうなのだろう)。あと、ちょっと思わされたのは、むろん前提として力量がともなうことが必要なのだろうが、そこをクリアすれば、「高校生が演じる戦時中の人間」には違和がなく、かえって奇妙な説得力が立ち現れるということだ。
それやこれや、いろいろ。帰りにちかくの中華料理屋に入り、田村の結婚式以来ひさびさに会う五人で食事をした。思い出すに俺、すごくしゃべってたんじゃないか。
それで、翌26日(日曜日)には大阪から上山君が来た(ちなみに上山君も栃木高校の同級だが演劇部ではない)。夕方、原宿駅で待ち合わせてふたりで「ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展」を観、そのあと立川へ行ってわが家に一泊した。

(2007年8月27日 16:03)

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/ 23 Aug. 2007 (Thu.) 「仕事と逃避と薬師丸ひろ子」

『Wの悲劇』(澤井信一郞監督、薬師丸ひろ子主演、角川春樹事務所、1984年)。

『レイクサイド マーダーケース』(青山真治監督、フジテレビジョン、2004年)。「私が殺したのよ」という台詞で20年という時間がつながる娯楽作。

だいぶ間があいてしまったことについては、きっと忙しかったのだろうと想像してもらえればさいわいだ。じっさい忙しかった。いまも忙しい。
お盆は一泊だけ実家にもどった。15日の夜に帰省し、16日の送り盆を手伝って帰ってきた(実家は寺であり、私はその三男坊だ)
そしていくつかの仕事。むろん逃避もしていた。前回の日記のあとで結局私もまた妻の読み終えた『花より男子』(完全版コミックス、全20巻)を、丸一日にちかい時間をかけて読んでしまったというのがまごうかたなき逃避なら、WOWOWでやっていた映画『Wの悲劇』(澤井信一郎監督、1984年)を見てしまったというのも逃避だ。よもやレンタルビデオ屋で『人間の証明』(佐藤純彌監督、1977年)を借りて見ようなど、予想だにしなかったことだが、それもしてしまった三十一歳の夏である。『人間の証明』はなるほど、そういう話だったのか。
『Wの悲劇』が放つ魅力は寸分たがわず、ひとえに、薬師丸ひろ子のそれである。原作としてクレジットされている夏樹静子の同名推理小説は〈劇中劇〉としてあって、その舞台を公演する、とある劇団が物語の前景に据えられる。薬師丸ひろ子はその若手劇団員で、いわゆる大文字の〈女優〉にあこがれる存在である。薬師丸に思いをよせる世良公則もまた以前役者をしていた者であることが途中で判明し、つまるところこれは〈演劇〉をめぐる映画なのだけれど、まあ、そうした〈演劇〉のことは私はよく知らない。

「女流作家とか女優とか、そんな幸福な身分になれるものなら、わたしは周囲のものに憎まれても、貧乏しても、幻滅しても、りっぱに耐えてみせますわ。屋根裏住まいをしても、黒パンばかりかじって、自分への不満だの、未熟さの意識だのに悩んだって構わない。その代わり、わたしは要求するのよ、名声を……、本当の割れ返るような名声を。……(両手で顔をおおう)頭がくらくらする、ああ!」

 映画の冒頭ちかく、薬師丸が無人の公園(じつはベンチに寝ていた世良公則が居合わせていて、このあと起きあがって拍手を送るのだが)でひとりしゃべるのは『かもめ』のニーナの台詞であり、そのことが象徴するようにやはりここでの〈女優〉はチェーホフが造形したニーナからつづくある系譜のなかにあって、「で、じっさい女優ってそうなの?」という問いとは別の、無形無名の〈ひとびとの欲望〉を吸いあげて膨らんだ愚かしい何者かである。そしてここにもうひとつ、同じ女性によって吸いあげられていく無形無名の〈ひとびとの欲望〉が並置されるのであり、その欲望とはいうまでもなく、「等身大で成長する、生身の薬師丸ひろ子をスクリーンで観たい」というそれだ。大文字の〈女優〉も小文字の〈薬師丸ひろ子〉も同様に〈根のある非現実〉であり、その意味において、つまり薬師丸ひろ子はかわいい。
いくつかある仕事のひとつは戸田昌宏さんの主宰する劇団「プリセタ」のサイト制作で、そのリニューアルのようなものをしていた。だいたいかたちはできたが、まだまだ作り足していく部分が残っている。ほかのさまざまな仕事と同時並行の、合間を見ての作業なのでちょっと待たせてしまったところもあるが、まあ、そんなことを言ったらさらに待たせているのが笠木(泉)さんだ。じつに待たせている。でも、結果的にこの順番がよかったというのは笠木さんのサイトで使っている「WordPress」というブログソフトウェアのことで、同じものを「プリセタ」のブログでも使い、それを今回バージョンアップ(2.0.3→2.2.1)+メンテナンスしたのだが、だいぶ忘れてしまっていたこともあり、さらに最近の動向はすっかり見失ってたのであらためて学ぶことは多く、つまりこう言っちゃなんだが、「プリセタ」でかなり練習することができたのだ。これでかなり、笠木さんのサイトのほうはすんなりいくだろう。
あと、またべつの仕事として、とある翻訳原稿の校正のようなものをしているのだが、夜中、ふらふらになりながらチェックしていて、しかしそんな状況だというのに、その翻訳原稿を読みつつ単純に声をあげて笑ってしまうことがあり、まあその、ぼやかした説明のせいで何のことだかよくわからないかと思うが、やっぱり面白いなあこれはと思っているのだった。
土曜日(25日)には国立劇場へ行き、栃木県立栃木高等学校・演劇部の公演を観る予定。高校同級の荒川と田村が栃木から出てくるので、おちあっていっしょに観る。それから日曜日(26日)には同じく高校同級の上山君が大阪から来る。月曜が東京出張なのだそうで、日曜の夕方、ラフォーレ原宿でやっているという「ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展」をいっしょに観たあと、夜、うちに泊まる予定だ。上山君に寝てもらう部屋をそれまでにきちんと片付けなければならないと、妻にきつく言われている私だ。やることは山積みである。

本日の参照画像
(2007年8月24日 15:01)

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