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Oct.
2008
Yellow

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/ 3 Oct. 2008 (Fri.) 「『ルー・リード/ベルリン』を観る」

同ライブを収めたCD(10月21日発売予定)はこちら。iTunes Music Storeではすでに購入可能。Lou Reed - Berlin: Live At St. Ann’s Warehouse

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『三四郎』は5冊あった。
徹夜明け、そのまま仕事をし、ひとまず片付いたので夜、『ルー・リード/ベルリン』を観に行く。渋谷パルコ・パート3の8階にある「シネクイント」でのレイトショー。前回ここに来たのは『ストップ・メイキング・センス』のニュープリント版のときだと記憶し、すると、ここはそうした映画に強い、音響設備が売りの劇場なのだろうか(いま、昼間掛かっているのは『デトロイト・メタル・シティ』だ)
まず、よい。涙が出る。ルー・リードやそのアルバム『ベルリン』について不勉強な私がそうなのだから、もっと思い入れが強ければこれは号泣なのだろう。個人的にしびれたのは3曲目、「富豪の息子」だ。これもまた、字幕を見て、そういう歌詞だったのかとはじめて知る。「だが関係ない (But me, I just don't care at all.)」と歌うルー・リードの、その顔がすばらしい。ロックとは「だが関係ない」のことだ、とさえ思える。『ベルリン』を覆う詞は強く物語的で、それはつまり、登場人物の女と男のほかに(あるいはその外側に)「俺」という語り手の存在を意識せざるを得ないという意味で物語的であるわけだが、おそらく33年前、「俺」はあくまで物語の論理を守り、ぎりぎり物語「内」存在として名盤『ベルリン』のなかで語っていたのだと思う(だからこその名盤だ)。しかしいま、「だが関係ない」と歌うルー・リードの顔をまのあたりに観るとき、ステージで歌うその人のほかに「俺」などいないことは誰の目にもあきらかとなる。完璧な作品世界の結構さえ破って生が表出する、それがライブという装置の特権だとすれば、たしかにいま、私が映画館で観たものはライブだった。なるほど音響はいい。映画内の観客の拍手は、あたかもいま劇場内で鳴っているかのように聞こえる。だから、それに乗って、こちらも各曲の演奏後に拍手をすべきなのだ。他の映画のように最後にまとめて拍手をしようと考えていると、そのタイミングを与えずに映画は終わり、すぐに館内が明るくなってしまうから、そこは注意である。
終映後すぐ、次兄に電話をする。「観たほうがいい」と伝えた。

本日の参照画像
(2008年10月 4日 23:22)

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/ 2 Oct. 2008 (Thu.) 「次兄がもっていた」

また会社に泊まる。ブログに精を出している場合ではないのだ。更新を再開して自ら欺かれている感があるが、ほかにやらなきゃならないこと(つまり仕事だが)はわりとあるのだった。
先日来「レッツラゴン」の単行本を探していたことをきのう書いた。守備範囲からいって実家の長兄がもっているかと思いメールして、結果なかったという話で、じっさいそれ以上探さなかったのだが、きのうの日記にコメントが付き、「うちにあるよ」と言うのは次兄だ。なんだよ。けっきょく兄弟間で解決かよ。
たとえば実家には(亡き父の趣味で/寺仕事に不可欠かといえばそんなこともないと思う)諸橋轍次編の『大漢和辞典』や、『ブリタニカ国際大百科事典』が揃っていて、われわれ兄弟はその状況を「インターネット要らず」などと呼んだことがあったけれど、こうしてまた、この件も親族間で事が足りてしまった。ふと、毛利元就の三本の矢の教え(われわれ兄弟もその場にいた)を思い出し、ことによると「なんでもあるんじゃないか」と早合点のひとつもしたくなるところだけれど、むろんそんなことはなく、その例証が、これまた先日書いた、「欲しい本があればあげます」という例の見知らぬ人蔵書リストだ。あそこに挙げられた本の大半を、私だけでなく兄たちもまたもっていないはずだ。大層なことを言えば、〈相馬の死角〉があそこにはあるだろう。だって興味がないのだからしょうがないのだけれども[※1]
また逆に、兄弟三人の蔵書をひとつに合わせた場合、たとえば『三四郎』など、おそらくだが、8冊はあるんじゃないか。なぜなら私がすでに4冊もっているからだ。ばかではないのか。なぜそんなにあるのかと妻はおかんむりである。

※1:「興味がない」

むろんリストには、興味がないとは言い切れないものも含まれている。たとえば手塚治虫『マンガの描き方似顔絵から長編まで』にはやはり興味を引かれるところがあるし、奥田英二『スキー上達の科学 なぜまわり、どう曲がるか』は、興味ないながらに「おっ」と思わせられるタイトルである。また、ゴマブックスの本が多く含まれるのが気になるが、そのなかのひとつ、斎藤広達『失敗はなかったことにできる』は、単純に「そうなのか」と思うところだ。読まないけど。

(2008年10月 3日 17:39)

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/ 1 Oct. 2008 (Wed.) 「トータルで勝ってますさかい」

吉川潮『月亭可朝の「ナニワ博打八景」金持たしたらあかん奴 』(竹書房)。

「レッツラゴンもってる?」という単刀直入なメールははじめ、笠木さんから来た。「ない」と答えたあとで、宮沢さんに貸した『アカツカNo.1赤塚不二夫の爆笑狂時代』(イーストプレス)のことを思い出した(『天才バカボン』と『レッツラゴン』を中心に、1968年〜72年の仕事をまとめて再編集した本である)。そのあと、実家の長兄にメールして「蔵書のなかに『レッツラゴン』はあったっけ?」と尋ねると、兄も「そういわれるとあったような気」がしたらしく探してくれたが、見つかったのは(あるような気にさせていたのはどうやら)『のらガキ』だった。兄もまた、

「レッツラゴン」はやっぱり強烈で、
記憶の中で末期の「バカボン」と混濁していたりもするのだが、
どこかにあって読みふけっている。どこだ。

と回想し、母の実家(従姉妹の蔵書)か?と返信を結んでいる。って、なんの報告だかわからないものの。
先月にどかんと買って以来、なるべく本は買わないように努めていたが、会社の近くの本屋でつい、蓮實重彦『映画論講義』(東京大学出版会)を買う。「つい」というか、これはまあしょうがないよ。ほんとうに「つい」と呼ぶべきは、いっしょに買ってしまった吉川潮『月亭可朝の「ナニワ博打八景」金持たしたらあかん奴 』(竹書房)だ。面白そうだから困るよ。だいたい、帯の言葉がこうだ。

「オイチョカブで七千万いかれてますねん」

 そんな帯があるかよ。また、カバーの折り返しには本文からの抜粋が載っているが、それはこうしたものである。

「野球賭博はなんであきまへんのや」
 若い方の刑事が呆れ顔で答えた。
「暴力団の資金源になっとるからに決まってるやろ」
 そこで可朝は膝を叩いた。
「それやったら大丈夫ですわ。わし、トータルで勝ってますさかい、
暴力団の資金を吸い上げてるいうことですわ。
お上から表彰状もろうてもええんとちゃいまっか」

 「ええんとちゃいまっか」が可朝の声で響く。この人が桂米朝門下[※1]なわけだから、世間はわからない。まあ、吉川潮さんの本なので、そのへんの経緯からひもといて中身は見事な芸人伝となっているんだろう。

※1:「この人が桂米朝門下」

三代目・林家染丸に入門し、短期間で破門されたのち、米朝に再入門している。故人である一番弟子・米紫とほぼ同時期に入門した二番弟子で、所属事務所の違いや亭号の違い等からか(あるいは可朝だからか)米紫の死後も惣領弟子としては扱われないが、入門時期としては存命の弟子のなかでもっとも早い。前名は桂小米朝。

家には『落語研究会 古今亭志ん朝 全集 下』が届く。同梱の解説本には立川談志の「志ん朝のこと」という文章が収められていて、中身は例の、最晩年の志ん朝とのあいだに交わされたという会話の話(「志ん生になれよ」「そしたら兄[アニ]さん口上いってくれる?」「喜んで。だけど、もっと上手くなれよ」「うん」)。もはやおなじみとも言えるエピソードだが、やっぱりこれは泣けるわけで、そして、それに加えてこうあるのを読み、少し当時を思い出す。

余談だがネ。
円歌、志ん朝という二人会があり、志ん朝が体調不良の為欠席。
代演は俺だ。
「円歌が休みゃよかったろう」
場内爆笑鳴りやまず。

 そういえば、この二人会を観に行っているのだった。永澤とふたりで行ったと記憶している。あらかじめ「円歌・志ん朝」のチケットを取ってあったのではなく、直前、「志ん朝の代演に談志」という報を受けてから電話で問い合わせ、キャンセル待ちして取った。この「円歌・談志」の会はたしかそのとき複数回あって、そのうち東京でのそれは取れずに(あるいはそれに談志が代演したというニュースを聞いてからチケットを取ったか)、私が行ったのは千葉でのそれである。せっかくだからと、トリの円歌を聴かずに帰ったんじゃなかったか。当時書いた日記(2001年10月5日付)にはこう残っている。

▼知ったのは枕元まで運んだ夕刊。10月1日。古今亭志ん朝師がこの世を去る。
▼前日には、キャンセル待ちして取ったチケットを手に千葉まで行き、「圓歌・談志二人会」を聴いていた。お目当ては、志ん朝倒れて代演・談志、という歴史だった。
▼二日前には三省堂で『トランスクリティーク』を買っていた。柄谷行人に「戦後に備えろ」と言われた、その矢先。
▼この「戦後」には、志ん生がいない。

 「前日には」と書いているところからすると、この千葉の「円歌・談志」は9月30日の出来事になるわけだが、いや、そんなに劇的だったっけかと記憶ははなはだあやふやだ。きょう、10月1日は、志ん朝の祥月命日でもある。
「富久」を見て寝る。
といったわけで、十月だ。

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本日の参照画像
(2008年10月 2日 13:17)

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