/ 9 Feb. 2005 (Wed.) 「まとめ・京都の日々」
■いかがおすごしでしょうか。
■5日の土曜に映画『レイクサイドマーダーケース』を妻と観、翌日曜日には宮沢さんが審査委員長を務める「かながわ戯曲賞」の公開審査を聞きに横浜のSTスポットに足を運んだ。STスポットといえば『トーキョー/不在/ハムレット』の「実験公演」を行った場所だが驚いたのはその狭さで、いや、たしかにわれわれもここであれをやったのだが、こんなに狭かったっけというほど再訪したそこは狭かった。
■そして2月1日から会社に戻っている私はWebデザイナーとしての日常があり、忙しかったりそうでもなかったりする日々のなかでしかしなかなか日記を更新できずにいたことのひとつには、「会社で更新するんじゃない。そんなことをしているんだったらさっさと仕事を片づけてその分早く帰ってきなさい」と妻にこっぴどく叱られたことがあり、それで会社では更新作業をせず、しかし夜遅く家に帰ってくれば何かと取り紛れてしまうことが多いのだった。
■そうこうするうちに宮沢さんの「不在日記」は最終回を迎え、つづく「富士日記2」もずんずんと前へ進むかのようにして順調な更新ペースを恢復しつつあるなか、ひどくいまさらの感もあるのだったが、とはいえせっかく撮った写真もあり、途中まで書いた日記も残っていて、遅ればせながらここで京都公演の楽日(1/29)とその翌日(1/30)の京都の日々だけまとめさせてもらばそれは次のようなものだった。
○1/29(土)
□短い報告で済まさせてもらうが、一年間に及ぶ『トーキョー/不在/ハムレット』のオーラス、京都公演・楽日の舞台は午後3時に開演。1階席はほぼいっぱいのお客さんで、宮沢さんは2階席、私のななめうしろの席で観る。ということで、今日はカーテンコールに宮沢さんが出ることはない。2階席の映像ブースには映像出し用の機材としてハンディカムもあるので、やろうと思えばそれでうしろにいる宮沢さんを生中継し、スリットにでかでかと映写することも可能で、実際、開場直前に浅野君にも手伝ってもらいテストも行っておいたが、まあ、それはナシ。
□「この日を一年間待っていたのかも知れない」と日記に書く大阪在住の上山君夫妻が観に来てくれる。そしてさらには、トラムで2回観た上、呆れたことに京都までやって来てしまった都内在住の吉沼夫妻も来てくれた。私もまた前作『トーキョー・ボディ』を客として3回観たクチなのだが、それだけに、『トーキョー/不在/ハムレット』が「3回観る者の現れる」舞台になったということは単純にうれしい。
□終演後、すぐに宮沢さんと美邦さんは学内の別会場で行われるシンポジウムに出席するためそちらに移動するが、一方、役者・スタッフ陣は後片付けがあって劇場に残らねばならないのでそのシンポジウムを聞くことはできない。役者さんたちとわれわれ映像チームは今夜その後片付けの済んだ時点で現地解散という扱いになっていて、ほとんどが自分たちでとった宿にもう一泊するものの、なかには都合で帰る人もいて、全員揃っての打ち上げの場が用意されていないこともあり、シンポジウムを終えた宮沢さんが戻ってきた時点でいったん楽屋に集合、そこで宮沢さんの最後のお話を聞く。片付けに手間取ったわれわれが一番最後に楽屋に着くとすでに宮沢さんを含め「一年間のプロジェクトに付き合ってきた者ら」全員が揃っていたが、気がつくと、「贄田継司」役の片倉さんの髪がいつのまにか短くなっている。終演後すぐに近くの床屋に切りに行ったのだという。
□そのあと、「もう一泊」組の役者さんらが揃って予約したホテルに移動、荷物を置いたあと、河原町三条のあたりの店に入って打ち上げ。上山君夫妻と吉沼夫妻はシンポジウムまで聞いて、それから(吉沼が劇場近くにホテルをとっていたので)大学近辺で食事をしていたらしいが、それで吉沼と別れたあと、上山君夫妻にはこっちの打ち上げに合流してもらった。私はこの日、みんなと同じホテルではなく大阪の上山君宅に泊まらせてもらうことになっていて、1時間ほど打ち上げを楽しんだのち、上山君といっしょに店をあとにした。
■と、ここまで書いてすっかり時間切れ。翌30日の分は写真だけでお茶を濁すが、その日、われわれは金閣寺→龍安寺→清水寺と観光をした。写真(ハンディカムで撮ったムービーからのキャプチャだが)はすべて金閣寺でのもの。
○1/30(日)
■なお、この日清水寺で撮ったムービーのほうはブログのこちらの記事に載せたので、よろしければ見てください。