10
Oct.
2007
Yellow

最近のコメント

リンク

広告

/ 30 Oct. 2007 (Tue.) 「ひきつづき句会のこと」

28日に開かれた句会だが、合評の模様を採録した冊子は作るつもりでいる。そうして参加者の面々に配ろう。今回はほとんどが初参加の人たちなので、前回・前々回のときの冊子もいっしょに渡せればいいのではないかと思うが、むかし作ったものは全部配ってしまって手元に在庫がなく、そのデータがどこにあるかというのも探してみないとわからないことになっている。
DVテープに録画したものを確認し、音声ファイルに書き出す。ただ残念なことに、途中テープ交換をすっかり忘れていて、合評のうち「宵いまだ黒ぐろとねる秋なすび」の途中から、「はなくちとおるきんもくせい」までの分がないのだった。これらについては吉沼と協力し、記憶をもとにおおまかなところを再構成してしのごう。
録音されたものを聞いていてあらためて思うのは、俺、発言の途中の間(ま)が長いよ。ほんと長い。長年の友人など、よくこれに付き合ってくれているなあと、なんだかありがたい気分にさえなってくる。途中で言葉を切って、さんざん待たせた挙げ句けっきょくしゃべらないこともあって、嫌だよ、そんな奴はさ。それでいてしゃべっているときは早口気味だし、典型的に語尾の音量がすぼまるタイプだから、不親切な話し手であることこのうえない。と、いま反省してみても、きっと直らないんだろうけどね。
句会の創設メンバーのひとりで、今回は「句のみ参加」だった大竹君からはメールで、私の

 万感を胸にこれから風邪をひく

がよかったと褒めてもらった。合評のさいも、私の提出した句のなかではいちばん反応のよかったのがこれだ。まあ、「ポジティブな姿勢で詠まれる病の句」というところから出発してこれになったんだけど、作っていて気づいたのは、これ、「これから風邪をひく」シリーズとでもいうか、前の八文字を替えることでいくつでも出来るということだ。

 金髪の美女とこれから風邪をひく
 玄関の横でこれから風邪をひく
 八年も待ったこれから風邪をひく
 正体を明かしてこれから風邪をひく

 いまさら有季定型であるかどうかを気にするような句でもないけれど、「風邪」が入っていることで一応すでに冬の句として成立はしているから、前の八文字には何を入れても大丈夫だという安心感があるのもいい。ぽんぽんできるのだった。
ちょっと触れておきたいのは、合評でも同じ話題になったけど、「句のみ参加」の佐藤君(南波さんと同い年で、私の1コ上にあたるそうなんだけど、なぜだろうここはひとつ「君」でいきたいという気分なのだった)の作品群である。

 ふとんのそと りんごかじる音
 はなくちとおるきんもくせい
 おなかのすみのさなぎ

 はじめ私は、これが〈佐藤流〉とでも言うべきスタイルなのだと受けとめて「ほう」と思っていたんだけど、途中、句を預かってきてくれた南波さんが話したエピソードによって明らかとなったことがあり、つまりこれ、じつは「放哉かぶれ」ということらしいのだった。句会があるということを南波さんから聞いた佐藤君が、しかし「俳句ってぜんぜん知らないからなあ」と応えたときに、南波さんが貸したのが手元に一冊だけあった尾崎放哉の句集だった。で、佐藤君はそれを読み、「なるほどこれが俳句かあ」と得心したらしい。
とそこで、「いや、あのさ」と言いたくなるのは、佐藤君の句、それほど放哉っぽくもないんじゃないかということで、そりゃあたしかに「短い」ものの、リズム的な印象でしかないかもしれないけど、ストレートに「放哉かぶれ」と呼ぶには、佐藤君のなかでの放哉の受容がちょっと私とかとちがうのではないかと思えるのだった。良く言えば「解体」はさらに進んでいて、放哉よりももっと先の自由を手に入れているのかもしれない。やっぱり、〈佐藤流〉と呼ぶのがふさわしい何かがここにはあるように思える。一応、大人として、「ちがうと思うけどね、俳句って」とも言い添えておくけど。
あ、そうそう、リズム的な印象ということでいえば、より「放哉っぽい」のはたとえば大竹君のこれですね。

 旅に病んでタクで帰る

 笑ったなあ、これは。一応解説しておくと、松尾芭蕉の辞世(と意識して詠んだわけではないらしいけど、結果的に辞世になった句)、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」が下敷きになっている。あと、ついでに紹介しておくと、第一回のときの吉沼のこれが、放哉のパロディということでいえばすごく秀逸だった。

 車のシート豹柄になっている

 あはははは。

(2007年10月31日 22:36)

関連記事

/ 28 Oct. 2007 (Sun.) 「句会」

築地本願寺にて。

句会だった。会については追ってくわしく書くけれども、最後の句の合評が終わったとたん、どっと疲れが出たのだった。基本的にとても静かな会だし、私も、流れをつくるために意識的にしゃべっていた面はあるものの、しゃべり倒すなどというわけもなく、ごくごく普段どおりに過ごしてしまったとすら反省しているくらいだが、終わってみたら、ぐったりしてしまった。それで、だから、帰り路で南波さんから近況を聞いたときもひどくぼんやりしていた。別れてから、いまのはもっと喰い付いていろいろ聞き出すべき話題だったんじゃないかと思い返すような具合だ。へえー、あそうですか、南波さん。それはそれは。
ぼんやりしたのは、そのとき、帰ってからやらなければならない仕事のことが急に頭に呼び戻されて憂鬱になったということでもあって、なぜそれを片付けてしまってから句会に臨まなかったかといまさら思ってみたりする。で、余韻に浸るまもなく(といって、わりと浸ってたけど)、それらの仕事に追われていたわけで、ちょっと遅くなったが、いまこうしてやっとおとといの日記を書きはじめている。
というわけで句会だった。銀座のルノアールの会議室を借りて、午後一時から五時までやっていた。
いつも髪を切ってもらっている店が銀座にあり、立川に越して以来とくにそうだが、銀座というのもあまりちょくちょく来る場所ではないから、ついでにと、午前中にその床屋の予約を入れた。入れたところ、ずいぶん早い時間に銀座に来なければならないことになり、髪を切り終わってまだ十時半である。ひとまず有楽町まで歩いてビックカメラに寄る。句会の記録用に使うDVテープを買ったほかはけっきょく何も買わなかった。Leopardも買わず。ただ、けっこう時間はつぶした。それからその近くにあるメガネ屋(alan mikli)に行き、フレームの調整をしてもらう。その後、思い立って築地本願寺まで歩いてみようと考えたのはひどく天気がよかったからだ。正面の本堂に上がり、焼香の匂いのなかでしばらくぼんやりする。で、その近くで寿司を食った。腹いっぱいになって銀座にとってかえすと、もうほどよい時間である。
句会の参加者は私を入れて七人。主宰のひとりである大学同窓の吉沼と、その妻の彩子さん。同じく大学同窓だが、こないだのゼミ同窓会が卒業以来の再会だった加島さんは、数年前に自費出版ながら第一句集も出している人で、何年かぶりになるこのわれわれの句会をまたやってみようかという主宰者たちの気分を決定づけたいちばんのきっかけでもある。そしてご存知、南波さん。近頃幻冬舎にうつった編集者の竹村さん。こないだまでは放送大学でアナウンサーをしていたりもした北田さん。で、私。それからここに、「句のみ参加」のかたちで、吉沼の高校同級の大竹君(創設メンバーのひとり)と、私の高校同級の永澤、あと、南波さんが引っぱりこんでくれたらしい『ニュータウン入口』の「浩」役、佐藤君の三人の句が加わる。これらの面々が集まり、「句会」という器を借りて何をするのかと言えば、会の終了後、加島さんにあっさり指摘されたとおりで、「けっこうふつうの句会」である。
とりたてて突飛なことは何もないが、一応その「やり方」を説明しておくと、各自持ち寄った句(一枚に一句ずつ、短冊状の紙に適当な明朝フォントで印刷してきてもらう)を、そのテーマ(秋、朝食、病、自由詠)ごとに分けて回収し、いったん封筒のなかに入れる。そうして無作為に、封筒から一枚取り出したその句を正面のホワイトボードに貼り、はじめは誰の詠んだものかわからない状態で、取り囲んで座っている面々がああだろうかこうだろうかと思いついたことを言う。で、もういいかなとなったら、封筒から次の句を取り出し……というのをずっと繰り返す。

 以下、今回の投句一覧。

【朝食】
こまり顔でおまえ何を焼いている 相馬
ふとんのそと りんごかじる音 佐藤
真白い朝コーヒーのみ黒くて 吉沼(晴)
梨梨梨梨梨梨ヨーグルト 大竹
ねばねばの力まだまだとがんばる 吉沼(彩)
すき焼きが残った翌日の雑炊 北田
台風一過朝食のクロワッサン 加島

【秋】
赤に茶の木にあの山に葉が落ち 北田
秋燕の告げたる風の行方かな 加島
鐘鳴るやサモアの浜の栗拾い 吉沼(晴)
宵いまだ黒ぐろとねる秋なすび 相馬
沈黙の山まんじゅう囓る墓の前 南波
万灯の明りすいこむ夜の闇 吉沼(彩)
バス停に巣を張る蜘蛛とわれと待つ 大竹
はなくちとおるきんもくせい 佐藤

【自由】
ローファーの先ばかり見た檸檬のころ 竹村
それは雪ではない桜でもない 南波

【病】
父のもとへ走る君と冬の朝 竹村
あけぬ眼のわずかな動きに意志を聞き 永澤
青空がなだめてくれる検査の日 南波
おなかのすみのさなぎ 佐藤
旅に病んでタクで帰る 大竹
幸せかと問う弟花火のあと 竹村
なおしえぬ いのちのなみに ゆらぎつつ 永澤
万感を胸にこれから風邪をひく 相馬
紅葉且つ散る小康を疑はず 加島
鼻すすり子供のようにしかられる 吉沼(彩)
月に吠え陽へ病みこころしづかなり 吉沼(晴)

 句会のあいだはずっと音声録音用にハンディカムを回していて(カメラは固定でホワイトボードの句に向けてある)、前回・前々回はそこから文字を起こし、句と合評の様子を採録した冊子を作って、後日参加者に配ったりもした。またそれも作ろうかな。
もっと合評の様子を描写してこまかく報告するつもりだったが、前半余計なことをつるつると書いていたらもうだいぶ長くなってしまった。後日また書くかもしれない。いざとなったら作った冊子をPDFにして、まるまる載せてしまうという手もあるか。

本日の参照画像
(2007年10月30日 15:10)

関連記事

/ 26 Oct. 2007 (Fri.) 「Leopard発売とは関係がなく」

まだ終電ではないが、もうじき日付が変わるという中央線の各駅停車はそのときそれほど混むでもなくて、私は途中で席を得ていた。そのうち、私の隣と、反対側でそれと斜めに向かい合うぐらいの位置とに一人分ずつ空きができ、立ってしゃべっていた二人組の若者が分かれて一人ずつそこに座る。当然のごとくに二人は会話をつづけ、それが通路部分をはさんでお互い向かい側へと話しかけるからひどく声が大きい。それ、そんなに話したいハナシかよと思うと、ま、断片を聞くに共通のバイト先らしいラーメン屋で、いかに調理の効率を上げるかという話らしく、それを若々しく荒々しい口調で語り合っているのは、その、つい笑ってしまいそうになった。で、一人は私の隣である。ふつうに考えて、通路をはさんでいるという物理的な距離が単純に二人の声をでかくしているということはあるわけで、それでまあ、つい愉快になって立ち上がり、向かいに座っているほうにむかって「替わろうか?」と声をかけた。私の顔はそのとき、にこにこしていたと思う。で、席を替わり、二人は隣同士になったわけだが、七割方が予想したとおり、隣り合ってしゃべっても二人の声はでかいのだった。むしろ話しやすいからより弾んでいる。おっかしかったなあ。じゃ、明日はその作戦でいこうぜと、麺のゆで方についてらしい打ち合わせをしながら、二人は途中の駅で降りていった。

(2007年10月27日 15:19)

関連記事

/ 25 Oct. 2007 (Thu.) 「句会は間近/『不思議の国とアリス』サイトリニューアル」

兄が作る、3D-CG 中編アニメーション作品『不思議の国とアリス』、どうぞよろしく。サイトのデザインは私です。

ふと気づくと、例の「句会」はもう間近に迫っている。今週末である。たいして考えを深めていたわけでもなかった。大丈夫か、準備が足りなくはないかと不安になることしきりだ。会場はけっきょく、ここぞというところが見つかるでもなく、前から押さえてあったルノアールの会議室に落ち着いた。とりあえず、直前には多少余裕があるように自分の句をちゃっちゃと詠んでおく。ちゃっちゃと詠むとはいえ、それなりに苦心はする。なるべく「ああそうですか」ということにならぬようにと意識がはたらき、言葉を選ぶ。会の主眼は、どちらかといって句そのものにあるのではなく、合評という行為のほうにあって、いかにその場でセッションできるかということが少なくとも私にとってはほとんどの関心事である。ま、むずかしく考えてもろくなことはないし、つまるところ当日の体調によるとしか言えないだろう。
当日本人が来られないために事前に句だけを提出してもらうかたちの、「句のみ参加」の人が、今回はこれまでの二回よりも比率的に多い。〈ここにいない人〉で、かつ〈ぜんぜん知らない人〉の句というものを前に、どのように会が進行するのか興味深く、心配であるのと同時にわくわくもさせられる。
で、まったく残念なことに、友人の田村君から行けなくなってしまったと連絡がある。急な都合が出来たらしい。句が間に合えば、田村君もまた「句のみ参加」になる。で、はたと気づくわけだが、これで参加者のうち男子が私と吉沼の二人だけになってしまった。残りはみな女子である。しかもその二人の男子だけがこの集まりの経験者(主宰者でもあるけど)であり、女子は全員、今回はじめて声をかけた人たちなのであって、ここにも新たな局面が待ちかまえるのだった。
「句のみ参加」のひとり、永澤からはきのう、はやくも(?)句が送られてきた。テキストをくれればこっちで適当に印刷するよと言ったのだが、Illustratorのデータにまでしたものを送ってくれ、しかもそれが「CS3」のデータだった。持ってやがるのか「CS3」。永澤のくせに、とそこで少しばかり腹立たしい気分になるが、ま、それはいいとして、送られてきたのは「病」のテーマで二句。「申し訳ないですが,季無しです」とメールで断りが入れてあり、うちの会はべつに無季でも不定型でもかまわないからそれはいいんだけど、読んだ印象がさ、なんていうかな、世間ではふつうこれ、「川柳」と呼ぶんだと思う。あ、むろんうちの会は川柳も拒まないから大丈夫、心配ご無用。ていうか、句をありがとう、永澤。

25日・26日の両日(と、書いているいまはすでに終了している話ですが)、「東京コンテンツマーケット2007」という催しがあり、私の次兄、相馬彰が制作している3D-CGの中編アニメーション作品『不思議の国とアリス』もそれに出展していた。何度となくスケジュールを延ばし、ながらくお待たせしたが、いよいよ、もうじきそろそろ、完成するらしい。で、このコンテンツマーケットへの出展に機を合わせて、作品サイト(上記リンク)をリニューアルしたいと頼まれ、間際になってその作業をやっていたりした。
具体的には、一連のプロジェクトに沿ってごちゃごちゃとあったコンテンツを削ってすっきりさせ、とりあえず「予告編」と「制作日記ブログ」のみからなるサイトに構成しなおしてトップページのデザインも変える、という作業で、はじめ、デザインに用いる画像素材は予告編のムービーデータから適当に取ってくれという話だったから、どう処理したものかと考えていたけれど、思いのほかうまくまとまった。ま、一日で作ったにしてはちゃんとしているだろう。
デザインとは関係なく厄介だったのがブログで、まあ最初に設置したのも私なんだけど、これ、Movable Typeの「2.661」なのだった。設置した当時はまだバージョン3が出たばかりだったから、無料だということもあってバージョン2を使ったんだけれども、いや、もう、人は「便利」に慣れるものだな。バージョン2はいまやいろいろと不便なのだし、そもそもそのノウハウについていろいろと忘れてしまっている。これを機にブログソフトをWordPressに替え、過去の記事もそっくり移行するか、といったことも一瞬考えたけれど、さすがにいまその時間はない。ただ、(バージョンとはあまり関係ないが)過去の記事たちをまとめて書き替える「再構築」という作業に、やたら、鬼のように時間がかかるのはほんとうにちょっとどうかと思われ、それを改善するべく、いくつか策をほどこしたのだった。
などなど。

本日の参照画像
(2007年10月26日 23:23)

関連記事

/ 23 Oct. 2007 (Tue.) 「狙われない街」

こちらは「狙われた街」のメトロン星人。

あー、やっと終わった。長い期間に亘ったことの大半は私の怠惰によるのだが、これでひと区切りだ。最後の修正原稿をメールで送る。かたちになるのはまだもう少し、来年のアタマぐらいの話だろう。そのときにまた。
きのう(22日)は、プリセタの次回公演『モナコ』(前売りチケット絶賛発売中)の顔合わせがあり、夜、顔合わせのあとの飲み会にだけ途中から参加した。浅野(晋康)君にも会えるかと思っていたが、いなかった。早くに帰ってしまったのかな。

前回書いたように、「ウルトラマンマックス」(2005〜2006年)の第24話「狙われない街」をレンタルして見たのだった。言わずと知れた「ウルトラセブン」(1967〜1968年)の傑作「狙われた街」の、実相寺昭雄監督自身によるセルフパロディであり、続編的設定の話。同じ街(「北川町」)を舞台とし、「狙われた街」の40年後を描く今作で、メトロン星人(「2代目」でも「Jr.」でもなく「本人」。セブンに倒されたに見えた彼がじつは一命をとりとめ、その後ずっと潜伏して街の移り変わりを見てきたという設定)はついに、人類を「侵略する価値のないもの」と見かぎって、ウルトラマンとのしばしの対話ののち、ただ巨大化のみをして地球を去っていく。「真珠貝防衛指令」(「ウルトラマン」第14話)以来、首尾一貫して「ウルトラマンらしくないウルトラマン」を描いてきた監督の最終作は、ついにほんとうに「戦わない」、一方的な別れの話となって、呆気にとられたふうのウルトラマンはつい、つられるようにして手で「バイバイ」の仕種さえするのだった。
監督がすでに故人となり、結果的にこれが監督にとっての最後のウルトラ作品となったことがことさら見る者に感慨を起こさせるのだし、そこでたとえば「実相寺の、ウルトラマンへの遺言」としてこの作品を見ることは可能だが、しかし一点間違えてはならないことがあって、監督の姿を重ねるべきは、去っていったメトロン星人のほうではおそらくない。そうではなく、監督が自身にだぶらせているのはきっと、〈怪獣〉に去られ、呆気にとられてバイバイするウルトラマンのほうであるように思われるのだし(それほどまでに、バイバイするウルトラマンは素晴らしく〈子ども〉だった)、そしてだからこそ、夕日をバックに対峙するメトロン星人とウルトラマンの象徴的なカットをはじめ、「狙われた街」のさまざまなシーンを執拗に〈再現〉してみせつつ、それらがことごとく「狙われた街」よりも劣って見えるというそのこと自体が成功なのであり、この作品を成立させる要素なのだという透徹したかなしみが、ここにはある。
「狙われない街」はかなしい。そして、だから、そうした作品をしれっとした顔で撮ってしまう監督によって撮られたこの作品が、かなしいわけがない。ラストシーンでぶつっと裁ち切られたセリフ、「でも…」につづく唯一の希望はつまり、そうした「作ること」の姿勢のなかにこそあるのである。

本日の参照画像
(2007年10月24日 00:11)

関連記事

/ 21 Oct. 2007 (Sun.) 「手短に」

今日は手短にメモ程度。
20日は夜、戸田(昌宏)さんの出ている舞台、ペンギンプルペイルパイルズの『ゆらめき』を観る。感想は書けたらまたあとで。
なんだかんだ言っていたが結局見てしまったのは「ウルトラマンA」。DVDでいくつかの回を。あと、レンタルビデオ屋でウルトラシリーズの棚を物色していてはじめて知ったが「ウルトラマンマックス」という2005〜2006年放映のシリーズがあり、そのうちの2話分にまたもや実相寺昭雄監督が登板している。で、そのひとつがメトロン星人登場の「狙われない街」。言うまでもなく実相寺が演出した名作「狙われた街」(「ウルトラセブン」)のセルフパロディであり、続編的設定の話。と説明しているというのはつまり、借りてしまったよこれも。書けたらこれもまたあとで。
『cinra magazine』という季刊のフリーCDマガジンがあり、実物のCDマガジンは手にしていないからわからないが、どうやらWebサイト上でもほとんど(全部?)のコンテンツが閲覧できる様子。で、これを知ったのはついさっき、ぜんぜんちがう方面からのリンクでなのだけど、リンクを辿って驚いたことに、20日に発刊された最新号の「vol.15」には浅野(晋康)君のインタビューが載っているのだった(短い映像作品も入ってる)。まだ見てないんだけど、これもメモ代わりに。『cinra magazine』自体、面白そうな印象である。

(2007年10月22日 06:37)

関連記事

/ 18 Oct. 2007 (Thu.) 「エースのこと」

これが「A」。

打てば響くぞとばかりに永澤のブログが更新されていた。最近ネットの有料ストリーミングサービスで「ウルトラマンA(エース)」を見たらしく、そのことと私のきのうの日記とをシンクロニシティだと書いている。

ウルトラマンエースは,ちゃんと見たことがなかった.
第一話の変身シーンなんて,その突拍子のなさにびっくり.
怪奇大作戦がちゃんとしたドラマに思えてくる.

 しかし私はここで、できるかぎり「A」を擁護しよう。できるかぎりだ。
むろんいくつかの突出した作品はあって、たとえば第23話「逆転! ゾフィ只今参上」、第24話「見よ! 真夜中の大変身」はすごく面白い。ほとんど手放しで面白く、あるいはたんにわけがわからないと言ってもいいこの2作品は、「A」における〈ヘンな回〉担当であるところの真船禎が、演出のみならず脚本も担当していて充分に楽しませる(「ウルトラマン」「ウルトラセブン」における〈ヘンな回〉担当が実相寺昭雄である、という意味での〈ヘンな回〉。もう少し言葉を選べば「映像派」ということになるのかなこの人は。〈ズレた回〉でもいいのだけど、とにかく褒め言葉)。またべつのところでは、第40話「パンダを返して!」(演出:鈴木俊継)もよかった。監督の個性に引きずられ、なんとなく「セブン」ぽい画面に仕上がっているのがこの回だ。
といったいくつかの作品のことを置くとして、「A」一般の魅力を語るとすれば、ひとつは戦闘シーンになるだろうか。「A」の戦闘シーンの特徴を挙げるなら、まず、「A、すごく強い」ということがある、あたりまえだけど。そして何よりも、「A」の戦闘シーンにおいては、その「逆転の妙味」が語られるべきだろう。変身していきなり、Aは苦戦におちいる。おちいるように見える。というのは、いきなり苦戦ふうの音楽がかかるからだ。やがてカラータイマーが点滅し、そこでついに逆転だが、そのタイミングはこのようにして来る。
 音楽が変わる。
 もう大丈夫だ。A、圧勝である。
あと、これは「A」にかぎらないが、円谷プロにおいてはもちろんミニチュアセットの魅力というものがあり、さらに誤解を恐れず言葉にするなら、「それ、あきらかに縮尺がちがうだろう」ということが魅力のひとつをなしている。ウルトラマンはでかい。ときおり、ものすごくでかい。ぜったい今お前「身長40メートル」じゃないだろうというその「でかさ」が、じつに単純に、シリーズそのもののリアリティを支えていると言っても過言ではないのだが、これは「タロウ」だったか「レオ」だったか、後期ウルトラにおいてはその戦闘シーンでのミニチュアワークにさらに別ベクトルへの加速がつき、たとえば市街地でナントカ星人と戦っているときに、ウルトラマンとナントカ星人とががんがんに走ったりする。で、どこまで行ってもミニチュアが作ってある。カメラはむろん、低い目線でウルトラマンの「でかい」足を追う。どこまでも街がつづく。それが愉快だ。
じゃあ、「A」はどうだったかというと、記憶では「ひとところで戦っている」というイメージだ。かなり広いステージ上にビル群のセットが建てられ、その中央に、ちょっと不自然に「戦う場所」が空いている。そこで思う存分戦うのだ。
擁護していないんじゃないかと思われるかもしれない。擁護していないのかもしれない。しかし私は擁護したいと思うのだ。なにせもう十年近く前に、「帰ってきたウルトラマン」から「ウルトラマンレオ」までをずっととおして、ビデオを二本ぐらいずつ借りてきては見ていたそのときの記憶がたよりだから、記憶だけで書いていたらこんなになってしまった。きちんといまの言葉で褒めるには、またもう一度全話見なければだめだろう。それはいやだよ。でも、真船禎の23話と24話はちょっとまた見たいな。

本日の参照画像
(2007年10月20日 15:43)

関連記事

/ 17 Oct. 2007 (Wed.) 「あ、そうそう」

庭の花。名前は失念したと妻は言う(撮影も)。

これはセージだと妻の説明(撮影も)。

先日来、いまさらだが気づかされることがあり、それはこうした日記を書くにあたって、「あ、そうそう」はとても便利だということだ。「で」というのももちろん重宝するが、だからといってそう幾度も繰り返して使うわけにはいかない。段落がふたつぐらいつづけて「で、」ではじまるというのも、ときおり出会うぶんにはその「何も考えていない」感じが好ましいけれど、あまり目に付くのはどうかとも思われ、そこで、そこに変化を付けるという意味でも便利なのが「あ、そうそう」である。
「で」に関して言うと、言うまでもないけど同様の接続詞に「そして」があり、小学生の作文や読書感想文などでおちいりがちなのが、よく知られるように「『そして』が多い」という事態である。たとえば、行を改めるごとに「そして」と書いてしまう。自分のことを思い出してみても、やはりそれはあった。書いている途中でふと、あることに気がつく。ちょっと手をとめて原稿用紙の全体に目をやり、やっぱりそうだと知って愕然とする。なかにはつい口に出してしまう者もいて、ある者はこうつぶやく。
 「ぜんぶ『そして』だ」。
 全部はまずいだろう。ここを読んでいる小学生がいるとは思えないが、ひとつここでまともなアドバイスを書いておけば、「『そして』が多い」におちいった場合には単純な解決策がある。それらの「そして」はみな、どれもこれも「要らない」のである。「そして」を全部取っ払っても、たいていは文章がつながっていると思ってまちがいない。
って、なんてまともな、適用範囲のせまいアドバイスなんだ。つい、つるつると書いてしまったのがいけないといま反省している。
文章のアドバイスといえば、友人の永澤のブログはあれ以来ぱたりと更新がないな。忙しいのだろうし、これが毎度のペースといえばそうだけど、「文章がうまくなりたい」というのならもっとがんがん書けばいいと思うのだ。がんがん書いたところで文章がうまくなるなんてことはないのだから、安心してがんがん書けばいい。そうだよな、うまくなんかならないよな俺、と腹を決めて、その上でがんがん書こうじゃないか。
「Red」のわりと初期のころのコンテンツである、「スーパーマンレッセブン」を読み返していたりした。すげえな。時間あったんだな俺と思う。円谷プロの「ウルトラシリーズ」に材を借り、ウルトラ52番目の兄弟という設定(読み返して思い出した)で登場する巨大変身ヒーロー・スーパーマンレッセブンの活躍を描くこれは、つまり気分としてはオマージュに近いものである。1997年の末に一気に作り、長い中断を経て再開した2001年で更新が止まっている全11話のうち、「第1話」「第3話」「第9話」の3つがまともなシナリオ形式のもの、残りが「あらすじ」のみで構成されているのだが、そのシナリオのちゃんとしていることといったらない。たしか、その記法は、金城哲夫(「ウルトラマン」「ウルトラセブン」等、シリーズ初期の主要作家のひとり)のじっさいのシナリオから学び、真似したものだったはずで、しかしそれにしてもすごく丁寧に作っている。好きだったんだなあ、ウルトラシリーズがとしか言いようがない。
読み返すうち、またこれ、ちょっと新しいのを書いてみようかなと気まぐれに思ってみたりもする。まあ、「あらすじ」ならいくらでも作れるだろう。問題はシナリオ形式のほうだよ。かなりな情熱がいる作業だ。「シナリオへの情熱」ではなく、「ウルトラへの情熱」がいる。また「Q(=ウルトラQ)」から「レオ(=ウルトラマンレオ)」までビデオで見返すところからはじまるのか。いやだなあ。あいだをとって「A(=ウルトラマンA[エース])」だけ見るのではだめか。

本日の参照画像
(2007年10月19日 02:49)

関連記事

/ 16 Oct. 2007 (Tue.) 「後安さんのこと」

眠たそうな表情の「ピー」(撮影は妻)。きのうの写真の毛は、これの腰に付いていた。

驚いたことに、14日のシンポジウムにパネリストのひとりとして登壇されていた後安美紀さん(「後安」は「ゴアン」と読ませます)から、コメント欄に書き込みをもらった。まさか後安さんがここを読んでくれているとは思わなかった。後安さんは「生態心理学」という分野を専門とする研究者で、具体的には演劇の舞台稽古をフィールドワークの対象とし、そこでの俳優や演出家の行為を取り上げるという作業をされてきた方である。そうした立場から平田オリザさんや太田省吾さんの現場に関わってこられた。という紹介の仕方でいいのかどうなのか、なにせ懇親会には出なかったこともあり、壇上にいる後安さんをこちらが一方的に見知っているというだけのことで詳しいことはよくわからないのだったが、しかしなにより「後安さん」という響きがいいじゃないか。ついつい口に出したくなる。ときにはゆっくりと、噛みしめるように言ってみるのも楽しい。後安さん。なにかこう、気持ちが落ち着くようでもある。
とかやっているといいかげん怒られると思うので、話を戻すけど、後安さんからのコメントにはたとえばこうあって、私を楽しい気分にさせる。

相馬さんのブログを楽しみに拝見しております。「ニュータウン入口」について示唆的なコメントを寄せておられ、我が家でも、相馬さんはあのように発言されていたがどう思うかなど、お会いしたこともないのに「相馬さん」という固有名をもった人格がすでに夫婦の会話のなかで形成されています。

 あはははは。いや、べつに笑うところじゃないというか、まったくありがたい話なんだけど、「相馬さんはあのように発言されていたがどう思うか」ってのはすごいな。笑ってしまった。そうですか、そんなことになってましたか。いやほんと、ありがたいというか、とくに後段にある「お会いしたこともないのに『相馬さん』という固有名をもった人格がすでに夫婦の会話のなかで形成され」るというその事態は、この「Yellow」の文章をとおして、私があわよくばと目論んでいることそのものでもあり、もしほんとうにそうしたことが起こっているのだとすれば、ただ単純にうれしい。それでこそのバーチャル、それでこそのウェブだ。
で、そのコメントで案内されていた後安さんの(というかご家族の)サイトへ行き、そのなかにある後安さんの日記(なにせコーナータイトルが「料理メモ」なのでサイトトップから辿るとわかりにくいのだが、これが日記を兼ねている。「Yellow」の私だって人のこたあ言えないが)も読んだ。で、いろいろあったのだが、笑ってしまったのは10月4日付の日記にあるこの箇所だ。

今日から新規雇用者が入られた。同世代の主婦の方で、親の目から見て小学校はどんなとこかなど、たくさんお話を聞かせてもらえそうでうれしい。太田省吾さんの稽古場の書き起こしをしてもらうことになっている。今日は手始めに『水の駅3』の本番のビデオを見ていただこうと思っていたが、誤って『砂の駅』のテレビ録画を流してしまった。1時間ほどして誤りに気付いた。無言劇、恐るべし。

 まあたぶん、ビデオをスタートさせてすぐその場を離れ、後安さんは別のことをしていたという話なのだと思うが、「無言劇、恐るべし」っていうのがね、なんだか笑ってしまった。
ところで、日記をつらつらと読むかぎりだが、後安さんは「中島みゆきファン」なのだろうか。要所々々で歌詞の引用などが出てくる。なかでも、大学組織への抗いのなかで疲弊する旦那さんへの愛を力強く記した次のくだりは、とてもいいが、しかしもうよくわからないことになっているのだった。

私は小器用で頭のいい人よりも「ど阿呆の変人」に人間として信頼をおいているので、夫の生き方を支持するし、そばにいたいと思う。きっと波乱万丈で飽きない人生になるだろう。もし大学をクビになったら、金八先生で加藤が逮捕されたシーンを想起しながら、中島みゆきの「世情」を歌ってあげるよ。

 ま、だいたいわかりますけどね、だいたい。
しまったな、後安さんでもってずいぶん書いてしまった。ほんとうは、「亀田家問題」についてたずねられたアントニオ猪木のコメントというのが面白かったので紹介しようと思っていたのだが、後安さんにつづけてソレというのもな。
あ、そうそう、宮沢(章夫)さんが書いている「富士日記 2.1」10月16日付)「HFN」の話だけど、ちなみにこれは「Hacking for New Trip」の頭文字。今回とほとんど同じようなことを、2003年5月26日、28日の「富士日記」でも書いているのでそちらを参照するとより詳しいことがわかります。当時はまだ新たなユーザーによるサイトが開かれておらず、アクセスすると「Not Found」になる状態だったときの話。あと「sevens.org」というのもあったはずだが、これもいまはドメインが切れてよその管理下にある。ページのデータはおそらくマシンに残っているのだろうから、だとすればぜひもう一度読めるようにしてもらいたいところではある。あ、うちのサーバ領域使いますか、宮沢さん?

本日の参照画像
(2007年10月17日 15:38)

関連記事