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Dec.
2011
Yellow

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/ 25 Dec. 2011 (Sun.) 「10年後ぐらいの志ん公で」

2011年、落語の聞き納めは鈴本早朝寄席。毎週日曜に鈴本演芸場で開催されている二ツ目の勉強会で、朝10時スタート。がらがらなのかと思いきや、100人はゆうに入っていた。上野おそるべし。最前列に座る。お目当ては古今亭志ん公。
林家ぼたん「シンデレラ伝説」、古今亭志ん公「ろくろ首」、橘家文左衛門「居残り佐平次」、柳家喬の字「禁酒番屋」、柳亭市楽「やかん」。
前述のとおりで本来は二ツ目のみが出演するのだが、志ん公が終わったところでいったんめくりがしまわれ、予定にない文左衛門が登場。「きょうは女郎買いの話を」とだけことわって「居残り佐平次」へ。あとに上がった市楽の説明によれば、このあとじぶんの会で「居残り佐平次」をネタ下ろしするらしく、ちょっとその前に浚わせてくれと突然やってきたらしい。文左衛門を見るのはことによると「平成名物TVヨタロー」(TBSの深夜番組、当時文左衛門は二ツ目で「文吾」)以来かもしれない。勝っつぁんをヨイショするところまで演って、「『居残り佐平次』の序でございます」と途中でサゲた。
志ん公「ろくろ首」はまあ、特筆するような出来ではなかった。とはいえ、贔屓としてはやはり一年を志ん公で締められたことがなによりであり、さらにわたしは来年、「行ける志ん公にはぜんぶ行く」ぐらいの意気込みでもってこのひとを追いかけようと考えている。夢想するのは10年後だ。志ん公で、とびきりの「柳田格之進」が聞けたらなあと思うのである。

きょうのひとこと

あの道灌ころんじゃった。(5代目古今亭志ん生「道灌」)

本日(25日)の電力自給率:33.1%(発電量:10.3kWh/消費量:31.1kWh)

(2012年1月10日 20:27)

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/ 23 Dec. 2011 (Fri.) 「志らくの芝浜/『幕末太陽傳』/馬太夫一門会(仮)」

充実した一日とはこのことだ。
よみうりホールで 13時半から「今年最後の立川志らく独演会」。志らく「富久」、「芝浜」。なんとも乱暴な「大ネタ二席」だが、これはもとより(談志がなくなる以前から)ネタ出しされていたものらしい。11月13日に談春の独演会を観た翌日、こりゃあやっぱり志らくも観ておかないとなあということでこの会を見つけ、ネタ出しのことは知らずに予約、4日に石原(裕也)君とルノアールでしゃべったときにこの会に行くことを言うと、「いいなあ、『芝浜』演るんでしょ?」と逆に石原君に言われて、「え、そうなの?」と応えたのだった。当日パンフレットにあった志らく自身による説明を引けば、

 まさかこのような事態になるとは想像していなかった。年末、師匠が「芝浜」を演ずる事が出来ない状態であることはわかっていた。だからサンリビ[=サンケイリビング新聞社/引用者註]さんからオファーをいただいた時点で「芝浜」をやろうと決断した。(略)チケットは発売してすぐに800枚売れ、あともう一息で満席になるから、ツイッターで宣伝してくれと主催者から言われていた。それが亡くなった途端に一瞬にしてソウルドアウト。Yahooオークション、談志がいうところの現代のダフ屋においてこのチケットが数万円で売買されていると聞く。

とのこと。
この状況で前座が出てきて何かしゃべっても誰も聴いちゃあいないだろうという判断で、幕が上がると板付きで志らく。高座に座って頭を下げている。会場は割れんばかりの長い長い拍手。収まる気配がないので志らくがそれを手で収めて開口一番、「期待しすぎです」。
マクラの雑談でしみじみいいなあと思ったのは、「立川流は〈流れ解散〉」という言葉だ。じっさいに立川流がどうなるかはべつとして、これぞ噺家のセンスだろう。
「芝浜」、よかった。志らくをつうじて談志の「芝浜」に思いを馳せたいと欲望する層も(おそらく、ある程度には)納得させつつ、そこを踏み越えて〈イリュージョン芝浜〉の片鱗も見せた。流麗で調ったうまさでいえばいま軍配は談春に上がるのだろうが、端的に〈談志っぽい〉のは志らくだ。談春はきっと、立川談春というまたべつの名人になるだろう。談志についてまわるふたつのキーワードを使うなら、広く一般にも受け入れられたように見える〈業の肯定〉を後継するのが談春であり、比較して浸透しているとは言いがたく、談志自身もその可能性を突き詰めてはいない印象のある〈イリュージョン〉を後継するのが志らくになるのだろうと思え、〈談志的なるもの〉と、〈談志のその先にあったかもしれないもの〉とを追いかけて足を運ぶなら、それは志らくのほうになるんじゃないかとわたしには直感された。そう、まったく、いっぺん聴いただけで何を言ってやがんでえって話である。
「マクラの感じ」が似てるんだよな。意味の半分は伝えつつ、半分は自己了解のみで先に走るようなフレーズの繰り返し──きょうで言えば、「芝浜」を演り終えたあとの雑感吐露のなかで何度も口にし、そればっかり言ってる印象もあった「俺がそう決めちゃったってだけですから」がとにかく談志を思わせた。あとまあ、それこそ「存在としての談志」を継ぐとなれば、どうしたってその要素のひとつには「政治的正しくなさ」があるわけで、それもまた談春よりは志らくのほうがちかい危うさをたたえてるってことがある。
と、何やら冷静なことを書いているわけだが、きょうはまず、ここで一回泣かされたのだった。

有楽町から新宿に移動。4日付の日記に「やるかも」と書いた、近藤(久志)君と石原(裕也)君、わたしによる、遊園地再生事業団の近年の公演で映像オペ担当になった演出助手三代が集まる会だ。くわえてゲストには、近藤君が会いたがっているらしいということで牛尾(千聖)さんを迎える。テアトル新宿で本日ロードショー初日の『幕末太陽傳』デジタル修復版を堪能したあと、近藤君の案内で歌舞伎町のごく安い居酒屋へ行き、そこで食事をする。
言わずもがな、『幕末太陽傳』はじつにすばらしかった。「これ、こんなに面白かったですっけ?」とひさしぶりに見たらしい石原君がかなり衝撃を受けているほか、みな相当な余韻に浸ったまま居酒屋へ。毎回そこで泣いている気もするのだが、「十年経てば時代だって変わるぜ」と佐平次(フランキー堺)に言われて女中おひさ(芦川いづみ)が言う、「時代が変わったら、アタシだって変わるかもしれないわ」にわたしはまんまと泣く。
食事もたのしかった。ずいぶんとしゃべった。予告編上映で流れていた『ドットハック セカイの向こうに』(伊藤和典脚本の3DCGアニメーション)に石原君出てなかった?(やっぱり肌きれいだから 3DCGのなかに混じっても違和感ないよね)という話にはじまって、牛尾さんはかなり「女子力」が高いという話、来るクリスマスに石原君はいったい何をカノジョにプレゼントしたらいいのかという話など、あとは忘れたが、まあ、終電ちかくまでたっぷり話したのだった。
ところでその、「映像オペ担当になった演出助手三代の会」といちいち律儀に呼ぶのも長ったらしいので何か適当に命名できないかということになり、それでいま、まだあくまで仮称だが、「馬太夫(ばたいゆ)一門会」という呼び名が提案されているのは石原君がこの日、ちくま新書の『バタイユ入門』をもっていたからだ。
「入門するんだ?」
「そうなんですよ」
「バタイユ師匠?」
「金原亭か」
「また渋いところを選んだね」
「あの芸にあこがれまして」
「でも厳しいらしいよ、馬太夫師匠んとこは」
「ええ、そう聞きます」
と三人で道々。

きょうのひとこと

そうだ夢だよ。おれ腕がシャーって伸びたもん。(立川志らく「芝浜」)

本日(23日)の電力自給率:27.6%(発電量:8.9kWh/消費量:32.2kWh)

(2012年1月 9日 15:50)

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/ 21 Dec. 2011 (Wed.) 「小三治を聴きに」

大容量バッテリーを装着した Pocket WiFi 。分厚い。

夜、銀座ブロッサムで柳家小三治独演会。笠木(泉)さん、(鈴木)謙一さんと観る。
柳家〆治「池田大助」、柳家小三治「道灌」、「宿屋の富」。
〆治は奉行を大岡越前守とし、のちに出世する子どもの名を池田大助としていたから、これは「池田大助」という演題になる。話自体は「佐々木政談」とまったく同じだが、「佐々木政談」のほうは奉行が佐々木信濃守。もとは上方落語(「佐々木裁き」)で、そこでの佐々木信濃守は大坂西町奉行とされるのだが、それを、かれの江戸南町奉行時代(史実における佐々木信濃守は大坂東町奉行、江戸北町奉行、江戸南町奉行を歴任している)の話だとして江戸落語に移植したのが(6代目三遊亭)圓生、圓生にこれを教わったという先代(3代目三遊亭)金馬がさらに奉行をよりメジャーな大岡越前守に変え、「池田大助」として演じたという。たとえば志ん朝などは「佐々木政談」のほうを演っている。──というのは、〈いま、落語に貪欲〉らしい笠木さんにむけた解説。
まったく驚くべきこと(でもないの)だが、チケットを予約した折りの日記でわたしは「道灌」を予言していた。

いや、あれだな、一年の締めくくりに小三治の「道灌」というのもいいな。
web-conte.com | Yellow | 2011年11月15日「抜糸は130円」

というそれはまあ冗談として書いたようなものだったけれど、ともあれ小三治の「道灌」はほんと、いいのだ。いっそ「大ネタ」と呼びたいくらいであって、柳派の滑稽話というものがいかに成り立っているのかを目の当たりにさせてくれる絶品である──もちろん、「こうできているのだ」というのを見せつけられるだけで、それが「どうできているのか」は皆目わからないのだけど。言わずとしれた前座噺で、小三治自身が語るところでは、師匠の(5代目柳家)小さんに最初に習った噺が「道灌」だという(小三治だけでなく、小さんの弟子はみな最初に「道灌」を教わったともいう)。くわえて小三治も言うように、なんとも〈つまらない〉噺なのである。こと前半は、「まあまあお上がり」「どうもご馳走様です」「なんだい」「まんまお上がりって」「まんまじゃないよ、まあまあお上がり」といったような言葉の取り違いによるシャレだけで進行するから、これを「ギャグ」だと捉えて演るとまったく目も当てられないことになる。そうではなく、あくまでも「会話」として成立させなければならない(とは、素人考えでなんとなく了解している)。成立させられればそこに〈落語〉がたちあがり、たちあがれば、傘を借りにきた相手へのいかした断り方を教わった(と、相手の話を一方的に解釈した)男がさっそくそれをやってみようと家に帰って待ち構えるが、やってきた友人は意に反して提灯を貸してくれと言ってくる、というそのまったく何でもないクライマックスがまさに噺のクライマックスとして機能する。と、言葉で説明するのはたやすいが、そこはそれ、当代の第一人者ならではの技なのだった(ちなみに、「鈴本演芸場の正月初席でトリをとる」というのが伝統的に東京落語の第一人者の証とされていて、小三治は1991年にその任を当時まだ現役だった小さんから禅譲され、以降今日まで務めている)
馬喰町の話をはじめたならこれはもうたいがい(?)「宿屋の富」だが、慣れ親しんでいる古今亭系のそれとはやや印象のことなる柳家系の「宿屋の富」。というか、系譜──これも上方ダネで、もとはあちらでいう「高津の富」。それを 3代目(柳家)小さんが江戸落語に移植したとされる──からすればおそらくこっちのほうが正統になるのだろう、宿の客は田舎者と設定されていてはっきり東北系の訛りを口にし、また、噺前半のほら話がはじまるまでにすでに客は二十日間の長逗留をしている(宿賃の催促をしに二階へ上がってきた主人をやり過ごすために大ぼらをふく)。いっぽう、(古今亭)志ん生や志ん朝の演じる客は訛らず、ほら話も宿泊当初にじぶんからはじめるかっこうである。訛らないことにかんしては、こと志ん生の場合、たんに「ていねいに訛らせることをしていない」だけのようにも聞こえるから、〈江戸者の設定〉と言うよりか〈設定なし〉と言うほうがちかいのかもしれない。あと、小三治版(小さん版)では後半、富くじ会場にごったがえす有象無象の会話(「身請けするか、うどん食って寝るか」等の部分)がない。オリジナルの「高津の富」にはちゃんとこの境内の喧噪が含まれており、これ、言われてみればじつに上方落語っぽい〈二場面構成〉になっているわけだが、3代目小さんはこれを削り、志ん生はそのまま取り入れた。「人間、いざとなったら逃げりゃいい」という主人公の人生哲学(?)が鮮明に語られる小三治版「宿屋の富」ではその人生哲学こそが軸に据えられ、主人公が田舎者である(=非江戸者である)ことの意味がより先鋭化されて、江戸っ子を叱咤するかれのセリフがとにかく、この暮れにせいいっぱい響くのだった(小さん所演の音源をCDで確認したところ、「しっかりしろォ、おめえら江戸っ子でねえか」というセリフはあるものの、それはごくあっさりと口にされている)
終演後、三人でご飯。とんかつ屋(店名忘れた──と書いたところ、笠木さんより「とん美」だとメッセージあり)でいいしばらく落語の話をしていた。

15日(木)

矮星(わいせい)終焉(しゅうえん)真雁(まがん)(ねぐら)()り   石母田星人

 読み仮名はたぶんこれであってるはず。句中の語にかんする詳細についてはこちらのコラム(書き手は知人である)にゆずるとして、まあちょっと、やられたなという恰好よさだ。ここはひとつ五七五に乗せずに、「矮星の終焉」「真雁塒入り」とまっぷたつに割って読んでから、そののち割らずに、ひと息に呑み込んで味わいたい。
 イー・モバイルから Pocket WiFi (GP01) 用の大容量バッテリーが届く。契約時(3月)のキャンペーンで「もれなくプレゼント」と謳われていたもので、震災があって生産が遅れ、その後ずっと音沙汰がなかったそれが不意に届いた。[電力自給率:36.7%(発電量:11.5kWh/消費量:31.3kWh)]

16日(金)

 14日付の「このなんだか青いひと」を更新。「 @tak_kamerad さんについての情報を求む」と勝手なことを書いたところ、さほど時間を置かず、佐藤澪さんからコメント欄に投稿があった。佐藤さんのコメントには画像が添付されているのだが、モバイル端末用のブラウザではその画像が(使っている Disqus というコメントシステムの仕様により)表示されないから、テキスト部分だけを読み、要領を得ないコメントだと思われたかたがあるかもしれない。で、佐藤さんが送ってくれた画像というのはこれ。

その人は、青い人。

 これを書いてくれた佐藤さんもまたネットをつうじた知り合いで、じかにお会いしたことはまだない。まあ、いずれお会いできればと思うのだ。以前はたしか吉祥寺らへんに住んでいるようなことをブログで読んだが、いまはどこなのだろう。
 ほか、なんだかやたらとツイッターでメンションを飛ばした一日。
 夜、ごくごく私的な時間(若者たちによる、とある忘年会)が垂れ流されるだけの Ustream 配信をいいしばらく見ていたのだった。[電力自給率:26.0%(発電量:10.3kWh/消費量:39.5kWh)]

17日(土)

 夜、中野サンプラザでムーンライダーズのライブ。「進化したらまた会いましょう」とは(鈴木)慶一さん。[電力自給率:36.0%(発電量:12.6kWh/消費量:35.0kWh)]

18日(日)

 歯痛のためにいろいろと予定が狂う。「朗読者たち vol.2」も行けず。
 「wild90」という、児玉(悟之)君たちのやっている Tumblr サイトに上がっていたもきちの写真を妻が見、「きゃー、もきちー」「かわいいー」と興奮する。これまで、ともに長毛種であるところのもきち(いまさらの註で申し訳ないが、京都の児玉君宅で飼われている猫のことである)とピー(うちの猫である)とを無反省にイメージのなかでつなげ、両者をどこか「似たもの」として、パラレルな関係のなかで認識してきたわれわれ夫婦の、その蒙昧が啓かれるときがついに来てしまったというのはつまり、もきちの顔をアップに捉えたその写真をあらためて見、そうしてピーを見るとぜんぜん似ていないからだ。「おまえ似ってねー」と妻は連呼する。

もきちとピー

 左がもきち。右の、あきらかに田舎出と思われるほうがピーである。
 ぜんぜんちがう。
 「あれ? あれれれ?」と夫はその事実に狼狽し、「ぷぷぷ。似てねーでやんのー」と妻はピーを指差して笑う。そうしてピーだけは事態を把握できずに、じぶんは憧れの(しかしまだ見ぬ)もきち先輩に似ているのだという思いを胸に抱えたまま、罪のない眼差しをこちらに向けるのだった。[電力自給率:34.1%(発電量:12.3kWh/消費量:36.0kWh)]

19日(月)

 抜糸のため歯医者へ。
 抜いた親不知のとなりの歯の、これまで親不知が当たっていた部分が虫歯化していることはすでにあきらかになっており、あるいはきのうの歯痛はそこが痛み出したものかとも思われたけれど、かかりつけ医の反応をみるにどうもそういうことでもない(となりの歯の虫歯はさほど緊急性が高いわけでもない)らしく、やはりたんに抜いた箇所の痛みがしぶとく継続しているだけのようでもある。この日は夜まで痛み止めを控えてみたものの、ものすごく痛くなるというのでもなかった。
 そうはいってもついつい集中力をもっていかれるから、夜になって痛み止めを一錠飲む。飲めば、痛み止めは覿面に効くのだった。
 会社泊。[電力自給率:32.3%(発電量:11.5kWh/消費量:35.5kWh)]

20日(火)

 仕事、とことさらに書くのもなんだが、仕事。夕方ひと段落したところで金正日の訃報を知るも、それ、きのうのニュースだったらしい。「埋火」のチケットを取ってあったが行けず。[電力自給率:35.0%(発電量:12.3kWh/消費量:35.1kWh)]

きょうのひとこと

なんだよ、みんな江戸っ子じゃねえか!(10代目柳家小三治「宿屋の富」)

本日(21日)の電力自給率:26.6%(発電量:8.3kWh/消費量:31.1kWh)

本日の参照画像
(2012年1月 8日 02:56)

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