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Oct.
2007
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/ 18 Oct. 2007 (Thu.) 「エースのこと」

これが「A」。

打てば響くぞとばかりに永澤のブログが更新されていた。最近ネットの有料ストリーミングサービスで「ウルトラマンA(エース)」を見たらしく、そのことと私のきのうの日記とをシンクロニシティだと書いている。

ウルトラマンエースは,ちゃんと見たことがなかった.
第一話の変身シーンなんて,その突拍子のなさにびっくり.
怪奇大作戦がちゃんとしたドラマに思えてくる.

 しかし私はここで、できるかぎり「A」を擁護しよう。できるかぎりだ。
むろんいくつかの突出した作品はあって、たとえば第23話「逆転! ゾフィ只今参上」、第24話「見よ! 真夜中の大変身」はすごく面白い。ほとんど手放しで面白く、あるいはたんにわけがわからないと言ってもいいこの2作品は、「A」における〈ヘンな回〉担当であるところの真船禎が、演出のみならず脚本も担当していて充分に楽しませる(「ウルトラマン」「ウルトラセブン」における〈ヘンな回〉担当が実相寺昭雄である、という意味での〈ヘンな回〉。もう少し言葉を選べば「映像派」ということになるのかなこの人は。〈ズレた回〉でもいいのだけど、とにかく褒め言葉)。またべつのところでは、第40話「パンダを返して!」(演出:鈴木俊継)もよかった。監督の個性に引きずられ、なんとなく「セブン」ぽい画面に仕上がっているのがこの回だ。
といったいくつかの作品のことを置くとして、「A」一般の魅力を語るとすれば、ひとつは戦闘シーンになるだろうか。「A」の戦闘シーンの特徴を挙げるなら、まず、「A、すごく強い」ということがある、あたりまえだけど。そして何よりも、「A」の戦闘シーンにおいては、その「逆転の妙味」が語られるべきだろう。変身していきなり、Aは苦戦におちいる。おちいるように見える。というのは、いきなり苦戦ふうの音楽がかかるからだ。やがてカラータイマーが点滅し、そこでついに逆転だが、そのタイミングはこのようにして来る。
 音楽が変わる。
 もう大丈夫だ。A、圧勝である。
あと、これは「A」にかぎらないが、円谷プロにおいてはもちろんミニチュアセットの魅力というものがあり、さらに誤解を恐れず言葉にするなら、「それ、あきらかに縮尺がちがうだろう」ということが魅力のひとつをなしている。ウルトラマンはでかい。ときおり、ものすごくでかい。ぜったい今お前「身長40メートル」じゃないだろうというその「でかさ」が、じつに単純に、シリーズそのもののリアリティを支えていると言っても過言ではないのだが、これは「タロウ」だったか「レオ」だったか、後期ウルトラにおいてはその戦闘シーンでのミニチュアワークにさらに別ベクトルへの加速がつき、たとえば市街地でナントカ星人と戦っているときに、ウルトラマンとナントカ星人とががんがんに走ったりする。で、どこまで行ってもミニチュアが作ってある。カメラはむろん、低い目線でウルトラマンの「でかい」足を追う。どこまでも街がつづく。それが愉快だ。
じゃあ、「A」はどうだったかというと、記憶では「ひとところで戦っている」というイメージだ。かなり広いステージ上にビル群のセットが建てられ、その中央に、ちょっと不自然に「戦う場所」が空いている。そこで思う存分戦うのだ。
擁護していないんじゃないかと思われるかもしれない。擁護していないのかもしれない。しかし私は擁護したいと思うのだ。なにせもう十年近く前に、「帰ってきたウルトラマン」から「ウルトラマンレオ」までをずっととおして、ビデオを二本ぐらいずつ借りてきては見ていたそのときの記憶がたよりだから、記憶だけで書いていたらこんなになってしまった。きちんといまの言葉で褒めるには、またもう一度全話見なければだめだろう。それはいやだよ。でも、真船禎の23話と24話はちょっとまた見たいな。

本日の参照画像
(2007年10月20日 15:43)

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