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Dec.
2008
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/ 17 Dec. 2008 (Wed.) 「発射式」

時間がないので手短に、思いつきだけ。うっかりしたことを言わないためにも先行研究にあたりたいところだけどその時間がない。

これからどうしたらいいか見当もつかぬまま、ただ眺めがいいからと、平日の午後に乗ってしまうような「なにか」だ。
「富士日記 2.1」2008年12月15日付

 仮に「観覧車」が、高い位置から街=世界を一望するための装置だとして、するとその誕生にはやはり、「博覧会」的な、20世紀的欲望が絡んでいるのではないかということがひとつ。

1907年4月、東京・上野で開催された東京勧業博覧会で設置された観覧車が日本初とされていたが、1906年5月に大阪の日露戦争戦捷紀念博覧会で既に観覧車が設置されていたということが1906年4月6日付の大阪毎日新聞の掲載記事により判明した。
観覧車 - Wikipedia

とあるとおり、日本における最初期の観覧車がいずれも「博覧会」と名の付く場所に設置されたことは興味深い。でもあれか、一般に「博覧会の世紀」というとそれは19世紀のことだっけか。
それと、高所から街を一望するための装置としての観覧車の歴史を調べていくなかでひょっとして判明したりしないだろうかと想像するのは、現在ひろく普及するところの「回転するあれ」が、その昔「回転式観覧車」と区別されて呼ばれた時期があったということで、その当時、世界には「回転式」のほかにもさまざまな形態の観覧車が存在したということがありはしまいか。たとえば「発射式観覧車」だが、「発射式」は準備に時間がかかるうえ一度にひとりしか乗れず、長く景色を楽しめないし、なによりあぶないといったことがあって、それゆえひとびとは熱狂的に、画期的な「回転式」の登場を受け入れたといったようなことが観覧車の歴史にはあったのではないか。

(2008年12月18日 16:01)

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