/ 10 May. 2009 (Sun.) 「風邪だったのだろうか/MUSIC BAR 道」
■「10日の朝まではいたって元気だったよ」と妻の証言はあるものの、わたしのなかでは、9日の夜、「MUSIC BAR 道」でのトークイベントを聞いて帰宅したあたりからどうもあやしかった。肩や背中、腰の凝りが総出で首筋までのぼり詰めたような案配で、頭痛もする。調子にのりビールを過分に摂取したときの症状もこれに近く、もともと弱いがここ最近どんどんと弱くなっている印象があるから、あるいはきょうはビール一杯でそうなってしまったかとも思われたものの、やはりこれはどうも(ビールが症状を悪化させているにしろ)肩凝りだろうということで、10日の午後に指圧マッサージを受けに。
■指圧はまったく気持ちがよかった。じっさいまちがいなく凝っていた。が、これで解決かと思いきや首のところの凝りだけが取れていない。家に戻ってしばらく寝ていたが改善せず、ふたたび頭痛。こりゃちょっと我慢ならないということになって夜、薬局へ自転車を飛ばしてローションタイプの塗り薬と、それから神経に作用するという飲み薬とを買ってきた。飲み薬があろうとは思わなかったが、「首筋にまできた肩凝りに」というどんぴしゃな売り文句に惹かれ、手を伸ばすとやけに値が張る。さては効くんじゃないかというのも哀しい消費者だが、でまあ、帰宅し、塗り薬を塗り、飲み薬を飲む。飲み薬はちょっとにわかに効き目のほどがわからないものの、塗り薬のスースーはさすがにスースーしてその場をしのげるのだった。
■それでおとなしく就寝したのだったが、翌朝、起きると隣の妻が「頭が痛い」という。そこでようやく、「風邪かよ俺」とその可能性に考えが至った。妻にむかい「じゃあ、わたしの不調もあれ風邪だったのかな」と言うわたしの声はガラガラだ。しまったなあ、そうかあ、風邪かあ。そうであればきのうは、「ただ寝ている」のでもよかったかもしれないのだった。
■そうしたわけで、9日は湯島にある「MUSIC BAR 道」へ。着くと上村(聡)君がいた。その日納品されたばかりだという『ラストソングスの脱出』のチラシ(1,500枚刷ったといううちの500枚)を紙袋に提げていた。一枚受け取る。
■上村君とふたり最前列の小さな腰掛けに座ると、ほんとうに目と鼻の先が出演者(宮沢章夫さんと桜井圭介さん)の席である。開演前の出演者席にはおふたりがそれぞれ持参したのであろうアナログレコードおよびCDの束というか山が置かれてあったが、それを見、上村君はそのラインナップからどっちの山がどっちのコレクションだろうかと推測する。「こっちが桜井さんかなあ」と上村君が言うのに対し、さして音楽に造詣があるわけではないわたしはただ「どうだろうね」と返していたが、内心、きっとこっちの三倍ある山のほうが宮沢さんだろうとは思っていた。車で来ているだろう宮沢さんのほうが量を運べるということもあるが、その事情を抜きにしても、こうしたときにまったく「ほど」というものを知らないのが宮沢さんであるからだ。あと、目の前に座ったことも手伝ってか、後半「90年代の音楽」をテーマとした部分では宮沢さんも桜井さんもしきりに(当時の空気を濃く知るところの)上村君に発言を求め、上村君もそれに応えてなかなかしゃべっていた。
■18時半からはじまったトークは、あいだ20分の休憩(グリーンカレー500円がおいしかった)をはさんでじつに四時間ちかくつづき、とくにこれという結論が出るものではむろんないが、「言葉がない」部分は「言葉がない」ままに、おふたりそれぞれの、ごく個人的な〈肌合い〉といったものにも触れるような楽しい時間だった。
■80年代にした仕事にまつわる話のなかで、宮沢さんが「FM-TV」[※1]の「ケンソーのこの一品」に触れたが、加藤賢崇さんのエピソードを話し終えてから、「賢崇の話をするとついこう…」と遠い目をしてみせるのがなんとも可笑しかった。というのも、実家のビデオライブラリー(深夜放送だった同番組を兄が録画したベータテープで、計算すると12、3歳のわたしが兄の横で見ていたもの。現在再生可能かどうかは知らない)に収められたうちの一本の、その「一握の蟹」は、当時賢崇さんが関わって出版されたらしいとある本(『ぼはなん』だったかなあ)について、宮沢さんがものすごく怒っているというものだったからだ。
■イベント終了後しばらく、客としてきていた白井君や、宮沢さんの教え子だったという方、それと上村君とわたしとで宮沢さんを囲み、雑談。23時半ちかくになって店を出た。
■新宿まで宮沢さんの車で送ってもらったが、車中はもっぱらハードディスクトラブルとバックアップの話。で、わたしの話が「iPhone」に移ったところで急に宮沢さんの反応がなくなったと思ったら、「おれ、iPhoneもってないぞ」とそのとき宮沢さんが忘れ物に気づく。ひとまずわたしの携帯から宮沢さん宛に掛けると、しばらく呼び出したのち、押切さんが出たのだった。
- ※1:「FM-TV」
フジテレビの深夜番組。構成作家(および出演)として、川勝正幸、宮沢章夫、えのきどいちろう、押切伸一の四氏が参加。Wikipediaの「JOCX-TV2」の項によれば1987年、また、「たのみこむ」にDVD化を要望しているこの人の記憶によれば「’86年ごろから’88年ごろまで」となっている。
フレディー・マーキュリーのPVを素材にテロップで遊ぶ「がんばれフレディ」、放送するミュージッククリップを犬に選ばせる「犬の言いなり」、加藤賢崇が自身の嫌いなものを絶賛して紹介する「ケンソーのこの一品」、文豪(宮沢)と書生(えのきど)という設定(ただし恰好だけ)でだらっだらトークする「一握の蟹」、情報通の靴磨き屋(押切)が道行くサラリーマン(川勝)に旬なアイテムを教え感化しようとする「シューシャイン・オッシー」などのコーナーがあり、とくに「がんばれフレディ」「一握の蟹」あたりが当時12、3歳とおぼしい相馬を魅了した。相馬はこれ以来の宮沢章夫ファンで、えのきどいちろうファン。
当初1時間番組だったが、のちに30分番組になり、すると上記の「無駄なコーナー」たちがごっそり削られてあまり面白くなくなってしまったと記憶する。
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