5
May.
2011
Yellow

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/ 5 May. 2011 (Thu.) 「メガネ自慢」

三鷹天命反転住宅の外観。

終演後の会場内。

会場内、その2。

303号室の壁にあった配電盤を読むに、三鷹天命反転住宅の給湯はエコキュートだ。

7時13分、起床。
長くログインしていなかった Facebook へ足を向けると、アカウント保護のためにサブの連絡先メールアドレスを登録すべきだと勧められ、促されるままに MobileMe のアドレスを入れれば、そこから新たに割り出された何人もの知人の顔が「この人、知り合いじゃないですか?」と案内されて画面に並ぶ。それぞれの顔の下にはじつに手軽な「友達になる」ボタンが添えられていて、押そうと思うが、2009年6月にアカウントを作っておきながらちっとも利用してこなかったわたしはプロフィール写真すら設定しておらず、「友達になる」ボタンを押して「友達リクエスト」なるものを送る前にここはひとつこちらの顔を載せておこうと律儀なことを考えたのだった。どうせなら新たに撮り下ろしたものを載せようと妻に撮影をたのんで、律儀なことを考えたわりにはパジャマのまま被写体になった。上に載せたのは採用しなかったほうの一枚。着ているのはユニクロのパジャマだ。これが最新のわたしである。そして最新のわたしのメガネだ。伊達メガネで、度は入っていない。これを掛けているときはコンタクトをしていると思っていただきたい。
午後、三鷹。武蔵境駅の南口からタクシーに乗り、行き先を「三鷹天命反転住宅」と告げても通じなかった。正式には「三鷹天命反転住宅 In Memory of Helen Keller」という名前であるらしいところの、荒川修作+マドリン・ギンズによる極彩色の集合住宅(全9戸)である。ここを会場にこのひと月のあいだ、ワークショップやファッション展示、パフォーマンスなどさまざまなプログラムを含むイベント「三鷹天命反転住宅つづく。」が催されていて、そのなかのひとつ、『変形アフタヌーンティー/Morphing Afternoon Tea』というパフォーマンス(脚本/演出:平松れい子)に田中(夢)さんが出演するのでそれを観にいく。
不勉強で、荒川修作のことはほとんど何も知らない。いま、5日付のこの日記を書いている現在はすでに11日だから、そうやってたっぷりと時間をおき、さては荒川修作の言う「天命反転思想」のことなど充分に知識を仕入れてから感想にとりかかっているのかと思いきや、別段そんなこともなく、不勉強なままキーボードを打っている。三鷹天命反転住宅は2005年にできた建物で、じっさいに人が住んで暮らすための住宅でもある。「天命反転」というこの荒川修作の用語は、不可能と思われていたことが可能になること、死という宿命を反転させること、端的に言って「死なないこと」を意味するといい、三鷹天命反転住宅はつまり「死なないための住宅」と謳われる。外観からの想像にたがわず、部屋の内部もけっして住みやすい空間ではない。くつろぐための家からほど遠く、いわば〈バリアフル〉な仕掛けに満ちたその住まいは、滞在する者の身体に負荷をかけ、緊張を強いることで天命とされる生き方=死ぬ生き方に抗おうとする。
パフォーマンスの会場は 303号室。部屋の中央にキッチンがあり、それをぐるりと囲むようにお客さんが座る。両側をキッチンカウンターに挟まれ、まわりの床よりも一段低くなっている通路状のキッチン内部と、キッチンカウンターの上とが演技エリアで、出演者のふたり(ナビゲーター役と呼ばれる)はすでに開演前からそこにいて、お客さんの相手──座る場所の案内や、観に来た知り合いとの世間話など──をしている。これという区切れもないまま、ナビゲーターどうしの〈生身の会話〉という体裁で芝居ははじまり、やがてその言葉ははっきりフィクションとわかるものへと変容していくが、区切れがないということはつまり〈はじめ〉から──303号室の扉を開け、たまさか入り口にいた田中さんの顔を見たときから? タクシーを降り、その奇異な建物を見上げたときから? あるいはもっとさかのぼって──はじまっていたということにほかならない。
パフォーマンスの英語タイトルは『Morphing Afternoon Tea』。iPad に「リーダーズ英和辞典第2版」のアプリを入れていい気になっているからではけっしてないが、「morph1」の項をそれで引くと、「変形 [変身] させる」「変身する」という自・他動詞の意味のほかに、名詞としてつぎの意味が載っている。

  1. 【言語(学)】
    a 形態 《形態素の具体的な表われ; cf. MORPHEME》.
    b 異形態 (allomorph).
  2. 【生物(学)】
    a モーフ, モルフ 《同一種内にあってはっきり区別できる, 同所性・同時性を有する互いに交配可能のグループ》.
    b 《同一種内の》変異型.

 ここに言語学と生物学とが隣りあって置かれていることがまずおもしろいが、それはさておいて、言語学がいう「形態素」とは、語における、語彙的意味あるいは文法的機能を担う最小単位のことだ。たとえば「大雨(おおあめ)」はそれでひとつの語だが、言語学の形態論では、その語の成り立ちを語彙的意味によって「大 /oo-/」と「雨 /-ame/」とに分けられるとする。この /oo/ と /ame/ とがそれぞれ形態素であり、またこれが「小雨(こさめ)」の場合には /ko-/ と /-same/ になるから、あきらかに同じ語彙的意味をもつ /ame/ と /same/ は、同じ形態素のことなる表れ──異形態──だということになる。そう説明すればもっともらしく聞こえるし、形態素だの最小単位だのと言えば何か意味の結晶のような、たしかなものに思えるけれど、しかし /ame/ と /same/ がひとつの形態素でありまた異形態であるというこの指摘は、/ame/ そのものからはけっして導き出せず、/same/ との関係があってはじめて生まれるものである。連想するのは、構造は変換のなかにしかない──変換という操作をとおしてはじめて二者間をつなぐ構造はあらわれ、変換のしかたを変えればまたことなる構造があらわれる──という構造主義の言葉だ。『Morphing Afternoon Tea』は、まさにその意味において〈変容〉のなかにしかなかったし、/ame/ と /same/ のあいだを行き来してみせたのがナビゲー夕ーである俳優だったとすれば、そこに〈構造〉として浮かびあがってくるのはかれらの身体で、田中さんの、あのあっけらかんとした生身が底にもつ、フィクショナルな魅力こそがそれにはふさわしかった。
劇中、ふと、ふたりが手にしているリーディングの台本を覗くと、印刷されたセリフは横書きなのだが、しかしページを左から右へめくっていくようになっていて、つまりこれも〈反転〉させられている。読み進む行為は、原初へと戻る身振りのなかにあって、その片側をとおりすぎていく。

本日(5日)の電力自給率:11.3%(発電量:3.1kWh/消費量:27.4kWh)

本日の参照画像
(2011年5月12日 02:31)

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