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Oct.
2011
Yellow

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/ 23 Oct. 2011 (Sun.) 「十日目/橋本さんは未来から微笑む」

これがキャロル・クリーヴランド。
これも。周りを囲むのはもちろんパイソンズのメンバー。
これも。周りを囲むひとたちはもうなんだかよくわからない。

『トータル・リビング 1986-2011』十日目。昼は映像ブースで、夜は客席で観る。客席で観るのは初日以来の二回目。初日には最後列から観たし、いつも観ている映像ブースはさらに離れた位置からだし、ここはひとつ最前列の、ここぞとばかりにほぼど真ん中で観る。
まぢかに観る舞台はまた格別の情報量だ。目のまえの役者にばかり目がいき、スクリーンのほうをほとんど見ていなかったのは石原(裕也)[映像オペレーション担当]に申し訳ないかぎりだけれど、だってしょうがないじゃないか。いろいろさあ、はじめて気づくよ。
以下、観ていないかたにはなんのことかわからない話になるのをはじめにお断りしておかねばならないが、たとえば「第一章」、その後何度か繰り返される「生徒1」(上村聡)と「俳優たち」による集団シーンの一回目のところで、ここ、何が面白いってですね、生徒1が話しているあいだの「男優1」(永井秀樹さん)ら何人かが、それなりに生徒1の話に耳を傾けつつも途中で気が逸れ、テーブルに視線を落としてその上の小物をいじりはじめるところなのだった。そんなことをしてるとは知らなかった。まあ、冒頭のシーンに使われていわば〈お役御免〉となったテーブルの上の小物たちがふとモノ自体となってそこに突然呼び戻されるのも面白いし、なにより、まさしく「俳優たち」それ自身がそこにいると感じさせる永井さんらの所作が抜群である。笑った。
また「第三章」、その集団シーンのバリエーションが三度繰り返されるところの三度目で、橋本(和加子)さんが

女優3 あのー、それでは私はどんなふうに演じれば正しい行いになるのでしょうか?

と例の台詞まわしを披露するところだけれど、その台詞を言うまでのあいだ、橋本さんが手に持った台本を開き、食い入るように読んでいる──が、台詞からもわかるようにあきらかに何も読めていない──のを目の当たりにしたのも、笑ったなあ。そこまで食い入るような眼差しだったとは知らなかった。
橋本さんといえば「第二章」、まあいろんなことをするわけですが、そのひとつ、ビンゴゲームの装置を回転させる女の役がとてもすばらしい輝きを放っていることにも至近距離から観ることで気づかされた。この舞台の「お色気担当」を自負するところの橋本さんはその役において終始、あたかも物語から完全に切り離された存在であるかのように舞台に立ち、お色気担当たる(?)ポーズを取りつづけるのだったが、その絶対的な姿が一瞬、キャロル・クリーヴランドに重なって見えたことにはわれながら驚かされた。それはまさに、橋本さんのくだらなさが相当な高みに達した瞬間だった。

終演後には、めずらしくまっすぐ帰らずに、矢沢(誠)さんと石原君、大場(みなみ)さん、それと大場さんの友達でいま「バナナ学園純情乙女組」に演出助手として付いているという小笠原(悠紀)さんといっしょに巣鴨の居酒屋で飲んだ。どんな流れでそんな話になったのだったか、そこでしゃべったことのひとつが「ラブストーリーとしての『トータル・リビング 1986-2011』」だ。
って、べつにたいした話ではなくてですね、物語の〈枠〉のようにして、はじめと終わりにそれぞれ配置される「生徒2」(今野裕一郎)と「愚痴ばかりの女」(橋本さん)の関係のことである。冒頭、「人間は面倒だな」という自身の台詞のとおりに、まったく唐突な質問を女に投げつけることしかしない生徒2と、「だから、撮るなよ」と再三撮影を中断させる愚痴ばかりの女は、しかしラストシーンにおいて、無言のままカメラを回し、撮られる関係へと変化している。むろんそのときの女は「きょうはわりと機嫌がいい」のだけれど、それだけではなく、この関係の変化にドキュメンタリー作家の、

ドキュメンタリー作家 そんなに簡単にカメラは回せない。なにかを撮影しようとしたところで、カメラを構えるまで一年はかかる。いや、それ以前に、街の人たちと挨拶ができるまでに半年かかる。人はレンズを信用しちゃいないよ。挨拶に半年。信用してもらうまでに一年。それでようやく、三脚にカメラを載せられる。

という台詞を重ねるならば、ラストシーンについて、「あれから一年が過ぎたのだ」と捉えることもできるだろう。つまり、そこはもはや2011年ではない、〈未来の屋上〉だ。
 そして、このことについて、もうひとつ注目したい台詞は「沼野」(時田光洋さん)によってつぶやかれる。

沼野 戻ったのかな。あの高校生、あの時代に。一九八六年に? ……それとも……べつの場所? 現在?

 2011年の屋上にいるはずの沼野だが、ここでは「(2011年とも1986年ともちがう)べつの場所」として「現在」という場所を口にするように聞こえる。「現在」──語る現在/語り手のいる場所──は、やはりここでも2011年ではない場所として示唆されているのであり、わたしにはその場所が〈未来〉であるように感じられる。というのは、どうしたって、橋本さんのあの笑顔を見せられてしまうからだ。あのとき、そう、橋本さんは未来から微笑むのである。
てなことを巣鴨の「わたみん家」でしゃべったのだったが、翌日、楽日の休憩中に、大場さんがこの解釈を女子楽屋のみんなに披露してきかせたらしい。それで「めっちゃええハナシやんけー」と女子楽屋は盛り上がって、この解釈は「大場さんの手柄」っぽくなったというが、まあね、それもしょうがないじゃないかとわたしは言いたい。
本日(23日)の電力自給率:21.9%(発電量:5.8kWh/消費量:26.4kWh)

本日の参照画像
(2011年10月28日 14:03)

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