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Dec.
2011
Yellow

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/ 3 Dec. 2011 (Sat.) 「Diarist A Go Go」

向かって左があーちゃんだ。

3日付の日記として書かれた児玉(悟之)君の文章はなかなかに刺激的で、なにもわたしの発言がそこに引用されているからばかりでなく、これはちょっと応答せねばならぬのではないかという思いにかられたが、そこでまず、さきに言っておくならば「おれはあーちゃんかな」ってことである。
さて。

@soma1104: ジャーナル(journal), ジャーナリスト(journalist), ジャーナリズム(journalism) / ダイアリー(diary), ダイアリスト(diarist), ダイアリズム(diarism)
12月3日 5:55 PM

 このうちで、「ダイアリズム(diarism)」という言い方はどうやら英単語としては存在しないらしい。とすれば、「journal」に比して、「diary」は主義・主張を形成しにくいということになるだろうか。
「journal」と「diary」、そこに「blog」を加えてもいいが、これらはつまるところ言い方がちがうだけで、同じものを指して使われる「同義語」だというのが言語使用の実際においてはおおよそ正しい捉え方でもあるようだ。しかしその一方で、同じ「日記」である「journal」と「diary」とに、相互の概念的なちがいを見て取ろうとする考え方もつよくある。たとえば、公開を前提としない、あくまで私的な記録が「diary」であって、ひとの目に触れることを意識している日記、メモ、感想文のようなものはみな「journal」であるという捉え方がひとつだ「英語で『日記』は『ダイアリー』ではない? diary と journal の違い」。また、それよりかは特殊な言い分だと思うけれど、「journal」の側を称揚してこのように書くひともある。

It’s a question I get asked all the time. “What’s the difference between a journal and a diary?” A diary is a report of what happened during the day—where you ate, who you met, the details leading up to the kerfluffle in the office, and who took whose side. It’s a bit like a newspaper about you.

いつでもわたしに投げかけられる質問である。「ジャーナルとダイアリーでは何がちがうのか」。ダイアリーは、その日一日をとおして起こったことを報告する──どこで食事をし、誰と会い、職場でどんなごたごたがあって、誰が誰の味方に付いたか。言ってみればそれは、あなた自身についての新聞のようなものだ。

A journal is completely different. A journal is about examining your life. It’s a GPS system for your spirit. “I’ve made this mistake before. . . and I always make it when I rushed for time and feel panicky. But I feel panicky because I know I’m headed for the same mistake.” Journals lead to insight, growth, and sometimes, achieving a goal.

ジャーナルはそれとはまったくことなる。あなたの人生を吟味・検討するものがジャーナルである。それはあなたの精神にとっての GPS装置となる。「この間違いをわたしは以前にも犯した……し、あわてているときやパニックになったときにはいつもこの間違いを犯してきた。しかしわたしは、同じ間違いを犯そうとしている自分に気づくからこそパニックになるのでもある」。ジャーナルは洞察や成長といったものへとあなたを促し、そしてときには、目標達成へとも導く。

You don’t have to set a goal to have a journal, I have a tendency to live in my head and like goals. You can just muse. You can put down the shifts in emotion, the goals you’ve achieved and how, to remember them. The shortest pencil beats the longest memory, says the proverb, and writing down your motives, successes, emotional pratfalls, helps you remember how you got there and why, not just that they happened.

わたしはつい頭で考えがちなので目標といったものが好きだが、あなたがジャーナルをはじめるにあたっては目標を設定する必要はない。ただじっと考えるだけでもいいのだ。自分のなかの感情の移ろいを書きとどめ、成し遂げたことがあるならそれを、どうやって成し遂げたのかを、あとから思い出せるように書き記す。ちびた鉛筆が長大な記憶にまさるという格言があるとおり、たんにあれが起きたこれが起きたと書くのではなくて、あなたのなかにあった動機、うまくいったこと、感情的なしくじりを書きとめることは、あなたがどうやって、なぜいまそこにいるのかを忘れずにおくための助けとなる。
Journal, Diary, What’s the Difference? | QuinnCreative

 原文をこのあと読み進めればわかるとおり、どうやらこのひとは「Creative Writing」とかそういったたぐいの講座をもつ先生らしいのだが、ともあれ、ジャーナル的なものはここにおいてどこか高邁なイメージをまとうことになる。
「公=他者」を意識することで自己を世界のなかに位置付ける身振り、あるいは「トータルな主体としてのわたし」を設定することでそのなかに日々の出来事をマッピングしていく作業。そういった〈まともさ〉が、ひとまず〈ジャーナル的なもの〉のイメージを構成するということになるだろうか。
加えて書けば、ジャーナルの側には「インスピレーション・ジャーナル」なるものも存在するらしい。

「インスピレーショナル・ジャーナル」とは、「インスピレーション(霊感による着想,天来の妙想,うまい思い付き)」が得られるように格言、名言やアドバイスが印刷されてある日記帳のことで、欧米では主にクリスチャン用に様々な日記帳が販売されています。
インスピレーショナル・ジャーナルとは - Rose Selavy lab. testing…

 ここでもやはり、ジャーナルは霊感をもたらしてくれる他者────と自己とをつなぐ装置として意識されるのであり、そしてその意味で、おそらく「インスピレーション・ダイアリー」なるものは存在しない(しえない)のだろうとも想像される。
Google以前、ホームページがいまよりもずっと「有数」で、Yahoo!のディレクトリ型検索の画面に並んだ登録サイトたちのリストを眺めていたあのころ、そこに付される紹介文には型があって、たいていは「○○××、△△について(のホームページ)」と皆が自身のサイトを説明していた。つまりホームページは、「何かについての」ホームページでなければならなかった。クルマ好きは「クルマについてのホームページ」を作ったし、サッカーにくわしい者は「サッカーについてのホームページ」を作った。あるいは住んでいる街についての情報を発信する者がおり、有名な誰かについてのファンサイトをこしらえる者もいたそのなかに、ついに発信すべき「何か」を思いつかなかった者たちがいて、ちょっと困ったような顔をしてみせながらかれらが選び取ったのが、つまり「私についての」ホームページ(いわゆる狭義の「個人ホームページ」)だった。かれらの多くがまずサイトにこう記した。「とりあえず、日記でも載せようと思います」と。
そうしてたやすくウェブへと接ぎ木されてしまった「日記」が、はたしてその端緒において「ダイアリー」だったのか「ジャーナル」だったのかを問い、峻別することにはおそらく意味がなく、〈ダイアリー的なもの〉も〈ジャーナル的なもの〉も「日記」が元来もちあわせているふたつの側面なのだとすれば、つまり「どちらもあった」と言うよりほかないものだけれど、とはいえ、個人ホームページからはじまり、その後、Web日記、ブログ、ツイッターとつづいていく潮流のなかで、そのコンテンツ価値を保証するものとして称揚されたのが〈ジャーナル的なもの〉のほうであったのはおそらく間違いないところだろう。なにしろ、他者が意識されることもなく、トータルな存在にまとめあげられることもない〈断片〉としての〈ダイアリー的なもの〉が〈つまらない〉のはあたりまえであり、あのころ、個人ホームページの質の低さといった言葉で徹底的に非難されたものこそがその〈ダイアリー的なもの〉だったと思われるからである。
と、ここまでのところで、日記における〈ジャーナル的なもの〉と〈ダイアリー的なもの〉のそれぞれの概念措定がいちおうなされたものとしてつづけるが、いま、そのうえで、この場においてわたしが支持を表明したいのは〈ダイアリー〉だ。名乗りたいのは〈ダイアリスト〉である。
さきはまだ長い。ダイアリストのこの思索の旅はまだまだつづく。おそらくは、ジャン=リュック・ナンシーの『無為の共同体』がその旅路に光を与えてくれるのではないかとわたしはいま予感し、期待するが、しかしやはり眠たかったらしい、アマゾンからはナンシーのべつの本、『複数にして単数の存在』が届いてしまった。間違えた。
本日(3日)の電力自給率:4.9%(発電量:1.4kWh/消費量:28.2kWh)

本日の参照画像
(2011年12月 7日 00:01)

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