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Nov.
2012
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/ 20 Nov. 2012 (Tue.) 「自民党はバカなのではないかという懸念、されど」

話題の(?)自民党「日本国憲法改正草案」(PDF) は、それ自体は今年の 4月27日に発表されたもので、発表当時もすぐさま一部からの批判を浴びて問題視されたと記憶するが、それがいま、こんどの衆議院議員総選挙を前にしてあらためて注目を集めているということのようだ。また、その付帯資料である「日本国憲法改正草案 Q&A」(PDF) は 10月発行のもの。なお、いま現在、自民党の公式サイト (www.jimin.jp) へいくと( Cookie で判定して、まだ見たことがないひとであれば自動的に)選挙用の特別サイト (special.jimin.jp) が表示されるようになっているが、特別サイトからは、ページ下部の「自民党ホームページ」ボタンをクリックすることで通常版のサイトへ移動できるようになっている。
すでに指摘があるように、「ちょっと待てこら」と言いたくなるポイントのいちばんは「天賦人権説の否定」だ。憲法改正推進本部の「Q & A」はいきなりこう言う。

Q2 今回の「日本国憲法改正草案」のポイントや議論の経緯について、説明してください。

答 今回の草案では、日本にふさわしい憲法改正草案とするため、まず、翻訳口調の言い回しや天賦人権説に基づく規定振りを全面的に見直しました。(以下略)

「日本国憲法改正草案 Q & A」(PDF) p.3

 すべてひとは生まれながらに自由・平等で、幸福を追求する権利をもつとするのが「天賦人権説」である。ここでの「天」はむろんキリスト教的な神の概念に出発しているけれど、「天から与えられた」という説明のしかたが呼び出されるのはつまるところ、人権が普遍的な価値であることを論証するすべがないためであって、誰によって与えられたかの問題ではなく、とにかく人権は普遍的な価値である「べき」という主張こそが天賦人権説の根本である。だから、それに対置させられるのは一般に「国賦人権説」ということになる。人々の権利は国家や王権から授かるものであり、したがってそれらの権力によって恣意的に制限されもするという考え方が国賦人権説だ。
 という、これは本来そういう話なのだけれど、「ん?」と思わされるのは憲法改正推進本部の、たとえばつぎのような説明である。

Q13 「日本国憲法改正草案」では、国民の権利義務について、どのような方針で規定したのですか?

答 (略)また、権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきたものです。したがって、人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました。例えば、憲法 11 条の「基本的人権は、……現在及び将来の国民に与へられる」という規定は、「基本的人権は侵すことのできない永久の権利である」と改めました。

同 p.14〔下線強調は原文〕

 「例えば」として挙げられている条文のちがいをこの説明に沿って素直に読むと、要は「受動態の文章をやめた」ということであるようにも受け取れる。で、憲法改正推進本部がお気に召していないらしいこの「西欧の天賦人権説」が「翻訳口調の言い回し」という問題と並列に語られていることとも考え合わせると、ひょっとして憲法改正推進本部は天賦人権説のことを、「読んで字の如し」のもの──つまり人権は天(西洋的な神)から与えられたものだということ──としてしか理解していないのではないか、そこに対概念としての国賦人権説などは意識されていないのではないか、という疑念が湧いてくる。
 つまり、たんにバカなのではないかという可能性だ。
ただ、バカなのではないかという疑念も払拭できないいっぽうで、しかし以下のような条文の変更をそこに並べるならば、さすがに全員がバカとも思えない巧妙さが透けてくる。というのは「最高法規」にかんする規定の部分で、

第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

という現行憲法のひとつの肝がばっさり全文削除(!)されたのちに記述される、こういった条文である〔下線強調が現行憲法との異同〕

(憲法尊重擁護義務)
第百二条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う

日本国憲法改正草案

第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ

現行憲法

 そもそも憲法は他の法律一般とちがい、〈国民が守る〉ものではなくて、〈国民が国家(権力)に守らせる〉ものであるのだが、新設された第百二条によってそれがきれいに転倒されているうえ、そこであらたに「憲法尊重擁護義務」の対象とされた「国民」と入れ替わりに、改正草案において、「憲法を擁護する義務を負う」者のリストから見事に消し去られている人物がいることは条文の異同からあきらかである。そう、「天皇」だ。
 そう考えたとき、

この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。

という例の〈能動態〉には、その背後に、憲法という主体の裏にひっそりと張り付いた、べつの一人称の影がちらつくようでもある。ことによると自民党は、それを「我が国の〈天〉賦人権説」と呼んではばからないかもしれないというくらいの臆面のなさが、この改正草案にはある。
 いや、なにせですよ、改正草案において天皇を「元首」と明記することにかんして、

自民党内の議論では、元首として規定することの賛成論が大多数でした。反対論としては、世俗の地位である「元首」をあえて規定することにより、かえって天皇の地位を軽んずることになるといった意見がありました。反対論にも採るべきものがありましたが、多数の意見を採用して、天皇を元首と規定することとしました。

「日本国憲法改正草案 Q & A」(PDF) p.7〔太字強調は引用者〕

というような議論を交わしているようなひとたちなのだ、この憲法改正推進本部は。

さて、それにしてもすごいコピーだよ。

日本を、取り戻す。

 ある意味うまいっちゃうまい──わりと広く、これに訴えかけられちゃう層はあるんだろうなあと思う──んだけど、しかしこれまた臆面もない。
まずこれ、〈誰が〉取り戻すのかというと「自民党」だ。まちがっても「われわれ(国民)」ではない。「われわれ」と「自民党」とを素直に重ね合わせられる者──つまり自民党支持者。そういうかたがいらっしゃることは存じております──であればこのコピーの主体を「われわれ」と読み替えることはむろんオーケーだけれど、あなたがいわゆる「無党派」なら、ここに主体としての「われわれ」を読み込んではならない。そのことは、日本を〈誰から〉取り戻すのか、ということのほうにもかかわってくる。
「自信を取り戻す」といった言い方における自己完結的/自己実現的なニュアンスをまず響かせつつ、同時に「民主党から」取り戻すことが暗に言われている、だけではおそらくない。コピーの主体を「われわれ」としてしまうと見えなくなってしまうのだが、自民党はおそらく、根源的には「われわれ(国民)」からこそ日本を取り戻そうとしているのだ。たとえば、ときに民主党を選択してしまうようなわれわれから。このコピーから透けてみえるのはそうした欲望であり、つねにこの党がそうした欲望に突き動かされていることは、すでに憲法改正草案で見たとおりである。
本日(20日)の電力自給率:48.0%(発電量:13.2kWh/消費量:27.5kWh)

(2012年12月 1日 23:02)

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