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May.
2013
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/ 7 May. 2013 (Tue.) 「また、杳子からはじめよう」

古井由吉の「杳子」を読む。
きちんと通読したのは、ことによると大学以来で、二度目かもしれない。去年出た『古井由吉自撰作品 一』に収められているそれを家では手にとって、しかし出掛けるのに『自撰作品』はちょっと分厚いからと、朝はもっと以前に古本屋で購入した『杳子・妻隠』の単行本をリュックに入れた。だったら新潮文庫の『杳子・妻隠』のほうが適任だろうという話だが、そっちを探している時間が今朝はなかった。
論文検索の CiNii で、紅野謙介先生の「『杳子』論──〈セラピスト〉の憂鬱」という論文があるのを知り、それの載っている論文誌『国文学 解釈と教材の研究 33(10)』(1988年8月)を長崎県の古本屋に注文する。明日には配送の手配をしてくれるとのこと。

「でも、それだから、ここでこうやって向かいあって一緒に食べていられるのよ。あたし、いま、あなたの前で、すこしも羞かしくないわ」
古井由吉「杳子」

 この、作中でもっとも幸福なセリフのあと、二ページ足らずで小説は終わり、一枚めくるともう続きはなくて、初読のときとまったく同じように「あっ」となる。

 文学青年だった。だが書くほどに、書くとは、何事によらず、我が身さえもが、とどのつまりは、日本語になってしまうことだった。言葉に異議を申し立て、言葉から逃れることだけが、青年の野心であり、書く営みだった。しかし、これでは、言葉からの授かりものはない。言葉の息子にはなれない。
 (略)
 「杳子」は書くことでものを見ていこうとする方法の成果だと、青年は受け止めた。ものとはこうして見えていくものかと思い、また、距離を危ぶめば、表情は白いままである読後の杳子の肖像を、ひとり描いてみた。杳子に「病気」という性格を添えたのは、読者への配慮であるのかとも思い、文学青年は生意気だった。文体の健全さの方に目が向いた。
三神弘「『杳子』の肖像」『国文学 解釈と教材の研究 45(6)』2000年5月、學燈社

そんなことを書いて、あとでここを備忘録のように読み返すわけでもないのだけれど、10月の薬師丸ひろ子のコンサート、チケットを取ろうと思うのだ。

(2013年5月 8日 03:42)

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