/ 16 Jul. 2007 (Mon.) 「劇の希望、あるいは南波さんへ」
■太田省吾さんの訃報に接し、その演劇論集『劇の希望』(筑摩書房、1988年)、『舞台の水』(五柳書院、1993年)、『なにもかもなくしてみる』(五柳書院、2005年)をぱらぱらと読み返す。生の舞台はどれも観ていない。『水の駅』のその美しさを、私は、その美しさについて語る宮沢(章夫)さんの貌のなかにしか知らない。そして残された演劇論。太田さんの文章はおどろくほど読み易く、それでいてするするっと流れない。ひとつの句点を打つまでに、いったいこの人はどれだけの時間考えていたのだろうかとその足どりの重さを思わざるをえない。
■南波(典子)さんの文章を前にしては、ただただうらやましく思う。むろん、
人は生まれて死んでいく。そのことについて太田さんはたくさんのことを教えてくださった。でも太田さんは死なないでほしかった。
「しいたけ園←ブロッコリー」2007年7月14日付
という言葉の前で私は無力だ。それは「悲しい」ということではないのだ、と説得にかかったところで、涙が出るものをどうしようもない。
太田さんに教えて頂いた多くのことが私の体の中にあり、それはいつまでも変わらず私の中にあり、だからこれからも何も変わらないのだ、悲しいことなんてないのだ、と思おうとしても、どうしようもなく悲しい。
同上
それでもなお、その〈死〉に際してわれわれが泣くのは「悲しい」からではない(いったい何のために私は仏教徒だというのか)。──そして、われわれは泣く。あふれてくるのはおそらく、その人に出会えたことのありがたさ(有り難さ)を思うときの涙である。
■舞台を観ることはできなかったが、テクストのかたちをとおして私は太田さんに出会うことができた。そしてまた同様に、私は南波さんに出会うことができた。だから大丈夫だ。涙は出るかもしれないが大丈夫だ。
■三連休はわりとぼやぼやしていた。やらなければならないことはあるのだが。
■前回の日記には、7月11日付の「富士日記2」に応接して『ディズニーランド完全マニュアル』のことを書いたが、そのあまりのウソ加減に、妻には「知らないよこんなこと書いて。ディズニーは恐いんだから」と心配されている。
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