7
Jul.
2007
Yellow

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/ 17 Jul. 2007 (Tue.) 「『ラザロ』を観る」

『ラザロ—LAZARUS—』チラシ表。クリックで拡大。公式サイトはこちら。

同・チラシ裏。

日付に沿った(書く現在から言えばおととい、17日の)話をする前にちょっと18日のことを書くが、南波(典子)さんから「YELLOW←ブロッコリー」というタイトルのメールをもらった。「劇の希望、あるいは南波さんへ」を読んだ感想を送ってくれた。こっちが先に思いきり名指しておいてなんだけれど、いざ応答されてみると俄に恥ずかしくなる。何だよあのきのうの日記は。何言ってやがんでい俺め。
「でも私はわりかし元気」だとメールはむすばれるが、そのことはメールの文章からも見てとれる。読み誤っていたらあれだが、ここぞというときに南波さんは「〜ったんだ」を用いる。中性になって年齢も溶解し、「虫採り網もって草原の上かよ、あんた」と言いたくなる表情を見せる。「〜ったんだ」が出れば大丈夫だ。

で、17日は夜、ポレポレ東中野という映画館へ。前回ここに来たのはあれは、『アレクセイと泉』のときだったか。今日は井土紀州監督の新作劇映画、「前代未聞のインディペンデント・プログラムピクチャー」と謳い文句にはある『ラザロ—LAZARUS—』。そのうちの「朝日のあたる家」篇と、上映前に行われるトークイベント。ま、早い話が〈追っかけ〉ですね、宮沢(章夫)さんの。
井土監督と宮沢さんによるトーク。「複製の廃墟」篇のなかに現れる「貨幣の偽造」という行為の、その象徴的な意味について宮沢さんが取り上げると、井土監督はシナリオ段階での構想(予算の都合で撮影は断念)を打ち明け、「複製の廃墟」篇に登場する土地がじつは、旧日本陸軍の「登戸研究所(通称)」につながる場所として想像され、描き込まれていたことを話す。応接して宮沢さんは、若干の留保を加えながらもひさびさに秋庭俊さん『帝都東京・隠された地下網の秘密』の名前を出し、〈地下への想像力〉について話した。〈地下への想像力〉は〈暗がりに対する想像力〉に通底し、「作家は〈こわがり〉なんです、〈こわがり〉じゃなきゃものは作れない」という後半の話を呼ぶ。前日のトークショーで、井土監督が作家の角田光代さんから聞かれた質問らしいが、「子どものときに観てはじめてショックを受けた、原体験的なものってなんですか?」という問いを監督が投げ、宮沢さんはあまり迷った様子もなく、ぽんと映画『俺たちに明日はない』を挙げた。井土監督が挙げたのは(これは『映画は生きものの記録である』のパンフレットに寄せている文章にも書かれてあるが)映画『ゴジラ対へドラ』。「じゃあ」と、宮沢さんは『サンダ対ガイラ』を挙げる。また、監督のほうから「(理解不能な他者としての)ノイズ」というキーワードを出して、『東京大学「ノイズ文化論」講義』から『ニュータウン入口』へと至る宮沢さんの問題意識のありようを聞いていた。そして、「理解不能な他者との遭遇」「とにかくわからないものに出会ったときの衝撃」という視点から、井土監督は岡本公三のとあるエピソードを語る。最後に宮沢さんは付け足すように、「朝日のあたる家」篇の「妹・ナオコ」役のひと(堀田佳世子)がよかったと言うが、なんだろう、それがちょっと照れ隠すような調子に見えて、「それ、単純に〈好みのタイプ〉だとかそういう?」とも思いながらつづく上映を観てしまった。いや、じっさいよかったですけどね、「ナオコ」。(ちなみに公式ブログには、演じている堀田佳世子さんがじつは役柄とはまったく対照的なひとであることを紹介した「変身」という記事があった。)
でまあ、そんなことより肝心の映画について書きたいとは思うものの、なかなかまとまった文章にならない。面白いのはたしかだ。「インディペンデント・プログラムピクチャー」という謳い文句があらためて私の胸で躍っている。ぜひとも、残りの二篇も観たいところ。
上映が終わって打ち上げの席があり、加えてもらって終電で帰った。

本日の参照画像
(2007年7月19日 14:12)

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