/ 31 Jan. 2008 (Thu.) 「捨てちゃいなさい、そんなもの!(十代目金原亭馬生『笠碁』)」

十代目金原亭馬生。
■いやまあ、そのなんだ、アマゾンから『十代目金原亭馬生十八番名演集』(CD10枚組+特典盤)が届いたことをまず素直に告白しなければならないだろう。だってしょうがないじゃないか、ファンなんだ。未明に注文して、「お急ぎ便」というやつで今日の午後、会社宛に届けてもらった。会社宛にしたというのは、iTunesで取り込み、iPod touchに転送して帰り道、一席聴こうかと気がせいたからだが、いざ帰り際になってその作業をしようと思ったらMacとiPodとを接続するUSBのケーブルがない。そうしたものの一式はだいたいいつもMacBookとともに持ち歩いているのだが、持ち歩いているつもりでそのケーブルだけ家の机に置き忘れたらしい。がっかりである。「紀州」を聴く気満々だったのにまったくがっかりである。
■一応説明しておくと、この先代(十代目)馬生は志ん生の長男で、志ん朝の兄(説明になってないか)。1982(昭和57)年に54歳[※1]で亡くなっていて、生の高座に接したことはない。
■そういえば当代馬生の襲名披露興行は末広亭で観たんだったな。まだ存命だった志ん朝も当然出ていて、たしかあのときは「そば清」だった。トリの馬生は「百川」。小三治や圓蔵も出ていて豪華だったと思い出す。あー寄席行こうかな、とは思うものの、思い立ったときになかなかちょうどいい興行がないよ。「お目当て」の選定がね、むずかしいというか、寄席へ行くのに身構えるのがまず間違ってるんだろうとは思うものの、こっちはいまやごくごくまれに行く身だから多少の欲も出て、どのみち当たりハズレあわせ呑まなきゃいけないことはわかっているけれど、だからこそ二、三の「お目当て」は必要だ。あと、あそこは体力もいるしなあ。
■家に着いてから、布団のなかで「幾代餅」を聴く。「あれ以来、砂糖と塩の区別がつかないんす」「来年の三月はまだでしょうか」のクスグリはやはり楽しい。
- ※1:「54歳」
で亡くなったというのはもちろん、公式に案内されている戸籍上の生年月日、1928(昭和3)年1月5日をもとにした計算だが、この生年月日に関しては馬生本人や周りの者から多少の疑義が呈されているらしく、たとえば弟子のひとり五街道雲助は自身のサイトにこう書いている。
昭和三年生まれ。と、なっていますが、なにしろ父親の志ん生師がぞろっぺいでしたから出生届が遅れて、本当はその前年か或いは大正じゃないかとも言われています。一月十日が誕生日なんですが、志ん生師のおかみさんが「清の生まれたときは暑くてねぇ」と言っていたてぇますから、やはりおかしい。十代目 金原亭 馬生
また、次は馬生本人の言。
「私は大正に生まれたんだか、昭和に生まれたんだかわかりませんで、一度、生年月日、そして生まれた場所を、はっきりつきとめようと思うのですが、親父は『生れたんだからそれでいいじゃないか』ばっかりで」永六輔『芸人、その世界』
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