/ 3 Oct. 2008 (Fri.) 「『ルー・リード/ベルリン』を観る」
■『三四郎』は5冊あった。
■徹夜明け、そのまま仕事をし、ひとまず片付いたので夜、『ルー・リード/ベルリン』を観に行く。渋谷パルコ・パート3の8階にある「シネクイント」でのレイトショー。前回ここに来たのは『ストップ・メイキング・センス』のニュープリント版のときだと記憶し、すると、ここはそうした映画に強い、音響設備が売りの劇場なのだろうか(いま、昼間掛かっているのは『デトロイト・メタル・シティ』だ)。
■まず、よい。涙が出る。ルー・リードやそのアルバム『ベルリン』について不勉強な私がそうなのだから、もっと思い入れが強ければこれは号泣なのだろう。個人的にしびれたのは3曲目、「富豪の息子」だ。これもまた、字幕を見て、そういう歌詞だったのかとはじめて知る。「だが関係ない (But me, I just don't care at all.)」と歌うルー・リードの、その顔がすばらしい。ロックとは「だが関係ない」のことだ、とさえ思える。『ベルリン』を覆う詞は強く物語的で、それはつまり、登場人物の女と男のほかに(あるいはその外側に)「俺」という語り手の存在を意識せざるを得ないという意味で物語的であるわけだが、おそらく33年前、「俺」はあくまで物語の論理を守り、ぎりぎり物語「内」存在として名盤『ベルリン』のなかで語っていたのだと思う(だからこその名盤だ)。しかしいま、「だが関係ない」と歌うルー・リードの顔をまのあたりに観るとき、ステージで歌うその人のほかに「俺」などいないことは誰の目にもあきらかとなる。完璧な作品世界の結構さえ破って生が表出する、それがライブという装置の特権だとすれば、たしかにいま、私が映画館で観たものはライブだった。なるほど音響はいい。映画内の観客の拍手は、あたかもいま劇場内で鳴っているかのように聞こえる。だから、それに乗って、こちらも各曲の演奏後に拍手をすべきなのだ。他の映画のように最後にまとめて拍手をしようと考えていると、そのタイミングを与えずに映画は終わり、すぐに館内が明るくなってしまうから、そこは注意である。
■終映後すぐ、次兄に電話をする。「観たほうがいい」と伝えた。
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