3
Mar.
2009
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/ 3 Mar. 2009 (Tue.) 「シルビアのいる街で」

シルビアにまちがわれる女性(ピラール・ロペス・デ・アジャラ)。DVDのパッケージではなぜかいしだあゆみ風の顔に写っていて印象が異なるが(たんに写真の比率が正しくないのだろうか)、本編ではこんな感じ。

こちらはポスター。

夜、雪。予報で言われていたほどではなく、残念なほどほとんど積もらず。それよりも花粉症がひどい。きょう着て出掛けた服は、きのう、びゅうびゅうと風の吹くなか外で干したものだそうで、きょうことさらくしゃみと鼻水がひどかったのはそのせいではないかという妻の推論。花粉症はあれだ、鍼を受けると副作用的に改善したりするはずだが、去年の後半からとんと足が遠のいている。
というわけで深夜、スペインから届いた『シルビアのいる街で』のDVDを見る。英語字幕だが、ほんとうにセリフはないと言っていいほどの量だし、それでもなお所々は(慣れの問題と語学力から)黙読が追いつかなかったりもするものの、まあ、この映画においてはたいした問題ではない。ややつまずくのはその手前で、そもそもDVDのメニュー画面がスペイン語なものだから、字幕を選ぶのにどれが「英語」だかわからないということがある。「イングレスってまさかなあ」と思いつつ「inglés」を選んだら正解だった(あ、ちなみにセリフはフランス語)。あと、特典メニューのなかのどれが予告編なんだかわからない。
しかしその、いったいこれのどこがこんなに面白いのかについては、ちょっとすぐに適当な説明が見つからないし、適切な映画的知識もないんだけど、いわば〈なにひとつ起こらない〉この映画が、けれど(/だからこそ)すこぶる面白いということにまったく驚かされ、興奮させられる。いくつかのカット(カメラ固定で通りの様子を延々と映しているようなところ)では、飽きるどころか、もう切り換わるのかとさえ思わされる始末であり、つまりまあ、じっさいには相当なことが(おそらくは相当な計算のもとに)〈起こってもいる〉。あと、単純な感想として「だめだろうこの男は」ということがあるけれど、そのことに少なからずうきうきもさせられるのだった。数年前に出会った女性(シルビア)の面影を追い求めながら、スケッチという行為を介して(それを口実に?)視界に入る女性を次々と視姦するうち、ついにシルビア(というか、これぞという女性)を見つけ、何をするかといえば尾行を開始、ぐんぐん尾行したのち、乗り込んだ路面電車のなかでいよいよ声を掛けると「シルビアではない、もう付けてこないで」と女性に諭されて、人違いだったことにがっかりする。って、それ、だめだろう。(ハナシの筋としては、ほんとうに以上のようなことのみである。)
ま、とにかく面白い。DVDを借りたい友人知人のみなさまは遠慮なくどうぞ。

小田亮さんのブログが更新されていた。村上春樹がエルサレム賞受賞講演で行ったスピーチを取り上げ、それをレヴィ=ストロース的な思考の枠組みから高く評価する「『卵と壁』と社会の二層性」という文章がアップされている。なるほどなあと、いつもながらわたしはただただ説得させられる者である。抜き出す箇所としてはあまり適切ではないかもしれないものの、

「卵の側に立つ」ことは、「パレスチナ人の側に立つ」こととは違います。「誰もが卵」なのですから。

という言葉には少なからずはっとした。

本日の参照画像
(2009年3月 4日 21:21)

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