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Apr.
2009
Yellow

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/ 8 Apr. 2009 (Wed.) 「好色唄合戦と転落音図かん」

イベントチラシ。

埋火のセカンドアルバム『わたしのふね』。iTMS での購入はこちら。埋火(うずみび) - わたしのふね

PoPoyansのファーストアルバム『祝日』(Produced by 鈴木惣一朗)。iTMS での購入はこちら。PoPoyans - 祝日

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冨永(昌敬)監督の新作『シャーリーの好色人生と転落人生』が公開間近である。きょうはその公開記念ライブ(「好色唄合戦と転落音図かん」)が、シネマ・ロサと同じビルの地下にあるライブハウスで開かれ、夜、会社をいったん抜けて見に行ってきた。
暗くてわかりにくいかと思うが、右が冨永監督だ。会うとだいたいまず握手を求めてくる。手が分厚いのだった。この握手はことによって威嚇なのではないかというほどの分厚さである。写真はイベント終了後に声をかけたときのもので、監督の胸に貼られているチラシは、さらに『シャーリー』のあと、秋に公開が控えている『パンドラの匣』の〈フライング〉告知。うしろのスクリーンには今作の前身となる『シャーリー・テンプル・ジャポン』が延々と流されていた。
ライブは1組目が「埋火(うずみび)」、2組目が「相対性理論」で、トリは渡邊琢磨 (COMBO PIANO) × 七尾旅人 × 外山明 × cheru (PoPoyans) という今宵かぎりの特別編成バンド。誰も彼もわたしははじめて聴く。「相対性理論がいますごい人気だ」というのは、なんだかわかるような気がした。何でも既知のものに喩えればいいってもんではまったくないものの、途中でふとなんとなく、これってわりとミカバンドなんじゃないかと思ったのだった。いや、ごめんなさい適当なこと言ってますが。埋火もまたよかった。会社に戻ってから、iTunes Music Store でアルバム『わたしのふね』を買う。あと、PoPoyansの『祝日』も買った(これ、鈴木惣一朗さんがプロデュースしてて、PoPoyansはWorld Standardにもコーラスで参加しているんだね、なるほど)
トリをつとめた四人の方々をわたしはほとんど存じ上げないが、まあその、しみじみよかったわけだ。ピアノとドラムによる丁々発止のセッションではじまって、そこにふたとおりの透明な声が加わる。ひととおりのリハーサルはむろんあったにせよ、その場、相手の出方によって次に出す音が変わり、あるいは出さないという選択も可能であるような──たとえば外山さんは途中ドラムを叩くのをやめ、他のメンバーのセッションに聴き入ったり、声に出して笑い、ただ成り行きを見守ったりしていたが──、そのはげしく自由で自在なステージが絶えず客席をリズムに沈めて、そして、まもなく産声をあげる映画のその誕生をたしかに予祝していたという幸福な時間。ラストから二曲目だったろうか、PoPoyansの曲である「おとしもの」がはじまるところで、自分の仕事が済んだのだろうか冨永君が、「すいません、すいません」と客の波を分け入り、最前列手前まで進んでいった。そして聴いている。ZIMAか何かのお酒を抱えてステージを見つめる冨永君の横顔のほうを見つめながら、わたしは「おとしもの」を聴いていたと思ってもらいたい。

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映画『シャーリーの好色人生と転落人生』は、11日土曜より池袋シネマ・ロサにてレイトショー(20時30分〜)。『好色人生』(佐藤央監督、44分)と『転落人生』(冨永昌敬監督、66分)との2本立て上映というかたちだ。

思うに低予算映画の興行というのは、その作品の内容ばかりか興行の形態自体が実験的であることが宿命づけられているわけで、いい映画を撮りさえすれば自動的にお客さんが来てくれるわけじゃない。まあ、あくまで良質の作品であることが前提ですけれども、シリーズの続け方の試みとして、そのへんも見てもらいたいなと。だから「2本立て」になりました。
(『SPOTTED701 / VOL.9』の「冨永昌敬 × 佐藤央 インタビュー」より冨永君の発言)

と語る冨永君だが、また、ライブに先立って行われたきょうのトークのなかでは、「一本の映画の前半と後半をそれぞれべつの監督が撮ったと思ってもらえればいい」という説明の仕方をしていて、そうなると、つまり「リレー映画」という呼び名が浮かんだりもする。
作品のみどころとしてはほかに(って、いままだ観てないですけどわたし)、「擬似方言」という試みがなされていることが挙げられるだろう。この試みについては公式ブログでさまざまに言及されているが、なかで、冨永君が次のように書いていたのにはちょっと笑ってしまった。

この方言は僕のオリジナルというか、研究の成果と言ってもかまいませんけども、実際の全国各地の訛りをソースにしつつ、ありそうでない具合に捏造したものです。というのは、演じる俳優の誰にとっても身に覚えのないものにしなければ、その俳優の出身地方の如何によっては不必要なアドバンテージや望まれないハンディが生じるから。たとえば信州弁を複数の俳優が喋るさいに、長野出身の俳優が圧倒的に有利であるのは当然としても、そればかりか、ほかの俳優が即席の真実味/もっともらしさを得たいばっかりに、その長野県人の真似をすることに気をとられる恐れがありますね。それを未然に防ぎたかったわけです。[太字強調は引用者]
『シャーリーの好色人生と転落人生』 Official Blog : 197.見どころ1

 なんなんでしょうかこの無駄な〈フェアプレイ精神〉は。と思っていたら、きょうのトークのなかで、監督が「擬似方言」へとむかったそのおおもとの趣旨について、「自分の故郷でない場所で、さも自分の故郷であるかのように映画を撮りたかった」という発言があり、それはなんだかとても面白そうだと思ったのだった。
といったわけで、まあ、『シャーリーの好色人生と転落人生』をどうぞよろしく。

本日の参照画像
(2009年4月10日 20:58)

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