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May.
2009
Yellow

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/ 31 May. 2009 (Sun.) 「面会とピーの健康診断、そして『ラストソングスの脱出』」

これは家でリラックスしきるピーだが、まあぱっと見、何がなんだかわからないかもしれない。

まずはきょう31日の出来事から。すでに記したとおりできのう、飼い猫のロビンが急性腎不全のため緊急入院した。退院は火曜以降の予定。診療時間内なら面会はいつでもOKとのことで、午後、ふたたび国立のダクタリ動物病院へ妻と、きょうはピーを連れて。
「猫は病気をがまんしてしまいがちで、気づいたときには重症化しているということが起こりやすいため、年に一、二度は健康診断を受けさせましょう」という貼り紙が病院の待合いにあるのをきのう読み、まあ、ロビンがロビンだっただけにここは真に受けて、ピーを連れてきたのだった。ワクチンも数年前に打って以来だから、診てもらって、問題なければついでにワクチンを打ってもらおうという肚。きのうポシュテを運んだカゴが、2002年11月にピーを茨城の実家から東京まで運んだそれなのだが(ピーはポシュテ同様、実家で拾われた)、いまやそれへ入れようものなら──入るには入るが──微塵も動きがとれないだろう大きさのピーであり、また、4kgのポシュテでさえ片手に提げるかたちで長く持ち歩くのはたいへんだということがきのう知れ、ロビン用の、肩に提げられるかたちのバッグにはじめて入れたはいいが、しかしそれにしても重い。
ついでに説明すれば、ピーはひどく気が小さいのだった。来客があって玄関チャイムが鳴ろうものなら当然大慌てだが、外で車のエンジン音がするだけでそのつど怯え、たいていはベッドの下に隠れる。朝のゴミ収集車や、昼は宅配便のトラックなど、通りに面していないので聞こえて来るのはそれぐらいのものだが、かえってそのために慣れないのか、一階にいれば二階に駆け上がって身を隠している。でまあ、バッグに入れられ、外を歩けばもちろんひっきりなしに車が脇を通るのであり、なるべく裏道から裏道へと辿るも、なかなかに出くわすのが車だ。そのたびにバッグのなかで身をよじり、往生際というものを知らずにもぞもぞとやっている。
そんなピーは6.45kgだった。健康面での懸念としては──いちばん量を食べていないと思われる(ほかの二匹が近づくやすぐに食事をゆずってしまう)のに、そのくせやけにでかくて重いということのほかには──、たまに、毛を吐こうとするのとはまた異なる、へんな咳のようなものをすることがあり、それ、あるいはぜんそくかもしれない──猫にはぜんそくが多い──という先生の見立てだが、しかし症状の頻度からいって少なくとも重度のそれではなく、また、喉のあたりを入念に触診するかぎりではとくに何がどうということもなくて、その他、まずまず健康体であるという診断。
さてロビンはといえば、面会の甲斐もなく(なく、ってこともないけど)、向こう側の壁のほうをむいたまま腹這いに寝そべっている状態で、首にカラーを巻いているからまったく顔が見られず、起きてはいるらしいものの、上体をこちらに向けて反応するだけの元気はいまだなく、なので背中のあたりを撫で、声を掛けただけで、とくに何の進展も期待できないので引き下がることになる。まあ、養生してもらうよりほかないのだった。
ところでロビンだが、本名(?)が「ロビン」であることには依然変わりがなく、きのう連れてきたときも名前の欄にそう記入したからカルテ上も「相馬ロビン」ということになっているのだったが、しかしこの一、二年、妻とわたしからはもっぱら「よしお」、あるいは「よしちゃん」の愛称で呼ばれている。「相馬ロビン」と名札のかかった檻のなかの猫に、面会に来た家族が繰り返しはっきりと、「よしお」「がんばってね、よしお」と声を掛けるのを──そしてその者らが、担当医との会話ではあくまで患者名を「ロビン」として対応しているのを──、いったい病院側はいぶかっていないだろうかということが心配である。
夜は、DVDで『真夜中のサバナ』(クリント・イーストウッド監督、1997年)。いったい全体、なぜこれがこんなに面白いのか皆目わからない、そんな2時間35分である。

「稿をあらためて書くことにしよう」と言って、けっきょくまたこんなに猫のことを書いてしまったのだったが、というわけで、30日に観た、『ラストソングスの脱出』のことを書くとしよう。よかったのだ。
ラストソングスというとこれまで、演し物のなかにいわゆる「完コピ(完全コピー)」と呼ばれるところの「ドラマの引用」を織り込む手法──たとえばごく初期では、テレビドラマ「北の国から」の熱烈なファンであると設定されたふたりがそらでセリフを言い合い、あまつさえ熱演してその名場面を再現、大いに満足しあうといった風景が描かれる、など──が、そのライブを目にしてきた数少ない観客たちのあいだにはよく知られるところであり、今回もまたその意味で、全体がそうした引用(ゴドーを待ちながら、山田太一モノ、濱マイク、などなど)から織り上げられていた(らしい)ことには変わりがないのだったが、けれど今回、その「引用作法」は圧倒的に洗練され、ある意味過剰になって、過剰になることでかえってその「織り目」がほとんどわからなくなる──いっさいのテクストはいま、鈴木謙一によって(あるいはラストソングスによって)書かれたのだ!──という稀有な事態が、舞台上には発生していたのだった。そのさまをどう表現したらいいのかと考えていて、ふと浮かんだのが、再生YMOのアルバム『TECHNODON』に収められた坂本龍一の曲、「CHANCE」だということには多少の説明が要り、つまりこの「CHANCE」は過去のさまざまなYMOナンバーの(ほとんど原形をとどめないような)セルフ・リミックスなわけだが、レコーディングにあたっては最終的に、そこまで組み立てるのに使ったサンプリング音源を用いず、全編を坂本がそれ用に打ち込み直したという代物なのである。譬えがうまくはまっているかはわからないものの、それに似た何かが──そしておそらくもっとすごい何かが──『ラストソングスの脱出』にはあったのであり、つまり、「すべては引用である」とは言われつつもけっきょく「そこ止まり」であることが多い〈インターテクスチュアル〉なる概念を、これほど闊達に体現した舞台はないのではないかと思うのだ。
いや、言い過ぎたな。おそらく言い過ぎた。それほどのこたあないのかもしれない。ないのかもしれないが、そうであるかもしれないというほどの〈脱出への希望〉を──ことによったら将来、俺はこの人たち(こんな人たち!)に泣かされてしまうんじゃないかというほどの畏れを──、わたしは舞台上のふたりから受け取ったのだった。

本日の参照画像
(2009年6月 1日 21:25)

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