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Nov.
2011
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/ 23 Nov. 2011 (Wed.) 「大神宮さまのおかげで、ほうぼうのお払(祓)いに歩きます」

勤労感謝の日(旧「新嘗祭」)。いい夫妻の日。@tak_kamerad さんの誕生日──「ところで私の誕生日はいい夫妻の日らしいがその前日のいい夫婦の日とどうやって共存する気なのか」( via @tak_kamerad )。ハーポ・マルクスの生まれた日。五代目(というのはあくまで自称らしいけど、の)立川談志の訃報が流れた日。
落語がうずまく。
いや、談志だけではなくて、いろいろうずまいてしまうのはやはり、四天王がみんないなくなっちゃったということの感慨がそうさせるのだろうか──もちろんこの場合の四天王は、春風亭柳朝、古今亭志ん朝、三遊亭圓楽、立川談志(以上、没年順)を指す。むろん柳朝のかわりに橘家圓蔵を数えれば圓蔵はまだ存命(というか現役)だし、わたしは圓蔵だって好きなのだけれど、ここはひとつ、柳朝のほうを数えさせていただきたいというのがいまのわたしの心境だ。林家正蔵、古今亭志ん生、三遊亭圓生、柳家小さん。けっきょく誰も師匠の名を継がなかったのだな(ま、柳朝の場合、「正蔵」はもとより継ぐ目がなかったわけだけど)とそんなことを思ってもみたり。
「イリュージョン」というその命名にはずっとなじまなかった。もっといい呼びようがあるんじゃないかと思っていたが、いなくなられた寂しさのなかでは、「業の肯定」の側面よりも「イリュージョン」の側面のほうが脳裏には浮かぶ。
度重なる再利用で申し訳ないが、2008年10月1日付の日記から。

家には『落語研究会 古今亭志ん朝 全集 下』が届く。同梱の解説本には立川談志の「志ん朝のこと」という文章が収められていて、中身は例の、最晩年の志ん朝とのあいだに交わされたという会話の話(「志ん生になれよ」「そしたら兄[アニ]さん口上いってくれる?」「喜んで。だけど、もっと上手くなれよ」「うん」)。もはやおなじみとも言えるエピソードだが、やっぱりこれは泣けるわけで、そして、それに加えてこうあるのを読み、少し当時を思い出す。

余談だがネ。
円歌、志ん朝という二人会があり、志ん朝が体調不良の為欠席。
代演は俺だ。
「円歌が休みゃよかったろう」
場内爆笑鳴りやまず。

 そういえば、この二人会を観に行っているのだった。永澤とふたりで行ったと記憶している。あらかじめ「円歌・志ん朝」のチケットを取ってあったのではなく、直前、「志ん朝の代演に談志」という報を受けてから電話で問い合わせ、キャンセル待ちして取った。この「円歌・談志」の会はたしかそのとき複数回あって、そのうち東京でのそれは取れずに(あるいはそれに談志が代演したというニュースを聞いてからチケットを取ったか)、私が行ったのは千葉でのそれである。せっかくだからと、トリの円歌を聴かずに帰ったんじゃなかったか。当時書いた日記(2001年10月5日付)にはこう残っている。

▼知ったのは枕元まで運んだ夕刊。10月1日。古今亭志ん朝師がこの世を去る。
▼前日には、キャンセル待ちして取ったチケットを手に千葉まで行き、「圓歌・談志二人会」を聴いていた。お目当ては、志ん朝倒れて代演・談志、という歴史だった。
▼二日前には三省堂で『トランスクリティーク』を買っていた。柄谷行人に「戦後に備えろ」と言われた、その矢先。
▼この「戦後」には、志ん生がいない。

 「この『戦後』には、志ん生がいない」と2001年に書いたときのようなショックはない。こちらとしてはさほど悔いもない。75歳だ。「ふとした病」がおとずれるにはちょういい頃合じゃないか。ただ、じわじわと寂しいのだ。だから、かれのことではなく、かれが愛した落語のことを想おう。
さて、すでにとってある今年のチケットはあと二枚。12月21日の小三治と、23日の志らくである。
本日(23日)の電力自給率:43.0%(発電量:12.0kWh/消費量:27.9kWh)

(2011年11月28日 14:24)

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