/ 7 Sep. 2016 (Wed.) 「ニューヨークも、どちらさまも。」
■というわけでひさしぶりに日記( 6日付のこちら)を書き、更新──しようとしたら、Movable Typeが「再構築」時にエラーを吐いて止まる。仇をなしているのは自作のプラグインのようで、それ、2008年ごろ( MT4のころ)に作って以来ずっと何事もなく動いてきたものだが、MT6.2.4へのアップグレードで一部コードの互換性がなくなったということらしい。あわてたものの、さいわい軽微な修正で直り、復活。
■日記は 1月アタマ以来の更新となったが、その間書こうとしたことは何度かあり、それら下書き状態のままの日記がいくつか、Movable Typeやら手書きのノートやらに残っている。そのひとつが 3月26日に吉祥寺シアターで観た『東京ノート』についての文章で、「え、いまかよ」の声はたいへんもっともながら、せっかくだし、若干加筆のうえここにそっと日の目を見させておきたい。
3月26日(土)
■すんなり治ったと思いのほか、ぶり返して足かけ四、五日くらい苦しんでいた風邪から、しかし今度こそすっくり起きあがってきょうは吉祥寺シアター、ミクニヤナイハラプロジェクト『東京ノート』。
■とてもよかった。俳優の労苦と熱量を思えばそう言い表すのもちょっと気がひけるところだけれど、すっきりコンパクトな 75分に映った。増殖し、増幅されたキャラクターたちの声がこちらに届きはじめるちょうどそのころから、その圧倒的な熱量の発散にもかかわらず──いや、むしろその熱量のゆえにこそ──、キャラクターたちはいつしか後景にしりぞいていく。わたしたちは主体ではないのだということを叫ぶための主体たち。入れ替わりに前景化されるのは、作中に言及されるカメラオブスキュラよろしく、映像の投射光によって四角く切り取られて提示される舞台そのもの=世界そのものだ、というその意味において、〈こんなにうるさいのに、こんなに静かな〉演劇。やはり、戯曲の力も大きいのだろう。
■無数のヒトガタを呑み込んで赤い血溜まりが中央に浮かび上がる終幕間際の映像はつまり〈日の丸〉なのだと思うが、そこに含意されているのは〈あの戦争〉に対置されるところの〈この(未だ至らざる)戦争〉だけではないはずだ。われわれが、9条下で、これまでもいまも行っている戦争のことを思う。
「あの戦争を忘れるな」。当たり前。でも、あの戦争のような戦争はこれから起こらない(断言する)。日本が9条下でやってきた、今でもやっている戦争を忘れてはならない。「戦争を忘れるな」とは、そういうこと。3月5日(土)です。 -… https://t.co/mhVmpu2IT7
2016年3月1日 17:21
■さていま、そうこうするうちに日をまたいで 8日の朝──錦織 v. マレーの準々決勝は第5セット、錦織からみて 4-3──だけれど、まずは内藤(祐希)選手、三回戦進出おめでとうございます。6-4, 6-4のスコアで Daria Kuczer (POL)を下したその逐一をライブスコアで観戦。内藤がブレイク 5回、Kuczerがブレイク 3回と、今度もまたワチャワチャした試合だったが、それでも終始、内藤のほうが試合の手綱を握っているといったようなたのもしさがそこここに漂い──ライブスコアに何を読み込んでるんだって話だが──、そこまでハラハラさせられることもなく観戦を終えた──あっ、うーん、4-4。
■ 4-5。内藤はこれでベスト 16。つぎの相手は地元アメリカの Carson Branstine。ランキングはまだ低く、ワイルドカード(主催者推薦枠)での出場だが、二回戦で第2シードを破っての勝ち上がりだ。内藤と同じ 15歳。どうなるのかなあ。内藤にまだまだ行ってほしいよ。このさいぐんぐん行ってほしい。5-5 !
■てな具合にけっきょく、一睡もせずに錦織 v.マレーを最後まで見届けてしまったわたしはそのときかなりな充足感に包まれたわけだったが、いやほんと、すごかった。これでなあ、ハレプも勝ってくれたらなあ、言うことなかったんだけど、そうはならず残念。
My mouth is shut - what a game! #murrayvsnishikori #usopen
2016年9月8日 6:59
■いや、そんなわけで。おつかれさまですほんと。ニューヨークも、どちらさまも。
■本日( 7日)の電力自給率:0.0%(発電量:0.0kWh/消費量:21.3kWh)
Cycling: 1.8km • 9mins 18secs • 39 calories
Transport: 69km • 1hr 27mins 59secs
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