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Feb.
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/ 27 Feb. 2017 (Mon.) 「わたしの作法、その一」

シーツとロビン。2006年5月。

足。

なんでも「その一」を付けりゃいいってもんじゃない、というのはそのとおりながら。
まずは全角と半角、そしてスペースについての自己ルール。日本語で書いているのでもちろん全角が中心の文章になるが、そこに半角(英数字および記号)を挟むさい、(句読点[、。]を除く)全角→半角の切り替わり時には間に半角スペースを入れ、半角→全角と戻るときには入れない──ただし年月日の場合や第x回、第x話といったまとまりについては例外的に扱う──というのがこのサイトにおける、ここ何年かの統一記法。基本的に字詰めというものがないウェブでは、いまのところこれがいちばんきれいに(見た目の違和感が少なく)、わたしには感じられる。具体的にはこんな感じ。

〈スペースを入れない〉
25日には「Dance in Asia 2017」でCCDCを観た。森下スタジオは2011年以来?
〈すべてにスペースを入れる〉
25 日には「 Dance in Asia 2017 」で CCDC を観た。森下スタジオは 2011 年以来?
〈わたしルール〉
25日には「 Dance in Asia 2017」で CCDCを観た。森下スタジオは 2011年以来?

 どうでしょう?
 もちろんこんなルールを律儀に当て嵌めて書いているのは自サイト内だけだし(自サイト内でも古いものはこうなってない)、コピペで持ってこられる他サイトからの引用については、原文を尊重して統一していない場合がある。
つぎは記法ではなく文章そのものの作法で、括弧書きについて。括弧書きは、括弧でくくられている部分を読んでも、読まなくても、文章がつながるように挿入するというのが個人的な指針。いや、いま、いざ〈そうなってない例〉を示そうとして、日頃はネットでよく見かける印象のあるそれがなかなか見当たらずに困っているのだが、わかりますかね?
 これはいい例(ついそう書いてしまう気持ちが伝わる例)ではあんまりないが、たとえばこんな感じ。

〈括弧内を含めてひとつづきに読んだ場合に、閉じ括弧の前後が気持ち悪い〉
読み手が理解できないような論理的なつながり(たとえば、前の一文と後の一文がどうしてつながっているのか判らないような文章)の文章は、すなわち、書き手の思考がおかしい、ということを意味する。
〈括弧内を読まず、無いものとした場合、文章がつながっていない〉
読み手が理解できないような論理的なつながり(たとえば、前の一文と後の一文がどうしてつながっているのか判らないような)文章は、すなわち、書き手の思考がおかしい、ということを意味する。
〈こうすれば解消されるという一例〉
読み手が理解できないような論理的なつながりの文章(たとえば、前の一文と後の一文がどうしてつながっているのか判らないようなそれ)は、すなわち、書き手の思考がおかしい、ということを意味する。

 より避けたいと思うのは真ん中のパターンで、括弧を開いて書いているうちにその文にのみ集中してしまい、括弧を閉じる間際の語とのつながりだけでもとの文に復帰してしまうというもの。たいていはちょっとの工夫で回避できるのだが、どうしてもこの指針に添ったかたちで挿入できないという場合には、そもそも括弧書きにせず、外に出して記述すべき文章なのでは? と疑う必要もある。わたし自身がつい括弧書きを多用しがち(イコール、読みづらくしがち)であるため、自戒のために気をつけている次第。

Walking: 3.3km • 4,622 steps • 49mins 6secs • 154 calories
Cycling: 1.4km • 7mins 9secs • 30 calories
Transport: 69.5km • 1hr 18mins 10secs
本日の参照画像
(2017年3月 6日 16:53)

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