/ 6 Apr. 2017 (Thu.) 「木須肉が好きだ / 偽文士のあれ」
■きのう付の日記で、やや唐突に
■だからっていきなり、木須肉の情報だけ寄こされても、全体で何ピースあるのかわからないジグソーパズルの 1ピースだけを渡されるようなものだと思うけれども、ともあれ、わたしは木須肉が好きなのだ。たいていは「この、きくらげと卵の……」とか「 2番で」とか言って頼むので、「ムースーロー」と読むらしいことも日記の記述のためについこないだ調べて知ったのだし、なんだったら「須」と「木」と「肉」の並び順だっていつまでたってもあやふやなままなのだけれども、ともあれ、わたしは木須肉が好きなのだ。
■ほんとうは、わたしのなかでの木須肉のイデアは「塩味」なのであり、それはもう 20年も前、吉祥寺駅の公園口(南口)を出てすぐのところにあった中華食堂のそれが塩味だったからだが、その店(もうとっくにない)ののち、出会う木須肉はことごとく「しょうゆ味」なのだった。「いやー、(本場のことは知らないが、おれ的には)塩なんだけどなあ」と思い思い、毎度のように頼んでは「うまいうまい」と食べている。つまり、しょうゆ味もうまい。
■で、折しもその木須肉の出てくるきのう付の日記──木須肉はちょい役であり、全体としては慰安婦問題を扱っている──を書いているときもとき、筒井康隆の例のツイートがリツイートされ、タイムラインに流れてきたのだった(最終的な日記の更新は翌 7日だったけれど、大半はこの日に書いていた)。最初にそれをわたしのタイムラインにもたらしたひとは、その後にリツイートしているものなどを見るにどうやら好意的に、筒井ファンとしてリツイートしたようで、その時点ではまだ二、三人ぐらいしか反応していないほどの、ごくごく早い段階でのリツイートだった。
■でまあ、ぎょっとしたのち、出典であるところの「偽文士日碌」(四月四日付)に全文を読みにいく。結果がっかりするのだけれど、そこにおいて決定的に〈俗悪〉であるのは、おもに話題になっていると思われる後段のセンセーショナルな部分ではなく、むしろ前段のこっちである。
長嶺大使がまた韓国へ行く。慰安婦像を容認したことになってしまった。
しばらくさかのぼって読みもしたが、ほかに係り受けの関係にあるような記述も見当たらず、ひと段落だけ唐突に出現するかたちの件の記述においては、この前段部分が、ひとえに後段部分の読みのコードを規定している。
■連載開始時の「はじめに」のところで説明されているとおり、「偽文士日碌」は「文士のパロディをやってみようと」する老作家によって書かれているわけだが、同時に、そのパロディは公私(と言ったらいいか虚実と言ったらいいか)にわたって切れ目なく演じられるパロディであることが宣言されてもいて、もはや〈メタな語りの位相〉といったものを想定することも不可能な──その意味で外部のない──テクストが、作家自身によって生きられていることになっている。だから、その試みの成否にかかわらず、土台読者は〈真に受ける〉よりほかにない構造なのであって、であれば、率直にただ「がっかりだ」と申し述べておきたい。
■と書いているうちに、後段にある「あの少女は可愛いから」の意味の二重性──「可愛いことで欲望の対象になるだろうから」という意味と、「可愛い像であることが慰安婦の表象として相応しくないから」という意味──にもやっと気づいたのだけど、とはいえ、そこにおける読みのコードを決定するのがやはり前段である以上、けっきょく、その二重性にもたいした振幅はないように思われる。
Cycling: 2.3km • 11mins 43secs • 51 calories
Transport: 70.1km • 1hr 24mins 34secs
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