/ 12 Apr. 2017 (Wed.) 「中学のときに何を読んでいたか問題(長いが成果はなし)」
■ 7日付の日記(「とりあえずの引用たち」)を更新。その最後でちょろっと南波(典子)さんに登場いただいて、そのことのメンションを送るとすぐさまリプライがある。
@soma1104 あはは、恥ずかしいわあ。ところで相馬くんは中学生の時なに読んでましたか?
2017年4月12日 12:33
なぜそんな質問? ということについては南波さんの日記( 4月7日付「新生活」)をお読みいただくとなんとなく把握いただけるかと思う(わたしも詳しいことは知らない)が、ともあれ、わたしの返信はこんな感じ。
@otocin_t 中学の時ですかあ。おもには、すでに上京済みの兄二人が子供部屋に残していった本棚からつまんでいたのかなあ。すぐ思い出せるのは糸井重里『私は嘘が嫌いだ』村松友視『私、プロレスの味方です』マンガで鴨川つばめ『マカロニほうれん荘』コンタロウ『ルーズ! ルーズ!!』。
2017年4月12日 13:19
@otocin_t ほか、長兄の本棚には筒井康隆が、次兄の本棚には片岡義男が揃ってました。自分発の趣味はというと、どれもマンガですが水木しげる、ルパン三世、浮浪雲あたりかなあ。あ、「萬流コピー塾」の単行本は自分で買って読んでましたね。
2017年4月12日 13:21
■これでもいっしょうけんめい思い出してみたのだが、「中学生の時」という指定がネックで、とりわけ中学/高校のところの境が茫としている。「浮浪雲」(ジョージ秋山)はさすがに高校だったんじゃないかと思いたくなるものの、でも、TBSでやっていたビートたけし版のテレビドラマは放映が 1990年10月〜 1991年3月で、計算すると中3のときだ。親は裏番組の「ニューヨーク恋物語Ⅱ」(田村正和、篠ひろ子)を見ていたので、二階のテレビでひとりで見ていた。で、このドラマで知ったのではなく、ドラマ開始時にはすでに原作ファンだったはずだから、やっぱり読みはじめたのは中学のときということになる(あ、そういえば、いま全然読んでませんね「浮浪雲」)。
■むしろ「こういう読書だった」という記憶の輪郭がはっきりしているのは小学生時代のそれで、当時はルブランの「アルセーヌ・ルパン」シリーズと、そして「偉人伝」だった。とにかく「偉人伝」シリーズは読破したことを誇っていた。いや、偉人伝なんか何をもって「読破」なんだって話だけれど、たぶん学校の図書館にあった何かのシリーズのそれ(いま、ざっと画像検索してみたけど判然としない。ポプラ社の「子どもの伝記全集」あたりかなあ)を片端から読み、とりあえず所蔵分は読みきったんだと思う。で、それについてよく覚えているのは、奥付からノンブル(ページ番号!)まで、本に印字されている文字のいっさいを読まないと「読んだことにしない」という強迫的な読書ルールを自己に課していたことで、その理屈はいまやよくわからない。だから、いま思うとそれはいわゆる「読書」なのではなく、またべつの、当時のわたしが考案して楽しんだ「そういう競技」だったような気もしてくる。
■あ、さらにいえば、それら偉人伝の数々をとおして学んだ「善い行い(とは何か)」にたいする、最終的なひっくり返し的教科書として、中学のときの「浮浪雲」はあったんじゃなかったかな。
■「これは中学だな」とわりあいはっきりしているのは「萬流コピー塾」(糸井重里)あたり。と思っていたが、よくよく年を調べるとこれも怪しくなってきた。萬流コピー塾はまず『週刊文春』誌上の連載を読んでいたはずで(一度か二度投稿した覚えがある)、ウィキペディアによるとその連載が 1988年( 3月に小学卒業、4月に中学入学という年)に終わっている。微妙だが、すると出会ったのは小学校高学年だったことになるか。ともあれ、中学のときに将来の夢として「コピーライター」を(ほかにとくに思いつかなかったこともあるが)挙げていたのはたしか。
■でまあ、そもそもなんで文春なんか読んでるのかってことだが、これはほぼ毎号、父が買っていて家にあったのだった。ツイートで言及した兄の蔵書のほかに、子ども時代を通じて身近な娯楽としてあったのがこの父の定期購読誌たち──『オール讀物』、『小説新潮』、『小説現代』、それと『週刊文春』と『週刊新潮』──だ。いま大人になってみると、〈なんて通俗的な講読ラインナップだったんだ〉ということにむしろ驚かされるが、ともあれ父が買ってくるそれらから、おもにはマンガを拾い読みしていた。もちろん、いちばん好きだったのはいしいひさいち(『オール讀物』の「忍者無芸帖」)と、谷岡ヤスジ(『小説現代』の「ヤスジのドナンセンチュ」)。あと、このために、砂川しげひさ(『小説新潮』の「しのび姫」)にもわりあい親しみがある。
■ところで、ツイートに書いた「兄が子供部屋に残していった文化のなかで育った話」は前にも何度か書いたことがあるのだが、
〔略〕まあ、長兄と次兄が高校までを過ごした子供部屋をそののちあてがわれ、両者が残していった蔵書やレコードに囲まれつつ育った者として、そこにあった「趣味の残り香」について記憶を書かせてもらうならば、次兄の場合たとえばそれは「薬師丸ひろ子」や「片岡義男」だったわけだ。薬師丸ひろ子関係はビデオ(多くはテレビ録画)もレコードも写真集も揃っていて、だから、逆に言えばそれほど世代でもないのにブームを追体験してしまっている私のほうがちょっとまずいことになっているとも言えるのだった。
■と書いているうちに後年の兄がファンだった当時をふりかえって説明していた言葉を思い出した。くだらないので紹介しよう。『セーラー服と機関銃』と『時をかける少女』が代表的であるように、当時、薬師丸ひろ子主演映画は二大看板であるところの原田知世主演映画との二本立て上映というのが基本だったわけで、さらにはおそらく映画館が「入れ替えなし」だったりもして、日に何度も『セーラー服と機関銃』を観るというようなことを兄はしていたらしいのだが、そんな兄がはじめて『時をかける少女』を観たのはそのあと何年も経ってからだった。兄は言う。「硬派のひろ子ファンは原田知世を認めず、同時上映作品のあいだロビーに出ていた」。
2006年11月7日付「兄の薬師丸ひろ子への愛を語ることで自身の薬師丸ひろ子への愛を語る」
その、この日記にたいして、更新当時に長兄がコメント欄に書き込んでくれたのが以下の文章だ。これ(このコメントもすでに 10年前のものだが)、個人的にすごく面白いので、このうえさらに長くなるが丸々引かせてもらいたい。
■私は最近「早春物語」を見ました。おもしれーぞ。時代や自分のある年齢へのノスタルジーでは済まされない、浮き足だったドス暗さに釘付けになったのだった。知世ちゃん、あなたはどこへ行くのか?「角川」とは何であったのか?
■「原田知世コンサート/今までの私、これからの私」を神奈川県民ホール最前列で見たのは19歳だったし、「早春物語」を封切りで見たのは20歳だった。「時かけ」にはしゃぐ兄をみて、弟は「セーラー服」へ向かったのか、いやそうではあるまい。「セーラー服」にはしゃぐ高校生の弟をみて、大学生の兄が「時かけ」に向かうといった、まずいことになっていたのではなかったか。いずれにせよ一方の私(たち)はだいぶ後になって「セーラー服」を見ている。私(たち)はよく言ったものだ。「森田、大森は認める。だが、相米は認めない。」と。恥ずかしかったからだと思う。そしてなぜか「大林」は話題にならない。恥ずかしかったからだ。
■現在、末弟の趣味の残り香に長兄が住むという円環のなかで、ちかごろなにげに手を伸ばしたのが「八つ墓村」だったのがまずかった。気が付けば、黒い不吉な背表紙を全て読み尽くし、「角川映画」の新作の封切りを心待ちにしているのであった。
同上のコメント欄
なお、最後に出てくる「末弟の趣味の残り香」のひとつ=「黒い不吉な背表紙」=横溝正史は、しかしこれは高校に入ってからの読書だと思う。
■というわけで、いろいろつぶさに思い出そうとするも非常に漠としており(思い出そうとするそばからどんどん記憶がほどけていき)、総じて碌なものを読んでなかったんじゃないのかというのが中学時代である。だから、
@soma1104 ありがとうー。参考にさせていただきます。
2017年4月12日 13:44
と南波さんは言うものの、まったくもって参考にならないと思う。それでもいちおう、万が一ほんとうに南波さんが参考にしないともかぎらないことを思って付け足しておくならば、「浮浪雲」は、むしろ 1巻から読みはじめないほうがいいと思います。連載初期( 10巻ぐらいまでだったかなあ)はまだ絵も登場人物像も固まっておらず中期以降とちょっと印象が異なるので、無理に 1巻から読もうとせず、手に入る巻から読むのがいいんじゃないかと(ただ、現在も連載がつづく「浮浪雲」の最新巻はなんと第109巻であるらしく、たしか 50巻前後までは買い揃えていたはずですが、そっからこっちは読んでないので知りません)。
Cycling: 2.7km • 13mins 34secs • 59 calories
Transport: 85.7km • 2hrs 4mins 53secs
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