/ 14 Apr. 2017 (Fri.) 「志ん好の『居残り』がよかった」
■夜、神保町のらくごカフェで、第二回廓噺研究会/志ん好・馬治二人会。
天狗裁き 金原亭馬治
居残り佐平次 古今亭志ん好
〈仲入り〉
文違い 金原亭馬治
■廓噺研究会の志ん好はアタリが多い。と言ったってまだ二回しかやってない会だけど、某日、会ったときに「 4月の廓噺研究会は行きますよ」と言ったら、「ああ、ぜひ。あれは(自身のなかの基準で)ちゃんとやる会ですから」と笑っていた。どの程度シャレで、どのくらい本気かは知れないが、このひとはわりあいこういうことを言うのであり、そしてわたしは、このひとのこういう言い様がべつにきらいではない。噺家らしいとも思う。まあ無理に引き合いに出すこともないのだが、大師匠のさらに師匠にあたる志ん生の、「芸と商売とはおのずから別っこのもん」(結城昌治『志ん生一代』)という言葉が想起されもする。こっちはこっちで、半ば本音、半ば言い訳というようなものだったと思うけども。でまあ、もちろん、「ちゃんとやる会」「やらない会」ともに、まだまだもっと底上げを願うところではある。
■何の話だっけ。
■そう、志ん好の「居残り佐平次」がよかったのだ。ほんとうに。いくつか無くてさみしいクスグリもあったけど、でも、高座の上にはたしかに佐平次がいた。そのことの僥倖は大きい。いよいよ佐平次が〈生まれる〉その瞬間はとても嬉しくなる。今日の場合その瞬間は、勝五郎(かっつぁん)が気を許した直後に佐平次が言う、「じゃあちょいと上がらせていただいて」ってところだった。クスグリというわけではない何の変哲もない言葉だが、むしろそこに、演者がもはや意識せず佐平次〈である〉という瞬間が訪れたように思える。
■無くてさみしかったクスグリというのは、「歯が丈夫なんですな!」というあれ。あとまあ、「うなじですよ、うなじ、うなぎじゃあないよ」のシーンもなかった。それと、これはクスグリじゃないが、「今夜、ゆんべの三人がまた来る手筈になってる」と嘘をつく場面の、「ゆんべ無地を着ていた者は今夜は縞、縞を着ていた者は絣」っていうのも無くてさみしい。まあ、あるいはそれらは尺を意識してのカットだったのかもしれないし、すっきり刈り込み、骨格だけでもって成立させようという意気だったのかもしれない。はたまた単純に、直接噺を教わった師匠(志ん五ではない誰か)の型がこうだったということかもしれないが、なのだとすればそこはそれ、悔しがる花魁が妻楊枝をばりばり噛むところ(で、「歯が丈夫なんですな!」につながる)などは志ん朝ゆずりの志ん五もそっくりそのままやっていたので、できればそっちの話型をこそ受け継いでもらいたいところではある。
■「あばよ」と言い捨て、終幕前に去っていく佐平次がしっかり〈アンチヒーロー=悪漢〉であったことも特筆しておきたい。白浪五人男から拝借したセリフで気持ちよく悪党ぶっている可笑しみと、その可笑しみの枠から逸脱してしまう悪漢の横顔という、なんとも得体の知れない魅力を湛えた佐平次が、図らずも(?)そこに現れていた。
■そういえばマクラで「おこわ」の仕込みをしてないな[※1]、ということには途中で気づいたのだったが、案の定、サゲはオリジナルのもの(かどうかは知らないが、はじめて聞くもの)だった。
- ※1:「おこわ」の仕込みをしてないな
元来のサゲに出てくる「おこわにかける」(だます、の意)が完全に死語であるため、マクラでそれとなく言葉の説明をしておくのが一般的で(志ん朝がこれ)、また、サゲを独自に改変する演者も多い(談志、小三治らはこっち)。
そのサゲは、やはり旦那と若い衆の会話で、「で、あいつはどうした」「へえ、駕籠に乗せられて行っちまいました」「なに駕籠に乗せられて。ああ、アタシは口車に乗せられた」というもの。なるほどね。悪くはないと思うし、土台、もとのサゲがたいしたサゲではない(耳慣れているという以上のアドバンテージがあるとは思えない)ので、マクラを短縮できるという利点も思えば、改変すること自体に異をとなえたいわけではない[※2]。
- ※2:改変すること自体に異をとなえたいわけではない
と書いた直後になんだが、いっぽうでいま、「ちきしょう、おこわにかけやがって」「旦那の頭がごま塩ですから」のほうの、あるべき演出というものにも気がついた。というのはつまり、物語全体に奉仕するサゲとして演るのではなく(そう演ってしまうと、どうしてもこのサゲは弱い)、アンチヒーローのすでに去ってしまった〈物語以降〉を現出させるものとして、あくまで旦那と若い衆の日常として演るのが正しいのではないかということ。その意味では、サゲだからと一調子張り上げるのでも畳み掛けるのでもなく、ふとシャレを思いついてちょっと吹き出すというようなわずかな間ののち、「えへへ、旦那の頭がごま塩ですから」といったふうに演るのがいいのではないか。
とはいうものの、シャレとしての結構が整っているだけに(それゆえ物語全体と響き合ってしまうために)、ちょっとした難癖を付けたくもなる。というのは「口車」の「クルマ」が、駕籠との対比のなかで「俥」にも掛かっていると当然受け取れるわけだが、しかし、連れの割り前を「二分ずつ」、ゆんべの三人が坂の上から乗ってやってくるのを「駕籠」とする志ん好の演出ではどうしても時代設定を「江戸」と受け取りやすくなっており、そこに「俥」に掛けたシャレが出てくることの違和感が──すいませんね、難癖で──あるのである(なお、志ん朝の場合はそれぞれ「一円ずつ」と「俥」で、明治の設定になっているとわかる)。
いやまあ、さらに読もうと思えば、時代設定を「明治3年ごろ」(通貨が「円」と定められたのが明治4年、明治3年には人力車の製造・販売が開始されている)と考えることで矛盾を解消することができ、さらには〈駕籠/俥〉という対比(もしくはその「二重性」?)に物語全体に寄与するようなメタファーを見出すこともできそうな気がしてくるのだったが、そこまでの含みをもたせるには、それはそれでまたべつの「仕込み」が要るような気もする。
■何の話だっけ。
■そうそう、以上のようなこまかなひっかかりは(むろん発展途上にある高座として)いろいろあった[※3]わけだが、それでも、今夜の「居残り」はとても、とてもよかった。なかば思いがけず、幸せなひとときを過ごした。
- ※3:こまかなひっかかりはいろいろあった
なかでも最大にダメを出したかったのは冒頭、連れを遊びに誘い出すシーンで、「あれ? 連れは一人だけ?」と勘違いしてしまいそうな演り方になっていた。あそこはもうちょっとだけ丁寧に、複数人いることを示すべきだとこれだけは直接本人に伝える。やな客である。
■廓噺研究会、次回は 8月2日らしい。そういえば「五人廻し」「居残り佐平次」と、廓噺とは言いつつほぼ男しか出てこない二題がつづいた志ん好だ。つぎは何だろうな。三枚起請? 品川心中? 明烏?
■夢だけを言えばね、いつか「たちきれ線香」にも挑んでみてもらいたいのだけど、それはまあ、さすがにまだまだ果敢に過ぎるだろうか。
Cycling: 3.5km • 19mins • 77 calories
Transport: 74.7km • 1hr 32mins 42secs
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