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May.
2017
Yellow

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/ 26 May. 2017 (Fri.) 「語り芸パースペクティブ第二回、節談説教」

丘の上のロビン。2011年12月。

17:56
Yellow。19日付「可決」
18:29
おれ in 亀戸。

「語り芸パースペクティブ」の第二回。総論的な前回の導入につづき、いよいよ今夜から実演に接するというその初回は、浪曲・講談・落語等、現存する日本のあらゆる語り芸の母胎となったとされる「節談説教(ふしだんせっきょう)」。石川県のお寺のご住職である廣陵兼純(ひろおかけんじゅん)さんによる 40分の説教(節談説教としては 40分はやや長尺で、通常は 2、30分ぐらいとのこと)と、「節談説教研究会」の活動もされている釈徹宗さんによる解説、最後にホスト役の玉川奈々福さんもまじえての鼎談という構成で二時間。
節談説教というものを聞くのはこれがはじめてなのだが、これは浄土真宗のものだそうで、江戸期に隆盛・発展し、昭和2、30年くらいまではふつうに、真宗の説教のひとつのスタイルとして──とはいえ非常に地域性が強く、各地方ごとに何々節、何々節というふうにそれぞれの節回しが形成されたものが、だが──広く展開されていたらしい。廣陵さんの師匠である範浄文雄(のりきよぶんゆう)は昭和期の名人として著名で、「御堂潰し」の異名をとる(その説教が聞きたいと、本堂の床が抜けんばかりに聴衆が詰めかけた)ほどだったというが、それが戦後になり、おもには教団内部からの(本質的なものから言いがかり的なものまでさまざまな)批判1]を受けて一気に衰退、節談説教は、近代的な講義形式による説教、法話に置き換えられていく。それでほぼ絶滅しかけていたのだが、小沢昭一らによる芸能の側からの「再発見」を経て、いままた再評価の気運が高まり、若い担い手も生まれているというのが今の状況とのこと。

1:批判

本質的なところでいえばたとえばひとつに、オーラルなものがほぼ不可避にナショナルなものへと結びついてしまう、〈語り〉のもつ抗いがたい魅力のその〈あやうさ〉への忌避があったのかもしれない。

舞台正面奥には六字名号の軸の掛かった祭壇がしつらえられ、その本尊を完全に背にしてしまうのを避けるためかやや下手寄り、客席にたいして軽く斜めを向くようにして高座が用意されている。あくまでも「法要」の形式にのっとって勤行からはじまり、「光顔巍巍(こうげんぎぎ)」の読経2]があった。

2:読経

ところで読経の最後にはあのシビれる四連句、「願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国(願わくは此の功徳を以て、平等に一切に施し、同じく菩提心を発して、安楽国へ往生せん)」が読まれるわけだが、これが「正調」ということか、かなりあっさりとした節だった。思えば、これをあんなにドラマチックな節に乗せて読んでいた父のあれも、〈語り的愉楽〉のほうへと半歩ぐらいは踏み入るようなところがあったのかもしれない。

釈さんの解説の受け売りだけれども、おおよそ説教は「讃題」「法説」「譬喩」「因縁」「結勧」の五つの要素から成るといい、今夜の説教もその構成にのっとっている。「讃題」は「今日はこれについてやりますよ」という提示で、経典からの句の引用。今夜の場合は「正信偈」の冒頭部分を書き下し文で読んでいた。
つづく「法説」はその引用箇所の解説。「帰命無量寿如来 南無不可思議光」という冒頭の二句が言うのは、「われわれがほんとうに(たの)むべきものは何か」ということだ、といったような解説がされ、人が恃むものといえば一般に「我が身、家族・親族、お金」だけれど、はたしてそれらは恃むに足るたしかなものか? という、このへんはとても仏教的な問いが、気さくな語りのなかに投げかけられる。このあたりから話しぶりもくだけてきて漫談風になり、笑いを誘うときのはっきりした型も現れる。かと思うと不意に「法説」の語りが回帰し、「正信偈の言う恃むべきものはたったふたつ、『命』と『光』だ」というようなことが言われるとき、そこでは取捨される語と調子の自在さが論理的な道すじを超え出、〈真宗的な心性〉へと迫ってみせる巧みさがある。
「譬喩」=たとえ話となれば漫談風の語りはいよいよ自在で、たとえば親子の情愛が語られたあと、南無阿弥陀仏の名号を(とな)えるその行いが、生まれた子の名を親が呼ぶ行為=われが親だぞという名乗りにたとえられるのだが、そこでは、呼ぶ主体と呼ばれる名との奇妙な主客の転倒が起こっていることをこちらに気づかせぬまま、「南無阿弥陀仏の名号を称えるそのとき、まさにお前の名を弥陀が呼ぶのだ」と説教は調子を上げてたたみかける。わたしなぞは、ここで滂沱だ。

22:04
語り芸パースペクティブ第二回。節談説教。因縁に入る前の半ばの盛り上がりで滂沱。そりゃあねえ、お前の名を弥陀が呼ぶのだと言われちゃあねえ。名号を唱える主客がたちどころに転倒し、その非論理が語りのなかに成立してしまう、これはやっぱり阿弥陀のすごさ。帰命無量寿如来、南無不可思議光!

これはあとになって気づかされることだが、この(非)論理にのっとって考えるならば、阿弥陀が呼ぶわたしの名もまた「南無阿弥陀仏」の六字なのであって、つまり、わたしもまた阿弥陀であるという、言葉の本来の意味での「回向(えこう)」の思想がここでは語られてもいる。
「因縁」の段で今夜語られたのは新羅の「加典兄妹」(エミレの鐘)のエピソード。ここはもう完全に「語り」であり、見事に浪曲・講談のプロトタイプという態だ。釈さんの言い添えるところによるとこの「加典兄妹」は、落語における「道灌」、はたまた(上方であれば)「東の旅発端」のようなもの──つまり、説教師がだいたい最初に習う、さまざまな基礎技法の詰まった話──であるらしい。
で、最後にふたたび文語調となって仏法にもどるのが「結勧」。

讃題に ついて離れて またついて 花の盛りに 置くが一番

というのが節談説教の「極意」のようなものらしいが、まあね、その「花の盛り」はほんとうにすごかった。
ところで、前述の範浄文雄のような大スター=名人も生み出した節談説教だけれども、その「名人」性ということについては、あくまで布教・伝道の行いである節談説教において、それが「名人芸」として、非常に高度な個人芸として帰着させられてしまうことが論点ともなる、と釈さんは指摘する。とはいえ、門徒としてごく楽観的なことを言うならば、いかな「名人」が現れようとも、その背後にはつねに「阿弥陀という大名人」がいるわけで、まあ、その声を聞くかぎりはだいじょうぶなんじゃないかという気がしないでもない。
鼎談のパートは廣陵さんの修業時代の話など。弟子は師匠に同行し、その前座(芸能における前座の語源で、「まえざ」と読ませる)を務める。法要の期間中、説教は日に三回行われ、そのつど前座も説教を行う。見よう見まねで覚え、かつ自分なりに考えるのが基本で、教わったり、注意を受けたりといったことはとくになかったと廣陵さんは述懐する。ただ、前座で「師匠をまねたような説教」をしていると不意にマイクの電源を切られたという。それは「こわい」ね、すごく。あと、範浄文雄は大のプロレスファンで、金曜8時にテレビの生中継があったそのころ、金曜夜に説教があるときは「お前が 9時までやってろ」と言われたとか。
てな感じかな。いいかげん長いし。次回・来月は説経祭文+瞽女唄(ごぜうた)である。

話変わって内藤祐希は、ダブルス準決勝で敗退。ミラノの今大会はこれにて終了。

ダブルス準決勝
Caty MCNALLY, Whitney OSUIGWE (USA) d. Yuki NAITO, Mai HONTAMA (JPN) 6-3 6-2
@ 58th Trofeo Bonfiglio - Campionati Internazionali d'Italia Juniores

Walking: 6km • 8,935 steps • 1hr 34mins 53secs • 284 calories
Transport: 93.4km • 2hrs 5mins 51secs
本日の参照画像
(2017年5月31日 13:35)

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