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Feb.
2018
Yellow

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/ 4 Feb. 2018 (Sun.) 「東銀座へ行くなど」

ここに至ってついに、仲が悪いという設定を忘れる場面が出てきたふたり。

ロビンとピー。2016年4月。

かたちはさまざま、やり口(笑)もそれぞれだが、どうやら続々と大場(みなみ)さんのもとには手紙が舞い込んでいるようでうれしい。なんでわたしがうれしいんだって話だが、まあ、うれしい。
午後から出かけて東銀座は歌舞伎座。「二月大歌舞伎」の夜の部を母と観る。いままでの(九代目)松本幸四郎が(二代目)松本白鸚を、(七代目)市川染五郎が(十代目)松本幸四郎を、(四代目)松本金太郎が(八代目)市川染五郎を、親・子・孫三代で同時に襲名する披露興行。さらにこの高麗屋三代の同時襲名は二代連続(と言えばいいのか?)で、37年前の 1981年に、順繰り繰り下がって初代白鸚・九代目幸四郎・七代目染五郎の三人も同時に襲名披露を行っている。
「筋書」と称して売られている公演パンフレットに、演劇評論家の上村以和於さんによる「高麗屋の芸その多様性」という文章が載っているのだが、笑ったなあ(「すごくよかった」の意味です、念のため)。その終わりちかくの一節。

思えばその三十七年前、このとき初代白鸚となった先代の大星由良之助が、たしか八歳だったと思うが孫の七代目染五郎の力弥と、花道に置いた小さな木戸を境に、酔いにまぎれて交わすやりとりの有様は今も私の眼底に生きている。「園町を離れてから急げ」と力弥の背に掛けた声音が、白鸚の声の聞き納めだったような気がしているのだが、じつはこれは錯覚であったかも知れない。

 いやね、ふつうに考えれば「聞き納め」のはずがないんですよ、七段目、そのあとも話続くし。でもそれを記憶と心とに素直に書いて大きなデタラメを出現させ、「〜ような気がしているのだが、じつはこれは〜」というすっとぼけ方も抜群に、デタラメをそこに置きっぱなしにする手際があざやかだ。あはは。「じつはこれは錯覚であったかも知れない」じゃないよ。読んで一瞬、俺が書いたのかと思ったじゃないか(わたしが書いたとすれば当時 6歳だから、聞き納めた=そのあと寝てしまった可能性もなくはなく、筋はとおる)。
「熊谷陣屋」、「芝居前」からの「口上」、そして「七段目」。総じてとてもよかった。「芝居前」のツラネ(と呼ぶらしい)でだいぶやられていたのだけど、「口上」でいよいよ泣く。まったく型どおりに述べられる口上というのはひじょうに広大な余白のようなところがあるから、ちょっとずるいんだよ。

Walking: 5.1km • 7,146 steps • 1hr 24mins 40secs • 242 calories
Cycling: 3.8km • 21mins 8secs • 84 calories
Transport: 107.9km • 2hrs 8mins 10secs
本日の参照画像
(2018年2月 6日 01:00)

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