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Mar.
2018
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/ 20 Mar. 2018 (Tue.) 「富山太佳夫先生最終講義 / 米朝一門会」

講義終了後に花束を受け取る富山先生。

1983年の映画『細雪』から、当時は小米朝の桂米團治。「奥畑の啓ぼん」。

ロビン。2016年10月。

このところいろいろと遊びすぎ(出かけすぎ)なのでちょっと気後れがし、妻には出がけに「夜、落語を見てから帰る」とだけ伝えたのだったが、じつはその前に会社を早く退け、立正大学の品川キャンパスに行ったのは富山(冨山)太佳夫先生の最終講義だ。わたしが知るのは成城大学時代の富山先生で、べつにゼミ生だったわけでもなく学部の講義をいくつか受けたことがある程度なのだが──そして同時に、『方法としての断片』『ポパイの影に』等々の著作に(もちろん翻訳にも)多大な刺激をもらった者であるのだが──、ともあれこれは行くべきだということで。
そこそこ広めの教室に集まった聴衆は 80名ほど。80名でも「少ないな」と思える数だが、現れた富山先生は 20部くらいのレジュメしか手にしていない。「いや、ヒトケタぐらいだろうと思って」と〈あの調子〉で言う先生に、あわてて係の人たちが増刷に走る。ともあれ〈あの調子〉が懐かしい──ちっとも変わっていない──のだが、しばらく経ってから増刷分が届いたレジュメも含め、すべてが 20年ちかい時を飛び越えてすぐに蘇った。そうだった、字、うまいんだった。
冒頭で「今日は OED( Oxford English Dictionary)と DNB( Dictionary of National Biography、オックスフォードの人名辞典)の引き方をやります」と言ったので思わず──「最終講義」で戻ってくるところはやっぱりそこなのかと──笑ってしまったが、自身の来歴に触れる雑談を交えながら、図書館という愉楽の場所(閉架の書庫に直接アクセスできる先生にとってはなおのこと)についての話から、宣言どおり OEDと DNBの引き方、そして書評の仕事で扱った数多のタイトルをひとつひとつ挙げて横断的に語るあれやこれやまで。
「とにかく(紙の)辞書を引いてください。ネットでちょろちょろと調べてわかった気になる。まったくの錯覚です」。富山太佳夫の最終講義というコンテクストを離れて耳にしたならばただの「保守反動」とも聞こえかねないこの言葉の、その説得力にやられる。つまりここで言われているのは、紙の辞書でなければ、調べているその項目の〈隣りの項目〉に出会えないということである。探しているものしか見つからないのがネット検索であり、ネット上の厖大な資源を真に活用できるのはすでに充分な知識をもった者だけである、とも。雑談はいずれも興味深く、甘美。たとえば 80年代、国書刊行会から「ゴシック叢書」シリーズを出す折りに、小池滋先生と志村正雄先生から「ちゃんと訳せる人間はおれたちが探す。どの本を訳せばいいかは富山、おまえが選べ」と言われたという話などは、もうほんと「くーっ」となる。ほか、書評を書くときは必ず引用しろ、とか。あと、ときに書評で特殊な分野・用途の、ゆえに高価でもある本を取り上げることの意義について、「個人で買う人は少なくても、(書評に取り上げられることで)図書館が入れてくれるんです」と言っていたのもちょっとぐっときた。
いま 70歳の富山先生は「あと 20年」は計算に入れているらしく、「あと 20年で」何をやるかを約束して講義は幕となったのだが、その前にまず、「読みたい本が山ほどあります」と言ったときには、ちょっと、どうにも、涙が溢れてしまった。「とにかく本を書く、研究するという、それは約束します」。
新宿に移動して、紀伊國屋ホールで桂米朝一門会。近藤(久志)君、ウエハラさんと。こんな番組。

つる 桂米輝
ぜんざい公社 桂ちょうば
佐野山 桂南光
〈仲入り〉
上燗屋 桂ざこば
はてなの茶碗 桂米團治

南光の「佐野山」は三度目くらい。解像度高く楽しいのはやはり有象無象たち──恋の遺恨相撲を仕立て上げる堂島の贔屓連中──だ。脳梗塞から復帰のざこばは〈リハビリ〉がそのまま〈高座〉として成立するというような、そんな地平に達していよいよ自由だし、そして今夜は何といっても、トリの米團治にこそ驚きたい。聞くたびごと、確実によくなってきているという印象はかねてよりあったが、ついにいよいよ何者でもなくなってみせた──聞き終わってからあらためて名を尋ね、ほう、いまのは米團治というのかい、というような──、そんな高座がそこにあった。それはむしろ聞く側の、こちらの成長なのかもしれないけれど、ともあれ、当代米團治はいよいよのところまで来ていると、映画『細雪』ファンとしてそうわたしは宣言したい。
なんてなことをつぶやこうかと浮かれ気味にツイッターを開き、そうして立川左談次の訃報を知って「えっ」となる。そうですかあ。うーん。しかしまあ、それについちゃあ富山先生がかつてジル・ドゥルーズについて書いた文章(『書物の未来へ』所収、初出は「現代思想」1996年1月号)に倣い、ここはひとつ「追悼拒否」とさせていただこう。そしてそのかわりに左平次を、あるいはぜん馬を、龍志を、いまこそ聞きに行きたい。

 追悼するためには、その人物の人間性のどこかに、あるいは残されたテクストのどこかに焦点が絞られ、濃縮化され、切断されなくてはならないだろう。しかし、ドゥルーズについてそれが可能だろうか。彼の、彼のテクストの、何処を切断して濃縮するというのだろうか。つねにデリダでしかないデリダ、あまりにもフーコー的であったフーコー──そのつどドゥルーズであろうとしたドゥルーズ。それにもかかわらず、彼の何を追悼するというのだろうか。
富山太佳夫「追悼拒否 ジル・ドゥルーズ」『書物の未来へ』、p.210

誰を追悼するというのか。彼のテクストはつねにそこにあって、私の関心のいたるところに浸透し、いたるところに浮上してくる。私は彼のテクストにまだ〈不気味なもの〉になるのに必要な時間も忘却も与えていない。それは私にとって特権的なテクストになっていない。追悼するということが必ず何らかのいかがわしい特権化をはらんでしまうとするならば、私は彼を追悼することを拒む。
同、p.212

Walking: 6.8km • 10,025 steps • 1hr 48mins 52secs • 319 calories
Transport: 68.7km • 1hr 32mins 52secs
本日の参照画像
(2018年3月31日 13:38)

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